3.解明
「えーと……ツ、ツ、ツ、ツ……あ、あった。……ル、ル、ル……」
肩をガチガチにいからせてキーボードに向かい、右手の人差し指をピンと伸ばしてキーボードの上を彷徨わせる。
事務所には、俺しかいない。前に目撃したルール違反の業者の一件で、タナトさんは幽界のおエラいさんのところに行っていた。シャチョーも裏トリで忙しいようで、事務所にはいないことが多い。
その隙に『
「ミ、ミ……くそっ、ミはどこだー?」
「カメ? 何してるんだ?」
「うおっ!」
いつの間にか扉が開いていて、タナトさんが立っていた。
信じられない物を見たような顔をして、窺うようにゆっくりと俺のところに歩いてくる。
「リストの人物を調べてるのかい? 自分で?」
「えーと……」
必要なときはいつも
「タナトさん、よろしくっス!」
って拝んでたからなあ。そんな俺が自分で機械を動かそうとしてりゃ、そりゃおかしいよなあ。
「えーと……タナトさん、もうすぐアガリでいなくなるし、俺も使えねぇとマズいかなって」
「ふうん……まぁ、そうだね」
タナトさんがガラガラと隣の椅子を引っ張ってきて俺の隣に座る。
「でもさすがに、一から調べ直していたら大変だよ。ほら、僕の作ったリストを出して……」
「ここにあるっスよ」
机の左側に置いていた紙を指差す。
「いや、出すってのはファイルを画面に出すってことで。アイコンをクリックして、人物名をドラッグして……」
「アイコをクリクリして薬漬け? 何かヤバくないっすか?」
「…………うーん、どこから説明すればいいかなー」
* * *
タナトさんは結局、機械の起動の仕方から使い方まで、みっちりと教えてくれた。覚えられてはいねぇけど。
俺としては『
タナトさんがくれたリストに載っていた写真の『
あの、俺が会った『チカ』なんだろうか。あんなに元気そうだったのに?
このあとこんな風になっちまうのか?
『
追加で分かったことは、これだけ。経歴なども調べられるらしいが、それはシャチョーだけが知っているパスワードが無いと駄目らしい。
漢字だらけでよくわかんねぇけど、タナトさんが
「遷延性意識障害は……俗にいう植物状態ってやつだね」
と教えてくれた。
「植物状態?」
「ずっと寝たきりで、自分で動くことも食べることもトイレをすることもできない状態ってこと」
「ええっ!?」
「意識もないことが多いらしい。交通事故で頭を打ったり、心筋梗塞で脳に血液が行かなくなって起こったりするみたいだけど。でも……十六歳と若いから、心筋梗塞はないかな」
じゃあ、やっぱり違うのか。それともこれから交通事故に遭うとか……?
俺が会った『チカ』が『
だけど居ても立ってもいられず、椅子から立ち上がる。邪魔くさいのでガガッと蹴り飛ばし、その辺に投げてあったスカジャンを手に取った。
「カメ、その子を助けようとしても無駄だぞ」
「!」
タナトさんの声に振り返る。想像以上に険しい表情をしている。
「僕たちができることは、死んだ人間の魂を導くことだけ。下界の人間に関与することは絶対にできないんだ」
「でも……」
チカには、触れたし。バイクにだって、乗せれたし。
ひょっとしたら特殊な人間かもしれねぇじゃんか。
「リストに無い人間が突発的に死ぬことはあっても、リストに上がった人間が死なずに済んだ例はない。多少、日時が前後しても。……これだけは、絶対だ」
「うるせーよ!」
いつもは有難いタナトさんの忠告だけど、今日だけは聞いてられねぇ。
そう思い、俺は乱暴に事務所の扉を開けて外に飛び出した。
* * *
バイクで下界に降り、前に来た時のようにぐるりと辺りを見回す。
夕方みてぇだな。太陽が西に沈みかけていて、空をオレンジ色に染めている。
『
「あ――!」
という女の叫び声が下から聞こえてきた。
声のした方角を見下ろすと、チカが宙にいる俺を見上げ、指差している。
「早く! 早く!」
と両手でおいでおいでをするので、仕方なく俺は地上までバイクで駆け下りた。
チカは両手を腰にあて、ぷうっと頬を膨らませている。
「もう! 探したんだよ。あれから何日経ったと思う?」
