第41話神よ、聞かせろ! タイトルという概念を作ったのはどこのどいつだ! なに……この世界に無かったタイトルという概念、それを未来から持ち込んだ俺こそが……

 俺、一ノ瀬辰巳の朝は早い――


「朝~、朝だよ~。そろそろ起きてジョギング行くよ~」


 耳に心地よい目覚ましボイスと共に優しく揺さぶられ、俺の意識は徐々に覚醒していく。

 現在時刻は朝の6時。

 まだまだ眠いし、うぐぅとか呟きつつ、布団の中で惰眠を貪りたい。あったかい布団にポチャポチャ包まれていたい。昼過ぎまで寝てたい。ヒ〇ナンデスのBGMと共にだらだら布団から出たい。

 そんな欲望に抗う事が出来たのは、純粋に早起きに慣れたのか、公園で美少女JKが待っているからか、徐々にエリザが調子に乗ってくすぐったり息を吹きかけたりしてきているからか……。


 俺は冬眠を邪魔されたクマの様に、緩慢な動きで布団から這い出た。


「……おはよう、エリザ」


「おはよ辰巳君! 今日も頑張ってね!」


 グッと両拳を握るエリザに元気を貰いつつ、ここ数日の日課となったジョギングの準備をする。

 準備をしているとマイスマホが『ピロピロwwwwゴーウィwwwゴーウィwww』と音を鳴らす。

 これまた日課となっている雪菜ちゃんからのメールだ。


『残り――3日です』


 純粋に怖い。

 死刑執行日を待つ囚人の気持ちが分かってきた。

 残り3日で目標体重まで落とせなければ、死刑――という名の実家に強制送還だ。

 メールは続いていた。


『おはようございます兄さん。あと3日ですね。無駄な努力の方はどうですか? 一応言っておきますが、内臓をいくつか売り払って体重を落としたとしても、無くなった臓器の重さはしっかり換算しますので、無駄なことは考えないように』


 そういう発想をしちゃう雪菜ちゃんが怖い。心が病んでる。もっと穏やかかつ優しい心を持っていてほしい。ほのぼのアニメとか見て、ほっこりしてほしい。け〇のフレンズとか、G〇部とか見てさ。今季だったらダントツで〇イドインアビスだね。OPの後半に出て来るユーゼス・ゴッツォみたいなキャラに期待。きっとロボ的な無感情キャラだけど、冒険の旅に同行する中で愛や友情、希望、慈しみとか感情を学んで最終的に自己犠牲の精神を発揮して『次に生まれ変わるとしたら人間に……』と言って敵に特攻、機能停止した頭を墓標に主人公たちの旅は続く……みたいな展開に違いない。死亡回は絶対泣くわ。


 そういうほのぼのアニメを見て、暖かな情緒を抱いてほしいよ兄さんは。


『ところで兄さんの部屋を片付けてたら、またイヤらしい本が出てきたので、一部は処分させて頂きました』


 また俺のコレクションが犠牲に……恐らく一部というのは年下とか妹物とか以外だろう。

 まあいいさ。

 本当に大切な本……1軍のほとんどはこっちに持ってきた。家に残っているのは2軍と3軍のみ。


 だがそれでも――心が痛い。指先がチリチリする。口の中はカラカラだ。目の奥が熱い。

 俺は長男だからこの喪失感に耐えられるけど次男だったら耐えられてないぞコレ。


 例え1軍より劣る2軍や3軍でも掛け替えのないコレクションの一部だったのだ。少ないお小遣いを叩いて買い、エロ本がポップする野山を駆け抜け、初心者に平気でシャークを持ち掛けて来るオッサンとのトレードを乗り越え、エロ本神がばら撒くエロ本をゲットする為に河原でオッサン達とバトり……そうやって手に入れ、何度もお世話になった物に違いはない。エロ本に貴賤はないのだ。

