第一節 雨宿り

 黒い長方形の石が積み上げられた城壁。それらが崩れ落ち、遺構いこうは雨の中にさらされていた。それに寄り添うように、丈の高い草が繁茂はんもしている。そんな場所を、土を踏み固めただけの道が貫いて居た。道の先は巨大な跳ね橋へと続き、その奥には雨にけぶる、黒い城が偉容を誇っていた。

 その道を、フードを目深に被り、黒いマントを羽織り、背負い袋を背負った小さな人影がゆっくりと進む。肩には光が寄り集まったような小さな狐のような生き物が座っていた。光を発しているように見えるその生き物だが、周りは一向に照らされない。

「怖い、出そう、帰って良い?」

 黒い人影は足を止め、暗い小さな声で言う。それに肩の光キツネが人語を返す。

「だ~めだよ。アルトネック師に叩かれても知らないよ」

 人影はねたように、

「何でダメなの」

 光キツネは首をすくめて、

「仕事でしょ?」

 人影はうつむくと、暗い声で、

「仕事? 辛い、無理。手も足ももう動かない。わたしには無理。頭モーロー」

とボソボソと呟いた。そして大きく溜息を吐くと、再び城に向かって歩き始めた。


 跳ね橋を越え、城門をくぐると、人の気配はどこにもない。その城は打ち捨てられてから、長い年月が経っているようであった。天高くそびえる尖塔せんとうや、城壁と城に渡された、何時切れてもおかしくないようなロープには、吊り篭ジベットが吊り下げられ、下から見上げると、白い骨がその隙間から覗いていた。

 それを見上げて、フードを被った人物は、

「うぅ、帰りたい」

と小さく呟く。肩の光キツネは溜息を吐いた。

 そしてその人物が、城の中で一番大きな塔の入り口にやって来た時、声がかけられる。

「やあ、雨宿りかい?」

 フードの人物が顔を上げると、そこには商人風の若い男が壁にもたれて立っていた。奥にも何人かいるようだ。それを見て、入って来た人物は、チラリと肩の光キツネを見る。光キツネはわざとらしく、口元を前足で抑える。人物がフードを上げた。

 赤いちぢれた肩までかかる髪、やる気のなさそうな、半開きの眠たそうな目、整った小顔を台無しにするような、曇った表情。年の頃は十七、八。少女は男を見ると、

「どうも」

と野暮ったく頭を下げた。

 そんな少女にはお構いなく、若い男は快活な声で、

「中に入りなよ。こんな雨だし」

 そう言って、両手を広げて見せた。

「ま、神域じゃ珍しくないけれどね」

 少女は再び小さく頭を下げると、男の横を通り過ぎて、城内に入った。

 入り口の広い通路には、その男の他に、ローブ姿の母子と、年配の老夫婦が、身を寄せ合うように壁の辺りで座っていた。荷物も何も持たず、みな軽装のようだ。

 入って来た少女を見付けると、老爺は手招きして、

「アンタ、寒かろう。もっと奥に来なさいな。そんな所では雨が吹き込んで来るじゃろう」

 少女は、あの、そのと呟いた後、どことなくそわそわした様子で老爺の近くに歩いて行く。

 途中、母子と目が合った。母親は若いがやつれており、小さな女の子は、少女におびえるように、母親に抱きついた。

 少女は笑顔を作ると、

「怖くないよ」

と声を掛けるが、女の子は少女をチラリと見てから更に強く母親に抱き付いた。少女は、うぅ、と声を上げる。肩の上では光キツネが面白そうに肩を揺らしている。少女は光キツネを睨んだ後、悲しそうに母子の横を通り過ぎた。

 少女が老爺の元に辿り着くと、老爺は座るよう、自身の隣の床をぽんぽんと叩く。

「あ、大丈夫です」

 少女は首を振る。すると、老爺と一緒にいた老婆は、優し気な笑みを少女に投げかけた。

「こんにちは、お嬢ちゃん。お嬢ちゃんはこんな場所に、また何で来たのかしら?」

「あ、えっと、えと、うぅ」

 少女は言葉を詰まらせて黙ってしまう。それを見て老婆は面白そうに笑うと、

「ではどこから来たのかしら?」

 そう優しく問い直す。少女は小さく、

「ランナカイ」

と答えた。老婆は首をかしげると、

「ランナカイ、どこだったかしらね」

 そう言うと、少し離れた所に立っている、商人風の若い男が言った。

「確か山岳の国、広がる神域の最後の防波堤と言われるプリステ・アモージュの辺境都市だろう? 神域への窓口として有名だぜ」

「あぁ、うん」

 少女は男に言葉を奪われて頷いた。

「確かあそこは〝協会〟の一大拠点もあるはずだ。嬢ちゃん、慈善活動か何かで、この神域に来てるのか?」

 少女は首をすくめると、そんなとこ……、です、と小さく言った。

 老爺は驚いた様子で、

「ほう、そんな所から、こんな奥深くに? 危険な目にわなかったかい?」

 その言葉に、

「はぁ、まぁ」

と、もごもごと答える。それから少女は、

「それにしても、こんな寒い入り口で、その、何でもっと奥に行かないんですか?」

 少女の言葉に、その場に居た全員が顔を見合わせた。それから男が言う。

「この神域じゃ、よく分からない所には深入りするなってね。そりゃ、神秘が起こる領域さ。奥に行って〝神域の子〟なんて化物が居た日には、目も当てられない」

 男の言葉に、母子は抱き合いながら、ぶるっと体を震わせた。

「みんな旅の途中、この城には、たまたま雨宿りに立ち寄っただけさ。誰もこの城が何時から何でここにあるか知らないのさ。嬢ちゃんも一緒だろ?」

 少女は頷く。

「雨の、特に曇っている日は、荒野や森に、〝神域の子〟は現れやすい。だが、こうして各地に残っている、遺構いこうにも住みついている事もある訳さ。俺達は外にも内にも行けないって訳さ」

