17.ファミリー

 その日、静子は結局日直の雑務で終日教師に捕まっていて、一緒に帰る事ができなかった。仕方がないので、ひとりバスに揺られて帰宅した。


 家に帰ると、珍しく父と母が両方共先に帰ってきているようだった。──こんなに早く二人が帰ってきているのは何ヶ月ぶりだろうか?


 私の家は作りの古い家だから、玄関から居間までけっこうな距離がある。戸を明けたくらいでは誰かが来てもわからない。それで普段は「ただいま」の一言をかけるのだけれど、今日は玄関を開けたら、それよりも早く両親たちの怒声が聞こえてきたので、言葉を飲み込んだ。


「君は、いつからそんなお金にがめつくなったんだ!」

「がめついだなんて嫌な言い方やめてよ! お金は大事でしょ? 深の費用だってあるんだし、老後のことを考えたら、あって困るものじゃないでしょう」

「それは君が無駄遣いしなければ、十分に足りるじゃないか!」

「稼げているんだから、使ったっていいじゃない!」

「そういう話じゃない!」

「そういう話よ!」


 父はフリーのプログラマーで、そこそこの高給取りだ。母が専業主婦をしていた頃は、それだけでうまく家がまわっていた。

 ただ元々、母も仕事がしたい人だったから、私が中学に上がった頃から、古いツテを頼って市街地のそこそこのベンチャー企業に再就職をした。そして、いつからか、母は仕事にかかりきりになって、気づけば父と衝突するようになった。


 二人とも、普段は極めて合理的な性格だと思う。けれど、その合理的な考え方は、父と母で微妙に違うのだ。

 私が知る限り、衝突の原因はこの家の建物自体にあった。


「誰も住まない家を維持したってしょうがないじゃないか」

「この家は私の思い出がつまっているの、だから売らない。そもそも、このままあたしたちが住めばいい話でしょ?」

「この家は遺産なんだから、親族に分配しなきゃいけないんだ、その話はどうするんだよ」

「それは、あなたと私の給与と貯金をあわせれば、今ならどうにかなるでしょ? 足りない分は兄さんに待ってもらってもいいし」

「家だけのために身内にローンをするなんて馬鹿げている、そもそも僕は来月から市街地にマンションを借りたばかりなんだぞ、せっかく家族三人でそこに移ろうと思ったのに」

「勝手に決めないでよ、深もあたしもそっちには行かないわよ」

「君はともかく、深はどちらかを選ばせるくらいのことはしないといけないだろう」


 私は、廊下からこっそりと話を聞いて思う。この流れだと、別居になるのでは?

 私は、勝手に決めるな、と小さくつぶやいて、音を出さずに自室へ向かった。部屋で着替えていると、お父さんが家から出て行く気配を感じた。駐車場から車が出てゆく。

 そして、私の部屋を母がノックをした。たぶん、玄関にあたしの靴があったことを確認したからだろう。


「深、帰っていたらないいなさい。ご飯は?食べるの?食べないの?」


 それは、いつもの声のトーンのお母さんだった。 


「たべる、今行く」


 私は返事をすると、居間に向かった。

 もう数え切れないほどの、母と二人きりの食事。父は、開発が立て込むと、夜勤することが多々あった。それでも、小学校くらいまでは、父は仕事場からこっそり携帯の無料通話の音声をオンにして、食卓に参加することがあった。

