第3話猫又の尾も掴めずに唸る声

 翌朝、目が覚めると才造が傍に座っていた。

「目が覚めたか。」

 道ずれにされたかと思い込んでいた。

 致死性はなかったとは。

「毒を抜いてやったんだ。感謝くらいしたらどうだ。さっさとその手を洗ってこい。」

 起き上がると背中を叩かれた。

 致死性があったにしろ才造が毒抜きをしたおかげ、か。

 体はもう重くはない。

 あの様子だと、まだ夜影が死んでいることに気付いていない。

 夜影の細い首を締め上げた両手を見下ろせば、赤黒い血がべったりとついていた。

 乾いているようだが、違和感があった。

 血がつくようなことはしていない。

 引っ掛かれた手の甲には傷が残っているが流石に血は止まっている。

 立ち上がり井戸まで歩く。

 誰も何か変わった様子はない。

 気付いていないのならその内に此処から去ればいいのではないか。

 水で手を洗ったが、血はしつこく落ちてはくれなかった。

 何度も擦り水で流すも、薄くもならない。

「それ、落ちないんじゃねぇの?」

 井戸を挟んで向こう側、いつのまにか明朗という忍が立っていた。

「…これが何かわかるのか…?」

「俺ぁわかんねぇけど、それ付いてるもんなの?浮き出たもんなの?水にだって限界あるって。」

 浮き出た…?

 手の色が変わったのなら落とせるはずもない。

 血ではないのなら、なんだ。

「あ、冬獅郎!これ、何だと思う?」

「仕事しろ、仕事!何が、何だって?」

 掌を覗き込み、赤黒いそれを見た冬獅郎が目を見開く。

「…何処の誰を殺したら、こんな血がつくんだ。」

 冬獅郎が唸ってそう呟いた。

 確かに、血の色にしては可笑しい。

 血は此処まで赤黒くなるはずがない。

 夜影は首を締めただけで、血は流れなかった。

 可笑しい…。

「これ、水じゃ落ちないんだけどな。」

「血じゃない落ちない…とくれば病気か?手の色が変わるような。」

 顔を見合わせる二人に溜め息をつく。

 あの毒をくらったせいか。

 病気となれば…。

 才造の元へ行き、掌について問えば首を振られた。

「そんな毒も病気も知らん。それに、それ以上のことがないなら放っておけ。」

 才造からすれば夜影を狙っていた忍の些細なこれなぞどうでもよいのだろう。

 まだ、誰も、夜影の死に気付いていない。

 あの笑みを思い出し鼓動が加速する。

「…夜影なら、わかるかもしれんな。」

 その言葉に、気付いた。

 夜影が最期にかけた術なのだとしたら。

 すぐには死なないとしても…もしそうなら…?

「だが、夜影の部屋には入るなよ。声をかけたが反応がなかった。珍しく寝ているのなら起こしたくはない。」

 成る程。

 その良心が夜影の死を隠してしまっているのか。

 いや、あの夜…扉の隙間から覗いていた目は?

