第17話Sleeping Beauty~前編~(縮地もいい歳だし嫁でも探すべ? 斜向かいの遠当てちゃんはどや? え? 好きな子がいる? 発勁さんってお前……まだ諦めておらんのか)


「――エリザの寝顔が見たい」


 呼吸をするより自然に口から零れれてしまった言葉に、慌てて口を閉ざす。

 当のエリザ本人を見てみると、パソコンの画面を頭突きでもせんばかりの距離で見つめており、どうやら俺の呟きは聞かれなかったようだ。


「……ふぅ」


 危ねぇ危ねぇ……こんな呟きはエリザの耳に入ったら……どうなるんだろうか? 『へっ? 寝顔? は、恥ずかしいからヤダ……よ』なんて真赤な顔で言うかな? それとも汚物を見るかのような蔑んだ目で見てくるかな?

 おそらく前者だろうが、最近俺の中では『エリザに罵られたい院』が設立後、急速にその勢力を増しているので、後者を求める声もあるのだということを知って頂きたい(誰にだよ)


 それにしても思わず呟いてしまったが、俺の中でエリザの寝顔を見たいという願望はムクムクと大きくなっている。

 何故見たいのかと問われれば『人間だもの』『見たいから』『それが答えだ!』などと要領を得ない言葉でしか返せない。だが見たいのだ。

 あのエリザが無防備に眠る姿を見たい。どんな顔で寝ているのか、どんな寝言を呟いているのか、彼女が奏でるイビキはどんな音色なのか、口から流るる涎の輝きは……想像するだけでも摩訶不思議アドベンチャーだ。


 しかしこういうことを考えていると『一ノ瀬殿がまた変態なことを考えておられるぞ』とdisられる気がしないでもない。確かにちょっと変態的な面があることは認めるしキャラ紹介でも『言葉に出さないタイプの変態』って書かれてるけどさ。でもこの世界に生きる人間は何かしら変態的な一面を持っていると思うんだよ。それが人間だろ? 今まで少しでも変態的なことを考えた経験がない人間がいたら出てこいよ! もれなく俺の変態オーラを中にサッと注入してやんよ! 


 俺を変態だと罵しりたいなら罵ればいい 罵ってもいいさ――あんたが美少女ならな。むしろ美少女かつ罵りとは無縁な心優しい性格だったらもっとベネ!

 好きに罵ろうが、ネット上に拡散しようが、記者会見で報道しようがいい。

 だが美少女、いや美少女幽霊の寝顔が見たいという願いはそんなに変態的だろうか。俺はそうは思わない。別にパンツの匂いを嗅ぎたいとか汗を舐めたいとか言ってるわけじゃないんだし。……あ、汗舐めたいは言ったことあったっけ。まあいいか。

 

 難しい顔でパソコンと睨めっこするエリザを見る。


「うーん、今月の広告収入はあんまり増えてないなー」


 人は最も無防備な瞬間、それが睡眠中だ。普段はテキパキ家事をして、ちょっとドジっちゃうエリザが無防備な姿を晒す瞬間を見たい。というかもうそのことだけしか考えられない。エリザの寝顔見ないと一生後悔するわ。○サトさんだって『自分自身の願いの為に!』って言ってたしな。

 つーわけで、本作戦をオペレーション《スリーピングビューティ》と名付ける。全力を持って完遂するように!


 しかし、いざ寝顔を見ると言っても現状かなり問題が多い。

 何せエリザと暮らし始めてから今日まで、1度も彼女の寝顔を見たことないのだから。


 寝る時間は俺より遅いし、朝起きるのも俺より早い。

 具体的に言うと、寝る前はエリザの希望で『お話』を語っている内に俺が眠り、朝は俺が起きた時には既に朝食を用意している。

 俺より先に寝るな、俺より遅く起きるな、そんな前時代の遺物とも言えるような様式を体現する尽くしちゃい系ヒロイン、それがエリザだ。そして尽くされる系主人公の俺。すっごい幸せだけど、来々世までの運を使い果たしちゃった様な気がして怖い。来世の俺、打ちっぱなしのゴルフボールとかになっちゃってそう。

