前世の記憶をもった5歳児の話
遠浜州
第1話
俺には前世の記憶がある。
いきなりなに言ってんだって思うだろうけど本当のことなんだ。
ちなみに今の俺は保育園年長組の五歳児。
前世の俺はっていうと、一人息子がいる蕎麦屋を営んでた五十過ぎのおっさんだ。
前世の記憶が残る理由には衝撃的なことがあったとか、やり残したことが前世にあったとかが多いって言うだろ。
俺もそんな感じで、一つだけやり残したことがあるだ。
その記憶なんだが歳を重ねるごとに段々と薄れてきてるんだよ。例えるならそう、五歳になった今じゃ昨夜見た夢のように不鮮明で、ふわっとしたものになってきちまってるんだ。
このままじゃあいずれきっと忘れちまうだろう。
えっ? 俺がやり残したことは何かって。それはこの先を読んだ時のお楽しみってことで。
前世でやり残したことをやるためには、俺が当時営んでいた蕎麦屋に出向く必要があった。
だから最初は自分で行動できるくらいに大きくなってから動こうと思っていた。でも、悠長に待ってられるほど俺に時間は残されていない。
こうしてる間にも記憶は薄れつつあるんだ。
だから今の俺でも蕎麦屋まで辿り着ける方法を考えた。そこで考えついたのが、親に連れて行ってもらうということだ。
幸い前世の俺が営んでいたのは蕎麦屋ということもあって親を説得させるのに役立った。
「お友達がすっごく美味しいおそば屋さんがあるって教えてくれたんだ! ねえぼくもそこのおそば屋さん食べに行きたい!」といった感じで頼んだところ、あっさりとオーケーをだしてくれた。
思っていたより今俺が住んでいる場所から近かったため、親も了承してくれたんだろう。
そうして俺は蕎麦屋まで辿り着くことができた。
「あ~、懐かしいなあ。前世の記憶のまんまだわ」
「ん? ひろくん何か言った?」
「あっ。あのね、昔ながらのお店だなって言っただけだよ、ママ」
「昔ながらのお店って、ひろくんわかるの?」
そう言って母親は笑った。
つられて父親も笑っていた。
そこで俺はぷくぅと頬を膨らませ、馬鹿にするなと怒ったアピールをする。
抜け目なく子供ならではのいじらしい行動をしてみせる。
こんなお茶目な言動は現役の五歳児にはなかなかできないことだろう。って、現役も何も俺も正真正銘五歳児なのは間違いないんだけどな。
まあ人生経験が豊富な俺だからなせる技ってことよ。
「あっ、ひろくんおこってる~。冗談よ冗談」
そんな家族の団らんとした会話をしながら俺たちは蕎麦屋の中に入っていった。
右手に二人用の席が二つと四人用の席が二つ、左手にはカウンター席、その奥には厨房がある。
内装も俺の時と全く同じだ。
厨房には義和がいた。
義和とは、前世の俺の息子だ。
俺たちの姿を認めると、「いらっしゃいませ」と元気な声をかけた。
お好きな席へどうぞ、と言われ両親は何の迷いもなく四人席に座ろうとしたが俺はどうしても義和と話がしたいために、「ぼくあそこの席に座りたい」と言ってみる。
「どうして?」
「おそば作ってるところ見てみたいから!」
「それならカウンターに座るか」
「そうね」
「やったーっ」
こうして予定通りカウンターに座ることができた。
両親はメニュー表をしばらく見たあとかけそばを二人前注文した。
――厨房での姿は様になってるじゃねえか。
どれどれ、そば打ちの腕はどのくらいなものかな。
「興味あるのかい?」
「えっ。あ、うん。どうやって作ってるのか気になる」
「じゃあ見ててごらん。ちょっと坊やには難しいかもしれないけど」
「ほんとっ! じゃあ、みるみるーっ」
あ、焦ったぁ。急に話しかけられるもんだから動転しちまったよ。
なんか元息子に対してこの口調でしゃべるのは複雑な気持ちになるな。
とにかく羞恥心が凄い。
にしても厨房には義和一人しかいないけど、霞さんはどうしたんだろうか。
ああ、霞さんは義和の奥さんのことだ。
てっきり霞さんも店を手伝ってくれてるもんだと思ったが、体調でも崩してるんだろうか。
気にはなるが、義和からしたら今の俺は初対面の子供なわけで到底聞き出せるわけもない。
とりあえず今は義和の腕を見るとするか。
見るとはいっても、正直俺はそば打ちの腕はそれほど心配してはいない。
前世の俺が生きてるときからそれなりのものはできていたから。
ただ一つ、そばの味に関して一つだけ不安の種がある。
それはうちの店のつゆの作り方を教えられていないことだ。
だからその味を確かめるのも今日の目的であるといえばそうなんだが、一番の目的は別にある。
にしてもかなり腕を上げたもんだな。
