第24話 漆黒ノ天使と復讐の契約者

 復讐――そんな感情はない。

 それは今でも変わらない。

 姉ちゃんがあぁなった時も、ジェミーさんが守って死んだ時も、結菜が泣いた時も、ミズチが動かなくなった時も……。天使に対する復讐心と呼ばれるものはわかなかった。


 だが……そんな時に、心の奥底で燃え上がる感覚があった。

 こう言う時にいつも思うんだ。


 

 「なぜ生命体統べての者はいつも自分が正しいと思って、【正義】をもって行動するんだよ?」



 ドクンッ――――。



 心の奥底で、深淵で、暗闇で何かが燃え上がる感覚。これが俺の奴らに対する答えなのだろう。俺は奴らがやっている事は良い事だと思う。別に何も悪くないし、それで良いと思う。

 むしろ奴らの考え・思想・は好き、大好きまである。それほど俺は奴らが好きだ。



 話はかわるが……。



 俺は【正義】と言う考えが嫌いだ。この世で一番嫌いだ。大嫌いだ。なぜそんな感情が生まれたのか……よく考えるんだ。

 【正義感】と言う言葉がある。自分が正しいと思った事を突き通す気持ちや感情。そして何故かそれを正しいと思う者達。……身勝手だよな。俺の憎悪はそこにある。


 俺は孤独が嫌いだ。独りが嫌いだ。あのもどかしい雰囲気が嫌いだ。それに似ている生命と生命との関わり合いにある、あの良く分からない間も嫌いだ。

 だから俺は好きなものが出来れば、それを絶対に手放したくない。独りになるのは恐くはないが、一度手に入れた好きなものを手放す事が嫌いだ。こちらもこの世で一番嫌いだ。大嫌いだ。

 絶対に離したくない。離したくないんだ。俺は――。



 ドクンッ――――。



 【正義】は俺の大切なものを奪っていった。俺の好きな人を奪っていった。俺の好きな人を泣かせた。



      ――ユルサナイ――。



     ――よくも――。



            ――俺の――。



 俺はここにいる。仲間はここで倒れている。奴はそこにいる。奴は力を持っている。その力で仲間を奪った。

 ならば俺も力を持とう。奴は【正義】を振りかざした。ならば俺は何を振りかざそう?



 「――――漆黒の鎖に繋がれ俺は生まれてきた。この【憎悪】と【代償】を共に願おう……お前にッ!!」



 振りかざせ、この【憎悪】を。

 振りかざしてやる、この【代償】を。

 

 「契約だ。力を寄越せ。来い――ッ!!」


 俺はその悪魔を呼び出した。

 【憎悪】は燃え上がる。

 賽は投げられた。



 ◈ ◈ ◈


 

 気が付くとそこは黒い濃い霧の中だった。上も下も右も左も。しかし不思議と不安感はなかった。

 まぁ少しびっくりしたのが、


 (左足が……ある……)


 あの薄っすらと左下に見える影。……失われたはずの左足だ。しかしこれは偽造。おそらく悪魔が俺を試しているのだろう。それ相応の人物かどうか……。

 俺の呼び出した悪魔はかなり高位の悪魔だ。それも恐怖公と呼ばれる恐ろしい悪魔。


 「なぁ、早くしてくれよ」


 しかしそんな事はどうでも良い。とにかく早く力が欲しい。奴を倒したい。奴を殺したい。翼をもぎ取り、心臓を握り潰すだけの力が欲しい。

 すると全方向から声が聞こえて来た。


 『あれ、私のオーラが……【毒魔気ベノム】が効かない? こっちの世界の人間で防護円も張ってないのに? おっかしいなぁ……』


 中性的で、いや名状しがたいような声。しかし少し気だるそうな――俺は何もないその霧を睨み付けた。

 その腑抜けた声がただただ腹立たしい。


 『ぇ、あ、ちょっと待って! 今身体形成してる途中だからっ! 後少し、後少しっ!』


 (……どこまで俺を怒らせる気だ?)


 しかしここで感情を歪めてはいけない。おそらくこれも悪魔の試練。俺がどういった人物なのか確かめているのだ。

 するとまた声が、


 『ごめん、ごめん――――』



 ――――ドクンッ。



 (……え?)


 その声は、何度も聞いた事のある声。

 そして周りの霧がゆっくりと収縮して……それが人間の形になった。身体が震える。頭が真っ白になる。


 「……姉ちゃん」


 それは幻影。感覚的にそれは分かっていた。しかし幻影と分かっていても目が離せない。そこには似て非なる姉ちゃんの姿があった。

 もちろんそれが姉ちゃんではない事は分かって……しかし――瞬間、


 「ぐァハぁ!?」


 胃が破れる感覚。そして肌で感じ取った。絶対に息をしてはいけないと言う生存本能。

 目の前の姉ちゃん悪魔は……姉ちゃんの声で言う。


 『あー。やっと【毒魔気ベノム】が効いてきた? 君、なんにも対策して来なかったでしょ。防護円も、しかも呼ぶ時の詠唱文も詠まずにさー。召喚だけはよくあるけど、契約は滅多にないから一応来てみたけど……ハズレかな?』


 姉ちゃんは無邪気に首を傾げながら言う。


 (苦っ、しッ……クソッ!)


