神魔幻妖禍録伝

赤城ハル

深淵からの君

 美国兄弟殺人事件は記憶に新しいことだろう。当時は政治家の汚職、問題発言や大衆の注目集める悲劇がなかったために美国兄弟殺人事件は連日に渡り報道された。勿論、内容もまた謎めいていて人の探求心や想像という名の邪推を掻き立てた。何故、兄の錬は弟の宏を殺害し、自殺をするに至ったのか。仲が良いと知られていたが実は仲が悪かったのか。カインとアベルのように兄が弟の才に嫉妬し、殺害に至ったのではないのか。

 この謎は被疑者死亡ということで幕を下ろした。だが、その後に警察から美国兄弟の父母に兄の錬が残した遺書が返された。そう、遺書があったのだ。遺書があるならば警察は事件の全容を掴んでいたはず。それなのにどうして情報を開示しなかったのか。それは遺書の真偽、もしくは内容のウラが取れなかったためか。

 遺書を確認した三国父母はこの遺書を読み、その上で公表すべきか破棄すべきかと迷ったそうだ。マスコミにさんざん好き放題書かれ、有りもせぬ嘘話が生まれ美国兄弟の尊厳は貶された。これらの件により美国兄弟の尊厳を回復するために公表の運びに至るのが普通のはずだが。内容が内容なために美国父母は二の足を踏んでいた。しばらく美国父母は悩み考えた結果、マスコミに公表するという意志を固めた。今から載せるのは美国父母から寄せられた美国錬の遺書の全文である。当方は全文を記載する前に内容を熟読し、議論を重ね記載する結論に達した。不適切、不可解、支離滅裂な文面もあり、遺書という体裁をとっておらず独白か嘆願に近いものではあるがこちらは一切の訂正をせずに全文を記載する。


 先に告げておくが弟の才に嫉妬があったわけでなく、……いや少なからず嫉妬はあった。だが今回の件は嫉妬とは関係はない。別のことが原因で結果的に悲劇が起こったのだ。この遺書もまた前もって書いていたものである。当初は悩みを書き綴ったもので、そこに今回の事件のあらましを添えて書き足したものがこの遺書である。

 私は元々会社員として生活をしていたが胸の病によりいつでも入院ができる状態にしないといけないような生活を送ることになった。そんな時に弟にイラストレーターとしての才が発揮された。弟は極度の人見知りで人とのやり取りには家族が必ず仲介していた。そこで私が退社して仲介役としてマネージャーになった。それからは事務所を立ち上げ、弟と二人三脚で仕事を始めた。

 弟の仕事は先に書いてあるとおりイラストレーターで、主にモンスターキャラを描いていた。カードゲームや幻想小説のカバーイラストを担っていた。

 仕事は常に順調というわけではなかった。最初の内は依頼は引っ切りなしではあったが、3年経った頃にはピークを過ぎ降下していった。それでも食うには困らないほどの仕事はあった。だが、問題は弟の精神状態であった。常に新しいモンスターを描かなくてはいけない焦燥感に苛まれていた。そこで私は気分転換にと旅行に連れていった。国内の癒しツアーというものに参加することに。ツアー内容は絶景やパワースポット、文化体験である。しかし、絶景は雨天により景色より肌寒さとカラフルな場違いな傘に意識が向き、パワースポットはこれといって面白味もなかった。最後の文化体験も私たちと似たような人たちがこれでなんとか元を取ろうと一番人気の文化体験に集まった。人混みが苦手な弟のため私と弟は別の文化体験に向かった。だがそこでも文化体験の講師が急遽休みということで私たちは観光街をぶらぶらすることにした。時間に切り取られた古めかしい街並みは多少なりとも退屈にはさせなかった。そして、街並みが途切れようとした時に弟が香屋を見つけたのだ。

