第40話お、お前は……一体……なに? 神……だと? 世界を作った神、だと?

 嗅覚からの情報によると、どうやらここは俺が所属している同好会『闇探求セシ慟哭』の部室らしい。

 一応味も見ておこう。


「すぅ」


 小さく息を吸うと、埃っぽい空気に混じって怪しげなお香の味を感じた。そしてその空気の中には隠し切れない――女性の匂い。

 女性特有のいい匂い。どんな香水よりも、香しい魅惑の香り。セントオブウーマン、夢の香り。

 そんな香りが舌を刺激する。

 この香り、間違いなく先輩だ。


 ククク……例えローブを纏おうとも、体の匂いは隠せないのだぁ……!


 あと新鮮なハンバーガー臭がする。これは先輩が大好きなてりやき〇ックバーガー(ソース多め)の匂いだ。

 さてはランチだなテメー。

 おねんねしてる後輩をオカズに喰うバーガーはさぞ美味しかったでしょうねぇ。


 というわけで、嗅覚だけでなく、味覚から得た情報により、ここは間違いなく部室だ。

 例によって、先輩に拉致されたらしい。

 先輩は忘れた頃にこうやって、サプライズ演出――背後からスタンガンでバチッとやって拉致してくるからほんとお茶目。マジ油断できない。同好会に所属してから、通算8回目のスタンガン拉致だ。そろそろ電気耐性(小)くらいは会得しそう。冬の密かな楽しみである、静電気バチビリプレイを純粋に楽しめ無くなったらどう責任をとってくれるのだろうか。


 さて。

 ずっと目を瞑っていたことで、部室の暗闇にも慣れたことだろう。

 俺は薄っすら目を開けて、襲撃者のご尊顔を拝見してやることにした。 

 薄く開けた目で、部室を眺める。

 若干ぼやけた視覚情報が、目に入ってくる。 


 ――怪しげな書籍が収まった本棚、先輩の謎グッズがたんまり入ったロッカー、先輩がよく肘をついて例のポーズをする愛用のテーブル、美少女の顔。


(……ん?)


 何か見慣れない物が映ったような……。

 もう一度ワンスモア。


 ――怪しげな書籍が収まった本棚、先輩の謎グッズがたんまり入ったロッカー、先輩がよく肘をついて例のポーズをする愛用のテーブル、やっぱりどう見ても知らない美少女の顔。

 

「……えへへ」


 見覚えのない美少女が、至近距離から俺の顔をジッと見ていた。

 テーブルの上に肘を置き、両手で作った花に顎を乗せている。え? 両手で作った花って表現が分かりづらい? ほらアレだよ。お笑い芸人のおさるがやってた『うれしいY!』みたいなポーズだよ。そこに顎乗せてんの。ゲンドウポーズの逆バージョンみたいな?

 そんな彼女はどうやら俺が目を覚ましたことに気づいていない様子だった。


「んふふ」

 

 少女は何が楽しいのか、俺の顔を見てクスクス微笑んでいる。

 さて、この美少女は一体誰だろうか。この同好会は俺と先輩しか所属していないはず。


 薄目のまま観察してみる。


 整った顔だ。全体的に幼さを残した造形だが、不思議と大人びた雰囲気も感じる。曖昧的な美しさとでも言えばいいだろうか。

 蕾が花開く直前、その刹那な間にのみに存在する奇跡の瞬間。角度によっては子供っぽくもあり、そして大人っぽくも見える、そんな矛盾した美しさ。


 全く見覚えないはずの顔だが、なぜか口元付近に既視感がある。

 視線を下に移す。


(はぁ?)


 思わず声に出してしまいそうになった。

 それくらい、彼女の首から下は現実味のないものだった。ちなみに首から下が植木鉢だったとか、そういうホラーちっくな話ではない。

 もちろん腹筋がバッキバキに割れてる、いわゆる学名〈ナガト・ナガト・ナガト〉な体形だったわけでもない。

 

 まず着ている服が――体操服。そう、体操服なのだ。

 長い間着古しているせいなのか、元は真っ白だったはずの体操服はどこか色あせている。そして色々な所にほつれが見られる。

 胸の部分には『3-A』と書かれたワッペン。そのワッペンを盛り上げる豊過ぎる胸。かなりの豊かさだ。豊か過ぎてクーデーターとか起きそう。大富豪……花輪君レベルの豊かさだ。


 その体操服の胸の部分がもうパッツンパッツンになっている。

 俺には体操服の悲鳴が聞こえた。いつ着ていた物かは知らないが、学校を卒業した後も酷使され成長した体(主に胸)によって、押し伸ばされる体操服の悲鳴が。

 

