第八話 街の音楽家たち

「私たち三人で、組まない?」

 ニーナの突然の提案に、アリアは固まった。どうやら驚いたのはユウトも同じらしかった。

「ニーナ、まだ僕ら、彼女の何も知らないじゃないか! どうして君はそう突拍子もなく物事を決めるんだよ」

 声を荒げるユウトだったが、ニーナはやはりどこ吹く風といった様子で、涼しげな顔で受け流す。

「そんなの、組んでみればわかるじゃない。ね、アリアはいいと思う?」

 二人に板挟みになってしまったアリアは、突然のことで戸惑うばかりで、そんなにすぐには結論を出せそうになかった。困った顔で曖昧に返事を濁したのだが、ニーナはそんなアリアの様子を肯定と捉えたらしかった。

「ほら、アリアもいいって! 多数決で決定ね」

「えっ……あ、あはは……」

 アリアはもう苦笑いするしかなかった。なんて自由奔放な娘なのだろう!

 ユウトは大きな溜め息を吐き、アリアにだけ聞こえるようにぼそっと耳打ちした。

「ごめん、こういう奴なんだ。諦めて組んでくれ」

 アリアは同様に溜め息を吐きたくなるのを堪えて、小さく頷いた。


「ニーナ、君、やるからにはちゃんと合わせるんだよ。わかってる?」

「わかってるってば。ああ、嬉しい! こういうの憧れだったの!」

 いかにもわかっていなさそうな反応だったが、ユウトはもう諦めたのか、話を先に進めることにしたらしかった。

「じゃあ早速だけど……」

 何かを言いかけたユウトを遮り、ニーナは何か思い出したような顔で、突然こんなことを言い出した。

「あっ、私これから練習だった! ごめんねアリア、行ってくるね」

 呆気にとられたアリアを置き去りに、またねと無邪気に手を振りながらニーナは去って行った。

「……まるで嵐のようだわ」

 アリアはニーナが他のグループに入っていくのを傍目に、疲れたように小さく言った。

「……彼女、人と合わせるのが極端に苦手なんだ。じっとしているのも、楽譜通りに吹くのも、人の話を聞くのも。……でも演奏はすごいよ、本当に、それこそ嵐みたいに、その奔放さにみんな巻き込まれるんだ」

 そう言うユウトは、眩しいものを見つめるかのように、目を細めた。

「本当はソロ向きだと思うんだけどね。でも、何かの縁だと思って、付き合ってやってよ。本当に嬉しいんだと思うよ、同年代の人と組めるの」

「ユウトって、まるでニーナの保護者みたいに話すのね」

 何の気もなしにそう言うと、ユウトは顔を顰めた。

「そんなんじゃないよ。どちらかといえば、弟扱いされるのは僕のほうだし。……でも大人っぽく見えるって言うんなら、ありがたく受け取っておくよ」

 その言葉に、思わずアリアは笑ってしまった。突然くすくすと笑い始めたアリアに、ユウトは狼狽えた。

「な、なんで笑うの」

「ごめんなさい、つい。だって、もう十四歳だからだとか、保護者みたいなこととか言ったり、大人っぽく見られたがったり、なんだかすごく背伸びしているみたい」

「あ、アリアまで僕を弟扱いするの⁉ 姉貴面はニーナだけで十分だよ!」

 ユウトのその言葉がより一層弟じみていて、アリアは申し訳ないとは思いながらも笑いを我慢できなかった。不服そうなユウトをよそに、アリアは落ち着くまでひとしきり笑ったのだった。