 それに少し年を経て俺の趣味嗜好が変わって2軍から1軍に昇格する事案もあるからな……ぐぬぬ。


『全く……処分しても処分しても沸いてくるなんて、まるで兄……いえ、ゴキブリの様ですね』


 今、恐ろしく酷いことを言おうとしていたような……つーか、メールだから修正出来るだろ。ワザとか。


『間違えました。まるでゴキ……いえ、兄さんの様ですね。失礼』


 ワザとじゃない! マジで失礼な妹だな。

 これで可愛くなかったら、何らかの罪に問われるんじゃないか。


 しかし……不安だ。

 1軍のブツはほとんどこっちに持ってきたものの、荷物の量の関係で少しだけ置いていくことになってしまった。

 バレない方法で隠しているけど、世の中絶対はない。強制送還云々は抜きにして、そろそろ1回実家に戻って、ついでに回収しておいた方がいいかもしれないな。


『ゴキブリで思い出しましたが、この間兄さんの部屋を掃除している時にゴキブリが出ました。ごめんなさい……もしかしたら兄さんの友達かもしれなかったのですけど、反射的に潰してしまいました』


 ゴキブリを友達にする兄なんていない! まあ、ネズミを友達にする囚人もいるし、いてもおかしくないか?

 

『その時、咄嗟に本棚にあった辞書を使ったのですけど……』


 本棚、辞書……だと……。

 やばいやばい! やばばばばばッ!


『辞書を開いてみて驚きました。まさか辞書の中身をくりぬいて、その中にイヤらしい本を隠すなんて……ふふふ、兄さんの癖に知恵が回りますね。今日まで全く気づきませんでした』


 あばばばばぁッ! 1軍がぁぁぁぁ!? 中学生の頃にアビス(という名のゴミ捨て場。上昇負荷は臭い)で拾って以来、未だにお世話になってる二次元ドリームノベルスがっ! 『魔法少女侍プリティ十兵衛ちゃん~隠し剣男棒編~』がッ!

 やめて、お願いだからやめて……処分だけは嫌だ……それだけは……何でもするから……。


『少しだけ私を驚かせてくれたお礼に、今回だけは見逃すことにします』


 え、マジで? 雪菜ちゃん優しい……好きかも……。


『ではこの辺りで失礼します。兄さんが帰ってくるまでにすることが山ほどあるので。ドアノブに南京錠、電気椅子……いえ、なんでもありません』


 何でもあるんだけど。ジョークだよね……うん、そうに違いない。

 雪菜ちゃんのジョークってほんとウケル。……笑えよ俺。


 冷や汗を拭いつつ、ジャージに着替える。

 

「頑張ってね辰巳君、うーんっと美味しい朝ごはん作って待ってるからね!」


 そんな声援を受けつつ、アパートから出る。

 

