第15話ここは……一体?(ここは死んでいった縮地が向かう場所――縮地墓場だ、コーホー)
大学受験に合格した。
パンパンに膨らんだ封筒を手にそう報告した俺に、リビングで新聞を読んでいた母親はこう返した。
「へぇ、そりゃおめでとう。じゃあ1週間……は短いか。2週間以内に住むとこ見つけて出て行け。ん? 言わなかったっけか? ウチの爺さんの遺言でな、子供は高校卒業までは面倒見ろ、その後は独り立ちさせろってのがあってな、まあそういうこと」
と。
まあ、いくらなんでも実際には追い出されないだろうし、受験勉強終わって少しくらいのんびりしたかったし、見たかったアニメ溜まりまくってたしで、2週間だらだらしてたら……
「じゃあ元気でやれよ。荷物はアレだ、後で送ってやる。そんくらいの金は出してやるよ」
と言いながら、マジで家から放り出された。
そんなこんなで俺は着の身着のままで、家から出ることになってしまった。
所持金は貯金箱に入っていた1万円のみ。
「嘘……俺の貯金、少なすぎ」
銀行に口座も作っていなかったので、これは俺の全財産だ。
だが仕方がない。
俺は学生をやっている傍ら、やれプロデューサー、やれ提督、やれ狩人、やれ神殺し、やれ、やれ、やれやれ……とまあ、色んな職業を兼任してたので、金がないのだ。最近になって親方も始めたしな。
お仕事してるのにお金がないことの矛盾について、指摘があるとは思いますが、そこはまあ……な。
あと純粋にアニメのDVDとかフィギュアとか買ってるからね、ちかたないね。
「しかし、一人暮らしかー」
全く考えていなかった、と言うと嘘になる。
そういう選択肢も考えてはいたが、実家の快適性や自信の家事スキルの無さを考慮し、実家から大学に通うつもりだった。
もし突然家事やら何やらをやってくれる可愛い女の子が空から降ってきたら、もちろん1人暮らし確定だったのだが。
ついぞ空から美少女が降ってくることはなかった。地面の下からも出てこなかったし、宇宙から侵略しても来なかった。自称魔法少女のレインボーゆりかも現れなかった。
まあ、こうなったら仕方がない。
この1万円で住むところを見つけるとしよう。
大丈夫、1万円もあるんだ、何とかなるだろう。
俺は1万円冊をポケットに入れ、とりあえず大学から近い方がいいという考えのもと、大学がある駅へ向かった。
■■■
見つかりませんでした。
「……やべぇよ」
じわじわと冷や汗が流れ、背中がびしょびしょになる。
甘かったと言わざるを得ない。
1万円あれば、1人暮らしとか余裕だと思ってあの頃の俺(具体的には3時間前)をはっ倒したい。
駅近くの不動産屋を尋ねたが、費用1万円から住める家なんてなかった。
曰く、1万円で住める家賃のアパートなんてない。敷金礼金って知ってる? 社会舐めてる? 大人しくママの脛でもペロペロしときな! とのことだ。
口が悪い店員に「うっせ! ペロペロできるもんならしてるわ!」と負け犬の遠吠えをしつつ、他の不動産を巡ってみたが、どこも大体そんな感じだった。
「1万円って……安いんだなぁ」
子供の頃、1万円があれば何でもできると思ってた。
だが、実際はこれだ。先ほどまであれほど力強く感じていた1万円札が頼りなく見えてしまう。
まるで敵の時は強かったのに、味方になったら明らかに低スペックになったキャラのような……(○リー、てめぇのことだよ)
家に帰ることはできない、このままでは下手すれば公園一夜を明かすことになるかもしれない。
最悪のパティーンを脳裏に描いていると、侵略したくなっちゃう軽快なBGMと共に携帯電話が震えた。
携帯を取り出す、妹ちゃんからのメールだった。
『お元気ですか兄さん。変態行為、具体的にはその辺りの小学生のスカートを捲るなどの行為をして、警察のお世話になっていませんか?』
「なっていませんよ」
うーん、妹のこの……。
雪菜ちゃんの平常運転っぷりときたら……学校でうまくやっていけてるのかな?