『助けて……もう弾け飛んじゃうよぉ……耐えられないよぅ……綺麗な花火みたいに弾けちゃう……あの地球人みたいになァ!』


 そんな悲鳴が聞こえたのだ。俺はそんな彼の境遇を悲しみ、そしてそれ以上に羨ましいと思った。

 美少女の体でパツパツに引き延ばされるとか何それ。最高じゃん。地獄でそんな罰があったら、行列待ったなしだわ。むしろ獄卒も並ぶだろう。

 ウーン今すぐ自害したら、この体操服に転生できるかな。自動販売機とか剣に転生する小説が流行ってるくらいだし、可能性はあるだろう。要検討。


 とまあ、そんなグラビアの表紙を飾ったら、保存用観賞用使用私用枕の下に敷いていい夢を見る用の5冊は買うだろう美少女が体操服着てるオーバーテクノロジーな光景が広がってるもんだから、これ多分夢だな……。

 現実味が無さすぎる。ツイッターで呟いたら嘘松認定されて炎上待ったなし。

 それか先輩が部室に置いてるヤバイ薬が漏れ出て見ている幻の可能性もある。


「ふふふ、一ノ瀬くーん……いつもローブ越しだからこうやって生で見るの初めてだけど……えへへ」


 しかもこの夢子(ドリコ)ちゃん、もしくは幻子(ファンコ)ちゃん、俺の名前を知っているらしい。

 夢の世界か幻の世界かは知らないが、人の個人情報が勝手に流出するとか、マジ情報化社会って怖いね。


 しかし……マジで凄い。胸が。

 胸の部分が盛り上がりすぎて、ワッペンの文字が立体的に見える。シルなんとかさんまでとは行かないけどかなりデカい。……シルなんとかさんって誰だっけ?


『妾じゃ』

 

 お前だったのか……。


 そんな事より胸だ!

 俺は寝たふりをしていた事を忘れ、無我夢中で彼女の胸を凝視していた。

 目を見開きすぎて、眼筋が筋肉痛になりそうなくらいに。


「あ、あれ……?」


 そしたら、まあ……気づかれますよね。


「も、もしかして起きてる?」


 この声、どっかで聞いたことあるんだよなぁ。

 そう思いつつも、俺は「おはようございます」と返事をした。


「うん、おはよっ……あ」


 少女は朗らかな笑みでの挨拶を中断し、ギギギと音を立てそうな動きで、視線を俺の顔から自分の体に移した。

 そしてまたギギギと顔を上げる。


「あ、あわ……」


 あわ? 泡? 粟?


「あわわわ……あわわわ……!」


 落ち着け仙道!


 俺の心の叫びが届いたのか、少女はピタリと動きを止めた。

 そして――


「わあああああああ!?」


 という叫びと共に、その両手を突き出した……俺に向かって。

 ドン!と胸の辺りに衝撃を受け、そのまま仰け反り、重力に引っ張られそのまま地面に。

 普段の俺なら華麗な受け身を取るが、現在緊縛中の為、文字通り手も足も出ず、椅子に座った状態で地面に頭を打ち付けた。


「ごっ」


 人間マジで痛いと「ごっ」って言葉が出るらしい。

 リアルに目から星が見えたスター。


「あ、うそっ、い、一ノ瀬君!? やだっ、ごめん大丈夫!?」


「うぐぐ……痛い……ふふふ」


 痛すぎて何か笑えてきた。


「笑ってる……よ、よかった……だいじょぶっぽい。あ、そうだ今の内に……」


 ゴソゴソと衣擦れの音が聞こえる。

 だが、そんな事より、俺は頭の痛みを抑えるのに必死だった。あまりの痛みに意識がアッチの世界にぶっ飛びそうになる。

 アッチの世界ってのはつまりアッチの事で、いわゆる一ノ瀬ハートインランドの事だ。


『さっき来たばかりじゃろうが。そんなホイホイ妾のところに来るでないわ。妾のプライベートな時間を邪魔するでない』


『気をしっかり持てい。ほら、アレじゃ。前に本で読んだあのアレ。〇極じゃ、無〇を使うのじゃ』


 脳内からそんな声が聞こえる。俺は脳内に響く声に従い、痛みを誤魔化す為に、さっき見た豊満なおっぱいで頭が包まれているイメージを浮かべた。

 ――成功。頭を金槌で叩く様な痛みは消え、代わりにふわふわしたマシュマロに包まれた。

 


■■■



 暫くすると痛みも完全に消え、マシュマロタイムも終わった。

 俺は未だ椅子に縛り付けられたまま、部室の天井を見上げている。


「これで……よし。んんっ、んんんっ!」


 聞き覚えのある咳払いと共に、誰かが近づいてきた。

 視線を向けると、黒いローブの何者かが俺を見下ろしていた。


「おはようございます、一ノ瀬後輩。気分はどうデスか?」


 先輩だった。

 何故か息が荒く、着ているローブがしわくちゃなので何かエロイ。


「いや、どうもこうも……何で俺、床で寝てるんですか?」


 イマイチ記憶がはっきりしない。

 確かトイレでスタンガン食らって気絶して部室で目覚めて、謎の少女を目撃して視姦、それからツッパリを食らって……あれ? でもあの少女は幻か夢だから存在しないということは、俺がこうして床で倒れてるのも矛盾している。

 え? つまりはさっきの美少女は存在してたのか?