俺が急にいなくなって色々と試行錯誤して、苦労したんだろう。
容易に想像することができた。そう想像するととても申し訳なくなってくると同時に、義和に労いの言葉をかけてやりたい気持ちがこみ上げてきた。
そんなことを思っていたらいつの間にかかけそばが二人前出されていた。
「はやっ! もうできたの」
「もちろん。少しでもお客様を待たせることはしたくないからね」
「そっか。すごいね、おじさん。職人さんって感じがする」
「ははは、坊やは面白いこと言うね」
ああ、こうやって義和と会話できていることがとても嬉しい。
前世の時はこうした自然な会話もほとんどしたことがなかったからな。
まあ一方的に俺のせいなんだが。俺が店にこもりっきりでまともに義和と向き合わなかったのが悪いんだ。
だけど今思い返して後悔することじゃねえな。
今は目の前に出されたかけそばを食すのが先だ。
見た目は俺の時と同じネギとかまぼこがのっただけのシンプルなかけそばだ。
「いただきますっ」
俺は手を合わせ、食事前の挨拶をする。
そして母親が小皿にわけてくれたそばを今の小さな口一杯に含む。
「・・・・・・・・・・・・」
「どう、ひろくん。美味しい?」
両親は俺の様子をうかがっている。
続けてつゆも一口口に含む。
「う、うまい。つゆの味もうちの店の味をしっかりと再現されているし麺の歯ごたえもいい。正直、俺の作るかけそばより美味いかもしれん・・・・・・」
そこで俺は、はっと我に返った。
――しまった。興奮しすぎて、周りのことを失念していた。
「・・・・・・ひ、ひろくん? どうしちゃったの?」
案の定、両親の方をみると見事に顔を引きつらせている。
「えっ。あ! あのね。これはそうっ、テレビのまねだよ。う~ん、まさに美味ですねぇ~」
「も、もう驚かすなよ。てっきりヒロトがおじさんになったのかと思ったぞ」
ははは、と父親は苦笑した。
母親も最初は顔を引きつらせていたが、上手くごまかせたのか父親とともに苦笑い。
「やっぱり坊やは面白い子だね。美味しいかい?」
「うんっ! ぼくこのおそば大好き!」
俺は残りのそばを食べきり、つゆまで飲みきってあることを決心させる。
「そういえばおじさん。このお店の中おじさん一人しかいないけど、他の人はいないの?」
そばを食べ終えたあと、俺は気になっていたことを聞いた。
「ああ、いつもは妻が手伝ってくれてるんだけど、今はとても大事な時期でね。お休みしてもらってるんだ」
「奥さん。お子さんを身ごもられてるんですか?」
隣からそばを食べ終えた母親が話しに入ってきた。
「ええ、そうなんですよ。今年の十二月には産まれる予定なんです」
「来月じゃないですか。それは楽しみですね」
「はい。妻も私も気が早くって、もう子供用の服や用品を購入してるんですよ」
「あっ、それはわかります。私たちもそうでしたから」
両親と義和の会話を黙って聞いていた俺を、母親は俺が話しについていけないと思ったのだろう。
「ひろくん。おそば屋さんのおじさんのママ。奥さんね。お子さんが産まれるそうよ」と説明してくれた。
「・・・・・・へ、へぇ~。そうなんだぁー」
「まだひろくんには難しかったかな~」
そういうことじゃないんだ。
あまりの衝撃に言葉がでないんだよ。
――そうか、義和と霞さんの間に子供が産まれるのか。
じゃあついに俺もおじいちゃんになるってことか。いや、今の俺はもう違うな。
しかし前世の時はまだかまだかと待ち焦がれてたが、ついに二人の子供ができるんだな。
目を合わすことは叶わないだろうが、産まれるってことを聞けただけでもう十分だ。
あとは無事に産まれてきてくれればなにも言うことはない。
「良かったね、おじさん。おばさんにも頑張ってって伝えといて」
「ありがとう坊や」
俺は精一杯の笑顔でそう伝えた。
「ところでおじさん。おじさんはパパのこと好き?」
義和が父親になるということもあって、俺は流れでそんなことを聞いてみた。
当然義和は不意の質問に戸惑っていたが、答えはすぐに返ってきた。
「俺はね、父さんが大っ嫌いだった。年がら年中そばばっか作って家のことは母さんに任せっきり。どんな行事があったとしても一度たりとも顔を出したことがない父親だった」
答えは分かりきっていたことだ。
義和は俺だとわかっていないにしても、こうして息子の正直な気持ちを伝えられるのは胸に刺さるものがある。嫌いだと言われるとやっぱり胸が痛むな。
ただ俺が悪い。義和が俺を嫌っていたのは当たり前のことだ。