■■■


 アパートを出て、近くの公園で美咲ちゃんと合流。

 一緒にしっかりストレッチをした後、ジョギングを始める。

 いつものルートを走った後、公園で休憩。


「それでね、昨日は辰巳と別れた後、例のアイツが通ってる大学に行って、いつも使ってる靴箱を特定しちゃいました!」


 ビシリと可愛らしく敬礼をする美咲ちゃん。

 例のアイツは美咲ちゃんのお姉ちゃんを誑かしているクソ男の事だ。


「グッジョブだ、美咲ちゃん」


 よし、靴箱を特定出来たか。

 あとはそいつの嫌いな物を何とか調べて、靴箱がガバガバになるくらい奥までぶち込んでやる……ヒヒヒ……。

 まだまだこれが前菜、これから嫌がらせフルコースが待ってるぞ……ウヒヒヒ……。


「嫌いな物……おっけ! アイツから聞き出すようにお姉ちゃんにお願いするね!」


「それとなくね」


「えっと、嫌がらせに使うから、大嫌いな物を聞いといてって言えばいいかな?」


「バカなのか?」


「ひ、酷いよ! あたしバカじゃないもん!」


「バカって漢字で書ける?」


「……いじわる」


 腕を組みながらむくれる美咲ちゃん。どうやら書けないらしい。

 衝動的にお金を払いそうになってしまうくらい可愛い。もし美咲ちゃんの銀行口座を知っていたら、定期的に入金してしまいそうだ。


「ごめんごめん。まあ、勉強できなくても美咲ちゃん運動めちゃくちゃ出来るし、問題ないだろ。ほら、進路とかも選びたい放題だろうし」


「そ、そうかな……」


「そうそう。受験前に気が滅入るくらい勉強した俺からしたら、羨ましいよ。いいなー、羨ましいタル~!」


 高校3年生の冬、スポーツ推薦が決まってアホみたいに遊んでいたクラスのヤツを見て、内心すっげえ羨ましかった。

 ピンポイントでコイツの頭に隕石落ちないかなぁとかマジで思ってた。

 まあ、隕石は落ちなかったけど、そいつ担任の人妻と恋に落ちて駆け落ちしたんだよね。

 人生何が起こるか分からないものだ。

 

「羨ましいんだ……えへへ。そうだよ、あたしめちゃくちゃ運動できるもん。勉強しなくても、だいじょーぶだもんね。羨ましいでしょー? へへー♪」


 まあ、でも最低限の勉強はしとかないと社会に出てから苦労すると思うけど……美咲ちゃん嬉しそうだし、黙っとくか。


「あ、そうだ! ねえねえ、辰巳は進路決まってるの? もしよかったらさ、その……一緒の学校行かない? そしたら、ほら、これからも一緒にジョギングできるでしょ? ねっ、いい考えじゃない?」


「いや……え? あ、あのさぁ美咲ちゃん」


「あー! ちょっと待って待って! そ、そもそも……辰巳って今、何年生なの? も、もしかして1年生だった!?」


「うん、まあ……1年生ではあるけど」


 大学のな。

 そうか……そういえば俺、大学生ってこと言ってなかったっけ……。

 うーん、高校生、しかも1年生に間違えられるとか……結構嬉しいぞ。


「そっか、1年生か……えー、それじゃあ、一緒の大学行けないよね。困ったぞ……うむむ」


 何がうむむだ!

 美咲ちゃんは暫く唸った後、コクリと頷いた。


「じゃああたし留年するね」


「マジでバカなのか」


 ほぼノータイムで1年を棒に振るとか、美咲ちゃんマジ刹那的快楽者主義者。

 理性が蒸発してんのか?


「あ、また言った! あ、あのさ、辰巳。あたし2年生だよ? 先輩だよ? 年上だよ?」


 美咲ちゃんは腕を組んだまま、眉を寄せた表情を近づてきた。恐らくは軽くガンを飛ばしているだろうけど、慣れていないからか微笑ましさしか感じない。こんな可愛いメンチ切られても、財布を取り出す気にはなりませんぜ。別の物は出したくなるけどね(って下ネタかーい)


『お主、本当に頭の中が忙しいのう』


 また誰かの声が……妖精さんか?


「ガッコーは違うけどさ、普通先輩にはもっとアレ払わないと。けー、けー……あの、アレ、なんだっけ?」


「ケーキ?」


「それ。ケーキ! 先輩にはケーキを払うものでしょ? ……あれ? ケーキって払われる方だよね、お金。ま、まあいいか。と、とにかく! そんな風に調子乗ってると、1年生の頃のあたしみたいに、先輩にボコボコにされちゃうよ? 部室の天井に裸釣りされちゃうんだから!」


 なにそれマジで詳しく。

 いや、まずはイメージだな。実際に詳細を聞く前にその光景をイメージして、その差異を楽しむのが上級者というもの。イメージだからいくらでも現実にはないオプション追加出来るしな。取り合えず季節は勝手に夏にしておこう。蒸し暑い部室の中で吊るされた美咲ちゃんからは大量の汗が流れて、床に汗だまりを作る。美咲ちゃんの口から漏れ出る苦悶の声が、即席の汗海を揺らす。そうそれはまるで東から吹く風が稲穂を揺らすように……うーん、文学的エロス。


「あのさ、美咲ちゃん」


「ストップ! いーい? ずっと同じ年だと思ってたから、ちゃん付けでもよかったけど、年下って分かったからには、ちゃんとセンパイって呼んでよね」


 バジリスクタイムアツイ展開到来ッ!


 ちょっと待って! 今年下の女子高生から先輩呼びを強要されたんですけど!