 まあ来世のことは来世の俺に任せて、今を楽しむことにしよう。


 だが作戦の前に、一つ懸念事項がある。

 他人に寝顔を見られるのって、どうなんだろうかってことだ。

 

 以前、(俺の中で)アイスフェイスと呼ばれるほど冷たい表情しか浮かべない雪菜ちゃんのあどけない寝顔を見ようと、夜中に雪菜ルームに忍び込んだことがあった。

 しかし、俺が部屋に入った瞬間に目を覚まし、その寒気が走るような冷たい表情に獲物を狙う狩人のような笑みを浮かべ『……どうやら、やっと薬が効いてきたようですね』って言って、俺を布団に引きずり込もうとした。恐らくは寝ぼけていたであろう奇行だが、あまりにも恐ろしく、正直に侵入した目的を告げると1年に1度くらいしか見られないレアな表情(真っ赤な顔)で俺をボコボコにして、最終的に鼻をへし折られた。翌日、通学した俺の負傷に対してクラスメイトが誰一人として触れて来なかった件と合わせて非常に痛々しい思い出だ。


 この事件から考えるに、女性にとって寝顔を見られるのはかなり(禁忌)タブーなんじゃないかといういこと。

 だが禁忌(タブー)と聞いて燃えるのが俺という男。

 エリザには是非とも作戦の同意を頂きたい。


 つーわけで聞くことにした。

 自信が運営するサイトの更新が終わったのか、近所のスーパーのチラシがまとめてあるサイトを眺めているエリザの背に声をかけた。


「なあエリザ、いいかな?」


 具体的なことを聞かず同意だけ得る。

 エリザの銀髪がサラリと流れ、振り返りながら答えた。


「へ? 何が?」


「いいかな?」


「えっと、何の話かな辰巳くん?」


「いいかな?」


「……よく分からないけど、別にいいよー!」


 やったぜ。

 こうして俺はエリザから直々許可を貰い、オペレーション《スリーピングビューティ》は発動した。



~1日目~



 取りあえず遅くまで起きておくパターンで攻めてみることにした。

 しかし、少々恥ずかしい話なのだが、この歳で夜更かしといったものを上手く遂行できた試しがない。


 例をあげてみよう。俺の経験談だ。 

 友達同士のお泊り会でも定番の『お前好きな奴いんの?』をする前に就寝、友達同士でキャンプに行って定番の『なあ、女子のテントに行ってみねえ?』が遂行される前に就寝、友達同士のクリスマス会で定番の『プレゼント交換はんたーい! だって私のプレゼント渡す相手は……一之瀬君だけだもん!』も始まる前に就寝、友達同士で大晦日に集まって定番の『わたし……年越しの瞬間に告白する!』『ずるい! 私だって一之瀬君に……108つの鐘よりもたくさんの想いを伝えたい!』『あたしだってお節料理がずっと続いても飽きないくらい一之瀬君が好き!』って恋のから騒ぎを観戦する前に就寝。

 それほど俺の夜更かし苦手は業が深い。何が一番恐ろしいってお察しの通り、都合のいい一ノ瀬君大好きイベントが起こる以前に、そういう行事に一切誘われたことがないってこと。


 唯一夜更かし……というか完全徹夜をした期間が、高校受験の1週間前だ。希望していた学校への学力が足りなかった俺は、俺に厳しいことで定評のある雪菜ちゃんに泣きついた。雪菜ちゃんは『全く、兄さんは仕方がないですねぇ……ふふふ』と冷たい表情に隠し切れない笑みを浮かべ、それから6日間、雪菜ちゃん式スパルタ勉強術が幕を開けた。

 正直あの6日間は思い出したくない。眠ることなく机の前に向い、少しでも睡魔に負けそうになったら雪菜ちゃんの鞭が飛ぶ。鞭といっても物理的な物ではない、精神的なものだ。俺の心を抉る言葉のナイフ。今思い出しても涙が溢れ、軽く3日は引きこもりたくなるそれらは、俺の心を穴だらけにする代わりに確かな学力を与えてくれた。次いでに軽い悪口にはビクともしない鋼の心も。

