狛犬物語(雷一と小力の冒険)

霧島連太郎

第1話 決断

 小雨が降ってきた。空を見上げると、涙で濡れたほっぺたを上書きするように雨が落ちてくる。朝から母親を呼び続けていた声は、かすれてもう出ない。ねぐらに帰るカラス達の合唱が、一人ぼっちの自分を笑っているように聞こえてしまう。森の中は薄暗くなってきていた。母親はどこに行ったのか。急に姿を消してからもう一週間がたっている。彼の体力も限界をむかえている。このまま、自分は泣き疲れて、死んでしまうのではないか。不安に胸がしめつけられる。

 いやな予感はしていた。最近、母親が何かぼんやりと考え込んでいる事が多かったからだ。声をかけると母親は我に返り、あわてて話題を探す、そんな感じだった。母親はいつも沈着冷静で、声を荒げた事がなかった。子供を女手一つで育ててきたのだ。不安な事もあったと思う。しかし、一度も彼の前で弱音を吐いたり、愚痴を言った事がなかった。

「明日は必ず良いことがあるわ。今日できなかった事もきっとできるようになるわよ。」

 そう言って、修業がなかなか思うように進まない時、彼を励ましてくれた。彼も母親の口癖を唱えながら、この三日間、森の中を探し続けたのだ。そして、結論に達した。この森に母親はいない。

『ここを出て、おかあさんを探しに行こう。』

 しかし、彼は生まれてから今まで、この森から一度も出たことがなかった。それに母親がどこに行ったのか、具体的にあてがあるわけではない。しかし、この森にはいないのは確かだ。母親は急に彼の前から姿を消した。何か理由があるはずだ。姿を消す緊急の理由が。これまでも母親が留守にすることは何度かあった。しかし、その時は事前に彼に伝えていたし、必ず夕方までには帰ってきていた。今回の様に理由も告げずに、彼の前から急に姿を消したことは一度もなかった。彼をいつも励まし、自分の背中を見せることで彼の自立を促してきた母親が、意味もなく無用な心配を彼にかける訳がない。

「お母さん、僕はこの森を出るよ。そして必ずお母さんを見つけ出すよ。」

 彼は森中に響き渡るように大きな声で言った。それはめげそうになる自分自身に誓った言葉かもしれなかった。次にやる事を決めると、彼の不安は少し収まった気がした。問題はどうやって森を出るかだ。助けが必要だ。助けてくれる人間をどうやって見つけ出すのか。自分にそんな事ができるのか。それを考え出すとまた不安になってきた。

「お母さん、会いたいよ。」

 彼のほっぺたを、新しい涙が濡らし始めた。




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