 こんなイリーガルなイベント、普通ならイメージプレイ専門店くらいしか発生しないないだろうに、生(ライブ)で遭遇するなんて……。運営は神!

 

「ほら、呼んで。先輩って」


「いや、でも……」


 お巡りさんに捕まらないかな……だって、年下生女子高生を先輩呼びとかあんまりにも罪深過ぎるし。

 小学生アイドルをママって呼ぶ世の中だから許されるか……? 


「なに? あたしの事先輩って呼びたくないの? むぅ、辰巳の癖に生意気。あんまり生意気言ってると、1年生の頃のあたしみたいに、合宿の時のお風呂で先輩たちに……ん、んんっ、これはないしょっ」


 だからさぁ! 何でそういう妄想が捗りまくる事をぶっこんでくるかなぁ! 誘ってんのか? オォンッ?


「もー! いいから早く! よーんーでーよ! 先輩って! ウチの部活、後輩いないから、誰もあたしのこと先輩って呼んでくれないの! だーかーら!」

 

 美咲ちゃんが俺の両肩をガッと掴んで揺さぶってくる。

 だ、だめぇ! そんなに揺すったら出ちゃう! さっき走ったばっかりだから出ちゃうのぉ! ファンタズムがリバースしちゃう!


「ひぎぃ! よ、呼ぶから! あんまり揺すらないでくれ!」


「ん。よろしい。最初から素直に先輩の言葉に従えばいいのだ、んふふ」


 腰に両手を当て、満足げにほほ笑む美咲ちゃん。

 やれやれ、仕方ないな。

 美咲ちゃんがどうしてもそこまで言うなら、仕方ない。


「さあ、来い!」


 バッと構える美咲ちゃん。

 美咲ちゃんを先輩って呼ぶぞ……ゴクリ。

 一応周囲に人がいないかを確認して、将来的に訴えられた時の証言も考えて、しっかり記憶する為に机に突っ伏して寝ている脳内司書ちゃんを起こして、もう一回周囲に人がいないかを確認して。あとは……。


「あれ? 何か落ちてる」


 俺が覚悟をススメていると美咲ちゃんが地面から何かを拾い上げた。

 あれは……俺の学生証だ。

 どうやらさっき揺すられた時に、ウワァァァァァ! うぁー! 落としたァー! 職質用の学生証を落としてしまったのですが!! ということらしい。


 ん? 学生証……。

 

 美咲ちゃんは拾い上げた学生証を空にかざし、ケラケラと笑い出した。


「あははは! 辰巳、何この顔かわいー! 目ほっそーい!」


「あー、うん。写真って撮られ慣れてなくってさ」


「んふふふ……へー、辰巳の誕生日も載ってる。おー、辰巳っぽい日だ」


「どういう意味だよ」


「ふふ、ふふふ……ん?」


 人の学生証を見て、ケラケラ笑っていた美咲ちゃんだが、唐突のその表情が固まった。

 どうやら……知るべきではない事を知ってしまったらしい。


「あ……え……これ……大学生の……」


「うん」


「えっと……双子のお兄ちゃんの……? 一ノ瀬辰辰……?」


「そんな名前の人は知らない」


 俺みたいなんがもう1人いるとか、考えただけでもゾッとするわ。いや、案外友達になれるかも……うーん、やっぱ無理! 究極の同族嫌悪で出会って5秒でバトル確定だな。


「えっとえっと……」


 美咲ちゃんが俺と俺の学生証を交互に見ながら、オロオロしだした(ゲロったわけではない)

 ただゲロっちゃいそうな表情ではあった。


「その、つまり、辰巳って……もしかしてぇ……」


 俺はただ頷いた。

 それだけで美咲ちゃんの顔が真っ青になった。

 この時の美咲ちゃんの気持ちを答えよ。


『ふむ。あれだけ先輩後輩やらの上下関係の重要さを語り、先輩として気分よく振舞っていたが実は相手の方が先輩だと知ってしまい……刀があったら自らの腹でも掻っ捌きたい思いじゃろうな』


 時代錯誤的な答えどうもありがとう、シルバちゃん。

 

