女子高生と幻の蝶

12.浅葉葵と幻想の景色

 高校生の日常なんてものは、本来そうそう事件が起こるものでもない。

 こないだの望海先輩の女装目撃事件なんてものは、極めて例外中の例外だと思う。普通は、決まりきった日々が交互にやってきて、その中でカリキュラムに沿った物事がコツコツと少しずつ進むだけだ。だから、多くの人は、その退屈を埋めるために、色々と日々の予定を埋めるのだろう。


 部活を辞める前までの私の日常は、朝練にはじまって、授業があって、放課後はまた部活という一分の隙もないものだった。──ただ、部活を辞めてからは、ちょっと持て余している。

 特に午前中については、早く起きる癖がついてしまって、どうにも空回りしている。それで、朝練のなくなった今日の朝は何をしていたかというと、こないだ静子にもらったうちの学校の名簿を自室でずっと見ていた。葵を探す為に。


 無理でも無駄でも、ついやってしまうのは、暇だから、というだけでは説明がつかないだろう。認めたくはないけれど、やっぱり私は葵が気になっていたのだ。これがまた、やりはじめたら、どうにも癖になる作業で、名簿とペンを片手に家を出てると、そのまま通学途上のバスの中でも、名簿を見て葵の名前を探していた。


 浅葉葵、あさばあおい、アサバアオイ。


 全校生徒二年生の真ん中くらいまでチェックが進んだのだけれど、まだ葵の名前は出てきていない。そもそも、うちの学校ではないのかもしれない。そう思っていた所で、背後から私は名を呼ばれた。


「深、何してるの?」


 誰だったか、私は聞き覚えのある声に顔をあげた。


「……?」

「バスん中でさ、そんなもの読んで酔わないの?」


 その声の主は、私が名簿上で探していた、浅葉葵だった。


「葵っ?」


 思わず裏声になった。


「何、それ、なんだよその驚き方」

「や、だって……」


 私は葵を見返す。彼が着ているのは、陽光学園の男子制服。


「おはよう」

「……おは……よう、って、やっぱり学校同じだったの?」

「あれ、言わなかったっけ?」

「聞いてない……それに、通学路まで同じだとは思わなかった」

「普段は別の路線なんだけどね、今日は気分転換。そうしたら深がいた──何をしていたの? 名簿?」

「え、うんちょっと……」


 その質問で、私は無駄に鼓動が早くなった。探していた本人が目の前にいるのだ。なんて事情の説明しづらい状況なのだろう。


「どうしたの?」

「……きゅ、急に現れたからびっくりしたんだよ。てか、何年なの? あたし二年だけど」

「俺は二年だよ。二年二組」

「えっ、あたし三組だから隣じゃん!」


 ── 前にグラウンドでみかけたのは、じゃあ葵だったのかー!? でもあれ以来みかけなかったし、幻かと思ったくらい。って、何をしどろもどろになっているんだ私は。


「ここんとこ休みがちだったからね、実際僕が学校にいるのはレアだよ」

「そうなの? 何かあったの?」

「ちょっと忙しかったんだよ」


 葵は何かをはぐらかした。私は質問を選ぶ。


「……部活とか、なにやってるの?」

「部活? どこにも入っていないよ?」

「えっ」


 わが校はどこかの部活に所属しなければならない。無所属なんてことできないはずだけれど。


「本当はいけないらしいんだけどね、休みがちで、ずっと先生の文句を無視してたら、そのうち何も言わなくなったんだ。忘れたか、呆れたか、その両方かも」


 葵はお日様ような笑顔と一緒に言葉を返してきた。私は何故か照れる。


「それよりさ……」


 葵は、話題を変えて私に顔を近づける。顔が近くて、私は思わず身を引くが、窓際なので逃げようがない。


「こないだのこと……黙っててくれているかな?」


 葵は、小声で不安そうに聞いてきた。それは、いつか自転車で一緒に帰ったときのことを言っているのだろう。


「……誰にも話していないから」


 いや、静子には話したか。全部ではないけど。ただ、蝶の怪人の話は一切していない。誰にも。


「そう、よかった……あのさ、申し訳ないけどさ、引き続き、秘密ってことでお願いしたいんだ」

「言わないよ……私だって言ったら、どうなるかわからないんだから」

「そうか、そうだよね」


 まったく、最近の男子は、秘密が多い。葵といい、望海先輩といい……。


「あ、あともう一つ、聞きたいことがあった」

「何?」

「体調はどう? こないだ俺の水を飲んだじゃん? ずっと気にしていたんだ。何かあったらやだなーって。それでちょっと探してたんだ」

「探してたの? 私のこと」

「うん」


 私は、葵の私への興味を知って、すこし胸が高鳴るのを感じた。──いやいや待て私、それはちょろすぎでは?


「一回だけ、ちょっと変な幻を見たけど、それっきり……特に何もないよ」

「ほんとに?」

「うん」


 バスはほどなくして、陽光学園前に到着する。他の生徒たちに混じって、私たちはバスから降りた。


「じゃあ、大丈夫ってことかな。良かった」


 それから、校門へ向かう。特に何を話すわけでもないが、並んで歩く。私はふと疑問を抱く。なぜ名簿に名前が無かったのか?


「あのさ、葵てさ、ひょっとして学校だと名字ちがったりする?」

「なんで?」

「丁度、二年の名簿を……その、訳あって見ていたんだけど、葵の名字が無かった」

「ああ、おれ学校だと塚本葵なんだ。浅葉は養父母の名字」


 塚本葵は、確か名簿のどこかで見かけた気がする。あれが葵だったのか。養父母の名字であることについては、なにか事情がありそうだった。なぜならば、葵が名字を話題にあげたとき、顔が曇ったから。──それきり、互いに黙り込んでしまって、話が広がらなくなってしまった。

 そして、私の心に不安が広がる。


 あれ? このまま別れたら、せっかくの再会は、これっきりになってしまうんじゃないか?


 せっかく、再会できたのに。せっかく、ウチの学校だったのに。このまま別れてしまったら、その後で、どうやってまた話をすればいいの?別に、クラスがわかっていれば、挨拶ついでに会いに行って話す位はできる?


 いや、無理でしょ。葵とは別クラスだ。


 男子に、わざわざ別のクラスから挨拶をしに来る女子。周りが見たらなんて思うか。変な噂でも立ったら、いろいろと面倒だ。

 何かもっと、直接……考えろ、私。


「どうしたの?」

「えっ、えっとさ」

「うん」

「その、水の件でさ、また何かおかしなことになったらどうすればいい?」

「え?」

「また何かとんでもない幻をみることがあったら、連絡したほうがいい?」

「とんでもない幻?」

「いや、そんな事……無いかも知れないけどさ、何かあったら、どう伝えればいいかな?」

「じゃあさ、連絡先でも交換しとく?」

「……うん」


 それから、私は秒で携帯を取り出して、連絡先を交換した。


「それじゃね」


 葵は、いつかとおなじように、あっさりと去っていた。なんていうか、私は朝っぱらからどっと疲れた。

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