24話 ハチバンと秘密の散歩をした。
とまあ、そんなこんなで。
かつての同僚、片桐ハチバンが俺の部屋に泊まることになり、三姉妹からも『それで、お前はどうするんだ?』と言わんばかりの無言の圧力を受けたわけだが……よく考えてほしい、俺の部屋だからと言って、俺までもが一緒の空間で寝る必要はないのだ。
ということで。
夕飯後。食器洗いを済ませた俺は、自分の布団を迅速にリビングへと移動させた。
ロリが俺の部屋に来るのなら、俺が出ていけばいいじゃない!
発想の転換とも言えない、ごく自然な結論である。
そんな俺の行動を目にして、三姉妹はホッと胸をなで下ろして各々の用事に戻っていった。よかった。どうやら株を下げずに済んだようだ。
ここでハチバンと一緒に寝ていたら、先ほどの押し倒しも勘違いではなかったのでは? どころか実はクロウはロリコンだったのでは? と疑われることになってしまうからな。
その誤解だけは全力で避けなければならなかった。男としての名誉のために。
「……それ、なんかズルくネ?」
午後九時すぎ。ソファをベッド代わりにして布団を敷いている最中。ハチバンが近寄ってきてそうボヤいた。
その表情は、おもちゃを取り上げられた子供のように不貞腐れたソレだ。
布団を敷き終わったあと、俺はすこしだけ得意げな顔でハチバンの頭にポン、と手を置いて。
「俺の部屋に泊まりたいのだろう? なら、好きに泊まるといいさ。まあ、その部屋に主の俺はいないがな!」
「ぐぬぬヌ……!」
「別室に布団の余りがある。あとで部屋に用意してやるから、待っていろ」
「ムー! クロウがあの三人に責められて、無様に慌てふためく姿が見たかったのニー!」
「相変わらず油断も隙もない奴だ……」
本当、イタズラ好きなところはなにも変わっていないな。
こんなイタズラを思いつく辺り、先ほどの偽りの自己紹介時、あるいは玄関先での再会時に、俺と三姉妹の関係性を素早く見抜いていたのだろう。
(さすが現役スパイ。洞察力は
さておき。
くしゃくしゃ、と銀髪を荒っぽくなでて、俺はリビングの出口に向かう。
「まあ、ともかく残念だったな。今日はおとなしくひとりで寝るがいい。一時間後にな」
「? 一時間後って、なんデ?」
「ハチバンにはまだ大事な用事が残ってるだろうが。再会したときにお前が言ったんだぞ? その辺の事情はまたあとで話す、と」
くいっ、と顎で玄関を指し示す。
「さあ。腹を割って話す、秘密の散歩に行こうか」
□
冷たい夜風が首筋をなでる中。俺とハチバンは夜の散歩に出かけた。
家を出る直前。ちょうどリビングに降りてきた桜がふたりの外出を訝しんだが、コンビニでなにか買ってくるぞ、と告げると、嬉々としてアイスを要求してきた。花より団子なお年頃か。わかる。冬のアイスっておいしいよな。
ともあれ――家の中には監視カメラと、三姉妹の耳がある。
監視カメラの『あの通知』は、一週間ほど前からピタリと止んでいるので、家の中でも気にする必要はないのかもしれないが、三姉妹は別だ。彼女たちにスパイの話題を聞かれてしまうと、後々マズいことになりかねない。
最悪、スパイ関連の事件に巻き込みかねない。
誰の『目』も存在しない夜道を選択するのは、俺たちスパイにとって当然の帰結とも言えた。
「……だからって、夜中に十三歳のガキを連れ出すカ? 普通」
「いまのお前は二十歳なんだろ? もし警察に職務質問されたとしても、なんら問題はない。同い年の男女が散歩しているだけのことだ」
「ニシシ。なら、散歩じゃなくてデートって思われちゃうかもヨ?」
歩きながら、からかうような視線でこちらを見上げてくるハチバン。
俺は、吹きつける風にすこしだけ首を縮こませながら。
「かまわん。毎日職質されるわけでもなし、その場限りの警察にどう思われようが知ったことではないさ」
「そ、そうなんダ。ボクとのデートと思われてもいいんダ……ニシシ」
「? それより、さっそく本題に入らせてもらうが」
どこかうれしそうに忍び笑いをもらすハチバンに、俺は訊ねる。
「ハチバンはどうして日本に? 任務で来た、とか言っていたが……それと、なぜ俺の転職先を知っていた? わざわざ葉咲家に来た理由は?」
「……クロウ。ボクも一応スパイだから、情報の守秘義務っていうのがあるんだけド?」
「あとで話すと言ったのはハチバンじゃないか……まあ、気にするな。こんな夜道での会話、どうせ野犬とあの三日月しか聞いちゃいないさ。それに」
「それニ?」
「いまの俺はただの家政夫だ。スパイの話なんか理解できるはずがない」
「ニシシ。まあ、それもそうカ」
小さく笑ったのち、ハチバンは白い吐息の尾を引きながら。
「『
と、声のトーンを抑えて言った。
「いいや、知らないな」
「ボクもこの任務を受けるまでは知らなかったんだけド……なんでも、日本の有名な資産家らしイ。そいつが、つい最近老衰で死んじゃったんだとサ。八十五歳とかだっけかナ?」