 このあとの美咲ちゃんがどうなったか、その答えはまた後日。

 ただヒントを出すとするなら……Win-Win。俺と美咲ちゃんはWin-Winの関係になったのだ。

 正解した方には抽選で一ノ瀬ハートインランド一泊二日の旅にご招待。



■■■


『残り――2日』


『兄さん、私いい事を思いつきました』


『兄さんが家に帰ってきたら、私が作ったスケジュールに従って生活をしてもらいます。ですが、私も暇じゃありません。自分の部屋でやらないといけない事もありますし、ずっと兄さんの部屋で兄さんを見張るわけにはいきません。兄さんだって自分1人で過ごしたい時間もあるでしょう』


『ですから。兄さんと私の部屋を隔てる壁をマジックミラーに変えようと思うんです』


『私の部屋から兄さんの部屋を見えるようにするんです。こうすれば私は自分の部屋にいながら、兄さんの事を監視できます。兄さんだって1人の時間を過ごせる』


『とても有意義で、無駄のない生活……ふふふ、素敵』


『とてもいい考えに思うので、早速取り掛かろうと思います。一応言っておきますが、兄さんに拒否権はありません』



■■■


「はぁ……はぁ……」


 ジョギングが終わり、朝食を食べたら学校に向かう。

 学校では基本的に遠藤寺の行動を共にする。


「くっ……腕の震えが……」


 講義中うっかり寝てしまうと、当然授業の内容はノートにとれていない。

 だがどうやら俺には妖精さんが憑いているらしく、目が覚めるとノートがしっかりとられているのだ。

 そんなオカルトありえません!と怒られる前にネタバレすると妖精さん=人間さん。人間さん=遠藤寺という方程式が成り立つわけ。

 ほんと遠藤寺には頭が上がらない。

 

 ちなみに自分のノートをとりながら、俺のノートをとっている遠藤寺だが、どうやってとっているのか気になって寝たふりしたら、普通に両手を使って自分のノートと俺のノートを同時にとっていた。遠藤寺は両利き――プロフィールが更新されました。


 そんな両刀使いの遠藤寺と食堂で飯を食っているのだが……


「ふぅっ、ふぅ……くっ」


 遠藤寺の様子がおかしい。

 何やら震える右手を抑えている。この年で中二病とか……ただでさえ遠藤寺はボクっ子、探偵、ゴスロリ、クーデレ、リボン、うどん厨、足がグンバツの女……と属性が多いのに、これ以上盛ったら1人旅団状態だ。つーかデス子先輩のお株を奪ったら可哀そうでしょうが! 


「どうした遠藤寺。もう1つの人格が現れそうなのか?」


「君が何を言っているか分からないが違う。これは、その……ちょっとした禁断症状みたいなものだよ。昨日の夜から症状が出始めてね。全く、厄介なものだよ」


 サラッと凄い事を言い出したぞ。


「そうか、禁断症状か……なんの?」


「強いて言うなら……アルコールかな」


 アル中のヒロインは流石に需要ねーよ。

 そんなマイナス属性増やしてどうするんだよお前……ニッチ過ぎるだろ……何か泣けてくるわ。


「待て待て待て。君は何か勘違いしている……というより、ボクの説明が不味かったか」


「大丈夫だ遠藤寺。俺も治療に付き合うよ。大丈夫、お前は強い、依存症なんかには負けないよ」


 たった1人の親友だ。アルコール依存症でも、遠藤寺は遠藤寺だ。俺の大切な友達だ。


 俺は震える遠藤寺の右手を両手で握った。あー、スベスベするんじゃぁ~。


「むぅ……君の言葉は嬉しいし、心を打たれるが……違うんだ。少しややこしい事情でね」


「ややこしい?」


「ほら、君がダイエットを始めてから、毎日の日課だった2人の飲み歩きが無くなっただろう?」


 遠藤寺は酒が好きだ。洋酒日本酒ワイン焼酎……その嗜好は幅広い。

 俺はまあ、普通だ。大学生になって酒を飲み始めたが、ドハマリするほどではない。家では飲まないしな。

 ただ遠藤寺と飲むのは楽しい。仲のいい友達と酒が入って高揚した気分でどうでもいい話をするのがこんなに楽しいとは思わなかった。

 ほぼ毎日俺と遠藤寺は飲み歩いていたわけだが、俺がダイエットを始めてからその日課はストップしている。


「どうやら君と飲むのがボクにとって、思っていた以上に深い欲求になっていたらしくてね。3日君と飲んでいないだけで……これさ」


 握りしめた遠藤寺の右手が震える。いい感じの振動だ。マッサージとかに使えそう。いや、もっと他の部分……い、いかんいかん流石にそれは不謹慎だろ。タツミは悪い子! タツミは悪い子!