『住む家は見つかりましたか? 私の予想では今頃、たった1万円で住む家なんて見つからないということを知り、ショックのあまり電柱に寄りかかっていることだと思います』
監視されてるのかな?
俺の現在のポーズどころか、預金残高まで把握している雪菜ちゃん。だが、いつものことだ。
『雪菜ちゃんは何でも知ってるなぁ』と言うと『ええ、何でも知ってますよ。兄さんがいつ糖尿病になるかも教えましょうか?』と冗談交じりに答えちゃうのがウチの妹(もしかしたら冗談じゃなく、マジだったかもしれない)
俺とは違い、何でも完璧かつそれ以上にこなしてしまう。雪菜ちゃんはそんなパーフェクト妹だ。
そんな妹に劣等感を感じることはなかった。そのあまりな完璧振りに嫉妬すら覚えなかったからだ、あと超可愛いし。胸小さいけど。
ちなみに現在イギリスの留学中。帰ってくるのは来月だ。帰ってきたらデースをつけるイギリス系女子にキャラ変していないかちょっと不安。
『1つ世の中を知って絶望している兄さん。言っておきますが、兄さんが思っている3倍は世の中厳しいですよ』
まず妹のメールが厳しい。
住むとこなくて絶望しているのに、更に追い打ちかけてくるとか……。
だが、俺は知っている。雪菜ちゃんが鞭をビシバシ叩きつけた後は、あんま~い飴が待っているということを……!
『生きる希望を失い、公園のブランコに頭を打ち付け自殺されでもしたらかないません』
そんなアグレッシブな自殺はしない……。
俺死ぬ時は、ヒロインを庇って敵の刃に貫かれるって決めてるし(その後の覚醒込み)
『いくらかお金を都合しましょう』
いやっほーう! 予想通り!
妹に頼って情けない、プライドあるの?――だって?
そんなもの俺にはないよ……。
プライドとかいう不定形なものに縛られるなんてまっぴらごめん! 縛られるなら美少女(表の顔は清楚な生徒会長。だが裏の顔は昼に溜まった鬱憤を解消する為に、スクール水着と蝶の仮面を付け変身! 夜な夜な好みの男達を縛っては調教する危ノーマル系女子)にお願いしたい。
『ですが、条件があります』
まあ、そうなるな。
いくら雪菜ちゃんでも、ノーリターンで俺を助けてくれるとは思えない。
しかも恐らく母親から、俺の手助けをしないように言われているはず。
そのリスクを背負って俺を助けてくれるんだ。
俺もそれに答えなくちゃ、男がすたるってもんだ。
大概のことなら聞こう。
パシリにもなるし、肩だって揉むし、最近告白されるのが面倒くさいから彼氏のフリしてって言われたらやるし、プロレス技の実験台になってと言われたら是非お願いしたい。
「さてさて、鬼が出るか蛇が出るか……」
携帯が震え、雪菜ちゃんが言う条件が提示された。
『今後の人生、永遠に私の言うことに従い、ありとあらゆる面において私の手となり足となり働くこと』
……うん。
それってつまりアレだよな。犬になれってことだよね。
『簡単に言えば、私の犬になってもらいます』
あ、やっぱりそうなんだ。
兄を犬にしたい妹、うーん……もしかしたらと思ってたけど……ウチの妹ちょっとおかしい。
前兆というかそういう伏線も今までの人生であったけども、信じたくはなかった。
ちょっと変わってるだけで、可愛い妹だって信じていたかった。
『さあ、兄さん。どうします? 兄さんも知ってると思いますが、私、自分のモノは大切にする性分ですよ。……自分のモノは、ね』
つまりアレでしょ? 言ってしまえば私のモノになれば、世界を見せてやる的な覇者的表明でしょ?
そういうの勘弁! 俺人の下に付くのって死ぬほど嫌いだし、さっきも言ったけど縛られるのも遠慮願いたい!