 最後の1日、鞭の後に来た飴は……穏やかな眠り。一緒に徹夜をして流石にちょっと頭がおかしくなった雪菜ちゃんが『今日は安息日です。布団を整えておいたので、一緒に寝ます。拒否権はありません』とか言い出したのだ。連日の徹夜に頭がパーマンになっていた俺は『あ、ハイ』と素直に頷き、人生で最も穏やかな眠りについたのだった。

 後日、合格したお礼に初めて俺から雪菜ちゃんを遊びに誘って、色々あったのだがこれはまた別のお話……。

 

 話は逸れたが、あの6日間で出された雪菜ちゃん特性のコーヒーは、それはもう眠気を抑えてくれた。あれを飲むと零号機がロンギヌスを宇宙に向かって投擲した時に弾け飛んだ雲のように、眠気が吹っ飛んだものだ。多分ヤバイ物が多分に含まれていただろうが、今こうして元気に生きているから……うん、まあ大丈夫かな。

 あれほどの物は必要ないが、眠気覚ましにコーヒーは必要だ。


 いつの間にか俺の背後に回り込み肩を揉んでいた(恐らく無意識に『肩凝ったかな』とでも呟いたと思われる)エリザに、肩越しに問いかける。


「なあエリザ。コーヒーってウチにあったっけ?」


「コーヒー? コーヒーって、あの苦くて黒いのだよね? ないけど……えっと、ミロならあるよ?」


 ミロはあるのか……。

それはそれとして、苦くて黒いという言葉に太いを付け足すだけであら不思議! え? 何が不思議か分からない? そうか……わからないか、この領域の話は。

 しかしコーヒーはないか。だったらある所に行けば良い話。


「ちょっと出てくるわ」


「え? もう7時だし危ないよ。どこ行くの? ついて行こうか?」


「いや大家さんの所に行くだけだから」


「そっか。じゃあ、足元に気をつけてねー。あっ、寒いからこれ着て行ってね。あ、あとこのタッパー持って行って。『この間頂いたじゃが芋とてもおいしかったです。ポテトサラダを作ったのでお口に合うか分かりませんが、召し上がってください』って言っておいて」


 お嫁さんというよりは、お母さんみたいなエリザちゃん。アリだと思います。ロリ母というジャンル需要あるらしいし。雷ちゃんは俺の母親になってくれる艦娘だし。鈴谷には姉になってもらいたい。幼なじみは榛名で、隣の席は摩耶。でち公はオリョール行って来い。


 部屋を出て20秒も経たず目的の扉の前に到着。


 夜分遅めなので、心持ち静かにノックを3回した。ノックして、すぐに中から「はーい」と相変わらず聞くだけで頬が緩んでしまうような可愛らしい声が返ってきた。

 足音がパタパタと聞こえ、目の前の扉がゆっくり開いた。

 夜は眼鏡をかける習慣なのか、以前見た黒縁眼鏡を装着した大家さんが、開いた扉から顔だけ出しながら


「えー、ウチにN〇Kはありません、ではっ」


 とシンプル過ぎて逆に行けるのではと思わされる撃退方法を披露し、そのまま部屋の中に引っ込もうとした。

 慌てて、扉の隙間に足を挟み込む。


「ひぃっ! いつものN〇Kの人ならこれで帰るのに!? な、ないですから! テレビも2台あって地上波どころかBSもアニマックスもバリバリ見れますけど、N〇Kだけは見れないんですっ! ほ、ほんとですからっ!」


「いや、落ち着いて下さいよ大家さん! 俺ですって!」


「ひぇぇ……N〇Kと俺俺詐欺が合わさって最強に――ってこの声、一ノ瀬さんですか?」


 どれだけN〇Kを恐れているのか。親でも殺されたのか?

