変態女の楽しい植物生活
金澤流都
第1回 原初の太陽
原初の太陽をみたことはあるだろうか。
そんなもん見たことがある人間なんてどこにもいないが、わたしはそれを見たことがある。それはプレイオスピロスの帝玉という植物の花だ。
まばゆいオレンジ色の大輪の花は、まさしく原初の太陽の色をしていた。大地から生まれた太陽の炎の色をしていた。帝玉という植物は完全に石ころの姿をした珍奇植物だが、その花は、石ころから伸びてきたとは思えない見事なものだった。
これを見た時、わたしは完全に植物に心を掴まれてしまった。
帝玉は腐れ玉ともいい簡単に腐ってしまうことで有名な多肉植物で、2013年の春に買った花芽のついた帝玉は夏にぶよぶよに腐って星になってしまったが、しかしその大きな花は、わたしの心にずっと残っている。
前置きが長くなってしまったが、これはわたしの趣味である植物の話をするエッセイである。鉢植えの多肉植物や花をいくつか並べて「原初の太陽」で始めるのもえらく大げさな感じがするが、事実そうだったのだから仕方がない。
2013年にわたしは多肉植物の本を手に取り、そのあまりに珍奇な姿にすっかり魅了されてしまったのだが、気が付いたら多肉植物のほかにガーベラとシクラメンも面倒を見ているという状況になっていた。ほかにもエニシダやら花キリンやらも枯らしてしまったが気に入って世話をしていたし、どうにもわたしは花が好きらしい。
祖母も曾祖母も花が好きだった。それを受け継いで、わたしは花をせっせと世話している。そしてやっぱり祖母や曾祖母から受け継いだ「買い物が大好き」という性格も相まって、隙あらば花やその資材で散財しようとしてしまう。
きれいなものを集めて身の周りに飾りたいという習性がわたしにはある。
その習性が暴れ出した結果、花を集めがちになってしまったのだ。
多肉植物の本を初めて見たとき、「多肉植物って暇な奥さんが育てるもの」というイメージは木っ端みじんに粉砕された。あまりにもハチャメチャな珍奇植物ばかりだったからである。
石ころのようなリトープスやコノフィツム、透明なハオルチア、花のようなエケベリア、どれも美しくて感動的で、自然というのはよくもこういう素晴らしいものを作りだしたものだなあと、そう思った。あまりに個性的なその姿は、創造主が、「こんなんやってみた(笑)」とか言いながらノリで作ったのではなかろうか、と思うようなものだった。
ヨツコブツノゼミという虫がいる。その虫も、創造主の悪ふざけのような姿をしているが、まさにそのヨツコブツノゼミに勝るとも劣らない珍奇な姿の植物を、わたしはどうしても欲しくなってしまった。
多肉植物は沼である。
ハマると身動きが取れなくなる。ずぶずぶとハマって、ほかにももっと珍しいやつが欲しい、枯らせないで来年も咲かせるにはどうするか、となる。花物にハマるとなおさらである。
多肉沼の花モノといえばメセン類とよばれるものである。たとえばコノフィツムやリトープス、最初に挙げたプレイオスピロスなんかがメジャーなところで、太陽のような花をつける。コノフィツムはもはや蘭と呼べるほど品種改良が進み、さまざまな色の花が咲く。
もっと分かりやすいどこにでも生えているやつでいうと、マツバギクがメセン類だ。あの道路っぺりとか庭とかにモジャモジャ生えて夏になると紫の花をぽいぽい咲かせているあれである。マツバギクは寒さにも暑さにも多湿にも強いので普通に地植えができる。しかしアフリカ産のメセンであるリトープスやコノフィツムなんかはそうはいかない。そういう気難しいところも含めて、わたしは多肉植物ではメセン類がいちばん好きだ。めったに花をつけないリトープスが花をつけたときは小躍りしたくらいだ。
リトープスやコノフィツム、プレイオスピロス、その辺のメセン類は「高度玉形メセン」と呼ばれ、石ころに擬態して植物でないフリをしている。
そもそも石ころを見る眼のない植物が「そうだ! 石ころのフリをして食べられないようにしよう!」という進化の方針を掲げるのがまずはおかしい。どういうことだ。わからない。
そういうところが、多肉植物のおもしろいところである。人間が意図して変な形にしたクラッスラやエケベリアやセダムも、「なんでこんな頭のおかしい形にしたん?」と思ってしまう。興味があるなら「クラッスラ ブッダテンプル」で検索してみてほしい。あまりに頭のおかしい形をしていて度肝を抜かれるから。
