ひとりぼっちのきなこ場

みやふきん

第1話

 冬休みになってしばらくしたら、つい口ずさんでしまう。もういくつ寝るとお正月。わたしはお正月も好きだけれど、年の瀬のほうがもっと好きだ。とりわけ好きなのがお餅つきなのだ。

 お餅つきの前の晩、家中のボウルをかき集める。それでも足りないので隣に住むおばあちゃんちのも借りに行って、それらにもち米と水を量って入れて浸しておく。台所中にボウルがいっぱい並べてある。もうそこからワクワクが始まっているのだ。

 二十八日の朝は、朝早くから親戚のおばちゃんが集まってくる。お父さんのお兄さんのお嫁さんたち三人だ。三人のおばちゃんは家から持って来たこじゅうた(※注1 餅を入れる浅い木箱。詳しくは末尾に記載)をテーブルに置くと、エプロンをして頭に三角巾もつけて、それぞれに決まった場所につく。

おばあちゃんはもっと早く家に来ていた。割烹着に手ぬぐいのほっかむり姿で、台所の床に二台並べて置いた餅つき機の前で、踏み台に座っている。お母さんは台所のシンクでもち米をザルにあげて、餅つき機まで運ぶ。おばあちゃんが受け取って餅つき機にもち米を移した。これからもち米を蒸すのだ。すでに一台めの餅つき機ではもち米を蒸しているようで、白い蒸気が出ていた。

 まだこの時間は面白くない。餅つき機のブザーが鳴るまで、わたしは居間でテレビを見て待っている。音が聞こえるように台所のガラス戸は開けたままにしておく。台所から親戚のおばちゃんたちのおしゃべりの声が響いてくる。テレビの音が聞こえないけど、ただの暇つぶしだから我慢しておく。おばちゃんたちの話の輪に入らないための口実だから。

 けたたましいブザー音が聞こえた。わたしはテレビを消して台所へ駆けつける。おばあちゃんが餅つき機のこねるスイッチを押したところだった。餅つき機の中の蒸した米がもぞもぞと動き出した。やがてそれは塊になり、ばふんばふんと勢いよく回り出し、表面は滑らかになっていった。ほどよい硬さになったところで、おばあちゃんが餅つき機のスイッチを切った。

 すでにお母さんが餅取り粉を敷き詰めたこじゅうたを持って待っていた。餅つき機の中の餅を取り出してこじゅうたに移すと、お母さんは一呼吸も置かずに、おばちゃんたちの待つテーブルまでこじゅうたを運ぶ。すぐに鏡餅が作られる。もう一台の餅つき機でつきあがったのも同じように鏡餅用だ。

 まだわたしは鏡餅作りには手を出せない。ただ、おばちゃんたちが作るのを見ているだけだ。あともう少し待てば自分の出番がやって来る。わたしはまたテレビの前に戻った。

 ブザー音が聞こえると、わたしは台所にすっとんでいった。手洗いを済ませて粉も手にまぶして、お餅がつきあがるのをおばちゃんたちと一緒に待ち構えていた。おばちゃんたちはこじゅうたに餅とり粉を敷き詰めて準備は万端。さっきまで餅つき機の前にいたおばあちゃんがわたしの隣にやって来た。餅つき機の番はお母さんに変わっている。

 再びブザー音がして、おばちゃんたちが餅つき機のところへ急いでこじゅうたを持っていく。ほどなくこじゅうたがテーブルに運ばれてくる。おばちゃんたちはすぐにお餅を大きく四つにとりわけて、それぞれの前に置いた。おばあちゃんとわたしで一つの塊だ。

 「こうやで」とおばあちゃんは人差し指と親指で輪っかを作って教えてくれる。おばあちゃんと同じように右手の指で輪っかを作って、左手はお餅を押さえて、つきたてのやわらかいお餅の塊から、お餅ひとつ分を掴み、指を握りこんでちぎる。ちぎった一塊を両手で挟んで、手の中で転がして丸める。ぺたんとつぶして平らにして形を整える。