「つまり『タツミンとえんどりんなう~2軒目どうする?~酒、飲まずにはいられないッ~』禁断症状ってわけか」


「ボクたちの飲み歩きにそんな名前が付けられていたの、初めて知ったんだが……それにえんどりんってキミ……」


 しかし、こうなったら是が非でもダイエットを成功させないとな。

 もし実家に戻るとなったら、『タツミンとえんどりん以下略』も開催出来ない、つーか雪菜ちゃんが許すはずもない。

 仮に許すとしても『飲み歩き、ですか。ええ、いいですよ。ただし……肝臓だけで十分ですよね』とか最高(サイコ)な許可出しそう。 


「俺頑張るよ。『タツりんなう』をこれからも続けていく為にも……頑張ってる痩せる。雪菜ちゃんには負けない!」


「えんどりんって……えんどりん……フフフ、えんどりんか……」


「聞けよ」


 遠藤寺のどんな琴線に触れたのか、ニヤニヤ笑いながらえんどりんを繰り返す彼女を見て、マジでコイツ変わってるなと改めて思う俺だった。



■■■



「一ノ瀬後輩、何か嫌いな物はありますか?」


 授業が終わり、部室に遊びに行った俺に向かってデスパイ(デス子先輩の略)がそんな事を聞いてきた。死の乳ってお前……パッションリップな名前だなおい。


「何ですかいきなり」


「あー、実はその。ワタシに妹がいることは以前話したと思うのデスが」


 つーか電話で会話したけどな。名前は忘れたけど、デス子先輩とは違って元気全開の声のデカい子だったな。


「で、その妹が一ノ瀬後輩の嫌いな物を聞きたい、と」


「何で?」


「彼女が言うには、その……えー……」


 デス子先輩は口をモゴモゴさせ、目の前の水晶玉を落ち着きなく撫で始めた。


「言い辛いことなんですか?」


「いや、言い辛いというか、誤解を与えてしまうというか。彼女はワタシと一ノ瀬後輩の仲を少し勘違いしているようで……その、将来の……」


「将来の?」


「義理の兄に……あぅ……」


 先輩の手が更に加速し、水晶玉が磨かれていく。


「えー、まあ何と言いますか……デスから将来の為に知っておきたいと、ええ……出来たら察してほしいのデスが……ワタシの口からはこれ以上……ね?」


 ピカピカに磨かれた水晶に映る先輩の顔が赤い。

 そういう察するスキルって俺、あんまり鍛えてないんだよね。よく分からんが、これ以上先輩から聞き出せる情報はないようだ。

 よく分からないが、先輩の妹ちゃんが俺の嫌いな物を探ってる、それだけだ。

 別に知られても問題ない情報だし、いいか。


 ……しかし、これどっかで聞いた話だな。


「嫌いな物ですよね、んー」


 今までの人生で生まれた嫌いな物を頭に浮かべる。嫌いな物はいっぱいあった。

 俺には好きな物と同じくらい、嫌いな物がある。好きな物が増える度に、嫌いな物も増えていったような気がする。逆もまた同じく。


 好きな物を頭に浮かべるのは楽しい。

 エリザが作ってくれる美味しいご飯、笑顔、いい匂いのする髪、ひんやりとした体。 

 いつも元気な大家さん、ときおり浮かべる可愛らしくも意地の悪い笑顔、明け透けなやさしさ。

 遠藤寺、デス子先輩、美咲ちゃん、近所の小学生、雪菜ちゃん。


『え、妾は?』


 嫌いな物を頭に浮かべると、胸が鬱々する。

 例えば中学校。眼が背けたくなるほど痛い色、鮮烈な日々。煮詰まった泥の様な息苦しい教室、悪意でしかコミニケーションをとってこないクラスメイト。転校生の彼女。初めて好きになった女の子。告白。罠。逃避。