雪菜ちゃんの胸がもうちょっと大きかったら、揺れてた(俺の心がね)かもしれないけど……。
『兄さん。私のモノになりますか? なりませんか?』
なりますに丸付けても、この場合可愛いお人形さんハーレムじゃなくて妹のワンワンライフが待ってるからなぁ。
「……はぁ」
雪菜ちゃんにお断りメールを送りつつ、ため息を吐いた。
雪菜ちゃんから金を引っ張ってくるルートも潰れたし、どうしようか。
とりあえず今日は友だちの家に泊めて……と考えたら友達がいないことに気づいて吐きそうになった。
「おぇぇぇ」
さっきよりも深く電柱により掛かる。
女子高生がこちらを見てスマホをパシャパシャしているが構わない。
勝手にツイートでも何でもすればいいよ。炎上した暁には、炎上のショックで落ち込んでいる君を慰めに行くから覚悟しとけよ!
「……ん?」
ほぼ電柱に抱きつく形になっていた俺の視界に、1枚にチラシが入ってきた。
「んんん?」
『家賃ぽっきり1万円! お風呂は共有で部屋にトイレ付き! 今なら可愛い大家さんも付いてくる! 場所はこちら! よろしくメカドッグ!』
一瞬、付いてる大家さんに見えて、何が付いてるんだろうと男の娘的な思考に走ってしまったが、慌てて引き戻す。
1万円……1万円ちょうど!
なんてご都合主義的展開! 渡りに船! 千客万来! 因果応報! 痴漢冤罪!
「これが運命の選択か……」
チラシを手に取り不敵に笑い、その場を去る。
目指すはチラシのアパート。家賃1万円のアパート。
こりゃ乗るしかねえな! このビッグウェーブに!
■■■
チラシを頼りに歩き、そのアパートに到着した。
門にはアパートの名前である『一二三荘』と書かれた大きな表札があった。
門からアパートまでのスペース(庭と言っていいのか)がかなり広く、池や何故かブランコまでありどこか学校のような印象を受けた。
肝心の建物は1階建てであり、外観的に年季を感じさせる老朽化は見られるものの、しっかりと掃除が行き届いた好感の持てる建物だった。
門を抜け広めの庭へ。
まずは大家さんに会って、例の部屋について聞かなければならない。
ちなみに美少女という部分には期待していない。
今まで自称美少女の人間を見て美人と感じたことなんてないし。大体『美少女制服女子衝撃のデビュー』とか言っておきながら、合ってるのは『衝撃』って部分だけだったりな。パッケージで「お、いいね」って思って買っても、中身がブタゴリラそっくりの女が出演してたりな。
はい、エッチなビデオの話ですけど、なにか?
「さて、自称美少女の大家さんはどこかね」
ぐるりと庭を見渡す。庭にいなかったら部屋にでもいるのか……と思っていると、庭の隅、日当たりのいい場所にベンチがあるのを見つけた。
そしてそのベンチに横たわる人影。
近づいてみる。
輪郭がはっきりする距離まで近づくと、その人影が和服割烹着を着た少女であることが分かった。
少女は合わせた両手を頬に当て、体を丸め寝息を立てている。ベンチには先ほどまで役割を果たしていたであろう箒が、立てかけられていた。
「すぅー……すぅー……」
少女の顔から目が離せなかった。
幼いながらも整った顔立ち。閉じられた瞳、小さな鼻、果実を連想させる柔らかく瑞々しい唇。
日差しのせいか汗を吸った黒髪が、紅潮した頬に斜線を描くようにかかっていた。
「……」
見惚れていた。小さな雷に打たれたかのような衝撃が、体の中をざくざくと走る。心臓が脈打つのを感じる。
触れてはいけない、そう思った。
この光景はこのまま、永遠にここにあって欲しいと思った。
汚されてほしくない、このまま時間が止まって欲しい、心の底からそう思った。
今この瞬間の為に俺の人生はあった、そんな馬鹿げたことを思ってしまい、しかしそれを肯定したいと思った。
彼女を守る為ならば世界中の人間に敵対してもいい、そう思った。
「……えへへ……お饅頭がいっぱい……こわーい……くぅ……」
色々と表現してはみたものの、ざっくり言うと――ずっきゅんハートでめろめろきゅん! ……大丈夫か俺?