 その後、アリアは一通り、集まっている人々に挨拶して、時々セッションに混ぜてもらったりもして、ニーナが戻ってくる一時間後まで時間を潰した。

 フリーゼのいる弦楽四重奏のアンサンブルと合わせたときには、フリーゼに、

「今の歌、宿のみんなに聞かせたかったよ」

 などと感心したように言ってもらって、アリアは花が咲くような笑顔になった。


 充実した時間を過ごした後、ニーナがようやく練習を終えて戻ってきたので、三人は早速セッションの打ち合わせを始めた。

「で、何の曲にする?」と、ユウトが候補の曲の楽譜を見せながら問いかける。

「私は楽しい曲がいいわ、ほら、これとかどう?」

 そう言いながらニーナが指さしたのは、『至福の朝』。アップテンポで乗りの良い曲で、二年ほど前に都で流行ったというものだ。

「僕はアリアに訊いたんだけど。ニーナ、いつもその曲ばかりやりたがるよね」

「だって、一番楽しいじゃない」

 また言い争い始めた二人に、アリアは、あの、とおずおずと声を掛けた。

「この曲なら入りの位置さえ合図貰えれば、歌えると思うわ。あんまり自信はないけど、やってみる」

 アリアは流行りに詳しい方ではないが、この曲はリーゼルが特に好きだというので覚えて歌ってみせたことがあった。アリアにとっては教会時代の思い出の曲だ。

 ほら、と勝ち誇った顔をするニーナ。ユウトはむくれながらも、それなら、と了承した。


 前奏はユウトのピアノから始まる。軽やかにリズムを刻んだのち、ニーナのサックスの音が華々しく曲を飾る。込み入ったアレンジを自由に鳴らすニーナの音に、自然とアリアの気持ちは高まっていく。ニーナが入りの合図を送り、アリアはそれに合わせて歌いだした。

 ユウトとニーナの音に合わせて、自らも即興で少しアレンジを入れつつ、眩い朝の光をイメージして歌っていく。だが、アリアは途中で、三人のテンポがずれ始めたことに気付いた。

 おそらく、ニーナが少し走り気味になっていて、でもユウトはそれに合わせずに一定のテンポで弾いている。アリアはといえば、ニーナのテンポにつられて、少し焦ったような歌い方になってしまっている。ユウトの刻むリズムに必死で耳を傾けるも、やはり先走るニーナと噛み合わず、どうも上手くいかない。

 結局、一番の終わりでユウトが演奏を止め、三人のセッションは中断になった。

「ニーナ、いつもと同じところでテンポが乱れてる。ちゃんと他の楽器の音も聞いてっていつも言ってるでしょ」

 ニーナはきょとんとして、「私ずれてた?」と首を傾げた。

「この構成だとニーナが主役じゃない、聞き手が聞きたいのはアリアの歌だろ。だからいつも通りニーナに合わせるのは止めたんだけど、どんどんずれていくし、アリアもつられるし、これじゃせっかくの曲も台無しだよ」

「いつもはみんなが合わせてくれるから気付かなかった! 人と合わせるのって、難しいのね」

 神妙な顔で頷くニーナは、自分から組みたいと言ったにもかかわらず、どうやら二人に合わせようとすらしていなかったらしい。人を巻き込んでおきながら、なんと自分勝手なのだろう! アリアは呆れて何も言えなかった。


「そう、それで結局最後まで合わなかったのよ。私、あの子たちとやっていける気がしないわ」

 次の日になって、アリアはエリスに街の大聖堂まで案内してもらいつつ、そんな弱音を溢していた。

 エリスはそんなアリアに、少し驚いた様子だった。

「アリアが人と上手くやっていける気がしないだなんて言うの、珍しいわね。それほど型破りな子なの?」

「そんなに珍しかないわよ。新しい声楽の先生だって、私、すごく苦手で、今すぐにでも逃げ出したい気分だもの」

 ニーナの方はそのうち飽きて止めてくれると思うけれど、指導の方はそうもいかないから困るわ、とアリアはがっくりと肩を落とした。

「まあ、良くも悪くも個性的な人が多いわよね、この街。芸術家って、どこか変な人が多いのかも。アリアもそうだけど」

「もう、エリスったら、ひどいわ。私を一緒にしないでよ」

 そんな軽口を叩き合いながら歩いていくと、街のランドマークとも言える大聖堂が見えてきた。

 遠くから見たときも存在感があったが、近くで見ると圧倒的なその美しさに、アリアは思わず息を呑んだ。

 この街のどの建物よりも高く、大きく、まるで城のように威風堂々としており、白壁や屋根や窓など、至る所に、細かで荘厳な彫刻が施されている。

 あまりの感動に立ち止まってしまったアリアに、エリスはふふ、と微笑んで、

「素敵でしょう。故郷の教会もこじんまりとして落ち着くけれど、ここは神聖で華やかで、いつ見ても圧倒されるわ」

 その言葉にアリアは深く頷いた。


 中に入ると、さらに繊細な彫刻やシャンデリア、幾何学模様のステンドグラスに宗教画と、一層豪華で美しく、それでいて厳かであった。ダークブラウンを基調とした内装が、この聖堂の空気を静謐に湛えている。

 二人はミサの時間を静かに待ちながら、その美しい空間を心行くまで楽しんだ。そして、ミサが始まれば、聖歌を口ずさみ、聖典の言葉に耳を澄まし、神への感謝を捧げた。それは尊く、心が浄化されるような時間だった。

