第04話 死生倫理ガタリ

 再生、停止、再生、停止。

 まだ俺は目を瞑っている。耳をすませば水の流れる音。小鳥の鳴き声。自分の心臓の音。そしれ最後の記憶を再生、停止を繰り返し……。


 (……俺はクロム。十六歳。記憶。殺されたんじゃ?)


 まだ目は開けない。他の思考も回さない。

 ただ俺を包み込む感覚――それは笑いだった。


 (……生きてる)


 喜びや生の実感などと言った生易しいものではない。どちらかと言えば狂喜に近かった。

 死んだと思った。意識を失う中でも何も考えていなかった。しかし今俺は生きている。老人異常者は俺を殺そうとした。だが生きている。……この訳の分からないスパイスのような感覚。

 俺はその狂喜に背中を押されながら『マーラー 交響曲第二番第五楽章〈復活〉』を口ずさんだ。


 「おぉ、あらゆるものに浸み渡る苦痛よO Schmerz! du Alldurchdringer


 俺は徐に身体を動かす。そして感覚を確かめた。

 頭と胴体は付いている。右手を動かす。左手を動かす。右手を動かす。左足を――しかしなかった。


 「私はお前から身を離したDir bin ich entrungen


 しかし痛みは感じない。左足がなくなった事は悲しい。辛い。だが気分は良い。……むしろ自分は特別な存在なのではないかと思えた。


 「おぉ、あらゆるものを征服する死よO Tod! du Allbezwinger


 当の昔に死の恐怖など忘れた……だが、この大海原おおうなばらに投げ出されて、一人勝ちした気分。

 俺は勝った。俺は勝った。俺は死に勝った。


 しかしそれは急に、



 「「――――今やお前は征服されたNun bist du bezwungen」」



 俺と同じ歌が聞こえる。心臓が驚きで跳ね上がった。今まで気配も感じなかった。それは直ぐ真横。その声は聞いた事のある男の声。

 俺は目を開けて、その声の聞えた方を見る。

 対してソイツは続きを歌う。 


 「私が勝ち取った翼でMit Flügeln, die ich mir errungen


 老人は俺を見下ろし、胡坐あぐらをかいていた。

 長い白髪を後ろで縛り、口周りには長い白いひげ。全身にベージュ色と黒の皮のような服を着ており、靴はクロックス。


 「……なぜ俺は生きているんだ?」


 俺は冷たい水をぶっかけられたような気持ちになり、不機嫌になりながら聞く。萎えた。完全に狂喜が冷めてしまった。


 「それは愚問ぐもんだ……私は――」

 「じゃあヒトラーはユダヤ人を大虐殺しなければ、悪い印象は持たれなかったのか? 織田信長やナポレオンやリンカーンのように……少なくともマシな印象の人間になれたのか?」


 (これが愚問と言うものだろ?)


 良い気分が潰されてすこぶる頭が痛い。俺に反発するものはすこぶる反発したい。文句を言いたい。


 「…………」

 「……何が愚問だッ! 俺の質問に答えろ。……なぜ俺を殺さなかった? あの少女はあっけなく殺したのに……」


 すると老人は不思議そうな顔をして、


 「あの少女? あぁ、アレはどちらかと言えば”シュレディンガーの猫”のようなものだ。いると思えばいる。いないと思えばいない……。それと――」


 老人は首をぽきぽきと鳴らしながら、 


 「【ことつの 口意次くちいづき】」

 

 (なッ!?)


 俺に考える間もなく老人は俺に術を掛け、情報を――。



 「――敵はだろ?」



 (喋るなっ! 喋るなッ! 喋るなっ! 喋るなッ! 喋るなっ!)

 

 しかし俺の口は動かなかった。俺はポカンとする。何故なら今の老人の詠唱えいしょうは無理矢理喋らせる術。前に俺も食らって情報を少し話してしまった。

 だが今、効かなかった。


 「……見ての通り使。他のやつもな。……お前を殺さなかった事もそれと近しい理由がある」


 使えなくなった? ……しかし噓を付いているようにも見えない。使えるのならば、さっきのタイミングで本当に術に掛かっていたからだ。

 だがそこで疑問が残る。なぜ自分にとってデメリットの情報を俺に教えた? 使えなくなった事を教えると言う事は、俺が優位になると言う事。


 「理由?」


 俺は素直にそれを聞く。

 すると老人は神妙な顔をして、


 「……まださいは投げられていない。まだ時は来ていない。今は言えない。ただ私はを知った。それだけだ」


 真面目な声色で言う。

 正直意味が分からない。答えになっていない。何が自分の存在だ……。哲学的過ぎる。


 「もう一度聞く。なぜ俺を殺さなかった?」

 「……殺して欲しかったような言い方しやがって。この上の奴らのように」


 俺はチラッと上に吊るされている七体の肉ダルマを見る。

 すると老人は真剣な顔をして、


 「助けるためだ。この家の前で血塗れで倒れていたからなぁ。奴らにやられたんだろ?」


 (……おかしくねぇか?)


