応援コメント

すべてのエピソードへの応援コメント

  • 「ここでは死者が 生者に教えることを喜んでいる」

    私の母校の解剖実習室の入り口には、日本語とラテン語で、こう掲げられていました。

    母校では、4人の班でお一人のご遺体の方を担当することになっていました。

    初めて、ご遺体の方と対面するときは、この方も、私たちと同じように人生を過ごし、その寿命を終えられた、私たちと同じ人間として生活されたことを感じました。

    実習が始まり、そのお身体にメスを入れた瞬間から、ご遺体の方は、「私たちと同じ人間」であると同時に「学ぶべき解剖学の観察の対象」という存在になります。

    そこにはもうセンチメンタリズムはありません。そこは、「解剖学」という名前の「科学」の世界です。

    解剖学実習は、医学部の基礎系の教科で最もハードです。毎日、朝から深夜まで実習室にこもり、構造の剖出を進めながら、山のような解剖の知識を学ばなければなりません。実習室は23時に閉められますが、その後、帰宅して、あるいは友人と夕食を食べながら、その日に学んだことを必死に復習します。

    解剖学実習は約4~6か月(確か私たちの前の学年までは6か月、私たちの学年から4か月に短縮(ただし行なうべきことは全く同じ)されたように記憶しています)、生活のほとんどすべてを解剖学に費やし、ご遺体の方は、お身体の隅々まで解剖され、本当にお身体はバラバラになります。

    実習がすべて終わり、ご遺体の方のお身体を、可能な限りあるべきものをあるべき場所に戻し、納棺し、感謝のお花をささげ、お棺の蓋を閉じる。その時に私たちは、もう一度ご遺体の方と、人と人として向かい合います。

    「私たちは、ご遺体の方の思いに応えることができたのだろうか」

    それは、この仕事をしている限り、心のどこかで常に感じています。

    外科系の医師にとっては解剖学は当然の知識。メスを持たず、患者さんの身体にメスを入れることはない、私のような内科医にとっても、当然解剖学の知識は必須です。その知識が、診断や治療の助けになることは枚挙にいとまがありません。

    生きている人、亡くなられた人、すべての命に誠意をもって向き合いたいと思って、私は今日も仕事を続けています。

    「何でも」内科(総合内科)のヤブ医者より