「先輩。さっきここに、女の子いませんでした? 体操服着た」


「…………はて。ワタシはずっとここでアナタが目覚めるのを待っていましたが、他には誰も来ませんでしたよ。そもそもこの部室には認識阻害の魔術がかかっていて、普通の人間は――」


「じゃあやっぱり幻か。凄い可愛かったな……」


「か、かわっ!?」


 先輩の声が裏返った。


「……やま? え、どうしたんですか先輩」


「い、いえいえ。何でもありませんが。ええ、そうデス、そうデスとも。一ノ瀬後輩が見ていたのは恐らくただの幻でしょう」


 やはりそうらしい。まあ、この湿っぽい部室にあんな可愛い体操服美少女がいるはずないもんな。

 もしあんな素敵な存在が実在してたら、玉砕覚悟で結婚を前提にお付き合いを申し込んでるね。


 そんな事を考えていると、先輩がモジモジしながら言った。

 

「と、ところで一ノ瀬後輩。その……一ノ瀬後輩が見た美少女とやらは、どうでした?」


「はい? どうでしたって、何がです?」


「デスから……こう、印象? みたいな? 一ノ瀬後輩的に」


「はぁ。印象ですか。そうですね……」


「……ごくり」


 まあ、見た目の可愛さとかおっぱいとかも素敵だったけど……目が良かったよね。

 優しい目。見られるだけでMPが回復しそうな母性を含んだ目。あの目で見つめられてたら、1年くらい飲まず食わずでも生きてられそう。 

 そういう臨床試験のバイトがあるなら、真っ先に俺のところにリクルートしてほしい。 


「長くなりそうなんで、まとめると――」


「ああああっ! やっぱりいいデス! 何でもないデス、忘れてください!」


 先輩は大げさにサヨナラする人みたいに、ブンブン両手を振りながら言った。

 何だこの人、意味分からん。まあ、日常的に真っ黒なローブ着てたまに後輩をスタンガンでバックアタックする人だから今更か。

 

「えっと……一ノ瀬後輩が床に倒れている理由デスが、えー……目を覚ました時に寝ぼけたのかこう、足がビクッとなって……倒れたのデス」


 なぜか棒読み気味だが、そういう事らしい。あるある。

 天井を見上げるのも飽きた。

 

「取り合えず縄解くか、起き上がらせてくれません?」


「縄を解くことは出来ないデス。この後始まる闇の尋問から逃げられては困るので。取り合えず椅子を持ち上げますね」


「じん……もん……?」


 何か日常生活に不要な言葉が聞こえた気がする。気のせいであって欲しい。


 先輩が俺の頭の辺りにしゃがみ込んで、椅子を持つ。

 そして、グッと力を入れ持ち上げる。


「ではよいしょ……っと。ふむ、無理デス」


 早々に諦めやがった。


「先輩マジ非力過ぎ。1cmすら浮いてねーよ」


「うぐっ……で、でも重くて、無理なのは無理だし……し、仕方ないデス。一回縄を解くので、自分で起き上がってください」


「最初からそうして下さいよ」


「で、それから再び縛りますから、決して逃げないように」


「えぇ……」


 嘘みたいな提案だが、俺は大人しく従った。

 ここは学校。どんな理不尽な要求だろうと先輩の命令には絶対服従だからだ。

 別にリアルタイムで先輩に縛られてみたいという願望に従ったわけではない。


 というわけで一旦拘束を解かれた俺は、自分の足で立ち上がり、自分で起こした椅子に座り、先輩の手によって再度縛られた。

 生で縛られた感想は……まあ、悪くないかな。それ系のお店に需要があるのも理解できる。

 それよりも先輩が俺を縛る時、片手に持ってた『マンガで分かる~小学生の初めての緊縛~』って本がすっげえ気になった。まあ小学生向けにユーチューバーになるための本とか売ってる世の中だし、騒ぐほどのことでもないか……。


 椅子に縛られた状態で、テーブルを挟んで先輩と向き合う。


「では、改めてようこそ一ノ瀬後輩……我らが深淵の底『闇慟哭セシ探求』へ――」


 先輩がいつものポーズでそう言った。


「あの先輩。前も言ったんですけど、用事があるなら連絡下さい。あのバチッってやつ、マジで怖いんで」


「今回に限っては、アナタに連絡をする時間すら惜しかったので。大学内を走り回り、ようやく見つけたのでこう……衝動的にバチッと」


 衝動的に(スタン)ガンぶっぱなすとか、いつから日本は銃社会になったんだ?