 できあがった丸餅は、おばあちゃんのきれいな丸にくらべて、わたしのはいびつな形になっている。それでもお父さんの名前の書かれたこじゅうたに入れて並べる。

 わたしがひとつお餅を丸めているうちに、おばあちゃんは三つくらい丸めていて、向かいのおばちゃんたちの前にある塊はもうなくなりかけていた。

 そうこうしているうちにブザーが鳴って、私はまた餅つき機の中でお餅ができていくのを眺めにいくのだった。

 そんなことを何度か繰り返すうちに、親戚みんなが食べるお餅もほとんどできあがった。いよいよわたしがいちばん楽しみにしているあんこ餅を作る時がやってきた。テーブルの上に置いていたタッパーをおばあちゃんが引き寄せた時がその時だ。

「ほな作ろか」

おばあちゃんはわたしに向かってにっこり笑う。わたしがあんこ餅を好きなことはわかっている。

 あんこ餅はおばあちゃんしか作らない。わたしは去年も作らせてもらったけど、まともに包めなくて、結局おばあちゃんに手直ししてもらった。今年はもう少しうまくできるようになりたい。

 丸餅と同じように丸めてぺたんと平らにしてからがむずかしい。お餅を指で外側に広げて大きく薄くしていく。薄くしすぎると破れてしまって、あんこがはみ出てしまう。わたしはこれで失敗してしまう。タッパーにはすでに丸めたあんこが入っていて、それをつまんでお餅にのせて包んでいく。最後、口を閉じる時が肝心だ。ひねって開かないように閉じるのだけど、きれいに出来なくてでべそみたいになってしまう。結局今年もうまくできなかったけれど、おばあちゃんは「あんばい出来たで」と言ってくれた。そしてわたしが作ったあんこ餅をおばあちゃんが食べ、おばあちゃんが作ったあんこ餅をわたしが食べる。つきたてのやわらかいあんこ餅は格別だ。一家族に人数分しか作らないあんこ餅は、二十八日限定品。わたしとおばあちゃんがあんこ餅を頬張っているうちに、おばちゃんたちは手早く後片付けを済ませていた。お餅はこじゅうたに入れたまま、一家族につき二つ重ねてそれぞれの家に持ち帰られる。鏡餅は飾られ、食べるぶんはビニール袋に入れられて、お正月まで冷凍室に仕舞われる。


 お正月の朝は、まずおせちをつまみながらお雑煮を食べる。本当はそれよりもお餅だけが食べたいのだけど、お正月の習わしでもあるし、お正月気分にもなるし、楽しみはほんのすこし先延ばしの方が喜びもひとしおになるからと思って食べる。白みそ仕立ての汁の中に沈むお餅をお箸で探りあて、口で挟んでひっぱるとぐんぐん伸びる。誰かとお餅を引っ張りあいっこしてどれだけ伸びるか見てみたい、なんて想像をしながらもぐもぐと口を早く動かして無言で食べる。食べ終えたらお母さんが「お餅食べる?」と声をかけてくれるからだ。汁椀がからになる頃、「お餅食べる?」と言ったものの、誰の返事も待たずにお母さんはお餅を茹ではじめる。もうみんな食べると決まっているのに、いつもお母さんは訊く。それは合図のようなものかもしれない。

 水を入れた鍋にお餅を沈めて、ふつふつしたら火を弱めて茹でる。すでにきなこはタッパーに入れて準備されている。大晦日にきな粉と砂糖を混ぜ合わせるのがわたしの役目だった。

 茹で上がったお餅をお箸で取り出してタッパーのきなこへ移す。それはまるで砂場みたいなきなこ場。おもちを何度もひっくり返してきなこをまぶす。ひとつ終わればまたひとつ、次々にお餅はきなこ場へ入っていく。我が家ではお餅といえばきなこ餅だった。家族みんながきなこ餅しか食べない。

「はいどうぞ」

 お母さんからきなこ餅のお皿を手渡されて受け取り、目の前に置く。改めていただきますと合掌してから箸をのばす。お箸で掴むときなこがほろほろとこぼれ落ち、口へ運んだお餅はやわらかく、甘く、それでいて香ばしい。こぼれたきなこを何度もお餅にまぶしながら、幸せな気持ちであっというまにひとつ平らげた。その間にも父は二つ食べていた。兄は三つめを口に運ぼうとしている。お腹の具合と相談してまだいけると返事をもらったので、わたしはもうひとつお餅をお母さんに茹でてもらって、存分にきなこ餅を味わった。これがまだあと三日も続くのだと思うと、お正月は幸せでしかたない。でもずっと続いてほしいわけでもないのだ。かけがえのない三日間だからこそ尊いのだった。