「まあそれは昔の話だけどね。今俺は父さんを尊敬してるよ。確かに昔は嫌いだったけど、自分も同じ立場になった今ではあれだけひたむきにそばと向き合えるのはすごいと思うんだ。直接教えてもらえる機会は少なかったけど、父さんの背中からたくさんのことを教えてもらったよ。って、ごめん坊や。長く話しすぎちゃったね。坊やに言ってもわからないよね」
そう言って義和は笑った。
しかし、俺は何をいうでもなくただ下を向いていた。
わけもわからず子供を泣かせたと思ったらきっと困惑するだろうし、例えこの姿だとしても息子に泣き顔は見せたくない。
止まれ止まれと思うほど、胸の内から次々にこみ上げてきては涙としてこぼれ落ちていく。
それでもいつまでも下は向いていられない。
伝えないといけないことがあるから。
俺は袖でゴシゴシと拭い取って、
「おじさん、耳貸して」
とカウンターから身を乗り出して極力声の震えを抑え俺は義和に耳打ちした。
「義和。お前の打ったそば、美味かったぞ。よく一人でここまでのものを作れたな・・・・・・合格だ。あとは任せた」
それだけを伝えると俺は逃げるように店をあとにした。
「ちょっと、ひろくんっ! 急に飛び出してっちゃうからママもパパも驚いちゃったじゃない。それにお店の人もなんだかぼーっとしちゃって、きっとひろくんがお店から飛び出したことに驚いたんだわ」
「・・・・・・ごめんなさい、ママ。おトイレにいきたくなっちゃって」
「それならママに言えばよかったじゃない。おトイレならお店のなかにあったでしょ。ほら、今から戻ってお借りしよ」
「あっ、それならもう大丈夫。なんかおさまっちゃった」
「そう。また行きたくなったら言うのよ」
「わかった」
やっと言葉にして伝えられた。
ちゃんと伝わったかはわからない。
でもこれでいいんだ。
余計なことを言って義和を困惑させるわけにもいかないし。
どちらかといえば義和の本当の気持ちを面と向かって聞いて逆にこっちが驚かされたよ。
まさか話していたのが生まれ変わった父親だったなんて思ってもみないだろうな。
ああ、これで前世に未練は何もない。
欲を言えば孫の顔も見てみたかったし、もっと義和と話がしたかった。
でもそれを望むことはしない。ただでさえ、義和に伝えられなかったことを生まれ変わった今、こうして直接伝えられただけでも十分すぎるほどなんだ。
駐車場に駐めてある我が家の車に乗る前に店の方を振り返った。これが最後であろうと思うとやっぱり悲しくなるもんだな。
でもきっと大丈夫だ。
俺が認めた新たな店主がきっと一流の蕎麦屋にしてくれるさ。
心の中でそう呟き、店との別れも済まし車に乗車した。
「調子はどうだ、霞」
「んん、お腹の中の子供とともに元気よ。お店は大丈夫? 一人だけで」
「心配はいらないよ。俺一人で回せてるから。ああ、そういえば今日な、父さんが会いに来たんだ」
「へえ、そうなのね。・・・・・・って、ええっ!? と、父さんってまさかお義父さんのことじゃないわよね!」
「そう、俺の父さんだけど。あっ、霊的現象じゃないよ。今日店に来た面白い男の子がさ、店から出てく時に俺にだけ聞こえるように耳元で囁いた言葉がまるで父さんからのメッセージのようだったんだ」
「そ、そうなの。それで、お義父さんはなんて言ってたの?」
「お前の作ったそばの味は美味いって。合格だって言ってたよ。まあ、俺の聞き間違いかもしれないけど。だってそれまでは普通の男の子だったんだよ」
「それはわからないわよ。だって、お義父さん。義和に正式に店を継がせる前に亡くなっちゃったんでしょ」
「確かにそうだな。もしかしたらそれを伝えるために生まれ変わった姿で会いに来たのかも」
「きっとそうよ。あっ、今お腹蹴ったわ。ほら、私たちの子も、そうだって言ってるわ」
「そうかぁ。じゃあ、やっと一人前として認められたんだな父さんに。頑張ったかいがあったよ」
「そうね。それじゃあ引き続きこの子の父親として、お義父さんのようにかっこいい父親を目指してね」
「おうっ。任せとけ!」
これは、前世の記憶を持ったまま生まれ変わった五歳児の話。
きっとこの時間は神様がやり残したことをやり遂げるために与えてくれた時間なんだろう。新しい人生を歩む前に、前世でのモヤモヤを晴らさせてくれる猶予をくれたんだ。
これで前世とは断ち切って、ようやく新しい俺の人生が晴れてスタートできるよ。
まだまだ人生は長い。これから頑張って生きていくとしますかね。
前世の記憶をもった5歳児の話 遠浜州 @yayoi03
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます