32話 桜と空き部屋を調査した。

「すみません、太田おおたさん。無理を言ってしまって」

 

 俺がいつもの愛想笑いを向けると、ふくよかな体型をした中年女性――太田さんは「もう、いいのよぉこれくらい!」と笑顔で応えてくれた。

 

 風の子院を離れたあと。午後一時半すぎ。

 俺は、近所の奥様方との付き合いの中で得た協力者エージェントのひとり、不動産屋を営んでいる太田ミツコさんと共に、彼女が経営している、とあるアパートを訪ねることにした。

 目的はもちろん、『あの部屋』。

 約一ヶ月前から、謎の『ハッカー』の住処を調査するためである。

 


 

 ――およそ一ヶ月前の十一月二十七日、金曜日。

 起床後。俺のスマホに、『ある通知』が届いていることに気づいた。

 その通知は、家のなかに仕込んだ監視カメラへの外部からの『ハッキング』を知らせるものだった。

 諜報部局長であるところのキャサリンが、ただの監視カメラを渡してくるはずがない。あのカメラは誰かがハックしてきた際に、『ハッキングされています』とスマホに通知がくるようになっていたのだ。

 

 そして。

 このハッカーは監視カメラだけではなく、物理的に俺たちを監視していた。

 その物証が――夏海が雷に怯えていたあの日、縁側の窓外で光っていた、別の光だ。

 雷でもシャッターでもない、なにかが反射したかのようなあの光は、『望遠鏡』のレンズの反射光だった。

 

 あのとき、家のなかは雷の影響で停電していた。

 だからハッカーも、監視カメラの映像をハックすることができず、やむを得ず原始的な方法で葉咲家を監視するしかなかったのだ。

 その光の位置を――とあるアパートの二階の窓であることを察知し、今回、俺は太田さんに助力を願い出たというわけだ。

 

 しかし。

 これまで俺は、そのハッキングを問題視してこなかった。

 クラウド上にあげられた監視カメラ映像へのリンク履歴を見るに、ハッカーは俺の動向ばかり追っていて、三姉妹の動向にはまったく見向きもしていなかったからだ。

 雷の日。望遠鏡で覗いていたのも、おそらくターゲットは夏海ではなく俺だったのだろう。

 

 三姉妹に害がおよばないのであれば、それだけでいい。

 ゆえに俺は、このハックを単なるイタズラだと判断し、今日の今日までスルーしてきた。

 

 が――数日前のキャサリンの話を聞いて、事情が変わった。

 アンチフェイスという敵対組織のメンバーが、この叶画市に入ってきたという目撃情報タレコミだ。

 似た者同士は引かれ合う――俺は脳内で、それが自然な形であるかのように、このハッカーとアンチフェイスとを同一視リンクしていた。


(これがアンチフェイスによる『覗き』であれば、ハックの意図が『イタズラ』から『交渉ネゴシエーション』にすげ変わる)

 

 まさか恋愛相談をしたいわけでもあるまいに。敵対組織が害をおよぼさず俺を監視する理由など、なにかしらの交渉以外にあり得ない。

 そして。キャサリンはあの喫茶店で、『ミヤの件もこれで……』とつぶやいていた。

 十一月下旬。まさに監視が始まったその時期と重なる、『No,038』の音信不通。

 しきりに、夢に見るほどにミヤのことを気にしているハチバンの怪しい言動とも、無関係とは言い難いだろう。

 

 だから――俺はここに来たのだ。

 そうした、すべての疑念を晴らす糸口を見つけるために――

 


 

「にしても」

 

 目的地のアパート、築二十年ほどの二階建て集合住宅に到着後。

 赤錆びた外階段をカンカン、と音を鳴らして登りながら、太田さんが口火を切った。


「クロウちゃんもおかしな子ねぇ。突然、『このアパートの二階の空き部屋を見せてほしい』だなんて。あなたには葉咲さんの立派なお家があるでしょうに――ねえ、桜ちゃん?」


「ほんとですよ。私たちの家のなにが不満なんだか……」

 

