第37話 八九三の家

 「まぁそうお前は気にするな、澤田。今回の件は全て俺が悪い。お前は何にも悪くない。上にもそう言っといたぞ」


 いつもの中華料理屋。ここの中華料理屋は相変わらず人が多い。そしてその大半はあの現場の作業員だ。

 僕は相変わらず塩ラーメンを頼んで、松岡先輩は台湾ラーメンの唐揚げ定食。そして憂鬱な気分だ。


 「…………はぃ」


 僕は元気なく返事をする。

 まだ残ってるのだ。首元にあの黒川の手の感触が……。そして今も感じる。……あの人が恐い。

 すると松岡先輩が、


 「……黒川の事か?」


 僕の表情を見て感じ取ったのだろう。僕は特に相づちも打たずただ塩ラーメンを見つめながら、


 「松岡先輩はまだ林村亮太を追うんですか?」


 松岡先輩の性格を僕は知っている。誰よりも正義感が強く最後まで諦めない。今までそんな松岡先輩を見て来た。そしてそれは上からの命令に違反してでも……。

 松岡先輩は箸を手から離して、


 「…………澤田……。俺はどうすると思う? そしてお前はどうしたい?」


 僕は少し考えて……素直に、


 「松岡先輩は林村亮太を追い続ける。……でももう僕は追って欲しくありません」

 「どうしてだ?」


 その声はとても重みがあり……。

 僕は少し震えて、


 「恐いんです。おそらく林村は裏から警察も動かしている。そんな人物を……」


 松岡先輩は塩ラーメンを凄い勢いで吸い上げ、そしてこちらを……今で見た事のないような目で見て、


 「黒川に何言われたか知らねぇが、俺は追うぞ」


 そして塩ラーメンを平らげ、最後の唐揚げにかぶりつき、


 「しかしッ!?」


 ドンッ!!


 突然松岡先輩がテーブルを叩きつける。

 あれだけ賑わっていた店内が急に静かになる。

 そして、


 「……澤田。ならお前はこの件から下りろ。もう関わるな……」


 その声色は怒りと悲しみ。……僕はそれを呆然と見つめていた。


 「俺はなぁ、澤田。正義と思って警察をやってるわけじゃねぇんだよ。危ない奴から皆を守りたい……そう思ったから警察になったんだ。恐いだ? お前は本当に警察官か! 何が恐くて警察官やってんだよ、あぁん!?」

 「……ぁ……っぁ」


 圧倒的な覇気。その前に僕は何も言えなかった。ただ、松岡先輩の事が恐いと……。

 松岡先輩は最後の唐揚げを完食して、スーツのポケットから財布を取り出し、千円札を二枚机の上に置いて、


 「そんなに恐かったら警察辞めろ。それなんじゃ誰も守れない」


 そう言って松岡先輩は中華料理屋を後にした。

 まだ店内はとてもとても静かだった。



 ◈ ◈ ◈



 そこは塀の外から十分に確認出来るほどの、立派な和風の家だった。自然と車内は静かになる。

 因みにアスタロトはヘッドバンキングで車酔いしたとか言って、足元でへばっている。

 ミズチはその敷地を一周回り、


 「……どうだ柊……何か怪しい影は?」


 真面目な声色で柊さんに問う。

 すると柊さんはその家の方を向いて、


 「……中から見られてる」


 ボソッと呟くように言った。

 どうやら柊さんは相当洞察力が高いようだ。俺も家の方からなんとも言えない視線を感じる。それに正面の門には監視カメラがあった。中の人間にこちらの様子はバレバレのようだ。


 「……ミズチ、こっからのプランは?」

 「ねぇよ」


 何故肝心なところを考えないのか……。この男はちゃんと考えればもっと正確に物事を動かせるはずなのに……。

 

 (……いや、違うな)


 おそらくミズチは今相当ストレスを抱えているのだろう。冷静に先を読めない程に。

 ならば俺はどうする? 結果は出ていた。

 俺は更に意識を絞る。アスタロトと契約してから何故か強くなったこの五感で、


 (……中が少しざわめいてるな)


 そして車が二周目に差し掛かった時、


 バタン。


 鈍い音が門の方から、微かに聞こえた。


 「……門が開いたみたいだ」

 「あぁ……。よく聞こえたな」


 ミズチも冷静に答える。

 確かにこの五感はアスタロトとの契約時に良くなったが、


 「……俺は元々そう言う環境で育ったからな。当然……だ……」


 とは言ったものの、俺は自分自身が今言った事に驚いた。何故なら俺は今までコイツらには、俺の過去を教えて来なかった。情報を漏らさない為に。しかし今俺は、あっさりと過去の事を話そうとしていた。


 (……チッ。情が移った)