 俺は今までの事をまとめる。

 俺が気を失って寝ている間に、コイツに何かが起きた。しかしその前までは俺を殺して食おうとしていて……。

 と言うか、現に俺はコイツに左足を食われている。しかし助けるためとだと……?

 落ち着いてもう一度思考しよう。


 (時系列的に、助けるために俺を拾って……。しかし俺の左足を食った。その後俺が目覚め戦いになり、気を失っている間にコイツに何かが起きた……。そして今に……。ダメだ、にかなっていない)


 感情の時系列が滅茶苦茶メチャクチャだ。

 しかし噓を付いている表情にも見えない。それとも噓が下手過ぎるだけだろうか?


 (……いや、ここは考えても無駄だ)


 口を割りそうにない。取り敢えずその話は置いてこう。今は俺とコイツの立ち位置を明確にしなければならない。

 一応助けるためと言っていた。ならコイツは……。


 「お前は敵か? 味方か?」


 結局のところこれが重要なのだ。この答えによっては……。

 すると老人は数秒の沈黙。そして下を向いて、


 「私はお前の味方に慣れるのか?」


 ボソボソと言う。

 その顔からはなにを考えているのかは分からない。


 「お前の目には映ったんだろ? 少女を、人を簡単を殺す者を……私を。そんな私は敵か? 味方か?」

 「一つ言いたいんだけどさぁ――――」


 これはあくまで俺の考え。価値観だ。だが今思えば、俺が自我を持ち始めた時からずっと考えていた事であり、その答えが明確になったもの。


 


 「――――人を殺して、「何が悪い?」」

 



 言葉が重なり合い、その場の空気が冷徹れいてつに凍りつく。対して心の中の俺が、本心をぶちまけようと暴れ回る。

 俺はソレに身を任せ、


 「お前は俺を殺そうとした」

 「…………」

 「凄い嫌悪感だ」

 「…………」


 殺されそうになった事は単純にウザイ。コイツは助けようとしたとか言っているが……。

 俺は話を進める。


 「お前は少女を殺した」

 「……あぁ」

 「だから? 俺に関係あるか?」

 「…………」


 他人がどうなろうが、俺にはどうだって良い。

 つまりコイツが俺を殺そうとしないのなら、コイツが殺人鬼だって、異常者だって、カニバリストだってどうだって良いのだ。

 俺は続ける。


 「じゃあ、もしお前が俺の知り合いを殺していたら?」

 「…………」

 「俺はお前の全てを鏖殺おうさつしてやるッ! 生命いのちを奪い取り、奪い取った後も、その肉袋を羞恥しゅうちに晒してやるッ! 悠久ゆうきゅう号哭ごうこくしろ、世界が終わるまでッ!」


 他人は殺されても良い。だが知り合いは許さない。これが俺の考えだ。

 老人は少し圧倒されたようすで、


 「私はそこまで明確に生死の価値観を考えてないよ……。ただ人を殺しても……」


 なにも感じないと言いたいのだろう。しかし俺はコイツの考えに全く興味はなかった。

 ただ俺が、自分がどう思うか。


 「人を殺しては行けない理由は、やっぱり法で定められているからだろ? 人間はみな殺されたくないと思うから……とか。哲学者ホブッズ――”リヴァイアサン”にも、法があるのは『万人の万人に対する闘争とうそう』を回避するため・殺し合いを防ぐためとか書いてあったが……それは理由ではないだろ? 別に『万人の万人に対する闘争とうそう』になったとしても、人類が滅ぶだけ……」


 ここで人類が滅んではいけないと考えるのは愚問ぐもんだ。人間など、この世界の歴史において、チリ以下なのだから。


 「さっきも言った通り、俺と今まで関わりがあった奴を殺されるのは、思い出を奪われた気分でウザイ。だが見ず知らずの人間が死んだり殺されたり――あの少女だって、上に吊るされている肉ダルマだって、俺には関係ない。生きてたって、死んでたってな」


 無慈悲に聞こえるかも知れないが、皆そう思っているはずだ。他人なんてどうでも良いと……。


 俺は自分の考えを爆発出来てスッキリする。清々しい気分だ。

 対して老人は目を閉じて、


 「はぁ……質問の仕方を変える。お前は私に、敵になってほしいか? 味方になってほしいか? それとも傍観者ぼうかんしゃになってほしいか?」


 俺に再度質問を迫る。

 俺は少し考えて、


 「……上の肉を見てたら腹が減った。食いもんを寄越せ。ただし人肉は許さねぇ。絶対に」


 俺は良い気分で言った。

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