 しかし、運動苦手な先輩が走り回ってまで俺を探していた理由は気になる。

 恐らくは相当な緊急事態なんだろう。もしかしたら遂に先輩が不審者として警察にマークされたのかもしれない。ありえる。


「回りくどい話は無しにしましょうか。一ノ瀬後輩――現在、アナタには裏切りの疑いがかけられています」


 そう言った先輩からは、人が人を追及する時に発する圧力のような物を感じた。

 まさか緊急事態が俺に関する事とは思ってもいなかったので、ポカンと口を開けてしまう。


「へ? 裏切りって……俺が? 誰を?」


「ええ。ワタシをそしてこの同好会を」


 そう言うと先輩は、以前にも見せてきた巻物を取り出し広げた(前みたいに胸元から出すのではなく、普通に鞄からだった。残念)

 そこに書かれているのは、この同好会のルールだ。

 定期的に開かれる会合に必ず参加する、この世あらざる存在を目撃または噂を聞いたら報告する、闇の生きる者としてその本質を他人に知られてはいけない……などなど。

 そういった掟(ルール)が実に達筆な文字で書かれている。先輩曰く、この同好会が発足した23年前から、その時の部長に引き継がれているらしい。こんなわけの分からない同好会が23年も続いていたのは驚きだが、いつの時代だって拗らせた人間がいることの証拠であり、何だかちょっと安心する。


 ところでこの掟だが、破ると酷い目に合うらしい。


「一ノ瀬後輩、アナタ掟を破りましたね?」


「マジで身に覚えがないんですけど」


 エリザの事は置いといて、それ以外特に掟とやらを破った覚えはない。

 ちゃんと会合にも出てるし、UMA的な存在(小学校の前でロリを視姦しているが決して捕まらない肉屋)の報告もしている。本質云々も語るような友人はいない。そもそも闇に生きる者がどうとかの意味が未だに分からないが。

 

「ほぅ……しらばっくれますか。ワタシを前にして一切の動揺も見られないその胆力……流石一ノ瀬後輩。ワタシが見込んだ人物だけはあります」


 さす俺。


「はぁ。でも本当に覚えが無くて。そもそも掟、ですか? どれを破ったって話になってるんです?」


「一番下を見るのデス」


「一番下ですか?」


 言われた通り、一番下を見た。


 達筆な文字がズラリと並ぶその最後の段――何かクッソ汚い文字で『恋や愛に身を窶すことなかれ』って書いてあった。


「なかった! こんなの前見たときは無かった!」


「ほ、ほう……よく気づきましたね。確かにこの掟は以前存在していませんでした。……こ、この『掟の書』は特別なアーティファクトであり、その時々で新たな掟が浮かび上がってくるのデスよ……」


 いや、でも他の文字と全然違う! 前からあったのはかなり達筆だけど、一番下のだけ浮いてる! クッソ汚い! 

 他の文字は筆で書かれているのに、最後のだけは恐らくマジックペンで書かれている。

 明らかに最近追加されたものだ。そしてこのクソ下手な文字、見覚えがある。

 しかも文字に重なる形で血みたいなのが染み込んでるけど……これケチャップ!

 どう考えても先輩がハンバーガー片手に書いた文字だ。


「フフ、フフフ……この同好会が発足して23年……まさか、ワタシの代で新たな掟が発現するとは……」


 23年伝わってきた有難い巻物に手書きで勝手に掟を追加したのかこの人……マジか……。

 いや、まあいいよ。それはまあ別にどうでもいい。俺はこの掟の書とやらに興味はないし。先輩がOBの人に怒られて涙目になるところは見たいが、基本的にはどうでもいい。

 

 それでもやっぱり身に覚えは全くない。恋や愛に身を窶すことなかれ、だっけ?

 要するに恋愛禁止ってことだろ。アイドル業界によくあるルール。

 リアルタイムで彼女いない歴更新し続けてる俺が何したって言うんだよ。


「一ノ瀬後輩、今だったら自ら罪を告白することで、罰を軽くしましょう。具体的に言うなら、罰を執行する時に用いる山羊の血を豚の血に変更することもやぶさかではありません……しかもイベリコ豚のデスよ……フフフ……」


 血をナニに使われるのか想像もできないので、山羊がいいのかイベリコ豚が悪いのかサッパリ分からん。

 分からな過ぎて恐ろしい。

 怖すぎて思わずありもしない事を告白してしまいそうだ。

 なるほど……冤罪ってこういう風に生まれるのね。


「それでも! ……それでも、マジで知りませんよ。つーかそんだけ言うくらいだし、証拠でもあるんですか? 無いでしょ? だったら先輩の勘違い――」


「無論ありますが」


「え?」


 先輩は自信ありげにそう言うと、リモコン的なものを操作した。

 部室の天井からゴゥンゴゥン音を立てて、スクリーンが下りて来る。学校の授業で映画とかスライドショーを見せられるときに使うアレだ。


「今から見せるのはアナタが掟を破った、決定的な瞬間を映した映像デス。……さて、これが自ら懺悔をする最後の機会デスが?」


 先輩の口調からは堂々とした自信を感じるが、自信なら俺にもある。

 俺には恋人なんていないし、できるはずないからな! ……おや、イタタタタ。心が痛いぞ。不思議。


「フッ、自白する気はないようデスね。ならいいでしょう。自ら犯した罪をその目に焼き付けるのデス!」


 先輩はそう言って右手で自分の右目を覆い、左手でいつの間にかテーブルに置いていたノートパソコンをカチカチ操作した。

 すると、テーブルの上に置いていた怪しげな水晶が眩い光を放つ。


「何の光ィ!?」


 突然水晶が光出したので、ヤッベ先輩マジで魔法使えるタイプの先輩だわマジリスペクトですわと驚いたけどよく見たら、ノートパソコンからUSBケーブルが伸びて水晶に突き刺さっていた。どうやら世にも珍しい水晶型のプロジェクターらしい。暗かったから分からなかったけど、明るくなったせいで値札を発見してしまった。ほう……ヴィレッジ〇ンガードですか。大したものですね。 