 例えば高校。灰色の日々、誰とも接しない教室、止まった時間の中で進む時間という矛盾、動かない心、今はまだ後悔の実感はないがきっともっと年をとってから恐ろしく後悔するだろう喪失。タイムマシンが発明されない限り、埋めようがない空白。

 こんなのばっかりだ。全く嫌になる。

 消してしまいたい人生の一部。でも消すには長すぎる時間。そんな長い時間を無駄にしてしまった。その事を考える度に、喪失感が心を苛む。喪失感は冷たい。心が冷えていく。


 心が冷え込むと不思議と体も冷えていく気がする。よくない傾向だ。


「……ん?」

 

 ふと、頭に何か暖かいものが乗っているのを感じた。


「あ、えっと……あはは……」


 先輩がテーブルを乗り越えるようにして、俺の頭に手を乗せていた。

 暖かい。頭に乗っているはずなのに、心が温かくなる。


「先輩どうしたんですか急に」


「えっと、分かんないけど、こうしたくなって……えへへ」


「はぁ」


 よく分からないが、俺から言わせてもらうとしたら……え、何この役得イベント。

 先輩に頭を撫でられるのもサイコーだけどさ。胸がさ……目の前にあるんだ。

 左手で俺の頭を撫でて、右手をテーブルに置いて体を支えてるからさ……胸がギュッと寄ってんの。

 マジで目と鼻の先に胸があるの。映画の最前席とかそんなもんじゃねー、ライブをステージの上で鑑賞しているようなリアル感。


「よいしょ、と」


 そんな時間が終わってしまった。あまりにも急なイベントだったので、脳内保存も間に合わなかった。

 突発イベントはマジ勘弁してほしい。クソ運営マジクソ。詫び石プリーズ。


「んんっ、んっん。えーと、はい」


 席に座り直した先輩が、わざとらしく咳をする。


「今の行為ですが……えー、はい」


「はい」


「その……一ノ瀬君の顔を見てたら、うん。……はい」


「はい」


「……」


「はい」


「……察してください」


 また出たよ! 人生ってどんだけ察するスキル必要なんだよ! スキル本とかどっかに落ちてないかな。


「えっと、嫌いな物ですよね」


「ごめんね。聞いといてなんだけど、やっぱりいいよ」


「いや別にいいですよ」


「でも……」


 さっきはちょっとバッドな気分になったけど、今は大丈夫だ。


 嫌いな物、嫌いな物……うーん。

 やっぱアレかね。


「パンですね」


「なるほどパン。……パン?」


「パン」


 はい、みたいなトーンで言った。


「え、パンってあのパン?」


「そのパンですね」


「『パンはパンでも食べられないパンは?』のパン?」


「愛と勇気だけが友達のあのパンです」


「小麦粉やライ麦粉などに水、酵母、塩などを加えて作った生地を発酵させた後に焼いた……あの?」


「ええ、多分それです」


「『膨らませるもの』と『膨らませないもの』とに大きく分けられ、膨らませないパンは『平焼きパン』『無発酵パン』『種無しパン』などと呼ばれ、中東からインドにかけての地域で盛んに食べられている。膨らませるものは、「酵母を使って発酵させるもの」、「種を使って発酵させるもの」、「発酵させず膨張剤を使うもの(クイックブレッド)」の3種に分けられる。もっとも一般的なものは酵母を使って発酵させる小麦のパンである。……あの?」


 先輩詳しいな。wikipediaから丸まるコピったような知識だ。


「えっと……冗談とかじゃなくて?」


「普通にマジです」


「な、何で? 美味しいよねパン」


 何でかと聞かれれば、まあ食わず嫌いである。あまり見たくない部類に入る。

 見ていると鬱々してしまうのだ。やっぱり米だよね。日本人は米食えよ米! お米食べろよ!