「何日だ?」
当然ながら、幽界にいる間は下界の時間経過はよくわからない。
「三日だよ! 今日は2月9日!」
「えっ……」
じゃあ、明日じゃねぇか。
ギョッとしてチカをまじまじと見る。前も見た、制服を着ている。
元気だよな、普通に。
きっと何かの間違いだよな。あのリストの『
そう思いたかったけど……モヤモヤしたものが胸の中に広がる。
何だろう、この違和感は。
そのとき、俺たちがいるすぐ脇の道路を、二人の少女が歩いてきた。
片方の子は赤いマフラーをして茶色いコートを着て黒いブーツを履いている。自分の隣にいる白いコートの子に楽しそうに話しかけていた。白いコートの子は暖かそうな手袋をした手を振り回し、笑い転げている。モコモコとしたベージュのブーツを履いていた。
二人のコートの裾からはグレーのヒダスカートが見えていた。チカと同じ高校なのかもしれない。
当然俺達には気づかず、そのまま通り過ぎて行った。チカにも一瞥もくれなかったが、ダチでもなかったらわざわざ声はかけねぇだろうし。
それに、チカは俺のバイクに手をかけている。そのせいで下界の人間から一時的に見えなくなってんのかもしれねぇな。
だけど……。
チカを見ると、通り過ぎた女子高生二人を羨ましそうに見つめていた。身を乗り出し、ローファーを履いた靴で背伸びをして……。
「……っ……」
重大なことに気づいて、俺は叫びだしそうになるのをグッと堪えた。
俺はバカだ。何で気付かなかったんだろう。
この真冬の冷え切った時期に、チカは何で、コートの一つも着てねぇんだ?
この雪が残るアスファルトの上を、チカは何で、滑りやすいローファーなんか履いている?
答えはチカの足元に隠されていた。
よーく見ると、やけに細い、糸のような白い緒が出ている。それは道路を越え、塀を越え、遠く遠く……病院の方角へと続いている。
……生霊か。
タナトさんが植物状態だって言っていた。きっと、チカの身体は病院にあって……魂だけが抜け出てきてんだろう。
無意識のうちに肉体から魂が抜け出ることはある。だけど、ふつうは輪郭がもっとぼやけていたりするもんだ。身体とをつなぐ緒だって、もっと太いし。
だけどチカは、俺が生きた人間と見間違うぐらい、やけにハッキリとした姿になっている。そして白い緒は、まるで糸のような細さ……すぐにでも切れてしまいそうな。
全く動かせない身体。いつしかチカは、自由を求めて外に出た。好きに動き回り、見たかったものを見、知りたかったことを知り――着たかった制服を着て。
実体と見間違えるほどになってるってことは……チカはしょっちゅう、こうやって魂だけ抜け出してるってことだ。
生霊だから俺が見えたのか。触れたのか。
あれ……だけど、これまでも生霊には会ったことがある。まだ生きている以上、死神バイトに気づくはずねぇんだが……。
もう、死にかかってるってことか? もう身体には想いが残っていなくて……生きようとしてないってことか?
ああ、何となく分かった。
間違いなく、チカが『
「ねぇ、お話ししようよ」
ニコニコと笑うチカ。
俺が気づいたことを言うべきか、言わない方がいいのか。
うおー、わかんねーよ。でもとにかく、チカは明日には死んじまうんだ。
俺ができることって何だ? どうすりゃいいんだよ。
「ねぇ、カメちゃんってば」
チカが俺のスカジャンの袖をツンツンと引っ張る。
「……カメちゃん?」
「自分のこと、カメって言ったじゃない」
「……」
言ったけど……。なぜカメちゃん? せめてカメさんとかにしてくれ。
いや、それも童謡みたいだな。何か間抜けだ。
……って、バカバカ、何考えてんだ。今はそんなどうでもいいことを気にしてる場合じゃねぇんだよ。
頭を抱えてうんうん唸っていると、チカがするりと俺の左腕に自分の両腕を絡ませてきた。
「カメちゃんって、あだ名? 名前、カメジロウとか?」
「…………っ!」
その瞬間、ビィーンという、嫌な音が頭に響き渡る。
俺の視界が、急にブラックアウトした。
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