 水晶から発せられる指向性を持った光が、スクリーンに投影開始(トレースオン)される。


 暗い部室の中、ぼんやりと浮かび上がった映像は――1組の男女、その後ろ姿だ。


「さあ――これがアナタの罪デス」


 先輩が芝居がかった仕草でスクリーンに映った映像を指す。


 場所は……どこか見覚えがある道だ。

 画面中央に映っている男女の背中に見覚えはない。


 男女は深い仲なのか、手を繋いで歩いている。

 男の方は女性慣れしていないのか、静止画からでも落ち着かない様子が見られる。

 肩が強張り、手を繋いでいないフリーな左手で頭の辺りを掻いている。この雰囲気、恐らくは童貞だろう。慣れていない女性の軟らかい手に緊張しているのか体の節々がガチガチな様子、もしかしたら別のところもガチガチかもしれない。どこって? 言わせんな恥ずかしい。


 対する女。こちらは男とは反対に余裕が見られる。歩いている後ろ姿は自然体だ。もともとの性格か、それとも男慣れしているビッチか……いや、待て。よく見ると……フリーになった右手がガチガチに力強く握り絞められている。まるで緊張や照れを全てそこに凝縮させたような……そんな風に見える。器用だが不器用な女だ。

 つーか女の方、ゴスロリ服じゃん。遠藤寺以外にゴスロリ服を着て歩いてる女なんてそうそう……いや、まあ秋葉とかに行けば山ほどいるか。


「ん?」


 男の後ろ姿に全く見覚えはないけど、女の方……この髪型そして大きなリボン、肩から背中にかけてのライン、お尻から太もも、膝えくぼ(膝の裏のくぼみ)、ふくらはぎ……。


 遠藤寺だこれ。間違いない。遠藤寺検定2級の俺が言うんだから間違いない。

 うーん、相変わらずいい脚だ。このアングルからの写真は持ってないし、あとで先輩に焼いてもらおう。


「んん?」


 というこの写真は、遠藤寺が男と手を繋いで歩いてる写真か。

 え? え、遠藤寺と知らない男が手を繋いで……。ふーん、そうなんだ。

 よーし、死ぬか。


『超ドアホかお主は。落ち着いてこの写真を見んか。自分の後ろ姿も分からんのか?』


 自分の後ろ姿……?

 いや、普通自分の後ろ姿なんて分かんないし。インター〇ィメンドでも使えたら別だけど。


『マフラーがあるじゃろうが。この時期にマフラー巻いとる季節勘違いドアホがお主以外にいてたまるか』


 季節勘違いドアホって……。つーか俺さっきから脳内ボイスと喋り過ぎ。シャ〇ニングに出て来る子供かよ。


 でも確かにこのマフラー男……服といい、髪型といい俺だ。よく見たらマフラーにもメイドイン雪菜ちゃんの印でもある雪だるまが刺繍されてるし。

 なーんだ。落ち着いてみれば大したことない写真じゃん。

 俺と遠藤寺が手を繋いで歩いてるだけの写真だ。遠藤寺が白タイツ履いてるし、これ今朝のだな。

 

 なるほど。いつどうやって撮った写真かは知らないけど、確かに見る人が見ればマフラー男とゴスロリ女の痛いカップルの写真に見える。

 先輩がこれを見て、恋だの愛だのの掟を破ったとか勘違いするのも分からないでもない。

 全く、いかにもな顔で証拠だとか言うから、何かと思えば……やれやれ、先輩ってばあわてんぼさん。

 

 俺はウッカリさんな先輩を諭すように、優しくゆっくりと説明した。


「先輩、これは違うんですよ」


「はて? 違うとは?」


「確かにこの写真に写ってるのは俺ですよ。でも相手の女の子は……ほら、前に言ったし、確か先輩も見たことあるでしょ? 俺の友達の」


「ええ、聞いたし見ましたよ」


 そう、先輩は実際に遠藤寺を目撃したことがある。


「以前、一ノ瀬後輩と一緒に歩いている彼女を目撃しました。そして……その時、一ノ瀬後輩は彼女の事を『彼女』だと、ワタシにそう説明しましたね」


「え? ああ、そういえばそんな風に冗談で言ったっけ」


 よく覚えてるな先輩。

 確かあの時だ。先輩が大学の廊下にあるテーブルの下から出れなくなった時の話だ。

 俺が冗談で遠藤寺のことを彼女って言ったんだよな。そのあとすぐにただの友達ってことを伝えたけど。


 俺が以前の記憶を思い出していると、先輩が自嘲混じりに笑った。


「ふふ……ふふふ……いやはや、ワタシとしたことが……騙されましたよ。ワタシにとって都合のいい嘘を信じさせ、すぐそこにあった真実から目を背けさせる……一ノ瀬後輩には詐欺師の能力もありますね、フフフ」


