第2話 道連れ
深呼吸を一つ、心を落ち着かせる。
背の高い草の間に隠れた速見は、緑色に塗った灰色熊の毛皮を頭からかぶり、じっと息を潜めていた。
遠眼鏡で覗いた視線の先には獲物をおびき寄せる餌となる鳥の死骸が二羽。
狙撃手の天敵は何より眠気だと考える。
喚び餌を設置し、獲物が来るまでじっと動かずに待つ。それこそ何時間でも、何日でも。その時間を集中力を切らさずに待てる事が良い狙撃手の条件なのだ。
この場所に潜伏してからすでに3時間。わずかな眠気を感じた速見は懐から真っ赤な色をした木の実を取り出し、数個口に放り込む。
噛みしめると激しい辛みが口を刺激して眠気がふきとんだ。
唐辛子に似た味のこの木の実は食用には適さない。飲み込むと腹痛を起こすし、ただ辛いだけで旨いものでもない雑草の実だ。
だが速見にとってこの実は都合がよかった。
噛みしめて眠気を飛ばした後に吐き出せば腹痛は起こさないし、何より食用じゃないおかげで誰も採取しないから取り放題なのである。
そして石のように待つこと数時間、その時は訪れた。
鳥の死骸につられてやってきたのは死肉を食い荒らす猪に似た肉食のモンスター。名をデッドボアというらしい。
群はつくらず単独で行動する。
肉食だが主に他の動物が食い残した死骸を食べて生きている。
速見は長年の冒険者生活で、このモンスターが非常に美味である事を知っていた。・・・そして群で行動しないため、単独で狩るには適した獲物だということも。
デッドボアがゆっくりと鳥の死骸をあさる。速見は相棒の30年式歩兵銃を構え、取り付けたスコープを覗き込む。
この銃は命中精度こそ高いが威力は控えめだ。今のように100メートルも離れた場所からの狙撃では、人間こそ殺せども野生の獣の分厚い毛皮を貫通して死に至らしめる事は困難だろう。
・・・まあそれも狙う場所によるのだが。
速見は独自の呼吸法で極限の集中力を発揮する。
もうすでに音は消えた。研ぎ澄まされた集中力の中で、100メートル先のデッドボアがまるで目の前にいるかのように感じられる。
(今!!)
引き金を引く。
乾いた発射音と供に放たれた弾丸がまっすぐに進み、食事中のデッドボアの腹に命中。
他に比べて柔らかい腹の肉を貫いて、弾丸は正確にデッドボアの心臓を破壊する。
恐るべき精度。
軍役の前はまたぎとして山で暮らしていた速見。その狙撃能力は所属していた小隊内でも群を抜いていた。
「・・・よし、今夜はご馳走だ」
パチパチと楽しげに炎のはぜる音。串刺しにされたデッドボアの肉が薪の周りにぐるりと囲ってあり、旨そうな焼き色をつけている。
「そろそろ食べ頃かな」
良い具合に焼けた肉にかぶりつく。
芳醇な肉の味と、少し焦がした事で生まれた香ばしさがたまらないほど旨い。一般的に食べられている肉よりは少し野性味が強いが、軍隊に居た頃、戦場で食べていたものはもっとひどかった。
それに比べたらここは自然の恵みもたっぷりあるし、飢え死にすることもないだろう。
「・・・それでも帰りたいもんだ日本に」
頭に思い浮かぶのは生き別れた家族の姿と、戦場で散っていった友の顔。
しんみりとした気持ちで空を見上げていると、ふと隣から生物の気配が感じられた。
振り向いてみると、そこにはまだ子供の狼が物欲しそうな顔をしてこちらの様子を伺っているようだ。
「ふふ、何だお前。腹が減ったのか?」
幸いにもデッドボアの体は大きく、その肉は一人で食べきれる量ではない。切り分けた生肉の塊を狼の近くに放ってやった。
よほど腹が減っていたのか。子供の狼は大喜びで肉の塊にかぶりついた。
ぶんぶんと尻尾を振ってよほど機嫌が良いとみえる。
その微笑ましい様子を暖かな目で見守ってから、速見はそっと空を見上げた。・・・空には日本で見上げたソレと同じまん丸なお月様がこちらを照らしている。
「・・・ああ、良い月だ」
静かな夜だ。
あの二人と供に過ごしていた時は、常に賑やかだったのに・・・。
夜が明け、速見は火の始末をしてから立ち上がる。
余った肉は殺菌効果のある野草の葉で包んで保存食とした。これで三日は腐らずに持つ計算である。
歩き出そうとしたそのとき、背後から何かの気配を感じて振り返る。
「・・・ワフッ」
昨夜の子狼がトテトテと可愛らしい足取りでこちらにやって来るのが見えた。
「おうおう、何だお前。俺と一緒に来るってか?」
強面をほころばせながら速見はやってきた子狼を抱き上げる。抵抗せずに抱き上げられた子狼は機嫌が良さそうに尻尾をぶんぶんと振ると速見の顔を暖かな舌でぺろりと舐める。
「・・・じゃあ一緒に行こうか。そうだな、お前は今日から太郎と名付けよう。よろしくな? 太郎」
呼びかけられた太郎は「ワフッ」と元気の良い返事をするのであった。
◇
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