 一瞬だが、その姿を見て動揺してしまった。そして確かに何の対策もせずに、悪魔を呼び出す事など自殺行為に等しい。


 まず『防護円』――これは悪魔を呼び出す時、悪魔から召喚主に敵意を見せた際に、身を護る役割をもつ。言わば結界だ。

 次に『詠唱文』――これは要約すると「悪魔様。どうかお願いしまう」と言った内容を、長い時間を掛けて召喚時に言わねばならない。


 しかし俺はこの二つを端折って呼び出してしまった。

 そのせいかは分からないが、先ほどから吐血が止まらない。まるで辺りが毒ガスで満たされているような……。このままでは天使どうこうの以前に、俺が悪魔に殺されてしまう。


 (何か……何か良い案は……?)


 だが何も良い案は浮かばない。

 すると姉ちゃん悪魔は、こちらに歩いて来て、


 『んー。……ん? この手足のっ――』


 そして一瞬――見間違いだろうか? この姉ちゃん悪魔の顔が恐怖と焦りの表情を……。すると急に周りの毒ガスの空気がなくなり、息が出来るようになる。


 「ゲホッガホッ……ッ」


 忘れていた空気を吸い込んで咳き込む。

 同時に眼前の姉ちゃんの姿をした悪魔は、スーっと絵の具のように身体から色が抜け、霧へと変わっていく。そして残った姿は白と黒で構成された姉ちゃんの姿。黒い長い髪に、黒い瞳。白い肌。黒のワンピース。

 最後に――六枚の漆黒の翼が生えていた。

 

 俺はその姿にあの時の記憶が甦る。姉ちゃんの串刺しのアレから、真っ白な翼が生えて……。

 心の中でその憎悪が燃え広がる感覚。それはこの悪魔に対する憎悪かは分からない。だがこの憎悪は何かを求めて、手を伸ばそうとしている。


 「なんだよ……姉ちゃんの姿しやがって……」


 なんにせよ、この悪魔がやっている事は非常に不愉快だった。何故その姿をしてるのか? どうしてその姿を知っているのかは知らねぇが、俺の瞳にはそれが見えている。俺からすれば侮辱にしか思えない。

 すると悪魔は何とも言えない顔をして、


 『あぁ、これ? 私の前からの趣味なんだよねー。召喚主のちょっとだけ記憶を覗いて、異性で最も親しいとか、愛してる何かになって驚かそうってやつ? そっちの世界で言うコスプレみたいな感じ? まぁ色素はアニマの消費量が多いから……ご愛顧! まぁー今の話からすると、この姿は君のお姉さんなんだねぇ。へぇ~。興味ねぇや! 昔はドラゴンに乗って出来て来たり、ロバになって見たり。……まぁ本音を言えば、元々の姿を見られてたくないんだよねー。うんうん』


 気分が悪い。ずっとこの悪魔のペースに乗せらせている感じがして気持ち悪い。

 元々いた場所はどうなった? ミズチは? 結菜は? 生き残った他の人達は? 焦りが俺の背中を押す。

 瞬間、


 『さて……と……』


 (……!?)