 その香屋は街並みから少し離れた所にあり、後ろには竹藪があった。店というよりかは家のようである。小さな看板を見なければ店とは誰も思わないだろう。その香屋と書かれていた小さな看板から私には香水を売っている店と思っていた。弟が香屋看板をじっと見ていると戸が開かれ中から白いワンピースの若い女性が現れた。固くなった弟に代わり私が応対した。その女性は香屋の主で今は香水を売っているのではなく香道というものを生業としているのだと言う。私たちはまだ時間に余裕があったので香道というものを体験した。彼女の話から察するにアロマテラピーの類い推測した。それなら神経質気味の弟に丁度良いと感じられた。

 香道は確かに結果的には成功であった。弟は旅行後仕事にのめり込み、全盛期を彷彿させる人気を再度博した。仕事は右肩上がりで順風満帆のようでもあった。神経質気味の弟も快復に傾向に見られた。だがそれも束の間の出来事であった。急に弟が再度神経質気味になった。しかし、私が困ったと思い悩んでいるとなぜかすぐに弟は復帰した。だが弟の浮き沈みは顕著になり、私はそれをメモすることにした。そして私はパターンを見つけた。沈み始めるのは常にある作品を描いた後である。その作品は他の作品とは一線を画した絵で大人でさえも嫌悪と不安、恐怖を抱かせ一度見たら忘れないようなインパクトがある。そして何より悪夢に出てくるモンスターであった。現に私の夢にどれだけのモンスターが入り込んだことやら。仕事上イラストを確認することがあり、その都度心を強く留めて置かなくてはいけない。ふとしたことで見てしまうと呼吸のリズムが乱れることもある。私はただでさえ心臓が弱いのだから注意を怠らないようにしている。

 こういった志向のモンスターを描いて気が沈むなら逆に言えばこの絵を描く前は安定するということである。そして私は弟がある木片を炙っている場面に遭遇した。弟に問い質すとそれは香木で気分が鬱な時はそれを服用しているという。どこでどうやってそれを手にしたのかと問うと、旅行先で出会った女性から譲り受けたと。私はすぐさま捨てるべきだと告げるも弟はもうこれがないと描くことができないと言うのだ。私は仕方なく今ある分だけは許すと誓った。


 しかし、それは間違いだった。私は甘かったのだ。今は思うと中毒性を考慮し止めさせるべきであった。もしあの頃に戻れるならと私は非常に後悔している。


 それからというものの弟は服用してはモンスターを描いている。そしてとうとう使い切ったであろう日に私は弟に香木の件を尋ねた。だが、弟は香木を隠し持っていた。私は怒り、すぐさま捨てるよう告げた。意外なことに弟は反対することなく私の指示に従っていた。その頃の弟は見るに耐えないくらい痩せこけていて、意識が常に朦朧としていたのだろう。

 私は香木を捨てようにもどのように捨てるべきか困っていたとき、つい魔が差して私も使用してしまった。きちんと弁解させてもらうが本当に魔が差したのだ。普段私なら有り得ぬ行動。あの時は意識はあれど、意志は操られていたように思う。さらに私は使用量を間違えた。一回の使用量を大きく超えていた。そのせいか私は魂と肉体が切り離された気分になった。私は別の時空にいて、そこから私という肉体が持つ双眸から現実世界を俯瞰しているような。そして魂なき肉体には別の何かが取り憑いていた。


 それは私の体を使い、家を出て外を歩き始めていた。不思議と外は熱帯のジャングルに続いていて私は舗装されていない道を真っ直ぐ歩いていた。すぐに夢だと私は認識した。これは明晰夢なのだと。家の外がジャングルなはずがない。歩き進めて道の奥からオブジェが現れた。背の高い黄色い石の上に翼を生やしたワニの像が道を挟むように左右に二つある。私の肉体は止まることなく真っ直ぐ突き進む。古代遺跡なのだろうか欠けた巨石、尖塔、オブジェが多数ある。巨石は一見出鱈目に置かれていると見えるが、よく見るとそれは何かのサインか意味ある設置だと思われる。尖塔には模様があり、縄文式のように見られるが、文字のようなものが彫られている。オブジェは基本全てがモンスターで、極一部がぬめりを持つような何かであった。それらにどこかで見たことがあるような気がすると思えば、それは弟が描いたモンスターとそっくりと気づいた。

