14.ムラサキツバメ

 昼休み、私は幻視した土浦くんの話を葵にしようと、隣の二年二組を覗き込んだ。

 しかし、葵はいなかった。──朝はいたのに。他の生徒に聞こうかとも思ったのだけれど、特に知り合いもいないことから気が進まない。


 せめて水泳部の仲間でもいればよかったのに、生憎二年二組に、葵以外の知り合いはいなかった。結局私は、教室の前をウロウロした後で、だれに話しを聞くこともなく引き上げた。


 また機会はあるだろう。今晩あたりメッセンジャーで連絡したっていい。そう考えて、いつもの通り昼ごはんを食べるために、静子を迎えに向かった。


「ごめん! あたし今日、日直でさ、先生に連れ回されてやることあって、ちょっと食べるの後になる!」


 静子はすごい勢いで、手を合わせて詫びてきた。私は、一人ごはんが嫌なので、静子に提案した。


「じゃ、食べるの待ってようか?」

「え、ほんと? 終わったら行くから、どこにいる?」

「んー」


 私は応える。


「……図書室」

「図書室? なんで?」

「調べもの」

「へえ、まあいいや、わかった。じゃあとでね!」


 静子は、教師に連れられて、行ってしまった。

 そんな訳で、葵に会えず、ご飯も静子が来るまでお預けになった私は、別棟にある図書室に向かう。空腹で鳴くお腹を無視して、昆虫図鑑をあさることにする。


 図書室は、昼休みの早い時間には誰もいない。司書教諭も不在だ。しかし、司書に聞くまでもなく、虫の図鑑はすぐに見つかった。一方、蝶の数は膨大で、葵に似た蝶は、すぐに見つかりそうもなかった。


 大判サイズで分厚い昆虫図鑑。今の時代、インターネットを使えば探せなくもないとも思うけれど、あいにく私の携帯電話は画面が小さい。家に帰ればお父さんのPCはあるけれど、帰るまで待つのも億劫だ。それに、なによりも、出来るだけ大きな絵で確かめたいのだ。

 私は、そう思って、図鑑のページをめくった。


 葵の翅は、紫色で黒褐色に縁取りされていて、その所々に蒼い斑がはいった翅だ。それから、覚えているのは、二枚それぞれの翅の後部にしっぽのような突起があること。

 私は、似たような翅がないか探す。目の前で広がっていた葵の大きな翅を思い浮かべ、図鑑と照らし合わせる。すると何十頁か進んだ後で、ふと手が止まる。


「……あ?」


 それは、ムラサキツバメと呼ばれる種類の蝶だった。

 ヒマラヤ地方から中国南部、マレー半島、台湾、そして日本にも分布している、個体数の多い蝶の種類だという。私は、改めて自身の記憶力に驚いていた。かなり鮮明に葵の翅をおぼえていて、それが写真の蝶にピタリと当てはまる。

 携帯でページをカシャリと写真にとった。


 それから、まじまじと蝶を見つめる。指でなぞる。──ムラサキツバメ。


「天ヶ瀬先輩、何みているんですかぁ?」


 聞いたことのある声が私を呼んだ。振り返ると、真知山芽衣が背後に立っていた。

「……何でいるの?」

「……たまたま通りがかったら見かけたんで、声をかけてみましたぁ」


 芽衣は、男子ならすぐ堕ちるんじゃないか、というような屈託のない笑顔とセットで私に話しかけてきた。

 しかし私は女子なので皮肉を返した。


「何、ぼっちなの? 図書室に一人で来て」

「なっ、先輩にそういうこと言われたくありません。先輩だって一人じゃないですか」

「あたしは静子と昼ごはん待ち合わせてるの」

「あたしだって、ご飯を食べ終えて、本を返しに来ただけです」


 見れば、司書机の上に、さっきはなかった数冊の本が重ねられていた。「差別と共生の社会学」「市民運動における主体性」「政治ができる本当のこと」って、随分硬い本読んでるなぁ。


「……それで蝶の図鑑ですか? 興味あるんですか」

「ん……まあ、なんとなく」


 それにしても、名簿なり図鑑なり、そういうものを見ていると、最近はよく人に話しかけられる。

 芽衣は興味深そうに図鑑を覗き込む。私は、なんとなく図鑑を閉じた。芽衣がすこし残念そうな顔をする。


「あたし、もう見終わったから……見る?」

「いえ、いいです……」

「興味あったんじゃないの?」

「いや、図鑑を見てちょっと思い出したんですけど、こないだ怪人の事件あったじゃないですか?」

「……うん?」


 どの事件だろう?私が橋に葵といた時? それともバスの時? それともショッピングモール?


「蜂の怪人が目撃された時の話です」

「ああ」


 私が同意すると芽衣はニヤリと笑った。


「……そのほかにも、もう一つ目撃情報があったんです。それが蝶の怪人だったらしいですよ」

「へー……そうなんだ」


 それは間違いなく葵だと思ったが、私は知らないふりをした。


「先輩もこないだ怪人に会ったって言ってましたよね?」

「えっ……うん……あたしが会ったのは、真知山がいうその蜂だよ。検問で警察の人と話してたら現れて、特殊保安官ネイティブガーダーがすぐに追いかけてた」


 芽衣は特殊保安官ネイティブガーダーという言葉に反応して嫌そうな顔をする。


「あたし、特殊保安官ネイティブガーダー嫌いなんですよねー……先輩どう思います?こないだバスでは身を乗り出して見てましたけど」


 芽衣は言いながら、私の隣の席に座る。


「どうって?」

「横暴じゃないですか? 怪人化した違法な変異者ヴァリアントを取り締まるという名目で、好き放題するし」


 私は、検問で一般車を踏みつけにして移動する特殊保安官ネイティブガーダーの事を思い出した。


「んー、そりゃ多少そういうところあるよね」

「ですよねー!」


 芽衣は私の同意にすぐ乗ってきた。


「一方で、変異者ヴァリアントって別に罪を犯していなくても、やたら辛い思いばかりしていて、大変だとおもいませんか?」


 変異因子保持者の私にしても、なにか思うところが無いといえば嘘になる。

「うーん、それもそうかな」

「で、怪人結社は、そんな変異者たちヴァリアンツを保護して、地位向上と差別撤廃をうたう社会貢献度の高い、とてもよい集まりだと思うんですよね」


 どうやら、話は予想外の方へ展開しそうな様子だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る