第五楽章 和鏡ノ朧月夜

第50話 古事記

 天照に言われた事を頭の隅でずっと考えていた。

 俺の確信。敵の確信。これらへの確信。それを見出せるはずだった。


 『これが其方ソナタ形式ケイシキか――!!』


 あの時、天照は何を分かったんだ?

 それに天照は俺に何を見出していたんだ?


 分からない。


 ❖ ❖ ❖


 『嫌ァあぁァああァアあああああッ!!』


 耳元でもはや伝統芸能と化した、アスタロトの絶叫が聞こえる。安定のうるささだが、もう慣れた。……それにしても眠い。ウザイ。いくら慣れたとはいえ、うるさい事には変わりないのだ。


 (……もう少し寝かせろ)


 暖かい。そして妙に気持ちが良い。いつも俺は目が覚めると大抵気分が悪いのだが、今回はそう言った事もない。

 だから俺は二度寝に入ろうと――しかし横で轟音が鳴り響いている。不快だ。

 するとアスタロトは俺の上に乗っかって来て、


 『馬鹿クロムFuck Youっ! アホクロムFuck Youっ! 糞クロムFuck You~っ!!』


 暴言を連呼しながら、胸をポコポコと殴ってくる。

 いつもの構って欲しいって奴だろう。いつもは何となく構ってやるのだが……ウザイ。こっちは優雅に寝ようとしているのだ。それも二度寝。二度寝ほど幸福に感じれる睡眠は、他にはないだろう。

 それをこの糞悪魔が妨害してくるのだ。


 「おい、寝かせろ……」


 俺は機嫌悪く言い、左手で上に乗っているアスタロトを払いのける。……これでもう一度、眠りの世界へ……と思っていたのだが、


 『クロムの馬鹿ぁ! クロムのアホぉ! クロムのクルクルパー! クロムの……えっと……スケベェ! あと……えっと、えっと……』


 (コイツ、悪口下手か)

 

 俺は呆れつつ寝ている体制を横にして、再度寝ようと――しかしこのクソ悪魔は、今度は俺を掴んで揺すりながら、

 

 『違うんですぅ! 違うんですぅ! いつも見たいに構ってほしい訳じゃないんですぅ! 重大事態なの! 本当に重大事態なの! 本当に本当に重大事態なのぁあ!! もう終わりだぁうぅぁわあああああ!!』


 とか言ってメッチャ泣くアスタロト。別にアスタロトが泣こうが泣いてなかろうが、正直どうでも良いのだが……流石にもう限界だ。

 俺はのっそりと上半身を起こして、アスタロトを睨み付ける。

 対してアスタロトは……何て言うんだろう。この世の終わりのようか顔をしていた。


 『ほら……ほら……。周り見てよ……。ほらクロム君。辺りを見渡してごらん……。終わりだ。終わってしまったよ……。アヒャヒャヒャ』


 (さっきまで泣いてたのに、今度は笑ってやがる……)


 俺は呆れる。なぜこうもコイツは喜怒哀楽が激しいのだろうか?

 そんな事よりも何だ……周り見ろだって? 俺はまだ眠たい目を擦りつつ、辺りを見渡した。


 「……どこ?」


 周りは完全見知らぬ場所だった。

 田んぼ。そこは見渡す限り田んぼ。黄緑色の稲が向こうの方まで続いている。遠くの方には大きな緑の山があり……。

 俺はそこで後ろを向いてみた。だが結果は同じ。ずっと田んぼ。一キロ程先に山があるが……。特徴的なものが全くない。建築物、人の気配は全くない。

 そして俺とアスタロトの現在地は、そんな田んぼの外れの道端。

 俺は気付いたのだが、


 (……今って季節、冬だよなぁ?)

 

 しかし目の前には黄緑色の稲。冬に稲は植わっていないはずだが……。そもそもだ。さっきから妙に温かい。一体どうなって?


 「おい、アスタロト。状況を――!?」


 するとアスタロトは俺の両肩を掴み、物凄い勢いで揺すりながら、


 『おっ前のせいだっ! お前のせいだっ! 私は被害者! 私は被害者! 私は被害者ぁあ!!』


 と半狂乱になりながら言ってくる。目の焦点があってない。完全にイっちまってる……。元々おかしい奴だったが、こんなにもおかしくなったのは初めてだ。俺は少し恐怖を感じた。

 それよりも俺が何をしたって言うんだよ。被害者、被害者うるさ――――。


 その瞬間、記憶が駆け巡る。

 そうだ。俺たちは天照に会って――しかし天使達の会い――俺の背中が――天照の頭が――仲間。

 それを思い出した瞬間、全身から鳥肌がゾッと立ち、俺はアスタロトの肩を掴んで、


 「天照はどうなった!? 俺はどうなった!? ここはッ!! 状況を……状況を説明しろ……っ!」


 何もかもが分からない。どうしてこんな状況になっているんだ!? 天使は!? それにみんなは!?

