第24話 夏美の魔法
「地獄絵図ね」
「……」
夏美の顔色が悪い。軽く坂道になっている場所を歩いているが、上の方から流れてくる水が川みたいになり、足元を濡らす。鉄を溶かしたような匂いと、所々が泡立っていて、赤く生臭さを感じる色をした水。触れることすら、生理的な拒絶を示しても不思議ではない。夏美が気分を悪くするのも無理はないが、私に着いてくると『覚悟』を口にした以上、弱音を吐く様子はない。
「酷い……」
坂を上りきると、そこはまさに地獄だった。斬られたり、潰されたり、原型が分からないほど分解されている『生き物』と分かる死骸が積み重なっている。私は日本史の教科書で、どこかのお寺にある『地獄絵図』を見た記憶があるが、現実で再現しようとすれば、こうなるであろう光景が広がっている。
「あれ、まだ生きている人間がいたの?」
「殺しちゃおうよー、エフィア」
外見上は人間に見える少女が二人、私たちの前に立ちはだかる。衣服は真っ黒に染まり、それが何であったかを、想像するまでもなく手には凶器が握られている
エフィアと呼ばれた少女は、先端が曲がったような穂先の槍を持ち、もう片方の少女は、先端にシンプルな刃物が着いた、とても重そうな槍を持っていた。両者ともに、髪はオレンジ色をしていて、顔立ちはまるで双子のように似ていた。
「今、どっちが多く殺したかの勝負、同じ数だったよね?」
「あの二人をまとめて殺せば、私の勝ちよ」
(……)
私が立ち止まると、夏美も一緒に立ち止まる。どこか顔色が悪いが、この光景に対して思うところがあるのか、それとも今から、戦闘を行うことに対して不安があるのか。自らの『杖』を強く握る夏美を見れば、きっと後者なのだろうと思う。
あるいは、こうも無残に人間が殺されている事実に、
(今日は、覚悟だけ持ってくれれば、それでいい)
目の前の存在は、知能が足りていないのか。普通に考えて、こんな場所で平然としている相手が、ただの人間であるはずは無いだろうに。それさえ分からないほど、頭に血が上っているのか、それとも己の強さに自信があるのだろうか。
「アリィの勝ちだね!」
茶番が終わったのか、一人の少女が予備動作もなく、こちらに襲い掛かってくる。初速は遅くない。私が相手でなければ、効果的な攻撃になっただろう。
槍を大きく振りかぶり、私たちを二人まとめて
「邪魔」
次の瞬間には、突進してきた少女が消え去る。それを見て、もうひとりは顔色を変える。
「き、貴様……魔法少女! よくもアリィを……!」
(せめて、苦しまず殺してあげる)
本当に何も考えていないのか、もう一人の少女も、ただ突進して消え去っていく。それでも、私に届く実力があったら、もっと苦しんでいる。この状況に巻き込まれた苛立ちで、私は攻撃魔法を作った。使う機会が無さそうなので、効果については何も語らないが。
「冷さん……私、何をすれば良いのでしょうか?」
今にも泣きそうな表情で、夏美が構えた杖を下ろしながら言う。確かに先程は、厳しい口調で覚悟を問いかけたが、少し思い詰めすぎているように見える。
(私って、過保護なのかな)
先ほどの相手であれば、夏美は苦戦することなく倒すことは出来ただろう。相手はそれほど強くはなかったし、私の支援もあるから、そもそも傷を負うような可能性も低かったと思う。肩慣らしには、丁度良い相手と言っても良かった。
それでも、やはり心のどこかで、夏美が戦うことに引け目を感じてしまう。
「そんなに、気負わなくて良いよ。この地獄みたいな場所で、夏美が隣に居てくれる事が、とても救いになっているから」
「……誤魔化されませんよ?」
「じゃあ、次の休みにケーキ奢るから。それで許して?」
「……約束ですよ?」
自分でも、この状況で何を言ってるのかと思ったが、夏美は一瞬だけ迷う素振りを見せ、納得してくれたらしい。我ながら、周囲の状況から考えて、食べ物の話が出来る神経を疑ってしまう。
「そういえば、夏美はどんな魔法が使えるか、聞いても良い?」
「私ですか? えーっと、なんとなく理解してるだけで、実際は使ったことないですが――」
夏美が言うには、広範囲に落雷を降らせたり、雷をビームのように打ち出す魔法が使えるらしい。
「面白そうだね」
「でも、使う機会が無いんですよね」
「なら今、使ってみましょう?」
「え?」
私たちは今、黒い雲で覆われている場所の、ほぼ中心部にいる。目の前には学校があり、その校庭が見下ろせる位置で、私は歩みを止める。
「この中心に、思いっきりビームを打ってみて」
「い、今ですか?」
「そう、今」
別に、冗談で言っている訳じゃない。
(ここに、何かある)
聖域を拡大してみても、見えない何かに邪魔される空間があり、そこが校庭がある場所と重なっている。