 そう言って、擬音にしてプンスカ、と頬をふくらませる制服姿の女子高生――葉咲桜。

 桜を連れていくつもりはなかったのだが、太田さんの家に向かっていた際、下校途中の彼女とたまたま遭遇してしまったのだ。

 叶画高校では期末テストも終わり、あとは冬休みまで半日授業が続くので、午後は丸々暇になるのだそうだ。要は、桜は暇つぶしに連いてきたのである。

 閑話休題。


「不満ってわけではないんですけど……俺も、いつまで桜たちの家で家政夫を続けられるかわかりませんから。ひとり暮らしをしなくちゃいけない、となったときのための参考として、空き部屋を見学させていただければなと思ったんです。ネット上で見るのと、実際に広さを体感するのとでは、やはり大きくちがいますから」


「百聞は一見にしかず、ってやつねぇ。まあ、殊勝な心掛けだとは思うけど……でも、見学する部屋はどうして二階限定なのぉ?」


「俺、高いところが好きなんですよ。あはは」


「うぐっ。く、クロウちゃんも、意外と男の子な部分があるのねぇ……でも、桜ちゃん的には、クロウちゃんのコレは複雑な自立心よねぇ?」


「……それなら、さ」

 

 と。二階にたどりつくと同時、すこし後ろを歩く桜がキュッ、と服の袖をつまんできた。

 その顔は、なぜか耳まで真っ赤に染まっている。


「か、家政夫じゃなくて、いっそ『夫』として、うちに住んじゃえばいいんじゃないかな……? そうすれば、出ていく必要もなくなっちゃうし」


「……ちなみに、それは誰の夫だ?」


「わ、私、ですかね? え、えへへ……」


「…………」


「……ご、ゴメンって! ちょっと言ってみたかっただけなの! そんなに呆れた顔することないじゃん! もうッ!」


「クロウちゃん、挙式にはおばさんも招待してねぇ」

 

 赤面しながら怒る桜、楽しそうにウィンクをしてくる太田さんを横目に、俺はため息をつきながら歩を進めた。

 望遠鏡の反射光の位置からするに、おそらくハッカーが住んでいたのは、『204』号室。

 もちろん、ココにはもうハッカーは住んでいない。

 

 十一月二十八日、叶画高校の学園祭が催された日。俺が秋樹の猫メイド喫茶に行った際に、廊下側から不自然な視線を感じる場面があった。

 アレが、おそらくはハッカーの視線だったのだろう。

 監視カメラの届かぬ野外に出たから、慌てて追いかけてきたのだ。

 

 その視線に勘付き、振り向いた俺を見て、ハッカーはこう思ったはずだ。

 バレた、と。

 だから、その翌日から……つまりは二週間ほど前から、ハッキングに関する通知がぱたりと途絶えたのだ。とっくに、この住処を引き払って逃亡していたから。


(俺への交渉を諦めたのか、はたまた『別口』を見つけたのか……)

 

 思案しながら、204号室前で足を止める。

 と。そんな俺を見て、太田さんが「んん?」と怪訝な表情をした。


「クロウちゃん、どうして空き部屋がそこだってわかったのぉ?」


「ほかの部屋の玄関前に比べて、ここだけ綺麗すぎますから。玄関横の透明なガラス戸にも、カーテンがついてないですし」


「ああ、なるほどねぇ。さすがは元探偵さん」

 

 感心しながらマスターキーを取り出し、204号室の扉を開ける太田さん。

 即席の言い訳にしては、なかなかうまくいったほうではなかろうか。


「さあ、どうぞぉ。まだ退去後のリフォームが済んでないから、すこし汚れてるところがあるかもしれないけど……とりあえず、埃を出すために窓を開けたほうがいいかもねぇ」


「お邪魔します。桜、そこ段差になってるから転ぶなよ?」


「こ、転ばないわよ! 子供じゃないんだから」

 

 桜が転ばずに玄関を抜けたところで、俺は太田さんと共に中に踏み入る。

 ありふれた1LDK。床はすべてフローリングで、壁紙は静謐な白。リビングは九畳ほどで、ベランダと繋がっている。

 カラカラ、と窓を全開にしながら、太田さんが不思議そうに口を開いた。


「実はこの部屋、すこし前までひとが住んでたんだけど……そのひと、十一月下旬頃に越してきたと思ったら、ほんの数日で出て行っちゃったのよねぇ。名前は……まあ、個人情報に関わっちゃうから言えないんだけど、綺麗な女性の方でねぇ。海外への転勤かなにかが決まっちゃったのかしらぁ?」


「女性……」

 