 声を聴くまで俺と気づかなかったらしく、大家さんは安堵した表情で胸をなでおろした。次いで俺の顔を見て恥じらいと、一瞬夜闇がパッと明るくなったと錯覚するような眩い笑顔を浮かべた。


「びっくりしちゃいましたよっ、えへへ。こんな時間にどうしました? もしかして遊びに来てくれたんですかっ?」


 子供のようにあどけない笑顔を浮かべる大家さんには悪いが、本来の要件を告げる。


「大家さんコーヒーとかあります?」


「へ? ええ、ありますよー。普段は飲まないんですけど、夏やら冬の締切前には、濃いコーヒーとレッド〇ルは必需品ですからねー」


 大家さん生産者の方かよ。まあ前に見せてもらった絵とか、超上手かったしおかしくはないか。

 俺は基本的に消費者スタイルを貫いてきたが、そろそろ脳内で進行しているイカちゃんとのラブラブ恋愛黙示録がラノベ換算で10巻に到達したので、同人作家としてデビューしてもいいかもしれない。サークル名? 一ノ瀬ライフとか?


「よかったらでいいんですけど、コーヒー御馳走になってもいいですか?」


「ええ、いいですよー。それくらいお安い御用です! ――けど、あの……」


 どうしたことか。笑顔で話していた言葉の途中、急に頬を染めてもじもじと人差し指を突き合わせ始めた。


「も、もしかしてなんですけど……そ、それって……夜明けのコーヒーを一緒に飲みたいとか、そういう意味……」


「ではないですね」


「で、ですよね! そーですよね! い、いえいえ分かってましたよハイ! そんなそれなんて(ryみたいな美味しい展開はないですよね!」


「大家さん、結構時間遅いんで……声が」


「ですよね! 大きいですよね! あははははっ」


 恥ずかしさを誤魔化すかのように笑う大家さん。あんまり声が大きいと、近所マダムがポップするから勘弁願いたい(マァムがポップと見間違えたそこのアナタ……握手しよう)


「え、えっと、じゃあお部屋の中にどうぞー」


 大家さんが扉を開き、室内の灯りに夜の影が侵食された。それに伴い、首から上しか見えてなかった大家さんの小さな体が見えてくる。扉が開くにつれて以前お邪魔した時にも感じた、向日葵のような爽やかな香りが徐々に濃くなった。

 大家さんは――ジャージを着ていた。ちょっと色褪せた赤色に白いラインが走る、ちょっと古い学園ドラマとかで見るタイプのジャージ。サイズが合っていないのか、袖が余っていわゆる萌え袖になっているのが蝶サイコー。

 胸元のゼッケンは……外されたのか他の赤より若干濃い赤が残っていた。残念、大家さんの本名が分かるチャンスだったのに。


「一ノ瀬さん? 何をジッと見てるんですか? え、えっとですね、チラッと見るだけならいいんですけど、あんまりガン見されると、その……ね」


 何を勘違いしたのか、胸元を隠す大家さん。当然ジャージのジッパーを上まで上げているので何も見えない。いつもの和服だったら、胸元がお留守になってて肌色地帯が見放題だったのに残念! 

 ん? 大家さんの発言、あれって俺がチラ見してたのに気づいて……ま、まさかね。そんな筈ないよね。そんな『気づいてたけど見逃してた』みたいな感じだったら、俺、恥ずかしくて心の岩戸に篭っちゃうよ!(岩戸を開ける方法? 原作通りとだけ言っておこうか)


「いや、大家さんってジャージとか着るんだなぁ、って思って」


「え、ジャージですか? ん? あっ――」


 一瞬しまったという表情を浮かべ、素早い動きで扉の内側に隠れる大家さん。追従するように扉も閉まり、室内から溢れていた光が夜の影に逆襲されるように侵食された。

 そろそろと首から上だけを扉の隙間から出す。奇しくも(訪ねてきた時と)同じ構え……!

 

「み、見ましたよね?」


 肌をじんわりと赤く染めて、尋ねてくる。

 見ました? 一体なにをだ? そんなパンツを咥えたパンツを見られた転校生のようなパンツを見た記憶はないパンツ。


「ジャ、ジャージ姿ですよぉっ。部屋にいる間はジャージを着ているなんて、すっごいダサいじゃないですかぁ! ふ、普段は和服なんですよ! た、たまに、本当にたまにジャージを着てるだけなんですっ」


「いや、何焦ってるんですか? ジャージdisってんですか?」


「だ、だって大家と言えば和服だって言ってたんですよ……」


 誰だそんなこと言ったのは。大家さんを困らせるなんて、この俺がぶっ飛ばしてやるぜ!