 才造から離れ、どうにもなりそうにない両手を眺める。

 痛みはない。

 痺れも、それ以外も。

 見た目以外の問題は一切なかった。

「どうだ。影を殺してみたか?」

 その声に顔を上げれば頼也が立っていた。

 眩しいくらいの白い髪が風に揺られている。

「…ッ!」

 頼也の目が見開かれる。

 この手を見、瞳が揺らぐ。

 それから勢いよく忍屋敷の方を振り返った。

「…影…?」

 そう掠れた声で呟くと、走って行った。

 気付かれたか。

 逃げなければ、と一歩を踏んだ瞬間足元に矢が刺さった。

「長、生きてなかったら、逃がさない。殺す。」

 その声に苦無を構えたが一人では済まなかった。

 伊鶴が鉢巻きをなびかせ、現れる。

「お前ら如き…。」

「才造が此処に来るまで時間を稼げれば充分だ。そう思わないか?」

「才造、狼だから。山犬如き、充分。」

 殺気を放ち攻めに転じようとしたその時だった。

 心の臓を貫かれたような感覚に襲われる。

 真っ直ぐとした殺気に振り返れば夜影が立っている。

 あの、笑みで。

「伊鶴、三好、やめな。勘違いはそこまでにしな。」

 二人の忍はその命令に従い、殺気も構えもやめ失せた。

 確かに絞め殺した。

 証拠に、見るのも嫌になるほどにくっきりとした痕がその首に残っている。

「絞め殺した感想でも、聞きましょうかね?それとも、何を聞こうか。」

「何故、生きている…?」

「何故?さぁて、何故だろうね?もう一回、殺してみるかい?」

 無駄だと言いたげにからかいを含めた言葉が放たれる。

 誰かが成り済ましている他何があるか。

 もう一度…か。

 その首を狙って苦無を飛ばしたが、弾かれる。

「その手で殺してごらんよ。」

 刃は、効かない。

 だが、もう同じように首を絞めるのは嫌気が差している。

 近付けども殺気以外のものは持たない夜影に両手を伸ばす。

 首についた痕に重ねるように、締め上げた。

 両手に力が入らない。

「まぁ、もう何もできないんだろうけどね。」

 そう言った夜影の顔には嘲笑ばかりがあった。

「あの時殺されたのはこちとらでも、死んだのはこちとらじゃないのさ。」

 夜影の両手が反撃をするように己の首を包んだ。

 同じように、締め上げられる。

 その手をほどこうとどれだけ力を込めても、その両手は一切緩まなかった。

 苦しさに酸素を欲したが、許しはない。

 意識が朦朧としていよいよ死ぬかと思う。

 が、両手は離された。

 地面に伏したこの身を夜影の片足が踏む。

「首を絞められるのも、なかなかに苦しいでしょう?こちとらもね、苦しかったんだよ。」

 苦しみをわからせるように、ただ絞めたのか。

 見上げればあの笑みが見下ろしてくる。

 もう何も言うことはなくなったというように夜影は足を戻すと背中を向け去っていった。

「まだ生きているだけ有り難いと思った方がいいぜ?遊ばれてる内はいいけどよ、飽きられる前に失せとけ。楽に死ねねぇぞ。」

 声が上から落とされる。

 体を起こせば鎖鎌を手にした忍がそこにいた。

「…己を殺そうとしないのか。」

「俺は雑魚に興味はねぇし、長の玩具には手を出さねぇって決めてんだよ。」

 雑魚…か。

 忍刀を構え、殺気を放てば呆れたように溜め息をついて腰を降ろす。

 敵意がなくとも関係はない。

「寿命を縮めるだけだっつーの。お前は長に呪われてんだ。ほら、殺してみろよ。」

 武器を構えたはいいが、それ以上の行動に移れない。

 呪い…だと?

「犬にはしつけが必要だってな。笑うぜ。番犬になりたくなけりゃ山に帰れよ。」


 主にはこのことは一切伝わっていなかった。

 最早、些細なことだと処理されている。

 部屋の中心で、唸った。

 何も殺せなくなれば意味はない。

「そう思い詰められてもねぇ。」

 振り向く気力も起こらなかった。

 傍まで夜影が寄り、そこに和菓子を置く。

 驚いて見上げれば苦笑する横顔が見えた。

「ま、誰も殺せないわけじゃない。武雷の者以外ならいくらでも殺せる呪いだよ。」

 そう囁かれ、和菓子に目を落とす。

 つまり、忍としての仕事は一応不可能になったわけではないということ。

 だが、それがどうした。

 己は夜影を殺しに来たというのに。

「それに、時がたてば自然に失せる。強い呪いじゃないし。それまで待ってりゃいいんじゃない?」

 そう言って部屋を出ていった。

 気配が完全に感じられなくなってから振り返る。

 扉は丁寧に閉められている。

 待つしかないならば、腕を磨いて待つだけだ。

 その時がくれば、必ずやあの首を落とす。

 絞めるのではなく斬って…。

 和菓子を口に入れるとふわりと甘い味がした。

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