いや、実際こんなに可愛い存在を見たのは生まれて初めてだ。
とうとう二次元からの侵略が始まったかと思った(ちなみに脳内議会で無条件克服賛成が全会一致で確定した)
「この子が大家さんか? まさか、そんな……いやいやいや……」
そんな美少女大家(ロリ)みたいな都市伝説が存在するわけ……漫画じゃあるまいし……。あんたもそう思うだろ?
「……んん。くぁー……ふぁ」
少女がぴくりと体を震わせ、丸めた体をぐっと伸ばした。
目を覚ましたらしい。
「……っと。んー、お日様が気持ちよくてつい寝ちゃいました。……あ、汗かいちゃってます。今何時かな?」
「2時です」
「うわっ。30分くらい寝ちゃってましたかー、いかんいかん。……まだ眠たいですねぇ……ふわぁ」
ベンチに腰掛け、眠気を払う為か、顔をふるふると振る少女。汗が飛沫のように飛び散り、俺の顔にかかった。やったぜ。
割烹着からハンカチを取り出し額の汗を拭う、そして目の前の俺に気づいた。
少女の睡魔を払いきれていない瞳と俺の瞳がぶつかる。
ぼんやりとした目と同じように、開ききっていない口が言葉を紡いた。
「……ジャイス?」
首を傾げながら紡がれた意味不明な言葉。
ジャ、何? ジャ……ジャスコ? ハハハ、まさかな。ジャスコはもう死んだんだ……いくら呼んでも帰ってこない。もうジャスコは消えて、俺達もイオンと向き合うべきなんだ。
「ジャイス……はれ? これ夢……かぁ。ジャイスが現実にいるわけないですよねぇ……そろそろ起きようっと」
少女がぼーっとした、夢を見ているかのような虚ろな表情で俺を顔を見つめる。
あまり人に注目されるが苦手な俺は、顔を背けながら言った。
「あ、あのすいません。俺このアパートに用があって……」
「……へっ!? あ、ああ、はいっ。あ……これ現実ですかっ、びっくりしました! す、すいませんっ、えっとえっと……」
完全に覚醒したのか、目を大きく開きバタバタと手を忙しなく動かす。
「大家さんに会いたいんですけど」
俺はこの言葉に一縷の希望をかけた。ロリ大家さんが存在するという小さな、本当に小さな希望に――
「えっ? 大家ですか? えっと……私が、その……このアパートの大家さんだったりします」
ぱんぱかぱーん!! 辰巳くん大勝利! ロリ大家さんは実在したんだ! こんなに嬉しいことはない! マジで!
「あ、そうなんですか。ちょっと大家さんにお話がありまして」
心の中で行われている狂喜乱舞のカーニバルを悟られぬよう、努めて冷静に、若干棒読み気味に話を進める。
「あ、もしかして入居希望の方ですか?」
「そうです」
「あー、すいません。今お部屋の方が満室で……本当にごめんなさい。わざわざ訪ねてきたのに。あっ、お茶だけでもどうですか?」
謝罪の後、花が咲いたような弾ける笑顔を浮かべる大家さん。
俺はチラシを取り出した。
「で、でもこのチラシで募集を……」
「……あ」
大家さんの顔に、先ほどとは拭ったはずの汗が浮かんだ。
笑顔が固まる。
「……そ、そのチラシどこで?」
「駅近くの電柱でですけど、なにか?」
「い、いえいえ! ……全部剥がしたと思ったのに……ど、どうしましょう」
「部屋いっぱいなんですか?」
「い、いや本当は1部屋だけ……そのチラシの部屋は空いてるんですけど……でも」
でも、なんだろうか?
『でも……あなたみたいな人はちょっと、生理的に……』ってこと? そんなこと言われた日には俺、この場で何らかの手段を以って焼身自殺しますよ?(何らかの手段→吸血鬼に覚醒)
それが嫌ならさっさと部屋を見せてくださいよ!