 なんとも言えない感情。勿論未だに過去の事を言いたくはない。しかしこのまま行けば、いずれ言わなくては行けない日が来る。


 そんな事を考えていると、いつの間にか門の中に車は入って行く。すぐ後ろでバタンッと言う木の音。門が閉められたのだろう。

 ここまでの事から察するに、この家の人間は俺たちの立場を分かっているようだ。この家の人間からすれば、生死の分からないテロリストと呼ばれる身内の人間が、今目の前に現れてと言うこの状況。


 (この迅速じんそくな受け入れる対応。……本当にミズチはここの若頭かしらなんだな)


 改めて東ミズチと言う男の凄さを実感する。

 ミズチは後ろを向いて、


 「取り敢えずお前たちはここで待っていてくれ。ここにいる部下たちと少し話してくる」


 そう言うとミズチは車を降り言ってしまう。車内はまだ静寂。

 すると外から、


 「若頭かしら! ご無事で!」

 「ご無事で!」

 

 などと声が聞こえてきた。

 対してミズチは冷静に、


 「出迎えご苦労。だがあまり大声を出すな。お前たちも分かっている通り緊急……おじきと早急に話したい。伝えてくれ」

 「「はっ!」」

 

 出迎えをしてくれていた二人の男性は、直ぐに家の方に向かう。

 その会話を聞いて、ふと、


 (……ミズチって何歳なんだ? てか何で若頭かしらなんだ?)


 なんせ今出迎えしてくれた二人は、もっと歳を取っていたのだ。一人はざっと四十代程。もう一人は白髪交じりの頭……五十代後半だろう。

 そして考えて見ればミズチはまだ二十代前半ぐらいの見た目。明らかに異様な光景だ。

 俺は隣に座っている結子に、


 「ミズチって何歳だ?」 


 結子は少し間を開けて、


 「私も知らない。でも私がミズチと出会った時は今の私たちと同じぐらいだったんじゃないかな? じゃあ今は二十代前半? ……正確には分かんない。因みにミズチは当時まだヤクザじゃなかったよ」


 (ふーん。やはり二十代前半か。そして結子は相変わらず頭が切れるな……)


 俺が気になっていた事を先読みする。正直怖いぐらいだ。

 そんな話をしていると、出迎えをしてくれていた二人が帰って来てミズチと何か話ている。

 俺は聴覚を鋭くして聞く。


 「若頭かしら、準備が出来ました。それから部下の皆さんも……」


 (……部下?)


 一瞬その呼び方に違和感を覚えた。


 「あぁ、分かった」

 

 (榊原さんや和泉さんはこのヤクザの人間ではない?)


 謎が深まる。そしてまたコイツらが分からなくなる。考えれば考えるほど……まるで水を掴もうとしているみたいだ。

 しかし俺は聞けない。俺は自分を教える気はない。


 意識をミズチの方に向ける。ミズチが車の後ろを開けて、


 「お前ら車から降りろ。おじきが一度会いたいそうだ」


 大層な歓迎だ。それだけミズチが信用されていると言う事だろう。そしてミズチ自身も相当信用しているようだ。態度で分かる。俺の時とまるで違う。ムカつく。

 

 「クロム。お前は義足を付けていけ。あと……」

 「分かった。腕輪に入れとく」


 そう言って、足元に転がっているアスタロトを蹴り起こして、俺は義足を付ける準備に取り掛かった。



 ◈ ◈ ◈



 俺は榊原さんにつかまりながら外に出る。腕輪の中には何故か怒っているアスタロトが物凄くうるさい。


 『私ヘッドバンキングと車酔いで死にそうだったんだよ! ねぇ聞いてる!?』


 勿論だが無視をつらぬく。こう言うのは構ってはいけないのだ。

 因みに翼に関しては今はない。俺も今知ったが、翼は自分の意志で生えたり無くなったり……便利なものである。


 「ではご案内します」


 俺たちはその人についていく。目の前にはデカい一階建ての和の家。すっかり静まり返った屋内の音。俺が車の中で聞いた時は中々慌ただしかったが……。

 中に入るやいなや、


 ――――ドクンッ。


 (…………?)


 よく分からない謎の感覚に襲われる。しかし直ぐにその感覚は忘れて……。

 その人物は出迎えてくれた。

 オールバックの白髪に和風の着物。見たところ六十代半ば。一見して直ぐに分かった。ミズチの上司、石雪寛いしゆきひろし。確かに風格が違う。

 彼は俺たちを一瞥して、


 「よく戻ったな、東。話は聞いている。取り敢えず中に入れ。お前の話は、ワシが便所から帰ってからゆっくり聞こう!」


 そう言ってその人物は奥へと言ってしまった。同時に風格があると思っていた俺は馬鹿だと思った。確かにミズチの言った通り陽気なおじさんだ。いや……陽気と言うか……。

 するとアスタロトが、


 『……クロムゥ。いつもより心拍数早いよ? どうかした?』


 俺はその問に何とも言えない感覚が襲う――がボソッと、


 「気のせいだ」

 

 しかし俺も感じていた。その胸騒ぎを……。

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