 私は迷うことなく歩き進め、巨大な遺跡の前に立つ。その遺跡は門で。高さは二階建ての家に相当する。門だけでそれ意外は何もない。私が右手の平を門に向けると門は地を震わす音を出しながら開く。門の向こうは闇だった。なぜ闇があるのか。私の肉体は闇へと突き進む。私は何度もやめろ願うも、私の願い虚しく肉体は闇へと誘われる。門が閉まり、全ては闇のみが支配する。これは明晰夢なのだから目を覚ませばいい。しかし、なかなか覚めようしない。ただ時間だけが経つ。夢なのに時間は現実と同じように進んでいる感じがする。いや、同じなのだ。私の心が挫けそうになった頃、呼び声が聞こえた。聞こえたと認識した時、それは突如として目の前に現れた。門よりも大きい青白く肉の薄い体。背には羽があり、尻尾を持つ。頭は膨らみ、耳が尖っている。目は四つで黒目の中に赤い瞳。唇がなく牙のような歯が剥出し。人型にも見えるが肘や膝の数が多くの羽や尻尾からして私の知る生物のどれにも当てはまらない。肉体は震えてなくとも心は震えていた。恐怖心が私を支配していた。それとどうすることもない絶望感が。それは笑っていた。そして私の肉体と会話をする。言語不明だった。魂の私だけが取り残され、存在がバレないように注意しながら黙って聞いていた。四つ目が私を捕らえた。肉体ではなく魂の私に。そしてとうとつに夢は終わった。私は家にいた。


 時刻を確かめると三日が経過していた。その間、私はトリップしてたと思いきやきちんと三日間の記憶があった。だがその三日間の実感がない。まるで三日間の記憶が押し寄せてきたみたいだ。弟に三日間の私について尋ねるも別段おかしなことはなかったと答えるのみ。私は怖くなった。三日間の私は一体誰なのか。いや、私のはずだ。私はトリップしてみた幻を弟に語ると、弟は大層喜んだ。私と弟はかの者に対する思いが違っていた。弟はあれを崇拝していたのだ。弟が描く絵は崇拝の形として表れたものであった。それを知った時の私は地が割れ、体が奥底にある深淵に沈むような気持ちであった。

 その日の夜、私は悪夢を見た。あの悪夢だ。私はまたかの者の相対あいたいした。そこで私は震えていた。そして何度も懇願した。しかし、かの者はそんな私を見て面白がっていた。どうして香木を使っていないにも関わらずトリップをするのか。だが悪夢はそれだけでは終わらなかった。私は起きていてもトリップをすることがあった。そんな心労で苦しむ私を弟は嫉妬した。弟は私を選ばれたのだと言う。そしてそれは名誉なことであると。しかし、私にはどうしてそれが名誉なことなのか。そしてどうしてかの者を崇拝するのかを尋ねた。弟はそんな私を不思議そうな顔で見つめ返す。まるで弟が決して届かぬはるか遠くにいる感じであった。ここで私は弟がどうして神経質になるかが判った。弟はかの者との会合が少なかったからだ。それで神経質になっていて、香木を使うことによりかの者と会い、心安らかになっていたのだ。ある日、弟が私の部屋から香木を盗み、使用を企んだ。私はすぐに止めに入った。弟は香木を使い、私以上にかの者と蜜月な関係を築きたいと喚き、私から力付くで香木を取り上げるのだ。病弱というのもあったが心労のせいで私は体力がなかった。弟を止める力は持ち合わせていなかった。だから、私は――。


 私は弟を止めた。その結果あのような悲劇を生んだのだ。そして私は香木を処分した。これでもう終わりだと。

 でもそれだけでは済まなかった。まだ私には聞こえるのだ。かの者は今、怒っている。このままでは私は囚われてしまう。


 ――ああ、今ここに弟が香木削る際に使ったナイフがある。これを首に当てれば楽になるだろう。すまない。父よ母よ。先に逝く私を許し下さい。私には耐えられないのです。今もかの者が私に囁くのです。

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