タピオカ

午後のミズ

タピオカ

 いつもの教室。

 窓際に面した席には高浜美嘉みかがノートに何かをカキカキしていた。


「みーかちん、かーえーろー」


 放課後のガランとした教室に安藤沙仲さなかがショートカットの髪をたなびかせて飛び込んできた。


「あー、うん」


 美嘉は素っ気ない返事をした。美香の隣の誰の席かもわからない席に沙仲は座り、机の上に女子高生特有のスクールバックをドカリと置いた。


「何書いてるの?」


 沙仲が美嘉のノートを上から覗き込んで言った。その瞬間に美嘉は書いていたノートから頭を上げて叫んだ。


「できた!」


 ガッ!

 覗き込んだ沙仲の顔面と美嘉の後頭部がおよそ人体の鳴ってはいけない音を出してぶつかった。


「いったーー。バカ!」


 美嘉はポニーテールに結った後頭部を押さえて叫んだ。机に突っ伏して、ぶつけた後頭部を押さえて悶絶した。

 沙仲は後ろに倒れた。その拍子に荷物の置いてあった机と椅子を倒して床の上で悶絶して転げまわった。


「ちっ、うるさいぞ。馬鹿共」


 美嘉の前の席でイヤホンをして寝ていた北山未散みちるがうるさそうに顔をしかめた。イヤホンを外して二人を振り返った。


「私はバカじゃないよ。バカなのはさーちゃんだけだよ」


 床でのたうつ沙仲を指差して美嘉は言った。


「で、なにができたって?」


 未散は机の上のノートを見た。バカはまだ床でのたうっていた。


「あー、死についてね。私なりに考えてたの。先生の話が詰まんなくって考えてたら止まんなくなっちゃって」


 美嘉は微笑んだ。


「ほーん、バカのくせに難しいことを考えているな」


 また未散が見下した感じで言った。美人の顔に切れ長の目で人を見下すと怖い……。といつも美嘉は思うが、もう馴れているので気にしない。その筋の人なら喜ぶのかもしれない。


「だから、バカじゃないって。バカはさーちゃんだけ」


 美嘉はバカを指差して言った。沙仲は倒した机と椅子を直している。


「なんでもいい。私以外はバカだと決まっているからな。で、死についてというが内容はどんなものなんだ? 遂に死の恐怖から解放される方法でもわかったのか?」


 なんだか未散は興奮気味に言った。美嘉はなんだかよく分からないことをまくし立てられたことにしどろもどろになってから自分の考えていたことがそこまで高等で崇高すうこうなものではないということを訂正した。


「そんな死の恐怖とかよくわかんないよ。私は死ぬってことがどんなことなんだろうって考えてたの。死ぬって言っても世の中には自殺する人もいれば死にたくないって考える人もいるから死ぬことは良いことなのか悪いことなのか分かんないなって」


「あたしは死ぬのは嫌だぞ。肉が食えなくなる。あと、ケーキとかおいしいものも」


 沙仲バカが机を直し終わって話に割り込んできた。


「そう、そうなんだよ!さーちゃんは死ぬのは嫌だよね。でもね、私は死ねば嫌なこともしなくて済むし苦しみから解放されるから別に嫌じゃないなって思ったんだよ」


「嫌なことなんてないけどなー。ごはん食べれなくなるほうが嫌だな」


 そう言うと、紗仲はのほほんとした感じで鞄からチョコを取り出して食べ始めた。


「いや、沙仲はよく宿題嫌だってもがいてるじゃないか。死ねば宿題しなくて済むんだぞ。あと、チョコくれ」


 未散は沙仲を誘惑するようなことを言った。沙仲の魂を狙う悪魔のような邪悪な笑みを浮かべてからアーモンドの入ってるチョコを一粒もらった。


「はっ!たしかに。でも、肉とケーキが」


 肉、ケーキと頭を抱えて沙仲はつぶやいた。肉とケーキと言って暴れださないか心配だったが頭を抱えて考え出しただけで済んだと内心未散と美嘉は安堵した。バカはなにをしでかすか分からない。


