第一章 呪物

1、火社町

 火社町ひやしろちょうは美しい山々に囲まれた城下町だった。

 一昔前は商いにもさかんに行われていた土地で、今も三代、四代と長く受け継がれている和菓子屋や酒蔵などのお店が多くある。


 明石悠平が以前住んでいたのは大きな工場がひしめく工業地帯だったので、豊かな自然と歴史を感じるこの町をすぐに気に入った。

 父親の仕事の都合で引っ越してきて、ちょうど一週間だ。新居は父が借りた古い木造の一軒家だった。団地にしか住んだことがなかった明石にはとても新鮮だ。好条件で貸家になっていたところを見つけたのだと父が自慢気に話していた。


 小さめだが庭もついている。樹齢何百年もありそうな一本松が植えられており、その横には前の住人が使っていた物干し台がそのままに設置されていた。明石はこれを有難く使わせてもらっている。


 今日は澄み渡った青空が広がる、気持ちのいい五月の朝だ。

「おにい、洗濯終わった?」

 裏口の戸から小さな女の子がひょこっと顔を出す。ピンクのしましまのパジャマを着たままの、明石の妹だ。洗濯した衣類を一枚一枚干していた兄に声をかけてきたのだ。

「こらすず、起きちゃダメだろ。家ん中入れ」

 最後の一枚であるTシャツを急いで干すと、空になったカゴを持って裏口の戸に向かう。

「おにいと朝ごはん食べようと思って呼びに来たのに……ゴホッ」

 すずはぶうたれて文句を言った後、小さな咳を漏らした。

「ほら言わんこっちゃない! まだ治ってないんだろ」

 妹の背中をさすり、明石も家の中へと入った。


 環境の変化や疲れからなのか、すずは引っ越しが終わった直後に体調を崩してしまった。今は父と妹と三人暮らし。仕事で忙しい父の代わりに、荷解きの作業や妹の看病は、兄である明石が一人で担っていた。


 居間にはすでに仕事に出た父が、早起きして作ってくれた朝食がある。きれいな円をした目玉焼きと香ばしい薫りを放つウインナーが二本、そして大根たっぷりの野菜の味噌汁。明石は自分の分とすずの分の白米をお茶碗によそってテーブルに置いた。

「ほら一緒に、いただきます」

「いただきます!」

 すずは元気よく手を合わせた後、まっさきに目玉焼きにとびついた。

 だが、二口ほど食べると、箸を進める速度がぐんと遅くなった。まだ食欲が本調子でないのだ。そのことに心を痛めながらも、明石の薄情な腹の虫は空腹だと叫ぶようにグウと大きな音を鳴らした。たまらず味噌汁をすすり、お茶碗に口をつけて白飯をかっこむ。

 健康な男子高校生は、あっという間におかわりした。


「おにい、今日から学校でしょ?」

 すずは目玉焼きを箸でつつきながら問いかけた。今日は明石が新たな高校に登校する初日だった。そのため、すでに制服である学ランに身をつつんでいる。転校を経験するのは初めてのことなので、少し緊張していた。

「おう。すずは風邪が治ってからだな」

 本当はすずも今日小学校に登校する日だったのだが、体調がなかなか治らないので延期となった。昨夜のうちに伝えたが、今改めて言われてしょんぼりと肩を落としている。

「ちゃんと元気になったら行けるからな。早く治そうな」

 そう言って小さな頭を撫ででやれば、すずは「うんっ!」と力強く頷いた。

 明石は朝食を終えたら身支度をして、すずが食べ終えるのを待った。「もういい」と半分以上を残したおかずにラップをして冷蔵庫に入れる。妹に薬を飲ませ寝かしつけた。


 スクールバックを持って、スニーカーを履く。しっかりと戸締りをしたことを確認して、家を出た。明石がこれから行く高校は家から歩いて三十分ぐらいの小高い丘にある。

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