「は? いやいやいや、アレは本当に冗談ですから。俺と遠藤寺はただの友達ですから」


「ふっ、ふふふっ、ふふふふふっ」


 先輩が体を震わせた笑った。どこか道化めいた笑い。


「友達にしては、ずいぶんと仲が良いようデスが?」


「ま、まあ……そこそこ。でも友達同士で手を繋ぐことなんて、別に普通でしょ」


「ふふっ、ふふふふっ! 普通! 普通デスか! いやはや、笑えますね……ほんと。あっさり嘘を信じて、あー彼女いなかったんだーって安心した私が馬鹿みたい」


 カチカチと先輩がマウスを操作した。

 映像の一部分が拡大化される。拡大されたのは、繋いだ手。

 指と指を絡めて繋がった俺たちの手だ。


 先輩がスゥっと息を吸う。


「この――手! これ! まるでウロボロスみたいに絡まりあった手と手!」


 先輩が声を荒げながらバンバン机を叩く。

 基本的に声を荒げたり、感情を発露しない先輩にしては珍しい行動だ。


「どこが……どーこーがー! どこが友達なの!? こ、こんなの恋人じゃん! 世間一般で言う恋人繋ぎじゃん! 羨ましい!」


「せ、先輩?」


「ホッとしたのに! 友達だって聞いてホッとしてたのに! 酷いよ、ひどすぎるよもうっ! うぐっ、ふぐっ……」


「え、泣いてるの先輩?」


「泣いてないし! 闇に生きるワタシに涙を流す機能なんて存在しないし!」


 何かその設定だとロボっぽく感じるんですけど……。


 急に怒ったり泣いたり情緒不安定気味な先輩を前に、狼狽える俺。

 確かに先輩から見れば、唯一の同好会メンバーである信頼していた後輩にずっと嘘を吐かれていたということになる。

 そりゃ腹も立つし、悲しくもなるだろう。

 だが俺は嘘を吐いていない。

 遠藤寺とは友人だし、それ以上でもそれ以下でもない。


 この映像について説明するには、いかに遠藤寺が変わり者だということを説明しなければならないのだけど。

 今の先輩に、遠藤寺のアレさを具体的に説明する自信はない。

 この場にアイツが居て、ほんの少しでも何かを話してくれたら、それだけで遠藤寺のアレさは一瞬で伝わるのに。


「すんっ、ふぐっ……しょ、証拠はまだあるのデスよ」


 先輩がローブに隠された目の辺りグシグシ擦りながら、マウスを操作する。

 画面が切り替わり、そこに写っていたのは……遠藤寺のお腹に手を当てる俺。

 それを今度は正面から撮った写真だ。 


「もうね! これ目撃した瞬間、膝から崩れ落ちたデスよ! ぐしゃあって! すっごい膝痛かったし!」


 先輩の言葉遣いが怪しい……。

 ていうかこの写真撮ったのって先輩ってこと? 確かにこの写真、妙にローアングルだ。まるで衝撃的な瞬間を目撃して、ショックのあまり膝を付き最後の力を振り絞って写真に収めた……そんな入魂の一枚だ。先輩の発言が正しければ、俺が遠藤寺のぽんぽんとさわさわしていた瞬間、すぐ近くに先輩がいた事になるんだけど……こんな怪しいローブを着た人間、見た覚えがない。遠藤寺に夢中だったからか?


「えっと……この写真が何か? ちょ、ちょっと女の子の方が自分のお腹を触らせてるだけですよ?」


 自分で言っててちょっとアレな友達関係だと感じるが、先輩が膝を崩すほどのショックを受けるくらいか?


「ふふっ、ふふふっ……他の人間は騙せても、このワタシは騙せませんよ? ワタシが持つ『闇の眼』……『漆黒の眼』……もう何でもいいけど! と、とにかくよく見えるこの眼は全ての真実を見通すのデス!」


「真実って言われても……」


 先輩は再度、大きく机を叩いた。

 水晶型のプロジェクターが小さく跳ね、スクリーンの画面がずれる。


「こんなのさ、どこから見ても――妊娠した事を彼氏に告げる彼女って絵面じゃない!」


 先輩は震える声でそんな事を仰った。


「この顔! 女の子の顔! お腹に一ノ瀬君の手を乗せてその上から自分の手を重ねてる時の顔! この優しげな微笑み! 母性しか感じないデス! 母の顔デスよ!」


 あの瞬間、俺は遠藤寺の顔を見ていなかったけど、写真で見てみると……母性……か? どちらかと言うと、悪戯っぽい笑みに見える。

 