「一ノ瀬さんが言ったんじゃないですかっ!」


 俺だったのか。大家さんを困らせるなんて、もぅマヂ無理。自害しよ……。


「も、もしかして覚えてないんですか!? 『大家さんって本当に和服似合いますよね。何ていうか漫画のイメージですけど、大家といえば和服、みたいなイメージありますよね。その点、大家さんは和服が似合ってるから、マーベラスですね!』って言ったじゃないですか!」


 言っただろうか。一体何話で言ったか……履歴を探っても出ないな。ただ俺が言いそうではある。


「ああ、言いましたね。……たぶん」


「何か小声で言いませんでした?」


「いえいえ」


 扉の隙間から見える大家さんの顔、その目は涙目になっていた。涙を浮かべでちょっと責めるような目で睨みつけてくる大家さん。コレ以上俺を萌えさせてどうするのだろうか。こんないつもいつも萌えさせられてたら、責任取って結婚でもしてくれないと割に合わんな。


「うぅー……だから一ノ瀬さんの前では、絶対に和服を着て出るようにしてたのに……不意打ちはずるいですよ! 来る時は事前にメールを下さいっ」


 先輩といい大家さんといい、何でこう事前連絡を求めるのだろうか。ヤグチる時に困るからか?


「ちょっと着替えてくるんで、外で待っててくださいっ」


 言うやいなや、大家さんはバタンと扉を閉じた。が、すぐに開き再び顔を覗かした。


「た、例えばですけど……和服をいつも着てるロリ系のヒロインがパジャマを着てたとして。キャラ通り和服っぽいパジャマか、ロリさを極限まで活かすふりふりとしたパジャマか、ギャップ萌えを狙ったセクシーランジェリーか……一ノ瀬さんならどれががいいと思います?」


「うーん」


 なかなか難しい質問をしてくる。

 ここは『一之瀬ヒロインルート希望ランキング』で10年連続3位に位置している『〇リヤスフィール・フォン・アインツベルン』を例にしてみようか。

 要するに相手に何を求めるかだろうな。彼女に『姉』のような面を求めるならセクシー、『妹』を求めるならフリフリパジャマ(敢えて無邪気性を押し出した全裸でも可)、『同棲感』を求めるなら裸ワイシャツ、『無人島感』を求めるなら貝殻とかぶれない葉っぱ、『未来感』を求めるならピッチリボディスーツ、『野生感』を求めるなら腰ミノ。

 ぶっちゃけイリヤたんなら何でも似合うわ! 型月はさつきルートもいいけど、はよイリヤルート作れや! ついでにエリザベート=バートリーちゃんのルートもキボンヌ。


 というわけで、答えを返した。


「その人に合っていれば何でもいいと思いますよ」


「何でもが一番困るんですよぉっ!」


 その後、パジャマに着替えた大家さんに部屋の中へ招かれ、コーヒーを頂いた。

 俺が飲んだ大家さんのコーヒーは思っていたより苦かった。何となくイメージ的に砂糖とミルクをたっぷり淹れて甘くした物を飲むと思っていたので、意外だった。それを大家さんに言うと


「ふふっ、まだまだ一ノ瀬さんの知らない私はたくさんあるんですよ。私ももぉっと一ノ瀬さんの知らない面を知りたいですねー、えへへ」


 と言って笑った。その笑顔が今までに見たことがない、可愛らしさの中に色気を含んだものだったので、不覚にも顔が熱くなってしまった。

 え、パジャマ? それはまた別のお話。だた凄かったとだけ言っておこう。



■■■


 その後、妙に話を引き延ばそうとする大家さんに礼を言って部屋に戻った。

 そして普段通り布団に入り、『お話』を求めてくるエリザに俺が中学生だった頃の話をした。と言っても学生生活は聞かせられるものではなかったので、主に家族でどこに行ったとかの話だったが。

 