「私の力も、乗せるから安心して」
「それ、大丈夫なんですか!?」
実はここに来るまでに、私の右手は完治していた。左手に持っていた杖を右手に持ち替えて、空いた手で夏美の左手首を掴む。私の魔法少女としての力を、接触している部分から夏美に流し込む。
「え、あ、冷さん……くすぐったいです……」
夏美は胸元を押さえながら、入ってくる力を、くすぐったそうにしていた。どこか頬を赤らめているが、流している側としては、どんな感覚で受け入れているのか分からなかった。
「夏美、一つ言い忘れていたけど、多分ここに『元凶』がいる。早く終わらせて、帰りましょう? だから、魔法を使って欲しいの」
「う……うぅ……冷さん、少し苦しくて、切ないです……力を抑えてください。使いますから」
これは夏美と会って分かったことだが、魔法少女同士は、お互いに力の受け渡しが出来る。聖域を使った時、夏美が私の力を受け取っていたのを見て、それを確信した。だから、私の中にある『魔法を使う力』を、夏美に渡して魔法を使わせる。
(私が攻撃魔法を使うと、ちょっと洒落にならない事になりそうだし)
夏美には、私が言わせた部分もあるが、魔法少女として『戦う覚悟』を語らせた。自覚させないまま、手を汚させることに、
それが良いのか悪いのか、私には判断が付かない。だが、私と共に歩みたいと言うなら、いずれ避けられない場面に出会うだろう。
(私の力を受け入れた分、魔法少女としても強化されるし)
これは、上手い表現が分からないが、例えば『加護』という言葉が近い気がする。受け入れた力は、本人の潜在能力を強制的に引き上げることに使われる。
「じゃあ、行きますね」
夏美は、杖を前に構える。
「魔法:
(あ、やりすぎたかも?)
轟音を立てながら、杖の中心から極大の雷が放たれる。バリバリと音を立てながら、まるで学校を飲み込むような大きさで、視界が真っ白になるほど輝きを放っていた。
学校の校庭には、見えない壁があるのか、衝突と同時に景色が波打つように揺れ、更なる轟音となる。
「城?」
一瞬、景色が大きく変化して、真っ赤で『
――黒い雲で覆われた空が、次の瞬間には晴天に変わっていた。
断片的にしか見えていなかったが、城は夏美の魔法と衝突し、綺麗に蒸発してしまった。
(聖域:起動)
さすがに威力が強すぎて、城を破壊させるだけでは消えず、学校をも蒸発させてしまう。
(生きている人は周囲にいないし、大丈夫……だよね)
それ以上に、被害が拡大しそうだったので、私は『聖域』を広範囲に展開して、内側の衝撃を逃がさないようにする。凄惨な『地獄絵図』となっていた周囲は、既に夏美の魔法に飲み込まれ、消え去っていた。
(死んでしまった人たちの遺体も消えちゃったけど……あれを見せられるのと、消え去るの、どっちが不幸かと問われたら、微妙なところかな……)
「冷さん、やりました!」
「……」
本当に、これで良いのか。笑顔で結果を報告してくる夏美に、私はなんて言葉を返せばいいのか詰まってしまう。自分で手を汚すよりも、無垢な少女にさせた行為が、私の心に突き刺さる。
夏美に問いかけた私自身が、何も覚悟が出来ていなかった事を自覚させられる。頭では理解していたはずなのに、いざ直面すると、自らの浅慮が浮き彫りになる。
「……夏美、ごめんね。結果的に、貴女は『魔王』を殺した。それをさせた私を、恨んでいいよ」
「……冷さんは、私を見くびりすぎです。冷さんは、私を助ける為に二度も、敵を殺しました。本当なら、私は死んでいたと思いますし、そうでなければ私は二度も、敵を殺しているはずです。そんな恩人を、どうして恨めると言うのですか」
「……」
「私は、冷さんに感謝してます。そして今、私の為に悩んでいる冷さんを、とても愛おしく思います。私の、
私は眩しすぎて、少女の顔を見る事ができなかった。
「――私は冷さんの隣に、立っても良いですか?」
「……駄目な訳、ないでしょう」
ふと、遠くからヘリコプターの音が聞こえ、周囲を改めて見回す。こんな場所に長居しても、余計な問題を抱えるだけだと直感が告げてくる。
「夏美、家をイメージしなさい。転移させるから。あと、家に着いたら『午前中には遊園地から帰った』と親には言いなさい。いいね?」
「え、あ、はい」
「その方が、問題が少なく済みそうだから」
夏美の手を取り、シルフの時と同じ要領で、イメージを読み取る。魔法少女としての繋がりが強くなったことで、かなり正確に読み取ることができた。
――夏美を転移させる。
「私も行くか」
長い一日が、ようやく終わった気がした。私もシルフが待つ自宅へ、転移する。
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