 母親にしがみ付いている女の子は震えている。男はわざとらしく両手を広げると、

「こうなったら仕方ないさ。黙って動かない事。狩れる力のあるフェルミナと、俺らは違うからな」

 光キツネは少女の耳元で、

「黙ってって言う割には、あの兄ちゃん、べらべらしゃべるね」

ささやいた。

「ん? 何か言ったか?」

 少女は不自然な笑顔を浮かべると、慌てて首を振った。

 男の話しが終わると、少女に母子が近付いて来て、恐る恐る話し掛ける。

「〝協会〟の方なんですか?」

 少女は首をすくめて、

「えぇ、まあ」

と言って、協会人きょうかいびとあかし、首から下げているホタテの貝殻を見せると、母親はほっと安心した顔をした。

「この神域では、人間に見えても、〝神域の子〟の可能性がありますから。何時も心配で」

 そう言って抱き付く娘に振り返り、

「このお姉ちゃんは大丈夫よ」

 そう言うと、娘は少女の方に寄って来た。

 それを聞いていた若い男は首をすくめて、

「俺達はダメだとよ、爺さん、婆さん」

と言った。老夫婦も笑って首をすくめる。老婆が言った。

「でもさぞ怖い目にわれたのでしょう。仕方ないわ」

と優しい声で言った。

 女の子は震える声で少女を見詰めると、

「わたし、エルフィ。お姉ちゃんは?」

 そう聞いて来た。それまで気だるげな表情しか見せなかった少女は笑顔で身をかがめると、

「似ているね。わたしはデルフィ、デルフィ・イルミナーゼ」

と言った。女の子は、

「ホントだ、似ているねぇ」

と初めて笑った。娘のそんな姿に安心したのか、母親の表情も少しやわらいだ。

 デルフィはエルフィの頭を撫でると、お姉ちゃん、ちょっと奥を見て来るねと立ち上がる。

 その言葉に、その場に居た者達はまたも顔を見合わせた。母親は、

「デルフィさん。本当に、この城に来たのは、わたし達も初めてなんです。無闇に歩き回らない方が」

 男も、

「おいおい、嬢ちゃん、聞いてなかったのかい?」

と呆れ顔だ。老夫婦もデルフィを心配そうに見ている。

 デルフィは首をすくめると、ぼそっと、

「あ、わたし、こう言うとこ、その、慣れてますんで」

 そう言ってから入り口の方を指さした。

 外は、元々薄明るかったのだが、そのほのかな明かりも途切れようとしていた。夜が迫っていたのだ。そして雨脚はますます強くなり、強くなった風が、通路の奥まで、雨を招き入れていた。

「随分冷たいです。ここに居るのがいいとは思えません。危ないかも知れませんが、それでも中を見て来ます。安全であれば、みなさんをお呼びしますんで、その後に中に入りましょう」

 デルフィは背負い袋を降ろすと、中からランプと火打箱を取り出した。ふーふーと息を吹きかけ火口ほくちからランプに火を移す。

「〝神域の子〟がいた場合、場所を知らせる明かりは危険です。なので持って行きます。みなさんは、しばらく辛抱して下さい」

 そう言って、背負い袋を女の子の横に持って行くとかがむ。デルフィはニコリと笑うと、

「これ、見ていてくれるかな? お姉ちゃんの大切なものなんだ」

 そう話し掛けると、エルフィもニコリと笑って大きく頷いた。デルフィは、エルフィの頭を優しく撫でると立ち上がる。

「では見て来ます」

 そう言うデルフィの前に男が歩いてやって来た。

「俺も行くぜ」

 そう言って自身の腰の辺りをぽんぽん叩いて見せた。男の腰には、ダガーが鞘に収まっていた。

「えと、あの、危ないですよ……」

 もごもご喋るデルフィに、

「アンタ、喋り方がコロコロ変わるな」

 デルフィは眉尻を下げると、

「えと、あの、必要な事以外、ダメなんです。えと、あの、後、子供と動物以外」

 肩の光キツネが口元に前足を当て、笑いをこらえる。デルフィはぶすとして、首をかしげて、光キツネに軽い頭突きをした。

「ぎゃう」

と光キツネは悲鳴を上げる。男は驚いた顔をして、辺りを見回した。

「何か言ったか?」

 デルフィは首を振ると、口を尖らせ、通路の奥へと歩いて行く。

「お、おい、待てって!」

 男は慌ててデルフィを追った。

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