人生の機微
詩章
第1話
「ねぇ、いいじゃん。連絡先教えてよ」
仕事から帰宅しようと駅に向かう途中、しょうもない会話が耳に届いた。
今時こんなテレビドラマの台詞にもならないであろう古臭い言い回し。
もっと他に言い方あるだろうにと見て見ぬふり。
「あ、あの……そういうのは困ります……」
こっちはこっちでまたテンプレートみたいな台詞を……
ここは誰かが「彼女、嫌がってるじゃないですか」とか言って助けに入るところだな。
頭の中で描いた脚本の通りにはならず、彼女を助ける人は現れない。
「いいじゃん。教えてくれないとお金、払わないよ。いいの?」
金?
なんかテレビでこの前見たな。彼女代行みたいな彼女の振りしたりするやつかな。
「それは……困りますけど……」
思わず振り返ると若い女の子がカバンからメモ帳を取り出していた。
彼女は誰か助けてと言わんばかりに周囲を見回す。
目が、合ってしまった……
かわいいクリッとしたお目目がこちらに助けて! と必死に叫んでいた。
漫画の主人公でもないし、厄介事は避けたいんだけどな……
俺は2人にゆっくりと近付く。そして、自らトラブルの中心へと手を伸ばした。
「待ち合わせ時間過ぎてるんですけど? 次は僕の予定なので彼女はお借りしますね?」
自作の台本を破り捨て、なんとなく事情を知っている風な感じで割り込む。
「関係ねえだろ。おっさんは黙ってろ」
カッチーン。
俺はまだ27歳だ。おっさんではない。殺すぞクソガキ。と思いつつ彼女の腕を掴んでいる男の腕に手を伸ばす。
おー細いこと、へし折ってやろうかな。
「あのさぁ、おっさんが本気で怒んない内に家に帰ってママに宿題でも見てもらったら? じゃないとこの腕使えなくしちゃうよ?」
ゆっくりと力を加え最終目標であるへし折るところを目指す。
実際には握力だけでへし折るなんてゴリラくらいにしかできないだろうが、ひょろい彼には十分な脅しになるだろう。
彼は舌打ちをして乱暴に手を振りほどいた。
俺を睨み付ける少年に笑顔で対応しているとあることに気付く。
こいつ金払ってなくね?
そんなことを考えていると、少年は俺の胸元に唾を吐きかけ走り去った。
はい、死刑決定!
追いかけようとした瞬間、彼女が俺のスーツの胸元についた唾をかわいいハンカチで拭きはじめたので身動きが取れなくなってしまう。
「あの、ありがとうございました。それに、スーツすみません。クリーニング代っていくらくらいかかるんですか?」
別に彼女が払う必要はない。なんならあの小僧をとっちめて君のもらうはずだった料金と俺のクリーニング代を払わせればいい。が、流石に今から追ってももう追い付けないだろう。
「ありがとう。ハンカチ汚れるしもういいよ。それよりお金、貰いそびれちゃったんじゃない?」
彼女は少し後ろめたそうな表情で語る。
「ハンカチは捨てるんでいいです。……その、あんまり良くないことしてるとは思ってます。危険なこともわかってたんですが、甘かったです……」
改めてよく見ると、透明感のある綺麗な子だった。こんな子でもこんなことやるんだな。
「ちなみに、どんなバイトなの?」
彼女に少しだけ興味が沸いた。
「バイトではないんですけど私が適当に決めたコースがあってそれに合わせて彼女みたいな振る舞いをするって感じです」
詳細はこんな感じだ。
・Aコース 1h 500円
会話のみ 飲食代負担
・Bコース 1h 700円
手をつなぐ、会話 飲食代負担
「え、安くない?」
本音が転がりでる。世間のオヤジが知ったらキャバクラではなくこちらの常連になってしまうだろう。
なにより危なすぎてこっちが不安になる。
「そうですかね? でも私普通の学生なんでそんなに高くしても相手にされませんよ」
え、学生だと……むしろそれで金取れるだろ……
「まさか高校生とか言わないよね?」
流石に大学生だよな……
「はい、高校生です」
最近の高校生半端ないっすわー。こんなに大人っぽいのか。
「あ、あんまりジロジロ見ないでください……恥ずかしい……」
頬を薄く朱に染める彼女は、とても可愛かった。
「あぁごめん。大人っぽいからビックリして」
俺キモいな。もう30才が近いのに女子高生に鼻伸ばして……
「あの、助けてもらったお礼に、Bコース試してみませんか? もちろんタダです」
タダより恐いものはないが、きっとこれは単なる彼女の良心だ。ここはお言葉に甘えるのがベターだろう。
「じゃあ駅までお願いしようかな。ご飯は食べた?」
Bコースってどっちだっけ? 手を繋いでもいんだっけ? まぁいっか……ちょっともったいない気もするけど……
「まだです。ご一緒してもいいですか? あ、もちろん自分のお金は払いますよ」
変なところ律儀だな。
「別にいいよそれくらい」
それより手を繋いでくれないかなーなんて思っていると、彼女は腕を組んできた。
驚いて彼女の方を見る。
たぶん俺は、アホみたいな顔をしているだろう。
彼女はクスリと笑い耳元でこう囁いた。
「サービスですよ」
耳にかかる吐息と微かに香る甘い香り。囁きが直接脳に届いたのかと思うほど刺激的で、体が熱を帯び始める。
どうやら俺は、恋に落ちてしまったようだ。
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