 今では、そんなこともしなくなった。リビングには、ただバラエティ番組の乾いた笑いが響いていて、それをBGMにして黙々と食事をする母娘がいた。


「ねえ深」

「……ん?」

「あなた、部活やめたっていったじゃない?」

「……うん」

「それで、次はどうするの?ずっと帰宅部じゃないっでしょ?」

「まあね」

「将来のこと、どう考えているの」

「……どうって、ちゃんと考えているよ。ちょっと悩み中だけど」


 嘘です。実は、とっかかりすらつかめていない。


「高校二年といったら、そろそろ卒業後のことも考える学年だからね、深が将来やりたいことがあるなら、バックアップするからちゃんと知らせなさい?」


 正直その話自体はありがたい。けれどまだ何も決めていないのだ。


「わかってるって」

「ちゃんと広がりのある将来を選ばないと苦労するから」

「うん」

「前にもいったけれど、好きなものに専念するのが一番はやく未来を引き寄せることができるのよ」


 意識高いモードに入った母はちょっとうっとおしい。それほど意識が高いタイプではない私には、単なるプレッシャーにしかならない。


「静かにたべたら?」

「あらごめんなさい」


 すると不意に、食卓に置いた私の携帯にメッセージが着信する。チラリと画面をみると、それは芽衣からの連絡だった。


「?」


 私は、お茶椀とお箸を手にしたまま、腕を伸ばして小指でメッセージをタップすると、特定非営利法人ウラカンのPRサイトに飛んだ。途端にプッシュ広告が立ち上がり、音声が流れる。


『私たち特定非営利法人ウラカンは、変異因子を持つあらゆる人たちの味方です。私たちは社会活動を通して、広く因子保持者の差別撤廃を試み、権利の拡大を主張するために日々活動しています。もしご興味のある方は、ぜひともわが団体への参加を』


「げ」 


 私は、あわてて、携帯を手にとる。画面をロックする。


「なにそれ」

「スパムだよ、迷惑だなぁ」

「……あんた、変な団体に参加しようとなんてしていないでしょうね」


 こういうときの母のカンは鋭い。昔から母は、突然エスパーめいた透視力で、物事を見抜くことがあった。


「いや、しないから」


 私があせって携帯を持て余していると、母は腕をのばして、携帯を掴んで私から取り上げた。そしてロック画面上の通知情報を見る。


「ウラカン?……」

「ちょっ! なにしてんの! 返して!」


 私は母から携帯を取り上げる。


「そういうのやめなさいよね」

「何でさ!」

「そういうの、あなたの未来を狭めるのよ」

「……」


 母は、ウラカンというのが何か知っている風でもあった。

 そもそも、私はその非営利法人とやらに入るつもりはないけれど、なんとなく、母の口調に反抗的な気分になる。先程の母と父のやり取りを盗み聞きした後だからかもしれない。


「あたしがどこで何をしようと勝手でしょ」

「勝手に出来るわけ無いでしょ? あたしは親なんだから、知っておいて助言しなきゃいけないこともあるのよ」


 理屈ではわかる。けれど納得行かない。好き勝手しているのは親だって同じではないか。私は、思い切った言葉を返した。


「は? お母さんだって勝手してるじゃん?お父さんと勝手にやりやって、喧嘩して、二人の関係おかしくなってるの、あたしにバレてないとおもってるの?」

「……!」


 母は黙った。


「ごちそうさま!勉強するからもう部屋行く」


 私は、逃げるように居間を後にした。ようするに勝ち逃げだ。

 私は口喧嘩で母に勝てた試しがない。母は喧嘩になると、ロジカルに詰将棋のように相手を追い詰める。話をしていてけっこうしんどいのだ。それはたぶん、母が蛇の変異因子をもっているせいで、だからねちっこいのだと、私は勝手に思っていた。

 もっとも私と同じステージ一だから、外見上は何もわからないけれど(ちなみに、父は雉の因子を持っている。雉と蛇の子が蛤の私なのだ)。


 私は自室に入るとベッドに寝転んで考えた。

 確かに母のいうとおり、このままではいけないのだろう。


「好きな……事って言われてもねえ」


 好きといえば、葵という少年が頭に浮かぶ。

 いやいやいや、訂正しなきゃ。気になる、と好きは違う。


 葵には、今日目撃した土浦くんらしき幻の話について相談しようかと思ったけれど、真知山芽衣の勧誘や、両親の喧嘩の件もあって、どうも気分が乗らなかった。

 人間、ポジティブな事をするためには、なんだかんだとエネルギーを必要とするのだ。

 結局その日私は、特に何をすることもなく、ふて寝をしたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る