第7話 クラーケン

「船が出せないだって?」





 船着き場で速見は困惑した。前日に正規の料金を払ったので、船に乗ろうとしたら船長に断られたのだ。





「すまないなアンタ料金は返すよ。先日クラーケンの目撃があってな、今は船が出せねえんだ。俺のとこだけじゃなくて他の船もしばらくは駄目だと思うぜ」





 クラーケン。





 それは海の帝王とも称される巨大な魔物。イカに似たその姿、縄張り意識が強く、自分の縄張りに入ってきた船はすべて転覆させるという。





 ギルドが定めた危険度はAランク。





 その大きさもさながら生息場所が海という事もあって、海中戦の心得がなければ戦う事ができないのだ。





「・・・じゃあ仕方ねえな。俺も命は惜しい・・・かなり遠回りになるが陸地を渡って他の港町に行くとするか」





 速見の言葉に船長は深く頷く。





「ああ、そうした方がいいだろう。さて、クラーケンが出たとなると俺らはギルドに討伐依頼出さねえとな・・・クソッ、クラーケンの討伐はやっかいだから受けてくれる冒険者がいるといいが」





 船長の言葉の通り。クラーケン討伐は冒険者にとってもやっかいな仕事なうえ、ドラゴンなどと比べると派手さがないので人気がない。





 しょんぼりと肩を落とす船長に背を向け、速見は歩き出す。





 そのとき、聞き覚えのある甲高い高笑いが船着き場に響き渡った。





「オォーホッホッホ!! お困りの用ですわねそこのお人!!」





 振り返ると、いつの間にか船の船首におかしな決めポーズをした一人の女性が立っている。





「ワタクシの名はエリザベート!! 正義の魔法剣士、エリザベート・リッシュ・クラージュですわ!!」





 そして華麗に飛び上がるとあまりの出来事に口をぽかんと開けた船長の目の前に音も立てず着地した。





「船長さんそのクラーケン退治の依頼、この正義の魔法剣士エリザベートが受けますわ!!」





「あ、ああそりゃあ助かるが・・・お嬢ちゃん一人でクラーケンに勝てるのかい?」





 船長の言葉に、エリザは薄い胸を張って答える。





「もちろんですわ!! こう見えてもワタクシはBランク冒険者!! 困っている人は放って置けませんし・・・それに一人ではありません!!」





 そしてエリザはキラキラとした目で速見を見る。





「ワタクシ達のコンビならクラーケン程度問題ないですわよねハヤミ!!」





 名指しされた本人はぽかんと口を開ける。





「・・・・・・へ? 俺?」
































「・・・はあ、全く強引な嬢ちゃんだ」





 ため息をつきながら対クラーケン用の装備を整える速見の隣でエリザは高らかに笑い声を上げる。





「オーホッホッホ!! 諦めなさいハヤミ!! ワタクシに目をつけられたが最後、身を粉にして正義を行ってもらいますわ!! それこそ休む暇など与えませんことよ!!」





「ったく。これじゃ正義か悪かわかったもんじゃねえな」





 そう言いながらもなんだかんだエリザの事は気に入っているのだ。





 こんなにも純粋に正義を行っているものなんてめずらしい。見ていて気持ちのいい馬鹿は好きだ。





 ・・・まあ、自分を巻き込んでしまうのはどうかと思うが。





「ところでハヤミ。それは何をしているの?」





 エリザの疑問に速見は作業をしながら答える。





「ああ、危ないから触るなよ。これはいくつかの毒性の強い野草を煮詰めて毒をつくってるんだ。俺は遠距離からちくちくするしか脳がねえからな。クラーケンみたいなデカ物とやりあうときは毒を使うんだよ」