「それで一ノ瀬君の顔ね。もうね、彼女のお腹に赤ちゃんがいることを告げられて呆然としているこの顔! 心の中では『ああ、親に挨拶行かないとなぁ』とか『大学中退して働くかぁ』みたいなそれなりに薄っすらと覚悟を決めている顔!」


「先輩って想像力豊かですよね」


 そうでもないとあんなネット小説書けないだろうけど。


「よくある出来ちゃった婚するカップルのヤツだよね! もうね、何ていうかね、敗北感通り越して逆におめでとうって気持ちになるよ……。うぅっ、やっぱ嘘……素直にお祝いできないよぅ……」


 そう言うと先輩は机に突っ伏してしまった。


「こんなんだったらもっと早く……うぐぐぅ……あぅ……美咲ちゃん……お姉ちゃん負けちゃった……もう学校行きたくない……こんな思いするんなら草や花に生まれたかったよぅ……」


「先輩、あの……」


「もういいでしょ? そういうわけだから、一ノ瀬君はこの同好会から除籍します。掟破った罰ね。彼女さんと仲良くね。……幸せにね。将来のこと考えたりいろいろ大変だと思うけど……もし、困ったら相談くらいには乗るから、お金もちょっとくらいは融通できるし。でも……出来たら彼女さんとの楽しいお話なんかは聞きたくないな……うぅ……」


 突っ伏していた机からズルズルずり落ち、そのまま地面に転がってしまう先輩。

 体を丸めて、黒い芋虫のようになってしまった。

 困った。このままじゃ、先輩の勘違いでそのまま除籍されてしまう。

 何だかんだとこの場所……特に先輩がいるここには愛着があるのだ。どうにかして先輩の誤解を解きたい。


 遠藤寺をここに呼んで、本人の口から正しい関係を伝えてもらう方法も考えたが……どう考えても事態がややこしくなりそうだ。

 つまりここは俺自身の手で、誤解を解かないといけない。

 

「ああ……このまま寝ちゃお……それで起きたら全部上手くいってるの……一ノ瀬君には彼女なんていないし、これからも仲良く楽しく同好会を続けていくの……うふふ……」


 この妄想状態に入った先輩を説得するのは難しそうだ。

 馬鹿正直に遠藤寺の人となりや、俺との関係性を伝えても納得する気がしない。

 ここは上手い事、嘘を吐くしかない。し〇かちゃんが言ってたけど、誰かを幸せにする親切な嘘を吐くのはいい事だって。


 うーん、よし。


「先輩、先輩」


「揺らさないでぇ……もういいからぁ……慰めとかいらないから、1人にして……1人、1人……これからまた1人かぁ……いいもん、元に戻るだけだし……寂しくないし……」


「だから先輩、勘違いなんですって。俺は掟とか別に破ってないですし」


「おきて破った人はみんなそういうし」


 聞く耳持たない先輩。

 俺はマウスを操作して、最初の画面――恋人つなぎをする俺と遠藤寺の写真を写した。


「確かにこの映像、ただの友人関係にしては相応しくないと思います。――でも、理由があるんですよ」


「……?」


 最初に謝っておく。ごめん遠藤寺。


「遠藤寺……友達なんですけど。コイツね、もうビックリするくらいの……方向音痴なんですよ」


「……で?」


「しかも放浪癖もあって……極度の方向音痴と放浪癖が融合するとどうなると思います?」


「失踪……行方不明……」


「それな。で、俺が友人として! 友人として仕方なく! あくまで友人としてアイツが行方不明にならないように責任をもって、確保! そう確保しているんですよ」


「確保……収容……保護……」


「いや、そんな理念は無いですけど。とにかく気を抜いたらフラフラーっとどっか行っちゃうから、こんなに強く手を握ってるワケで」


「……」


 黒いローブの塊から、視線を感じる。

 確かに苦しい。自分で言ってて、どうなんだと思う。

 探偵である遠藤寺にそんな迷惑な属性があったら、キャラとして完全に破綻してると思うけど……まあ、これは先輩を騙すための嘘だし。1日で記憶がリセットされるヤバイ設定の探偵もいるくらいだし、いいんじゃないですかね。


「……大学生にもなって、手を繋いでいないと失踪してしまうデスって?」


 小学生ならまだしも、この年になってそれはありえなくない? ……そんな視線。

 やっぱりこんな急ごしらえな嘘じゃ無理か?

 

「常識的に考えてありえませんが……あんな変わった格好をしてるくらいデスし、それくらい変わった癖があっても、おかしくありませんね」


 よっしゃクエストクリア!

 遠藤寺ありがとう! そして変な属性追加してごめん!