俺の熱意が伝わったのか、相変わらず汗を止めどなく流す大家さんは「……じゃあ、部屋行きましょうか」と諦めたように言った。
■■■
扉を開けて家賃1万円の部屋の中に。
正直、1万円の部屋だから多少の汚さや劣化は覚悟していた。
だが実際
「ここ本当に1万円なんですか?」
「はい、そうです……よね?」
「何で俺に聞くんですか? めっちゃいい部屋じゃないですか! 綺麗だし、古さも感じないし」
室内は埃一つ落ちておらず、窓ガラスもピカピカだ。
俺の部屋とは大違い。
「綺麗ですか。えっと、一応私が毎日掃除しているので……あはは」
「そうなんですか。掃除上手なんですね、本当に汚れ全然ないし」
「そ、そうですか? え、えへへっ。お掃除が趣味なんですよ! 綺麗になると凄く気持ちよくてっ」
俺の言葉に照れ笑いを浮かべ、楽しそうに体を揺らす大家さん。
うーん、行動があざと可愛い。こりゃあざとさを司る神アザトゥースに愛されてるに違いない。
部屋を見渡すとタンスやテレビ、エアコンが目に入った。
「あの、この家具って」
「前の入居者さん達が逃げ……けふんけふんっ。退去した時に置いていった物ですよー。まだ新しいし、バリバリ動きますよ」
「もし、入居したらこれって……」
「使って下さいっ。……あ、いや、もし入居するなら、ですけど……あはは」
家具付きでこの広さ(六畳)で押入れもあって美少女大家さんも付いて1万円……。
住んじゃゃうぅぅぅぅ! らめぇぇぇ! こんな好条件な部屋、辰巳住むって言っちゃうのぉぉぉぉぉ!
というわけで言った。
「住みます」
「えっ」
「1万円ですよね。現金でいいですか? ていうか今日から住んでもいいですか? ……あ、もしかして敷金とかそういうのって……」
「い、いえいえ! 丁度1万円ですよ! ……え、住むんですか? も、もうちょっと考えた方が……。あの学生さんですよね? 親御さんと相談して――」
「――帰る家、ないですから」
俺は窓の外を見ながら、何らかの過去を感じさせる表情で呟いた。
ここで『あははっ、全然似合ってないですよー』とウケを狙う寸法ですよ。
が、大家さん予想外のリアクション……!
「はわぁ……」とため息を吐きながら頬を染めて言った。
「……か、かっこいい」
「え?」
「あ、いやいや! 何でもないですよジャイス!?」
「いや、辰巳なんですけど。一ノ瀬辰巳です」
コロコロと表情を変わる人だ。見ていて面白い。
それはそうとして、何としてでもこの部屋を借りたい。是が非でも。
「お願いします! どうしてもこの部屋に住みたいんです!」
「で、でも……他にも探した方が」
「いや、この部屋以外目に入りませんよ!」
よし、ここで一気に攻める!
俺の中に眠る褒め殺しの才能よ! 今だけでいい! 目覚めてくれ! 持ってくれよオラの体っ!
「このアパート一目見た時から気に入りました! 名前もセンスありますよね!」
「あ、ありがとうございますっ。ここ私のお祖母ちゃんから引き継いたんですよー。子供の頃からずっとここで大家さんがしたくて、夢が叶って毎日楽しくてしょうがないんですよー!」
「何ていうか、いいですよね! 昔の情緒を感じさせるというか……周りが新しい家ばっかりの中、心から安らげるというか」
「ですよねー! 一ノ瀬さん分かってる人だー」
ぎゅっと手を握ってくる大家さん。
手に伝わる柔らかさと暖かさが心地よく、俺の脳髄を麻痺させる……。
イ、イカン! ここで駄目になっては駄目だ! 応援してくれイカちゃん! 伊東○イフの同人誌みたいに!