 速見は自分の弱点を誰より把握している。





 それは決定力の無さ。狙撃の一撃で決められるなら良い、だが魔物には耐久力の高い種族が数多くいる。





 悔しいことだが、そういった類いの生物と真っ向から対抗できるだけの力は速見にはなかった。


 ならどうするか。





 行き着いた先がこの”毒”という手段。





 遠距離から鏃に毒を塗った弓矢で狙撃し、標的が毒で死ぬまで待つ。それが速見の戦い方だ。





 もちろん同業者からはすこぶる評判が悪い。





 男らしくないとか、戦士として恥ずかしくないのかだとか。





 どうせエリザもそのようなリアクションをするのだろうとちらりと横を見ると。エリザは興味津々といった様子でこちらの作業を見つめていた。





「ふむふむ、毒ですか。ワタクシには考えつきませんでしたわ。流石は年の功と言ったところですか」





「・・・うっせ、年寄り扱いするな」





 純粋な瞳でそんな事を言われて、何だか気恥ずかしくなったのだ。



































「さあて、いつでもいらっしゃいなクラーケン!!」





 帆を畳み、制止した状態の船の上で腕を組んで一人クラーケンの出現を待つエリザ。よほど暇なのか、一定時間ごとに様々なポーズを取って一人で遊んでいる。





 しばらく何もない平和な状況が続き、もう今日は引き上げようかと考え始めた時それは訪れた。





 静かだった水面に高い波が立ち、船がぐらぐらと揺れる。





 ぐぐっと持ち上がった船首に飛び乗り、エリザは海を見下ろした。





「来ましたわね!!」





 船を囲むように四方から巨大な触手が顔を出す。





 それが現れた瞬間エリザは動いた。今にも船を沈めんとしている触手たちには目もくれず、見下ろした海面に向けて渾身の魔法を放つ。





「”サンダーボルト”!!」





 サンダーボルト。





 魔法によって生成された虚構の雷が海に落ちる。





 雷は海面を伝って周囲に放電し、四方から出現していた触手がまとめて感電した。





 その攻撃に腹を立てたのか、船の前方から本体が姿を現す。海面から勢いよく飛び出てきたのはクラーケンの巨大な頭・・・ぎょろりと黄ばんだ目を動かし、エリザを睨み付ける。





 クラーケンの威圧感のある姿を見て、エリザはニヤリと笑った。





「ハヤミ!! 今ですわ!!」





 そしてエリザを睨み付けているクラーケンの、はるか後方から飛んできた一本の鉄製の矢がクラーケンの後頭部に突き刺さる。









































 エリザとクラーケンが戦っている海上から離れた海に面した崖上で、速見は構えていたクロスボウを下ろした。





 鉄製のクロスボウにはライフル銃から取り外したスコープが固定されている。





 速見は凝り固まった首を右手で揉みほぐしてから胸ポケットからこの世界のタバコを取り出してマッチで火をつける。





 芳醇な煙を吸い込んでから遠くクラーケンの様子を眺めた。





「命中したみたいだな。まあ、あんな的がでかいんじゃ当たらない道理はねえか」





 大きく煙を吐き出す。一仕事を終えた充実感と供にぽつりと呟いた。





「あとは逃げるだけだ。上手くやれよエリザ」





 隣で眠そうにしている太郎を撫でながら、速見は帰り支度を始めるのであった。
































 二人の立てた作戦は単純だ。





 まずエリザが速見の狙撃ができるポイントに船を走らせ囮となる。





 クラーケンが出現したら離れた所から速見が毒を塗った矢で狙撃し、その後エリザは全力でその場から逃げる。





 毒が全身に回るまで待機。





 クラーケンの死体が浮かび上がってきたら勝利。というものであった。





「・・・死ぬかと思いましたわ」





 珍しくテンションの低いエリザがずぶ濡れで速見と合流する。どうやら怒り狂ったクラーケンから逃げるのに苦労したらしい。





「お疲れさん。どうやら上手く逃げ切れたようだな。まあコレでも飲んで暖まるといい」





 速見が差し出したコップを受け取るとエリザは一気にそれをあおり・・・盛大に吐き出した。





「けほっ! これっ・・・お酒!?」





「おう、体が冷えた時は酒飲んで体暖めんだよ。ちびちびいけ、いっきに飲むと喉がいかれるぞ」





 速見のアドバイス通りに今度はちびちびと口に含む。





「・・・暖まりますわ」





「そりゃあ良かった」





 そう言って速見はエリザの隣に座り、酒を瓶から直接ラッパ飲みする。





 後は時が過ぎるのを待つばかりだ。









































「二人ともありがとよ。これで俺たちも安心して船が出せるぜ」





 感謝の言葉を発した船長に、速見は無言で頷いた。





 クラーケンの死体は数日後に船着き場の付近で見つかり、これにて依頼は完了となった。





「しばしのお別れですわね。ですが不思議なことにハヤミ、あなたとはまた会う気がしますのよ」





 そう言って差し出された手を速見は握りかえす。





「嬢ちゃんにそう言われるとそんな気がしてくるよ。まあ、また会った時にはお手柔らかにな」





「ふふふ、それはどうでしょうね。・・・それより、クラーケンの報酬は本当によろしいの? Aランク相当の魔物ですから相当な金額が受け取れましてよ?」





 エリザの言葉に速見は首を横に振る。





「いらねえよ。俺はもう冒険者じゃねえからな」





「そうですか、それではまた・・・」





「ああ、またな・・・」





 船が出航する。


 遠ざかっていく船着き場と、手を振るエリザの姿。





 また新たな地への冒険が始まる。





「さて、新天地には米があるといいが」























  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る