「そうだな、二人の言うように死ぬってことはどっちとも考えられるからな」


 したり顔で言ったあとに未散は難しい顔をして腕を組みだした。


「そうなんだよね。で、私はその死についてタピオカで表現してみましたー」


 難しいことを考え出してしまった場を和ます為に美嘉は勤めて明るく言った。何も言わずに紗仲のチョコをひょいっと口に運んだ。難しいことを考えるには糖分が一番だ。

 だが、未散とましてや沙仲バカにまでも「こいつはなにを言っているんだ」って顔で見られて3人だけの放課後の教室の空気は一瞬にして氷ついた。


「なに言ってんだ」


 沙仲が言った。


「今の空気で察したから言わなくていいよ」


 美嘉は嫌な顔をしていった。自分の言ってしまったことに少しだけ恥ずかしさを覚えた。


「いい話をしていたと思ったのに突然学芸会に来た気分だ。そうだな、はじめて大学の卒論発表会に行って難しいんだろうなってそわそわ緊張してたのにその実内容は全然違ったって気分の方かな」


 未散も沙仲に同意したのか残念なものを見る目と慈しみの籠った優しい目を美嘉に向けた。

 というか例えが的確過ぎていろいろまずい。


「もういいよ。二人ともなにも言わないで!表現の自由だから。黙って聞いてて」


 美嘉は耳まで真っ赤になった顔を腕の中に埋めて机に突っ伏した。未散の言葉が美嘉にトドメを刺したのだ。


「そうだな、私たちは日本に住んでいるのだから日本国憲法の第21条第1項の表現の自由を守らねばなるまいな」


「そうだな、うんうん」


 未散が表現の自由の保障について言うとバカ(沙仲)が何も分かってないくせに同意の声を上げた。


「だってタピオカおいしいし、いいじゃん。かわいいじゃん」


 美嘉は自分が悪く言われても構わないがタピオカを悪く言われるのは嫌だったのでタピオカを必死に擁護ようごした。


「あれは私にはよく分からん。あれの何がいいんだ?カロリー高そうだし何より値段も高い」


 未散はカロリーのことまで気にしているのか、そういうことを普段から気にしていればあんなに整った顔と細身の体躯を手に入れられるのだろうかと美嘉は思った。未散は口こそ悪いが見た目はすごくいい、長い黒髪と切れ長の目が相まって男子からの人気も高くよく告白されている。しかし、すべて言葉の刃の一刀の下にされているのだが。


「右に同じ」


 沙仲も容姿だけは整っている? のか?

 わからんがバカだ。バカゆえに男子とは仲が良く、休み時間になると男子と話したり騒いでいる。

 男子高校生とはバカなものだ。といつも美嘉は騒いでいるのを見て思う。


「いや飲んだことない人はみんなそう言うけどおいしいからね。みっちーだって絶対ハマるよ」


 美嘉は二人が否定しても意地でもタピオカを守る為に声をあげた。教室に響く。廊下に面した窓が開いているため廊下にまで響いたかもしれない。


「そうだそうだ。おいしいぞ。甘くてタピオカがもちもちしてておいしいんだ」


 沙仲もなぜだか擁護ようご側に回ってきた。おいしいしか言えないのか?


「さーちゃん、みっちーと一緒に批判してたくせにどっちなの。ていうか先週一緒に飲みに行ったじゃん」


「てへっ、バレちゃった?」


 かわいく舌を出してそれっぽく言っているがバカに拍車がかかっただけだった。バカでもちょっとかわいいからイラっとくる。


「もう!そういうことを言いたいんじゃないんだよ。私は死についての話をしていたんだよ」


 ずっと本題から離れて話があらぬ方向に向かっているのを思い出し美嘉は修正する。


「ハァ、まぁなんでもいい。話してみろ」


 未散は諦めたように溜息をしてから髪の毛先をいじいじして言った。綺麗な黒髪の毛先には枝毛なんてあるのだろうか。絶対興味なさげだ。


「うーんとね、さっき言ったみたいに死ぬって一口に言っても人によっていろいろ違うでしょ。例えば、死ぬと何もなくなるから怖くて嫌とかっていう絶望派。死んだら全てのものから解放されるから救いっていう救済派とかあるじゃない?」