*


 いつもの年末年始が違う形になったのは祖母が庭で転倒して骨折し、入院してからだった。親戚でのお餅つきの行事はなくなり、自分の家族が食べるぶんを餅つき機で作るだけの作業になった。もちろんあんこ餅も作らなくなって、わたしの楽しみは半減した。

そのうちに餅つき機が壊れてしまい、個包装のお餅が店に出回るようになったからと、餅つき機は買い直さなかった。それでもお正月にきなこ餅だけは欠かさず食べていた。あいかわらずきなこと砂糖を混ぜてタッパーに入れるのはわたしの役目だった。兄の進学でタッパーの大きさは少し小さくなった。兄は東京の大学へ行き、その後向こうで就職して忙しくてお正月に帰省することはなかった。

わたしは就職をして実家暮らしをしていたが、結婚をして家を出た。今年のお正月は帰省しなかった。夫の田舎への帰省を優先したからだ。帰省先で母から電話をもらって、祖母の訃報を知った。入院のあと祖母はずっと施設に入所していた。年に一度、敬老の日には会いに行っていた。去年も車イスで玄関までわたしを見送って、笑って手を振っていた。いつまでもそのままの状態が続くと思い込んでいた。

 三が日が明けてからの葬儀だった。普段集まることのなくなった親戚がみんな参列していた。そこで初めて夫を紹介した親戚もいた。葬儀場での葬儀のあと実家へ寄った。台所でお茶を飲んですこし話をした。父は末っ子だから葬儀には出ただけで、段取りはすべて長兄がしてくれたらしい。

テーブルにはまだ仕舞われないまま、きなこのタッパーが置いてあった。父と母は二人だけになっても変わらずに、お正月にはきなこ餅を食べているのだ。

今年のお正月は夫の実家へ行くと決めていたから、正月用の料理は何も作らずに、個包装のお餅だけを買った。夫の実家では手の込んだおせち料理をいただき、はじめてすまし仕立てのお雑煮を食べた。お餅は夫の家では焼いてしょうゆをつけて食べるのが習わしになっているらしく、わたしもそれをいただいた。香ばしくておいしいと思ったが、きなこ餅が恋しかった。

 葬儀から自宅へ帰って、一息つき、お腹が減ったから何か食べようということになった。わたしは「お餅食べる?」と口にしていた。何気なく出てしまったけれど、実家でタッパーを見てしまったからだろう。夫の返事も聞かずに、鍋に水を入れてお餅をひとつ沈めて火にかけ、ガスレンジのグリルにふたつお餅をのせて火をつけた。そのあいだに、持っているうちでいちばん小さなタッパーにきな粉と砂糖を入れて混ぜあわせた。

「それ、何?」と夫が訊く。

「きなこ場」

 わたしだけの言葉で答える。そのあとで補足する。

「きなこ餅のためのきなこの砂場みたいなもの」

 グリルではお餅がすでにこんがりと焼き色がつき、不格好にふくらんでいた。

「お餅二つでいい?」

 二つしか焼いてないのに夫に訊いてお皿にのせる。一つでいいと言われたら、わたしが食べてもいいと思っていた。醤油と一緒にテーブルへ持っていく。

 鍋の中のお餅は周囲がふにゃふにゃしてきていて、少し頃合いを過ぎたくらいだった。お箸でつまんできなこ場に移して、何度もひっくり返してきな粉をまぶす。もうこれ以上、きなこ場には誰も来ない。ひとりぼっちのお餅。

「いいね、きなこ場」

 そう言って夫が微笑んで見守ってくれるから、たとえひとりぼっちでも、ずっと、きなこ場は不滅だ。

 「おいしいね」

 わたしたちは向かい合って座って、それぞれにそれぞれのお餅を頬張って、噛みしめた。





※注1

《こじゅうた》


木製の長方形の木箱。深さは浅い。餅とり粉を敷き詰めて、つきたての餅を入れて使う。

麹蓋(こうじぶた)が訛ったもの。

主に関西圏でそう呼ばれる。

こじゅうたんと呼ぶ地域もある。


もともと麹蓋は日本酒の醸造工程で使われていた道具のひとつ。

もろぶたとも呼ばれる。

同じような木箱を、餅箱や番重とも呼ぶ。


ウィキペディア参照










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ひとりぼっちのきなこ場 みやふきん @38fukin

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