「なるほど……友人の為に身を挺して……そうデスか。この写真はそういうことデスか」


「そうなんですよ。いやぁ、まったくアイツには困ったもんですよ。ははは」


「じゃ、じゃあ……妊娠疑惑の写真については? そこのところどうなんデス?」


 その質問に対する答えはすでに用意してある。

 もう一回ごめんね。遠藤寺。


「弱いんです」


「はい?」


「遠藤寺。コイツ……すっごいお腹が弱いんですよ」


「はぁ……お腹が弱い」


「今朝って寒かったですよね。それで急にお腹を痛めたみたいで、ほら恰好もこんなんですし、弱いの分かってるなら腹巻でも巻けばいいのに『ダサイ』って拒否するもんだから」


「確かに今朝は寒かったデスね。ワタシも下に体操服を……んんっ! そ、それで?」


「で、まあ……ほら、人肌を温めるのは人肌って昔から決まってるじゃないですか。だから地元では『太陽の手』を持つって言われる俺がこう……ピタっと。お腹を温めたわけですよ」


「……」


「見てくださいよコイツのこの顔。幸せそうでしょ? 俺の手にかかればお腹痛なんて、ざっとこんなもんですよ」


 俺の嘘のせいで遠藤寺が放浪癖持ちかつお腹弱いキャラになってしまったわけだが、本当に申し訳ない。

 この埋め合わせはきっとする。


「手」


「え?」


「デスから、言葉の真偽を確かめる為に、一ノ瀬後輩の手を」


 黒いローブの塊から、にゅっと手が突き出て来る。

 グロ画像にも見えるその状況に萎えそうになりつつ、手を握る。


「ほう……ふむふむ」


 にぎにぎと握られる。にぎにぎ。にぎにぎ。ニギ……ニギ……。

 暫く流れに身を任されていると、黒いローブからもう1本手が出てきて、俺の手を握った。

 2本の手で握られる。にぎにぎ。にぎにぎ。ニギ……ニギ……。2つの手で握る力も2倍だな。


「先輩?」


「へっ? ああ、うん……んんっ! なるほど確かに、一ノ瀬後輩の手は暖かいデスね。それから結構ガサガサしてて、思っていたよりガッチリしてて、男の子って感じ……」


「先輩」


「んんっ! んんんっ! ……ま、まず謝罪をしておきましょう。どうやらワタシの勘違いだったようデスね」


「ということは」


「ええ、どうやら一ノ瀬後輩は掟を破っていない、と。ワタシの勘違いだったようデス。……なかなか難儀な友人をお持ちデスね」


 おや、何だか同情されてしまったぞ。重ね重ね申し訳ない、遠藤寺。

 でも普段から人を変な事件に巻き込んでくるし、これくらいの迷惑は勘弁してほしい。

 しかし先輩、チョロイ。ちょっとうまい言葉に簡単に騙されて絵やら壺やらを買わされるタイプだ。そういう輩から先輩を守る守護キャラとしての役目も後輩としての務めだろう。


「よいしょ、っと」


 床で黒い塊と化していた先輩が、ヌルヌルとした動きで椅子に座る。

 いつもの先輩だ。だが口元がニヤケている。


「ふふっ、そうデスか、勘違いデスか」


「ええ、そうです」


「そうですか……そっかぁ……ふふふ」


「ふふふ」


「えへへ……よかったぁ」


 暗い部室の中、響く2人の笑い声(デュエット)

 見る人が見れば邪教崇拝の本拠地の光景だろう。


「んんっ。いやはや将来有望な部員を手放すことにならず、安心しました」


「そりゃよかった」


「……と、ところで」


 調子を戻した先輩は、モジモジとした様子で例の巻物を広げた。


「何ですか?」


「いやぁ、驚きましたね。まさかワタシの代で、またしても! またしても掟が追加されるとは! この瞬間に!」


 何言ってんだこの人……と思いながら巻物を見ると、先ほどの掟の下にまた新たな文字が追加されていた。

 例によってクッソ汚い文字だ。いや、もっと汚い。真っ暗闇の中で急いで書き殴ったみたいな文字。

 ミミズが縦横無尽に這いまわったようにしか見えない。


「ほうほう……『ただし上記の掟は、同じ同好会に所属する部員同士にあっては敵用されないとする』……デスか。なるほど……さて、この掟、一ノ瀬後輩はどう見ます?」


 先輩が何を思ってこの掟を追加したのか分からない。

 この状況でこんな掟を追加したらまるで俺のことを……なんて、考えることもアホらしい。

 そういった勘違いは得てして勘違いの域を出ないのだ。

 だから、これは先輩のいつもの意味不明な行動の1つだろう。


 そう、だよな?


 俺は誰とも知れない誰かに語り掛けた。

 もちろん誰とも知れない誰かは返事をしてくれない。


「ところで先輩、これ適用って文字間違ってますよ」


「……はっ!? ほ、ほんとだ……。ふ、不思議ですねぇ……ふふっ、ふふふ」


 誤魔化すように笑う先輩を眺めながら、どのタイミングで縄を解いてもらえばいいんだろうか……でも、貴重な緊縛タイムを切り上げるのはまだ早いのでは……そんな思考を天秤に乗せながらユラユラ過ごす時間は中々に楽しかった。

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