 両腕を組みつつ、俺は太田さんに問いかける。


「その女性と話されたことは?」


「それが、一度もないのよぉ。家の中に入っていく瞬間を、遠くからたまたま見かけただけで」


「一度も? それじゃあ、そのひとはどのように入居の手続きを?」


「彼女の婚約者だっていう男のひとが代理で済ませてたわぁ。そのひとも、外国のひとだったわねぇ。もちろん、退去の手続きもその男のひとが済ませてたわぁ」


「……なるほど」

 

 うなずき、俺は部屋内部をあらためて見回す。

 

 確信した。

 ここに住んでいたのは、間違いなくスパイだ。

 

 俺にバレたと察して数日で退去する潔さもそうだが……なにより、この部屋は

 壁、窓、ドアノブ、フローリング、ベランダの手すり、そのすべてに、一切指紋が付着していない。すこしの汚れも見当たらない。本当に人間が住んでいたのか怪しいぐらいだ。

 極度の潔癖症、あるいは綺麗好きでもこうはならないだろう。リフォーム後ならまだしも、リフォーム前で指紋のひとつも付着していないのは、普通の人間ではありえない。

 

 まさかフルピースのスパイが俺を監視するはずもなく、必然、導き出される答えは。


(アンチフェイスのスパイ、か……)

 

 これで、ハッカーの正体がアンチフェイスである可能性が強まり、さらに、俺を監視していた理由も『交渉』である可能性が濃厚になった。


「だが、いったい俺になんの交渉を……?」

 

 キャサリンが得たのは、アンチフェイスのメンバー『数名』の目撃情報だ。ふたりであれば数名と形容することはない。おそらく、五人以上は目撃されていると見ていいだろう。

 

 そんな複数人のアンチフェイスが、俺への交渉のためだけに来日……?

 非効率すぎる。交渉であれば、正直、ふたりでも多いくらいだというのに。


(俺への交渉のほかに、なにか『別の目的』があった……?)

 

 そう考えるのが妥当だが、しかしその目的の内容までは判然としない。

 

 熟考しつつ、開け放たれたベランダから住宅街の尾根おねを眺める。

 すると。

 桜がトトト、と俺の隣に歩み寄ってきて、急に右腕に抱きついてきた。


「? どうした」


「えへへ……なんか、怖い顔してたから、リラックスさせてあげよーと思って」


「……してたか? 怖い顔」


「してたよー。こう、眉の辺りがムムム、って。能天気なクロウらしくないよ」


「能天気と思われていたことにショックを隠せないが……たしかに、俺らしくないかもな」


「そうそう。クロウはいつものように、ド天然なこと言ってくれないとー」


「能天気の上に天然、か……今日は枕を涙で濡らすことになりそうだ」


「えー? 別にそんな悲観することなくない? 私は、そういうクロウだからこそ好きに――、あ」


「え?」

 

 突然の発言に右隣を見やるも、桜は抱きつきをバッ、と解除して、顔をそらしてしまう。

 首をかしげる俺を前に、桜は顔をゆでだこのように赤くして。


「な、なんでもない! いまのは、ほんと、なんでもないからッ! 豆腐の角に頭ぶつけた衝撃で忘れてほしいと願う今日この頃だからッ!」


「わけのわからない言葉が飛び交っているが……わかった、いまの発言は忘れることにする」


「そ、そう! それが賢明! そして私は自宅へ亡命!」

 

 韻を踏みつつ、駆け足で204号室を後にしてしまう桜。

 まあ、まだ陽も高いし、なにより葉咲家まで徒歩五分もない位置だから、ひとりで帰らせても問題はないだろう。


「まったく、忙しいやつだな……」

 

 両肩をすくめて、ため息をひとつ。

 すると。一部始終を見守っていた太田さんが、ニヤニヤと口端を吊り上げながら、「クロウちゃん」と声をかけてきた。


「この部屋、桜ちゃんと住むぅ?」


「……遠慮しておきます」

 

 あら、残念だわぁ、と太田さんは楽しそうに俺の肩を叩いてくる。

 俺は疲れた愛想笑いをしつつ、おもむろにスマホを取り出した。

 

 アンチフェイスのスパイが、俺を監視していた。

 この情報も、キャサリンに伝えておかなくては。

 



 そして。

 運命のクリスマスがやってくる。

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