 美嘉は分かりやすいように確認した。


「そうだな、思ったよりいい話するじゃないか。少なくとも筋は通っている。学芸会って言ったのは訂正しよう」


 そうは言っても未散は話の途中からスマホを取り出している。時々話を聞くために顔を上げる。


「じゃあ、私は絶望派って奴だな。ケーキ食べれなくなるのは嫌だからなー」


 沙仲も同意して話を聞いている。理解力はある方なのか? 思ったより話に付いてきていることに内心で未散と美嘉は驚いた。


「そう、人にとっての死をタピオカが食べられることと仮定して、タピオカで言うと絶望派はー、」


 美嘉はノートに一旦目を持っていき、ちらっと見た。

 関係ないことをうだうだと話していてまとめたことを忘れてしまった。


「タピオカは食べられたらなくなってしまうから食べられることに恐怖してるのかなーって思ったの。死ぬと何もなくなると考える人間と同じ」


「なるほどなー。意外にまともで合っているんじゃないか」


 未散は素直に賞賛の言葉を贈った。もうスマホは見ていなかった。

 沙仲は寝ていた。美嘉と未散は寝ている沙仲をチラッと見たが、なにも言わずに無視した。難しい話になったとたんに寝てしまった。授業でもすぐ寝てしまうから先生によく怒られている。


「ありがと。で、タピオカで言う救済派は、タピオカは食べられないこと、捨てられることに恐怖しているんだよ。食べられることがうれしいの。誰かに食べられることがうれしいのであって誰にも食べられずに捨てられてしまうというのは悲しいことだよ」


「タピオカが食べられずに『映え?』とかの為に捨てられてるのは社会問題みたいになってるからな、きっとタピオカも恐怖していることだろう。ハハハハハッ」


 偉そうに未散は言った。何かが愉快だったようだ。

 きっとタピオカも恐怖しているだろう。勝手に愉快になってる未散に。

 未散の高笑いに沙仲はビックッと体を起こし言った。


「タピオカ!飲みに行こう!」


 丁度美嘉もタピオカの話をずっとしていたらタピオカが飲みたくなっていたところだった。


「むっ!私は行かないぞ!今どきのJKじゃあるまい」


「未散は今どきのJKでしょ。きっとタピオカは食べられたがっているよ」


 美嘉はそんなことを話しながら持っていたノートを片付け始めた。


「しょうがないな。行ってやろう、ぶふっ」


 正面の美嘉と持っていたノートを見て、未散は突然噴き出した。


「わー!どうした?」


 沙仲がびっくりして椅子の上で飛び上がり驚きの声をあげた。立っていた美嘉は驚いて固まっている。


「あはははっ。ハァハァ、ああー、ダメ」


 未散は過呼吸気味になりながら机の上にあるタピオカについて書かれたノートを指差した。

 沙仲と美嘉は二人してページを覗き込んだ。

 美嘉は何かに気づいたのかノートをバッと閉じた。と同時に沙仲は笑い出した。


「あははは、タピオカ タピタピ タッピタピーだって。あはははー」


 美嘉はノートを抱えて顔を耳まで真っ赤にしてぷるぷると震えていた。少し涙目だ。


「傑作だな傑作」


「「タピオカ タピタピ タッピタピー」」


 二人揃ってハモった声は3人しかいない夕日に照らされた教室に木霊したような気がした。

 少なくとも美嘉の頭の中には木霊した。


「もう何度も言わないでーー!」


 美嘉はノートを抱えたまま走り出した。


「おい! 荷物、荷物」


「待ってー」


 未散と沙仲は自分と美嘉の荷物を持って後を追いかけた。

 

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タピオカ 午後のミズ @yuki_white

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