 対してアスタロトは驚愕の表情で、


 『落ち着いてっ! 落ち着いてクロムゥ! 揺すんないで、酔う、目が回るぅ! 吐くっ吐いちゃうからっ!』

 

 俺はその大きいな声にハッとして「……状況は?」とだけ聞いた。しかし冷静に聞いてはいられない。俺の手はプルプルと震えている。

 するとアスタロトはぐったりとしながらボソっと、


 『……事記』

 「ん、聞こえん、もっと大きな声でっ!」


 頭が真っ白でそんな小さな声じゃ、言葉の意味が頭に入ってこない。俺は息を荒くする。

 すると今度はアスタロトはプルプルと震えだし、まるで死を悟ったような表情をして、


 『ここ……古事記こじきの中だよぉ! 日本神話の中だよぉ! ふぅざけんなよぁおあァああァアアア。アヒャヒャヒャッ!!』


 俺は絶句し、アスタロトは壊れたように嗤った。


 ❖ ❖ ❖


 『古事記こじき』――それは日本最古の歴史書である。その主な内容として、神々が天地開闢てんちかいびゃく。そして日本や色々な神々を創造し、その神々の末裔が天皇家――と言った内容だ。

 一言で言ってしまえば、”日本神話”に当たるのだが……。

 

 「……古事記? えっと、で、要するにここはどういった場所なんだ……?」

 『……ここ。……ここ?』


 するとアスタロトはピタッと嗤うのを止め……アヘ顔をキメる。姉ちゃんの顔で止めろと言いたいが、そんな事よりも緊急事態だ。俺はアスタロトの言葉に耳を傾ける。


 『……うーん。一言で言えば、複数ある内の過去の一つかなぁ。でもちょっと違うかも……。何て言うんだろう? クロムは昔、ヤハウェが天地創造。そして人間創ったとかって思ってる?』

 「……さぁ、考えていた事もねぇなぁ。でもいるからなぁ」


 外れた質問に俺は頭にクエスチョンが浮かぶが、取り敢えずこう答えておく。実際考えた事はない。だが言われて見れば確かにそうだ。……実際にはどうなんだ?

 するとアスタロトは、完全にイった後の賢者タイムのような顔をして、


 『知ってるか知らないか知らないけど、私たち……悪魔も神もドラゴンも……。”結局みんな人間が創ったんだよね”。で、それがこんな感じで具現化してる訳なんだけど……』


 と、サラッと爆弾発言。

 要するにいわゆる架空者は全部人間が創った……。そうコイツは言っているのだ。俺は啞然として言葉が出ない。

 アスタロトは続ける。


 『でさ、その具現化ってとこなんだけど、それはちゃんと世界観も影響される訳で……。さっきも言った通り過去は幾つもの存在してるの』


 アスタロトは死体のような顔で黙々と話しているが……そんな顔で語る内容ではない。まるで世界の真実を覗いている……。


 『……聖書でヤハウェが天地創造して、人間創ったのも事実。ギリシャ神話で初めにカオスがあって、ガイアが生まれて……ってのも事実。地球があって、魚類、両生類、爬虫類……そして哺乳類、人間が生まれた事も事実』


 頭の中に四文字。


 (本気マジかよ……)


 ここで噓をつく意味のない。そもそもコイツにこんな噓がつけるはずもない。真実なのだろう。ヤバい事を聞いてしまった気がする。


 『そして古事記も事実。天地開闢があってぇ見たいな奴? 私、あんま古事記知らないんだけど……』

 「……で、まとめると、ここはその過去って事か?」


 するとアスタロト腕を組んで「うーん」と十秒ほど唸った後で、


 『違うかなぁ……。聖書もギリシャ神話も古事記も……他にも色々な神話物語。それらは言わば、。だからそれは保管しなければならない。納めなければならない。現在まで続く記憶・記録が必要』

 「……んで、つまり……ここどこ?」


 正直話しがデカすぎて、今の状態では俺の頭でまとめれそうになかった。だから話の根源に切り込む。

 

 『ここはその記憶・記録そのもの。だから過去だけど過去って訳でもないし……。だからと言ってこのまま時が流れれば、ちゃんと前の時代になるから、異世界って訳でもないし……。だからまとめると古事記の中です!』


 アスタロトはキリっとした顔で言った。


 「…………」

 『…………』


 五秒ほどの沈黙後。


 「……帰る方法は?」

 『知らん!』


 アスタロトはキリっとした顔で言った。

 その表情に俺のアスタロトに対する鬱憤やらの感情が溢れ出す。


 「は? どう言う事だっ……ふざけん――」

 

 するとアスタロトはバッと立ち上がり、ガニ股で手をバタバタとさせ、白目を剥き出しにし、まるで化け物のような声で、


 『ふざけてんのはお前だろうがァアアァアぁアアああああっ!! 私嫌だったもんっ! 天照会いたくないって言ったもんっ! 無理矢理嫌々連れて来られたんだもんっ! 私、被害者っ! 嫌な予感してたんだよっ! 何か起こると思ったもんっ! 絶っ対なんか起こると思ったもんっ! だってクロムだよ、クロムだよ、クロムだよ!? 何か起こるに決まってるじゃんっ! 絶っ対なんか起こるってぇえ!! でぇえ……起こったちゃったよォォオぉおおお!!』


 俺はその化け物にただ圧倒された。何度も何度もアスタロトの狂気と思える行動や言動を見て来たが、今回は凄い事になっている。


 「……あ、うん」


 今回は俺に非があるようだ。

 するとアスタロトはゾンビのようにトボトボと道を外れ……水の張っている田んぼの隅に入っていった。そして稲が生えていない場所にそのままゆっくりと座る。

 黒いワンピースはビチョォと濡れるが……そのアスタロトの背中を見ている限り、かなり来ているようだ。


 『……私、稲になる』


 生気を感じない声。さっきまで騒いでいた奴とは思えないほど……。


 「すまん……」

 『…………』


 反応はない。

 こういう時ってどうすれば良いのだろうか? 俺は頭を捻る。そして出した結論は、


 「アスタロト。俺、あの近い山の方に行って何かないか調べて来るわ……」

 『…………』


 アスタロトは無言。

 こういう時は俺が何がしなければならない。それに今はアスタロトは一人にさせた方が良い。

 

 「行ってくる……」

 『…………』

 「じゃぁなぁ」


 俺はその山に向かう。

 後ろから、


 『……いってらっしゃ~い』

 

 アスタロトは生気の感じない声で言った。

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