「庭にブランコとかいい感じです!」
「子供の頃、アレで遊んだんですよー。い、今でもたまに遊んだり……」
「池もいいですね! 明らかに浮いて……いや、個性的な感じで!」
「あの池、私が大家さんになってから作ったんですよー。えへへっ、そんなに褒めてくれて作った甲斐がありますっ」
ちなみに俺は嘘を吐いておらず、心の底から思ったことを伝えているぞ。
俺は勢いよく頭を下げた。
「お願いです。俺この部屋に住みたいんですっ。大家さん、俺……この部屋に住みたいです!」
「そ、そこまで言われたら……もー、住んでください! こんなにこのアパートを気に入ってくれた人は初めてです! むしろこっちからお願いします!」
「やった! 流石美少女大家さん!」
「そ、そんな美少女なんて……照れるじゃないですかーっ。もーもー! よーし、特別ですよっ。この部屋の家賃半分の5千円にしちゃいますぅ!」
「それはいけない」
俺は慌てて止めに入った。
何だかよく分からないが、5千円はまずいと思う。いや、安くなる分にはいいんだけど……でもアカン。
何ていうか、根本的に駄目というか、宇宙の法則が乱れるというか……何言ってんだろ俺。
とにかく俺はこの部屋に1万円で住むことになった。
諸々の手続きをする前、大家さんが
「あの、一ノ瀬さん。この部屋に入ってから、こう、なんていうか……何か感じたりしましたか?」
「え? いや、いい部屋だなぁとは思いましたけど」
「そ、そういうことじゃなくて。えっと……寒気とか? あと視線を感じるとか?」
「いや、そういうのは全く」
「全く、ですか? ちっとも? ぜーんぜん?」
一体大家さんは何が言いたいのか。その言い方だとまるでこの部屋に何かあるみたいじゃないか。
「あの、この部屋って何かあるんですか?」
「ひゃいっ!? な、なんか!? な、なななんかって何ですか!?」
「いや、それを聞いてるんですけど」
露骨に目を泳がせる大家さん。
「……た、例えばですけど。例えば! 一ノ瀬さん、この部屋にその……幽霊、が出るとしたら……どうします?」
「幽霊?」
「は、はい」
幽霊ってアレだよな。血まみれで内蔵とかボロってはみ出してて、テレビから出てきて脱出不可能なデスゲームを仕掛けてくるチェーンソー持ったヤツ?
俺あんまそっちには詳しくないから、よく分かんないけど、そんなんが部屋に出たら……
「当然出ていきますけど」
「で、ですよねぇ」
「火放って」
「洋館物のラスト!?」
俺の言葉を聞いた大家さん、目を閉じ「む、むむむ……」と唸り始めた。
何か迷っているような、そんな様子。
そして大家さんはカッと目を開いた。その目は決意に満ちていた。
「こ、この部屋には……何も……何もありません!」
「そ、そうですか」
「はい、大丈夫です! ……だ、大丈夫ですよね? 全く何も感じないなら……うん」
無理やり納得するかのように頷く大家さん。
手続きを済ました後、最後の掃除があるから2時間ほど時間を潰してきて欲しいと言われた俺は、大人しくそれに従った。
部屋を出る前に、改めて部屋の中を見渡す。
今日からここで住む、そう考えると少しの不安とそれ以上にワクワクする。
初めて親元から離れて生活する。
少し大人になった気がした。
■■■
あの日から数ヶ月、大家さんが隠したがっていた秘密は
「ふんふんふん、お料理するよー♪ じょ、お、ずに、にゃにゃにゃにゃにゃー」
今、目の前で楽しそうに料理をしている。
最初、幽霊と同居することになって、どうなるか少しは不安を感じていたが、今はすっかり慣れてしまった。
俺が想像していたひとり暮らしとは随分違うけど、まあそれなりに……いや、かなり楽しくやってる。
多分俺が思うよりずっと、エリザの存在は精神的に脆い俺を支えていてくれている。
家賃1万円で可愛い幽霊が憑いてくる生活。
できるなら、ずっと続いて欲しい。叶わない願いかもしれないけれど。
――家賃1万円風呂共有トイレ付き駅まで縮地2回。
俺は今日も、そしてこれからもこの部屋で日々を過ごしていく。
何だか終わりっぽいけど、まだまだ続くんじゃよ。
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