第五話

「率直にいいましょう この世界に生きる意味などありません サマセット・モームのいうように『思い煩うな。人生は無意味なのだから』です たしかに 人生は無意味だからこそたえられるところがある でも それは形而上学的側面でしかない あなたのような肉軆労働者は 毎日 形而下学的に すさまじい苦痛をかんじているでしょう つまり 精神的に楽にはなれても 肉軆的に楽になることはできない 仏教でいうところの『一切皆苦』ですよ 輓近では この『苦』は苦しみではなく不満くらいの意味だ と論じる坊主もいますが わたしはまさしく『一切は皆苦なり』だとおもいますね この世界は無意味より無意味です 芥川龍之介のいうように『人生は地獄よりも地獄的である』わけです」

「――ぼくも同意見です」

「そもそも よくいわれるように 『人類が誕生したことに物理学的な意味はない』んですが わたしはね さらに『宇宙が誕生したことに物理学的な意味はない』とおもうんです 『神は数学者である』と何某かの科學者の本に書いてありましたけれど いいかえれば 『すべての現象は物理学的に計算されつづけているにすぎない』わけですよ あなたは宇宙物理学に興味はありますか」

「はい 下手糞ですが SF小説を書くこともあるので」

「なるほど ならばはなしがはやい この世界のすべては確率です 超紐や膜の範疇でみれば 宇宙は素粒子の波動関数の相補性の聚斂によって プランク単位から森羅万象までうごいているにすぎない とすれば すべての現象は正規分布のなかにおさまる確率がたかい 無論 そこには量子ゼノン効果がはたらくので 全軆でみれば 複雑系における冪乗則が観測されますが それも半径四百七十億光年の宇宙のなかのわずかな観測者の観測の影響にすぎません 畢竟 すべては無意味な物理現象なんですよ こころとはなにか それは神経伝達物質のディラック方程式による発火のベクトルの聚斂にすぎない だから さきほどもうしあげたように『思い煩うな。』なんですよ こころの問題はこれでだいぶ癒やされる けれども 肉軆の『苦しみ』だけは現実として我我をおそいつづける これも神経系統の反応にすぎないのですが だからこそ 『一切は皆苦なり』なんです では やはりこの世界は生きるにあたいしないのか 苦しんで生まれて苦しんで生きて苦しんで死ぬのならば 我我はみんな自殺すべきなのか」

「わかりません」

「抹香臭くてもうしわけないが わたしの理窟を聴いてくれますか」

「――――はい」


――つづく

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