「で、北海道旅行の時、家族と別れて雪菜ちゃんと2人で行動してたんだけど、うっかりすすきのの風俗……ぐぅ」


「あ、寝ちゃった」


 話の途中だが、今日は別の目的があるので寝たフリをすることにした。 うっすら目を開けると、布団に入った俺のすぐ横で自分の腕を枕に顎を乗せてうつ伏せになっていたエリザが「よいしょ」と腕立て伏せの要領で体を起こした。


「辰巳くん、おやすみー。いい夢見てね」


 思わず胸に飛び込んでしまいそうなくらい母性溢れる笑みを浮かべるエリザ。そのまま眠る俺の顔に自分の顔を近づけてきて、何をするかと思えば……頬にキスをしてきた。驚いて『ンヒィ!』みたいなキモイ声が出そうになったけど、思い切り飲み干した。その飲み干した『ンヒィ!』がどこに行ったか……それはまた別のお話。


「……えへへっ、また明日ね。いつか起きてる辰巳くんにキスできる日が来るといいなぁ……なんちゃって!」


 はにかんだ笑みを浮かべる。そのままスゥっと足音を立てない滑るような動きで部屋の端にある机に向かい、小さな電灯を点けた。


 あれ? 寝ないのか?


 薄目で観察していると、どこから取り出したのか青い毛玉と棒針が現れ、ぬいぬいしだした。ぬいぬいマジぬいぬい! ぬいぬい? ぬいぬい……ぬいぬーい!? ぬいぬい……ぬい、ぬ……い。

 ぬいぬいってのはつまり、編み物ってことだよ。言わせんな恥ずかしい。


「エリザが夜なべをして~手袋編んでるよ~今年の冬は寒かろうて~せっせと編んだのです~」


 眠ってる俺に気遣ってか、小さな声で歌うエリザ。この歌もキャラソンに収録されるんですか!? やったね!

 エリザ視線は編んでいる手袋と眠っている俺へと交互に移動している。実に楽しそうだ。いや、本当に。

 しかし俺の為に手袋を編んでくれてるのか……えらいネタバレ踏んじまったよオイ。貰った時どんなリアクション取ればいいんだ? いくら俺が鶏頭だっつっても、流石にこんな印象的な場面忘れんぞ。


 演劇部見学して演技の勉強でもしようか……と考えていると、いつの間に編み物が終わったのか、次は俺のズボンを取り出していた。


「んっと……あっ、膝の所穴が開いちゃってる……。では塞ぎましょう、そうしましょう」


 と独り言を呟くや、針と糸でぬいぬいしていく。そのワザマエは実にお見事で、瞬く間にズボンに開いた穴は塞がれた。


「ああっ、こっちにも開いてる! うーん、大きいなぁ……これは縫うのは無理かー。よしっ、これを使おう」


 またしてもどこからか取り出したのは……鯖のワッペン。鯖のワッペン!? あんのそんなの!?

 ワッペン業界のバリエーションに驚いていると、エリザはズボンの穴を鯖ワッペンで塞いでしまった。

 そうか……俺の服に何故か鯖やら可愛いキャラクターのワッペンが貼られていく謎の現象が解き明かされてしまったぞ……。

 そういえばエリザが見えるようになる前から、この現象は起きてたっけ。この現象の正体に気づいていれば、もっと早くエリザの存在を発見できただろうに……。遠藤寺も毎日俺の服見てるんだから、何か言ってくれればいいのに。


 その後、エリザはいくつか俺の服を確認した後、ワイシャツのアイロンをかけ、家計簿をつけ、やっと眠るかと思えば眠る俺に寄り添い10分ほど顔を見つめ、パソコンをカタカタし、眠る俺に寄り添って顔を見つめ、明日の朝食の軽い仕込みをして俺の顔を見つめ、俺の顔を見つめてから……俺の意識が落ちた。


 翌日、いつも通り朝食の匂いとエリザの声に起こされた。

 エプロンを着けて、炊飯ジャーからご飯をよそうエリザに問いかける。


「なぁ……昨日っていつ寝た?」


「え、わたし? ふつーに辰巳くんが寝た後に寝たよー」


「そうか……」


 楽しそうに食卓を準備するエリザに『嘘だ!』と突きつけるほど空気の読めない俺ではなかった。


 こうして1日目は終了、作戦は失敗に終わった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る