応援コメント

最終話」への応援コメント

  • 何年も前から読ませていただいた作品ですが、コメントを送るのは初めてかもしれません。

    自分も、成就しなかったけど愛した人がいます。今でもかなり愛してます。でももう2度と会えないことは分かっています。たまに彼女が夢に出てきます。精神病である彼女が少しでも幸せであってほしいと祈るだけです。

    愛という名のバグが人間をここまで増やしたんだと思います。でもそれは素晴らしいバグかもしれません。

    誰かを好きになるという感情は、人を何よりも生へと導く物だと思います。

    作者からの返信

    こんばんは。九頭龍一鬼です。
    Unknownさん。星マークとコメント、真にありがとうございます。

    『でももう2度と会えないことは分かっています。たまに彼女が夢に出てきます。精神病である彼女が少しでも幸せであってほしいと祈るだけです。』とのことですが、つまり、彼女はまだ生きているものの、Unknownさんには二度と逢えない理由がある、ということだと察します。

    無論、愚生はUnknownさんの私生活を穿鑿することはしません。

    愚生の場合は、もし長生きしたら、片思いのひとと再会できるかもしれません。

    そのときは、お互いに、老爺と老婆になっているかとおもわれます。

    精神科医フランクルの研究者で、『生きる意味』について、たくさんの著作を上梓している諸富祥彦氏も、青春時代に最愛のひとがほかの男に奪われて、死にたくなるほど悩んだといいます。

    諸富氏の場合は、死にたいとおもったとき、そのひとの面影が髣髴されて、『わたしが七十歳になったすがたをみてくれないの』といわれた気持ちがして、死ぬのを諦めたそうです。

    ひとを愛することのむずかしさと素晴らしさを思い知らされます。

    『誰かを好きになるという感情は、人を何よりも生へと導く物だと思います。』ということも、愚生は賛同いたします。

    なによりも、愚生はUnknownさんがこのように、愚作を、ポジティブに受け取ってくださったことがうれしいですし、Unknownさんの人生にも光がさしこんでくれたら、とおもいます。

    では、今後ともよろしくおねがいします。

  • 設定も内容も面白くて最後まで読んでしまいました。
    他の作品も順に読みたいと思います。

    作者からの返信

    こんにちは。九頭龍一鬼です。
    hekisei様。応援のみならず星までいただき、まことにありがとうございます。

    hekisei様のことは、たしか、Unknown様のエッセイをつうじて識ることができました。この御縁に感謝いたします。

    愚生の作品群には、ハードなものからソフトなものまでございますので、時間がございましたら、おすきな作品を劉覧いただければと存じます。

    今後とも、よろしくおねがいいたします。

  • 大変面白く素晴しい、作品でした。下手な教誨師よりも、優秀な暴力団員さんとお見受けいたしました。

     相変わらずの不勉強で、秀逸で難解な九頭竜文学の深淵を読み取ることが出来ていない可能性がありますが、それはいつもの私の力不足です。(笑)

     しかし九頭竜さんは文系も理系も強くて、凄いですね。ちなみに私は典型的文系の人間ですが、九頭竜さんには両方とも全然及びません(笑)
      
    それでは、これからもよろしくお願いします。
     

    作者からの返信

    こんにちは。九頭龍一鬼です。
    田渡芳実様。コメントありがとうございます。

    『しかし九頭竜さんは文系も理系も強くて、凄いですね。』とのことですが、まことにありがとうございます。

    といえども、愚生は持病(統合失調症)が理由で、最終学歴が中卒となっているため、文系や理系というカテゴライズはできません。高校での勉強以上に相当する知識は、すべて、本を読み、独学で獲得したものです。ですので、相当に間違った知識も多分にまぎれこんでいるとおもわれます。すみません。

    ちなみに、愚生も、十代で大検を受験して、一応、センター試験の模試をうけたことがあります。たしか偏差値は35でした。いわゆるFランク大学の判定がCだったとおもいます。

    斯様な愚生でも、数十年間、本を読みつづけた結果、これくらいの作品は書けるようになりました。本統に本というのはいいものです。

    微衷を披瀝すると、愚生は、いまの日本で一番の知的階級は低学歴者や不登校者ではないかと存じます。上記のように、学校にゆく時間をすべて読書にささげれば、部分的には、高卒者や大卒者に匹敵するくらいの知識は獲得できるからです。(本作における暴力団員が、そのイメージかもしれません)

    ただし、知識が専門化すると、どうしても高学歴者にはかないません。愚生などは、輓近、二桁のかけ算ができずに、われながら喫驚して、小学三年生の問題集にとりくんで勉強しなおしました。個人的に、アインシュタインの運動量方程式から、一次元ディラック方程式と、三次元ディラック方程式のみちびきかたは説明できるのですが、実際に、ディラック方程式を解いてみろといわれると、斯様に、二桁のかけ算もできない状態なのです。

    なんだか、愚痴のような返信になってしまい、もうしわけございません。

    では、今後ともよろしくおねがいいたします。


  • 編集済

    ギャグは普遍的な客観との対比によって成立するものですから、オヤジギャグ研究家の私にはその中立性を判断することが出来ます。しかし、普通の人はパーソナリティの情報に引き摺られて笑っていいのか分からない場面がこれから出てくるかも知れません。
    九頭龍さんの作品が面白すぎて何作も続けて読んでしまいましたが、いずれも作家として正しい狂気を感じます。それを別の価値に置き換えるのは勿体なさ過ぎます。
    PS.
    とても伝わりにくい書き方をしてしまいました。申し訳ございません。私としては最大級の賛辞であることだけご理解頂ければ十分です。

    作者からの返信

    こんにちは。九頭龍一鬼です。
    褒められているのか、そうではないのか、峻別しかねますが、最後まで読んでいただき、まことにありがとうございます。
    『九頭龍さんの作品が面白すぎて何作も続けて読んでしまいましたが』とのことで、本統に感謝しております。同時に、どうやら、須藤様のお読みになられた作品群は、どちらかというと、愚作のなかではライトなものがおおいようですので、いささか、複雑な気持ちではあります。愚生本来の作風は、どんどんハードになっており、読者様から敬遠されているのですが、偶然にも、手軽な作品を読んでくださった御蔭で、須藤様の御期待にそえられたようですので、安心しております。
    『それを別の価値に置き換えるのは勿体なさ過ぎます』というところがよくわかりません。すみません。愚生はコメディにむいているとか、逆に、シリアスにむいているというような御指摘でしょうか。孰れにせよ、愚生は書きたいものを書いていこうというわがままなスタンスで書いております。カクヨムの読者様や、知人からも、『SFのほうがむいている』といわれるのですが、それでも、いまはどちらかといえば『純文學を窮めたい』とおもっています。ただし、『どうしてもSF要素がぬけない』ので、『SF純文學』になってしまい、SFのコンテストでも、純文學の新人賞でもなかなか予選通過できずにこまってしまいます。

    追伸
    『私としては最大級の賛辞であることだけご理解頂ければ十分です』とのことで、まことに失礼いたしました。愚生のはやとちりのようです。わざわざ、御返答くださって、ありがとうございました。今後ともよろしくおねがいいたします。