5.悔恨

 遠くに見える白い光を目指し、バイクで夜空を駆け抜ける。

 チカは俺の腰に掴まり、足元の夜景を見下ろしながら

「わー、キレイ! 宝石箱みたい! すごーい!」

とはしゃいでいる。


「おい、どっち見てんだ。大物はあっちだ」

「だって、私には見えないんだもん」

「あん?」


 だったら何で見に行きたい、とか言ったんだ。どうもちょこちょこ嘘ついてやがるな。

 ……元気なふりをしているだけなんだろうか。


 しかし……あんなでっかい光が見えないのに、何で俺の姿が見えたんだろう……。


「この背中の鳥さん、スゴいね」


 チカはそう言うとスリッと頬を擦り寄せた。


「鳥さんとかゆーな。鳳凰だよ、鳳凰!」

「ほーおー?」

「中国の神話に出てくる、伝説の鳥だ!」


 初めてタナトさんと会ったとき

「それカッコイイね」

と言って教えてくれた言葉をそのまま伝える。

 チカは「へぇー」といい、顔をぐりぐり擦り付けた。


「おいコラ、乱暴にするな。刺繍がヨレる! 汚れる!」

「感謝の頬ずりなのに……」

「はぁ?」

「だって、コレのおかげでカメちゃんに会えたもん!」


 ふうん、そうなのか?

 そういや、俺の後ろ姿を見て叫んだんだったっけな。


「そういや、やけに驚いてたよな。何でだ?」

「え? えっと……宙から降りてきたから!」

「……」


 俺も最初はそう思ってた。だけど、チカが叫んだタイミングは、それよりずっと後――地上に降りたってしばらくしてからだ。

 チカは……何かを隠している。自分が生霊だってこと以外にも。


 だけど、仕方がない。その嘘に騙されてやる。

 今この瞬間が、きっとチカにとって大事なんだろうから。

 

 俺は「ふうん」とだけ言い、遠くの光を追い続けた。


 しかし……おかしいな。ここまで来るのにだいぶん時間がかかった。タナトさんが言っていた「あの一帯」からは外れている気がするぞ。

 バイトに過ぎない俺は、リストにない人間の魂は獲れな……。


「えっ!」


 案の定、そこは事故現場だった。どうやら高速道路での玉突き事故のようだ。

 今は冬。路面が凍っていてスリップしたんだろうか。


 潰れた車から、まだ白い緒が繋がっている魂。プツリと千切れて、すでに浮遊し始めている魂。

 そして――本当によく見ないとわからないぐらいの、緒が黒くなり始めた魂。


 しかも、あの前に見たルール違反の死神の奴らがすでに集まり始めていた。

 マズい。あんなところに、チカを連れていけない。間違えて狩られてしまうかもしれないし。


 俺は幽界電話を取り出すと、タナトさんに『事故現場に例の奴らがいる』とだけメールを送った。

 あの一件以来、もし下界で見かけたら通報するように言われていたからだ。幽界のおエラいさんとしては、確かな証拠が欲しいらしい。

 だけどそんなことより、あんな凶行を未然に防ぐことの方が大事だと思うんだが。


「チカ、予定変更だ。帰るぞ」

「えーっ、何で!?」


 やっぱりチカには、数々の魂も死神の姿も見えていないようだ。

 でなきゃ、こんな呑気にしていられる訳がねぇ。


「事故が起こってるだろ? 今あの辺は、彷徨う魂やそれを獲りにきた死神でごった返してる」

「……」

「だから早く……」

「やだ! だって、もうカメちゃんに会えなくなるもん!」

「あぁ!?」


 振り返ると、チカはボロボロと大粒の涙をこぼしていた。


「やだよ。だって私、もうすぐ死ぬんだもん」

「……っ……」

「私の魂はカメちゃんにあげるの。それが、私の償いなの」

「何を……」


 ヤバい。ヤバい、ヤバい、ヤバい。

 チカは気づいてる。もう時間がないって気づいてる。

 どう誤魔化せばいい? いや、償いって何だ?

 魂をあげるって……。


『ひゃはー? 面白れぇのがあんなとこにいるぜぇ!』


 不意に離れたところからそんな気持ち悪い声が聞こえてきた。ハッとして顔を上げると、一人の死神が大鎌を構え、こちらを指差している。


 ヤバい、見つかった!