 急に身体全体にのしかかる重圧感。それが目の前の悪魔から放たれている威圧だとすぐに分かった。

 悪魔は声に重みをおきながら、


 『それで……君の正体は?』


 その質問の意味は良く分からなかった。今まで通り名前でも出身地でも敵の話でもない。その漠然とした問いに俺は、


 「さぁ……俺が知りてぇよ。俺の正体はなんだ? 悪魔お前の眼には俺はどう映った?」


 すると悪魔は何とも言えない表情をして、


 『人間だけど人間らしくない。……むしろ人間過ぎる。恐いくらいにね』

 「…………」

 『まぁ良いや。こっちとしては、とっとと契約しちゃおっかな』


 すると悪魔は漆黒の翼を大きく羽ばたいて、ゆっくりと飛翔する。その姿は妙に俺の目を釘付けにした。


 『君の名前は?』

 『クロム』


 もう慣れた質問だ。即答する。

 すると悪魔は少し間をおいて、


 『じゃぁクロム。君の……私に叶えて欲しい願いは――なに?』


 その瞬間とき、蠢く憎悪は反響して――絶望の光景。何度も見た。何度も味わった。人が死ぬ。仲間たちが、大切な人が。悲しみの涙を、紅い血を……流して。


 「もう嫌なんだよ……。大切な人が悲しむ顔を、苦しむ顔を……絶望する顔を。苦痛をこらえて涙を流す声を。だから――あの正義達をぶち殺すだけの力をッ」


 そこまで言って頭が真っ白になる。考えている事がグチャグチャになり、自分が何を発していたかも分からなくなる。ただ深淵で憤怒する感情は、手を伸ばす。

 すると悪魔は少しハッとした表情になり、こちらに――『記憶を見せて……』と。そして両手で俺の頬を優しく覆い、おでことおでこが合わさる。

 懐かしい感覚。


 『見つけた――』


 悪魔はボソッと呟いた。雰囲気が少し変わる。

 そして少し渋い表情をして、


 『主天使ドミニオンズの……アイツかぁ……』


 悪魔は俺の今相手をしている敵が分かったようだ。そして悪魔は少し目をそらし、どこか虚空を睨み付けて、


 『一つ思ったんだけど、クロムはアイツに私の上げれる力だけで勝てると思ってるの? 力の使い方だって分かってないのに……。正直、クロムではアイツに勝てないよ』


 確かにそうだ。この悪魔から力を得ても、俺が使いこなせなければ意味がない。俺はその事実を受け止めるには時間がかかった。


 『それに……何で数ある悪魔から私を選んだの? アイツを殺すためなら、もっと戦闘系の悪魔を呼び出せば良かったじゃん。私はあまり戦闘は得意ではないよ』


 悪魔は目を閉じて、



 『――――それでもどうして私を……つけ出してくれたの?』

  


 悪魔の言う通りだ。あいつを殺すならもっと良いが悪魔がいたはずだ。それを知った上で俺はこの悪魔を呼び出した。


 「あぁ……そうだな。確かにそうだ。だがお前じゃないといけない気がした。お前じゃないと……ダメな気がしたんだ。気付いた時には、お前を選んでいた」


 刹那、全身が何かに震えた。

 感極まり考えるより先に身体が反応する。


 (俺では勝てない……いやッ!!)


 「――――俺はやらなければ行けない。やらなければならない。俺は今ままで逃げて来たんだ。ずっと、ずっと。仲間が、大切な人が傷つくのが恐くて恐くて、仕方なくて……ッ! でも、もう……絶対にッ!!」


 それ以上は何も言わなかった。喉を通り越して頭の中で反響する感情憎悪。思い出される映像ビジョン。憎悪は走り出す。

 そんな俺を見て悪魔は、


 『悪魔との契約ってのはね。召喚主の【願い】を私たちが叶える代わりに……。私たちもその召喚主に願いを叶えて貰う――【代償】。そう言う仕組みなの』

 「あぁ……」


 分かっている。

 悪魔との契約には代償がいる。これは絶対の規則であり、絶対の呪縛。召喚主は望むがままに、悪魔も望むがままに、それが契約の本質だ。

 

 『私の【願い】――クロムの【代償】が決まったよ』

 「あぁ……」


 覚悟は出来ている。何を失うのか分からない。しかしどうでも良い。願いは叶えれば良い。俺はアイツに勝たないといけない。アイツを殺さないといけない。

 

 どうなっても良い。


 もう逃げたくない。


 もう逃げない。

 

 もう仲間が傷ついている姿は見たくない。


 傷つけさせない。


 背負うなら俺で十分だ。


 俺だけで十分だ。


 代償を背負うのは、俺だけで十分だ。


 だから俺は代償を。



 『――――私と一緒に天を倒してよ』



 頭が真っ白になり、その言葉を理解するのに何秒か掛かった。現に理解した今も、信じられない気持ちで動揺している。


 『信じられないって顔だね。でもこれが私の願い、クロムの代償。……クロムはなんで私たちが堕天、悪魔になったのか。有名どころで言えば、なんでルシファーが天に反逆したのか知ってる?』


 悪魔は元は天使だ。しかしルシファーと呼ばれる悪魔を筆頭に、天使に反逆、そして敗れ堕天した。

 昔、考えた事がある。

 ある一説には、土から創られた人間に仕えよという命令を拒んだから。またある一説には、神を越えられるという傲慢さから。他にも人間に知恵を吹き込んだから。

 しかしどれも俺にはピンと来なかった。


 『それはね……』


 悪魔は深呼吸した。少し震えて……。

 瞬間――悪魔は歯を食いしばって、目を見開き、感情を露わにして、


 『アイツらはね。凄く自分勝手なんだ。簡単に罰を与えるし、簡単に生命を殺す。……そこに感情はないッ! だから私は反逆したの。感情も心もない奴らの下につきたくなかった。それに……私が天使として、悪魔として生まれたて来たのは、仕組まれたものだったから……。私たちはっ!!』


 その答えに俺は少し悲しくなる。

 同時に正義というものに憎悪を――心の奥底で、深淵で、憤怒をまき散らし、滅亡と崩壊を願う。





 「この【憎悪】と【代償】を共に願おう……。契約だ。力を寄越せ、来い――――”アスタロト”ッ!!』





 ◈ ◈ ◈


 運命は願う。


 ◈ ◈ ◈


 その瞬間クロムとアスタロトは、今こうして契約を交わす。

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