「そ、そうなんだ……パンが嫌いなんだ。うん、覚えとくね」


「焼きたてだと特に。……先輩はパン好きなんですね」


 そういえば先輩、いつもハンバーガーとかパンとか食べてる気がする。

 ていうかそれを踏まえて気づいたけど、部屋の隅にある謎の機械……魔改造し過ぎて黒魔術的な道具かと思ったてたけど……ただのトースターだわ。

 待てよ……先輩の私物入れに見た感じヤベー白い粉あったけど……小麦粉だ! 

 作ってんの? ここで?


「え、まあ……普通かな。基本朝はパンだよね。お昼もパン。夜は……まあ、パンかな。大学の近くの商店街にね『ピーターとパン』ってパン屋さんあるでしょ? あそこのね、クリームパンが本当に、ほんとーに美味しいの! クリームがトロットロで、いい感じの甘さでそれも中にたっぷり詰まってて! 思い出すだけで……もう、笑顔になっちゃう。幸せ、そう幸せになるの。何ていうか光……暖かい太陽の日差しの下でお昼寝する、みたいな。ふふふ……そのくらい幸せ。はぁ……帰りにもう1個買っちゃお……」


「……」


 俺は黙ってスマホのビデオアプリを立ち上げた。


「そこね、カレーパンも美味しいの。でもカレーパンが一番美味しいのは……駅前の『パンジャドラム』だよね、やっぱり! あのカレーパンになる為に生まれたとしか思えないカレーがジューシーで香ばしくて、普通に食べても美味しいんだけど、トースターでちょっとだけ焦げ目が付くまで焼くと……はぁ……生きてるっていいよね」


 ニッコニコな先輩の表情をアップで撮り続ける。

 テンションの上がった先輩は、椅子から立ち上がり、部室内を歩きながら高揚した口調でつづけた。


「あんぱん! あんぱんの話する? あんぱんはねー、同率1位が4つもあるの。『パンドラム』『マザーパンネル』『カワパンガ

!』『パンなるパンタジー10号店』……は移転して『パンなるパンタジー10-2号店』になったんだっけ。で!」


「はい」


「で! ……あ。うあぁ……」


 ざんねん。せんぱいはしょうきにもどってしまった。


 顔を覆い、スススっという動きで、椅子に戻る先輩。そしていつものポーズ。


「……さて、どこまで話したデスか?」


 口調が雑。


「パンなるパンタジーの話です」


「いや、その……ちがくて。さっきのは……あれデス! 憑依デス! な、何者かに憑依されてしまったようデス! デスがはい! 今先ほど魔眼の力を使って、ディスペルしました! お、おのれぇ……敵め!」


「敵って誰です?」


「へ? えっと……この手口は、お、恐らく……カオス四天王の1人……闇のダーク、いやブラック……あっ。そう! 執行者NO,12『操る蒼黒のトゥエルブ』に違いないデス!」


 途中で設定変えたな……つーか、その敵、どっかで聞いたことあるぞ。


「フフン、離れて相手を操ることしか出来ない卑怯者め……」


 そのセリフあれだ。執行者NO.3の『業炎のサーディス』だ。

 つーか俺が書いた『黒の軌跡』ネタ丸パクリしてやがる。


「というわけで先ほどのワタシの言葉や振る舞いは全て操られての行いデス。よろしいデスか?」


「光とか太陽の下でお昼寝とか、生きてるのが幸せとか言ってましたしね」


「え、えぇ……普段のワタシからは考えられない発言……お の れ ト ゥ エ ル ブ !」


 はたして先輩はトゥエルブに復讐することが出来るのか。

 何の罪もないトゥエルブの運命は。

 実はトゥエルブの事が好きで素直になれないサーディス(裏設定)の恋の行方は!

 13人いる執行者の半分以上が主人公に寝返っている組織の運営は!


 全ては黒ノ軌跡のみが知っている――




■■■



 翌日、いつも通りのタスクをこなして、いつも使っている靴箱を開けた俺。

 

「……オイオイ」


 パンツが入っていた。

 人生何が起こるか分からな過ぎて頭がおかしくなりそうだ。




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