 奴らは死ぬまでなんて待ってくれねぇ。どさくさに紛れてチカの魂が狩られちまう。


「とにかく帰れ! 念じれば一瞬で身体に戻れるだろ!」

「やだ! 今戻ったら、もう死ぬまで出れない!」


 チカがぎゅうっと俺の身体にしがみつく。ズボッと両腕をスカジャンの中に突っ込んだ。


「何しやがる! 腕を離せ!」

「やだ!」


 正規の死神は機動力が高い。宙を飛んで真っすぐこちらに向かってくる。


「だから――足手まといだっての。……邪魔なんだよ!」


 チカの両腕を掴み、思いっきり振り払った。俺の背中から、チカの気配が遠ざかる。


 悪りぃ。もう俺から突き放すしかねぇんだ。

 生霊だから、このまま白い緒を辿って自分の身体に戻れるはずだ。


 だけど、最後にこんな言葉、言いたくなかった……。


「……あ?」


 胸元からしゅるしゅるしゅる……と幽界ロープが伸びていく。

 その先を辿ると……チカの左手に。


「なっ……!」

『ひゃっはー、チャーンス!』


 やって来た死神が大鎌をふるう。狙いは、俺から伸びている幽界ロープと――チカの踵から伸びている細い白い緒。


「やめろー!」


 エンジンを急激にふかし、宙の死神の身体に前輪からツッコむ。ギリギリのところで大鎌は空を切り、死神は弾き飛ばされた。


『貴様! バイトごときが、歯向かってんじゃねーぞ!』


 死神はドスを効かせた声で怒鳴ると、凄まじいスピードで俺のところに突っ込んできた。

 ヤベ、目で追えな……。


『ふひゃひゃひゃっ、バーカ!』


 声は俺の背後から聞こえた。

 背筋がゾッと寒くなる。慌てて振り返る。


 死神の大鎌が、俺から伸びている幽界ロープを断ち切った。

 そして続けて、チカの白い緒へと――。


「カメちゃん……ごめんね!」



 その光景は、スローモーションのように見えた。


 チカは、右手にナイフをかざしていた。俺から奪った、幽界ナイフ。

 死神の大鎌が白い緒を断ち切るより一瞬早く――自らの足元を断った。

 チカの身体の輪郭が溶けるように無くなっていく。

 淡い、ピンク色を放つ――ぼんやりとした魂の塊へと変わっていった。



 ――幽界ナイフ? 何それ?

 ――死者の現世への未練を断ち切る道具。

 ――でも、断ち切っちゃってどこか遠くに行っちゃったら? 困らない?

 ――それはねぇ。断ち切る操作は特別なんだ。

 ――特別?

 ――断ち切る操作は、魂に名を刻むこと……だっけな、シャチョーによると。道具の主に、優先権がある。

 ――失くさないように持ち物に名前を書く、みたいな?

 ――お、そうそう。だけど、俺はバイトだから使ったことはないし、刻むのは俺の名前じゃなくて事務所の名前だけどな。



 マジで大バカだ、俺。

 何でペラペラ喋っちまったんだろ。浮かれてたのか。

 バカバカバカ。本当にバカだ。


 きっとチカにだって、彼女に一分一秒長く生きていてほしいと願う、家族がいたはずだ。

 なのに……こんなに早く死なせた。


「――確保だ、このやろぉ!」


 聞き覚えのある低い太い声が聞こえたと思ったら、目の前にシャチョーが現れた。

 俺のロープを切った死神の首根っこを引っ掴んでいる。


『はぐうぅぅぅ!』

「もう逃げられねぇからなあ!」

『うぅ……』


 辺りを見回すと、あちらこちらに幽界警察が飛び散っている。ある死神は逃げようとしてブン殴られ、またある死神はロープでグルグル巻きに縛り上げられて。


 そうだ……チカは? どうなったんだ!?


「……ここにいるよ」


 タナトさんがシャチョーの背後から現れた。タナトさんのじゃない、銀色に輝くひときわキレイな幽界籠。


「俺のだ。ややこしい事態になっちまったからなあ!」


 警察に引き渡された死神を見送っていたシャチョーが、腕を組んだままジロリと俺を睨む。


「すんません……」


 もう、何に対して謝ったらいいのかよく分からなくなった。

 どうすればよかったんだろう。俺は、どこから間違えたんだ。


 項垂れる俺に、シャチョーの容赦ないゲンコツが飛ぶ。


「い、痛ってぇ……」


 熱くて硬くて――ひときわ重くて。


「おら、帰るぞ!」


 そのまま俺のバイクはシャチョーの車に上にくくりつけられ、俺は後部座席に放り込まれ――俺たち三人は、まだ喧騒が続く下界の夜空から飛ぶように消えた。




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