植物は面白い。
最近いちばん面白がっているのは鉢植えのガーベラである。2019年の母の日に、母へのプレゼントということにして自分用に買ったやつである。秋には咲かなかったが、新芽がぴょこぴょこ出てくるのは見ていてとても面白い。
簡単に新芽が出てくるのがふつうの植物の面白いところで、多肉植物とはまた違う面白さがある。
多肉植物ばかり育てていたころ、ユーフォルビアの花キリンというのに興味を持った。小さい鉢でホームセンターにあり、それを買ってきて世話していた。こいつは名前に花とつくだけあってやたらめったら花が咲く愉快なやつだったが、何が原因か分からぬまま枯れてしまった。
それと同時進行で、わたしはもっと花の咲く鉢植えが欲しくなった。多肉植物というのは「動かざること山のごとし」という感じで、そう簡単にぽいぽい咲くわけではない。例外としてコノフィツムは毎年枯れかけみたいな状況でも花をつけるが、しかしもっと長い間ずっと花の世話をしたくて、近所の地元密着でやっているホームセンターに向かい、
「予算500円で可愛い花が咲いて手入れの簡単な鉢植えありませんか」
と、小規模なアラブの富豪みたいなことをした。それで勧められたのがエニシダである。しかし500円でアラブの富豪気分って安いな。
なるほどエニシダは黄色い花をびっしりつけて可愛らしい。しかもいい匂いがする。端的に言って美少女の香りである。鉢を飾った自分の部屋が、美少女の香りで満たされた。
それにひどく嬉しくなったが、うっかり夏の朝にたっぷり水やりをして根っこが煮えて枯れてしまった。
植物が枯れるのは宿命である。植物も命である。命であるかぎりいつか潰えるのだ。
そんなことを書いてみたけれど、植物は自分から「水が欲しい」とか「光が欲しい」とか言わないので、枯らしてしまっても植物ロスになるようなことはない。枯らしてしまった、とちょっと悲しくなるだけである。それに枯れないからといって造花やドライフラワーやハーバリウムでは退屈である。
いまわたしの家の玄関には白いシクラメンの5号鉢が飾られている。
2020年の正月2日、なんだか散財したくなってエニシダを買ったホームセンターの初売りに行ったところ、なんと初売り大特価シクラメンセールをしていたのである。
赤、紫、白、と、カラフルで元気なシクラメンが、なんと500円玉でたっぷりお釣りのくる値段で売られていた。思わず白いのをひとつ買ってきてしまったのだ。よその花屋ではしおれかけたのが500円とかである。500円でお釣りのくるシクラメンなんて、買うしかないやつだ。
シクラメンはメセン好きがハマりがちという話を、わたしはネットで見て知っていた。昔よく見ていたメセン栽培のブログでシクラメンの原種を育てているのを見ていたのである。夏の湿気に弱いとか、寒い冬に活動するとか、シクラメンとメセン類は似ているのだ。
シクラメンをクリスマスにもらって、春までは元気だったのに夏に枯らして2度目の花を拝めない、というのが世の中のふつうだが、わたしは何が何でもシクラメンを来年また咲かせるぞと意気込んでいる。できるかどうかは分からないがやってみたい。
そういうわけでネットでシクラメンの育てかたを調べていると、「肥料や植え替えの手間を思うと1シーズン楽しんで枯れさせて次の年新しい鉢を買うのがお得です」という文章が出てきて盛大に笑った。
いやそんな悲しいこと言わないで。こっちは栽培十二か月シリーズのシクラメンの本を買うのもやぶさかでないんだから。
世の中のたいていのひとが1シーズン楽しんで枯らしてしまうシクラメンを、来年も咲かせようというわたしはものすごく酔狂な人間だと理解している。
しかしわたしはシクラメンの鉢を見て、
「ウヒヒヒ……シクラメンちゃんはきょうもかわいいでちゅねえ……」
とか言っている変態なので、枯らす気は毛頭ない。枯らすかもしれないがそれなら来年またひと鉢買ってリベンジする。
ここまでで、わたしがいかに変態か、分かっていただけたかと思う。
多肉植物やシクラメン、ガーベラ、ほかにも買ってきた植物や、思い出の植物の話や、植物の面白かったことの話ができたらいいなあと思う。そして、枯らしてしまった植物への懺悔もしたい。
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