 司祭のありがたい言葉を反芻しながら、アリアは苦手なカミラやニーナとも、真摯に向き合わなければ、と己を省みた。悪魔に唆され、楽な道を選んではならない、と。


「とても充実した時間だったわ。大きな場所で少し落ち着かないかもしれない、とも思ったけれど、場所が変われど、本質は同じだものね」

 アリアがしみじみとそう言えば、エリスは真剣な顔で頷いた。

「ええ、神に祈りを捧げ、感謝するのは同じだものね。……でもときどき寂しく思うわ、この豪華で立派な場所にいると、どうしてか思い出の教会が輝いて見えるの」

 いつでも真っ直ぐに前を向いているように見えるエリスでも、故郷を想い寂しくなることがあるのだ。アリアは少し驚いてエリスを見た。エリスは、遠く故郷の方を眺めているようだったが、すぐにアリアの方を向いて、快活に笑った。

「でも、寂しがっている余裕なんかないわよね! お互い頑張りましょう」

 ええ、とアリアも笑みを浮かべた。寂しがる余裕なんかない。次にみんなに会える時には、きっと胸を張って会いたいから。


 数日後、音楽教室でのレッスンが、いよいよ本格的に始まった。

「レコード、聴いてきたのね。気に入ったものはあった? 三枚選んでみなさい」

 カミラに言われるまま、アリアは三枚のレコードを、少し悩みながらも選んだ。

 一枚目はもちろん、エルヴィーラの『青い鳥』。二枚目は『ザッハトルテの休日』という、ジャズバンドによる洒落た曲だ。自然と体が揺れるような心地よいリズム感と、様々な休日の過ごし方を歌う歌詞が面白く、アリアのお気に入りだった。三枚目はメリッサ・コーネインの『心に咲く花よ』。苦しい旅路に寄り添うような、優しく勇気づけられるような曲で、都に出てきたばかりのアリアの心にもよく響いた。

 選んだ三枚をカミラに渡そうとすると、彼女は首を横に振った。

「その三枚、あげるわ。じっくり聞いて覚えて、これから一曲ずつカヴァーの練習をしましょう。あと、この間楽譜を受け取った『月のワルツ』、添削したから一緒に見ましょうね」

「え、良いのですか? サインも入っていて貴重そうなのに」

「いいのよ、教え子には『あなたの後輩の育成に使う』と言ってあるから。……今日は『月のワルツ』に時間を掛けましょうか。これから教えることを踏まえて、また新しい曲の構想を考えてくることを課題にしましょう」


 カミラのレッスンは、目から鱗が落ちるようなものばかりだった。アリアの曲の、変化があまりなく抑揚がはっきりとつかないという問題を、カミラは少しの工夫で耳に残るメロディーに変えて解決してみせた。

「すべてを自分の中から生み出すなんて無謀よ。他人の作品、古い楽曲、流行りの歌、そういうものをよく研究して、自分のものにするの。自分の表現したいものとその表現が噛み合っているのか、見極める必要もあるわ」

 アリアはなるほど、と頷きながら、カミラの言葉を逐一メモに取った。カミラのことは怖いと思っていたが、言っていることに説得力はあるし、論理的だ。いちいち「何が大事だと思う?」「どうするべきだと思う?」という質問を投げかけてくるのには慣れなかったが、それも自分で考えて表現する力を磨くためなのだとわかって、よく考えるようになった。

 考えない、ということが罪なのだとカミラは言った。

「この世界で一番大切なのは、思考を止めないことよ。止めてしまえば表現するものとしても終わる。考え続けるのよ、正解に辿り着けなくても、百考えれば凡才でも一くらいは良いものが出来るわけだから」

 それがカミラのポリシーだった。アリアは、その言葉をメモに大きく書き、二重線を引いた。


 レッスンが終わり、少し時間が余っているのを確認して、アリアは思い切って一つの疑問を投げかけた。

「あの、不躾な質問で申し訳ないのですが。……ベルネットさんとカミラさんは、どういった間柄なのですか」

 アリアは、カミラがベルネットを「音楽家のなりそこない」と言ったことがまだ引っ掛かっていた。どういう意図で、彼女はベルネットの何を知って、それを口にしたのだろう。それを聞かないことには、この燻りは収まらないと思ったのだ。

 煙に巻かれるかと思いきや、意外にもカミラは、あっさりと答えてくれた。

「ベルネット……ジルヴィアは、学校時代の後輩なのよ。犬猿の仲だったけどね」

「音楽家のなりそこない、って、どういう意味ですか」

 ああ、それね、とカミラは苦い顔をして、こう言った。

「ジルヴィアは、もともと歌手志望だったのよ。あるきっかけで、辞めてしまったのだけど」

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