「それは、気の毒なことだ」
「気の毒な騒動はそのあとに起こったのサ――その白峰厳三、なんと自身の莫大な遺産を全額、遠縁の孫娘ひとりに与えるって遺言を遺してたんダ」
「孫娘ひとりに……」
「近しい親族は大パニック。現在、白峰の親戚中が右へ左への大混乱中なんだってヨ。キャサリンの話によると、その孫娘以外、白峰の親族は全員が
「……それは、たしかに気の毒だな。その孫娘が」
遺産には
有名な資産家ともなれば、その遺産額は測り知れない。
その遺産の半分が、関わりの少ない遠縁の娘に奪われる。
パニックにもなるというものだ。
「ただ、白峰厳三もバカじゃなかっタ。こうなることを予期した上で、裏世界に通じてる資産家のツテを頼って、死ぬ前にフルピースの諜報部にこう依頼していたのサ――遺産騒動が落ち着くまで、愛しの孫娘を『護衛』してくれ、ってナ」
ようやく話が見えてきた。
「その護衛任務を請け負ったのが、片桐ハチバン、ということか」
「そういうこト。ボクは、その孫娘が切り盛りしてる『
「なるほど。新しい住処に住むのは明日から、と言っていたのはそういう意味だったのか……ちなみに、なんだが」
「なニ?」
「その孫娘は、白峰厳三の遺産を受け取ることになる事実を知っているのか?」
「その辺は、まだ当人に会ってないからわからないけド……親族がパニックになって相続阻止に奔走してるってことは、たぶん孫娘自身はまだ知らされてないんじゃないかナ? 白峰厳三の死自体は、さすがに聞かされてるだろうけどネ」
「……となれば、その孫娘には伝えないままでいたほうがいいだろうな。そのほうが、余計な混乱を招かなくて済む」
「ボクも同意見。なにより、ボクに与えられた任務はあくまで『護衛』。依頼人の命を守ることだからネ。危険な真似をされちゃあ困ル」
相続の情報を伝えて、孫娘に相続権を放棄させる手もあるが、そこまでの踏み込んだ誘導は今回のハチバンの任務内容には含まれていない。
であれば、静観するようでアレだが、護衛に徹するのがスパイとしては正解なのだろう。
「まあ、そんな感じの任務を受けちゃったもんだかラ、ボクは仕方なく日本に来たってわケ。納得しタ?」
「半分はな。では次に、俺の転職先を知っていた理由と、葉咲家に来た理由を吐いてもらおうか」
「事情聴取みたいになってきタ……じゃあじゃあ、打ち明ける代わりに、ボクのお願いを聞いてもらってもいイ?」
「ハチバンは交渉できる立場にないと思うんだが……まあ、内容にもよるかな」
「そんな小難しいもんじゃないヨ――明日、ボクと一緒に風の子院に行ってほしいんダ」
「風の子院に? どうしてまた」
「えっと……その、これ言うの恥ずかしいんだけど、ガラにもなくなんか緊張しちゃっててサ。誰か頼りになるひとが連いてきてくれたらな、って思っテ……ほんと、連いてきてくれるだけでいいノ! 明日の初日だケ!」
「ふぅん……」
思わずハチバンの横顔を覗き込んでしまう。
本当になんとなく、感覚的なものだが、すこしだけ『嘘』の匂いがしたのだ。
「な、なニ? ボクの顔にゴマでもついてル?」
「なぜゴマ限定なのかはあえて突っ込まないでおくが……まあ、別にかまわんぞ。連いて行くだけでいいんだよな?」
「ッ……うン! 連いてきてくれるだけでいイ! ありがとう、クロウ!」
「気にするな。これはしっかり貸しにしておくから」
「く、クロウも大概、相変わらずだよネ……」
「やかましい」
突っ込みつつ、俺は話を戻した。
「それで、俺の転職先を知っていた理由と、葉咲家に来た理由は?」
「ああ、そうだっタ……クロウの転職先を知ってたのは、単純にキャサリンの局長室で野宮クロウのファイルを目にしたからだヨ。机の上にポイッ、って置いてあってサ」
「あの酒飲み女……!」
個人情報の扱いがズサンすぎる!
しかも、同じスパイメンバーの情報ならまだしも、辞めたスパイの情報を放置するとは!
ハチバンが俺の日本での名前を知っていたのは、そこで情報を盗み見たからだったのか。
「ま、まあ、その件については俺が後日言及しておくとして……では、葉咲家に来た理由は? 日本に来たついでに俺に会いに来た、なんて軽いノリじゃないんだろ?」
前述した通り、スパイは目立ってはいけない。
昔の
「それハ……」
なぜか言い淀み、ハチバンはそっと夜空に視線をそらした。
「……ニシシ、ゴメン。いまは話せないヤ」
「? なぜだ? ここまで話したのだから、それぐらい……」
「だって、ほラ」
小さな指先が示したのは、頭上に浮かぶ細い三日月。
「三日月が、聞いてるかラ」
「……、……」
そう言って、隣り合う俺を見つめてくるハチバン。
俺は、それ以上言及することができず、「そうか」と返すことしかできなかった。
――俺は、このときのハチバンの表情を、一生忘れないだろう。
悲哀と諦観……それに、ほんのすこしの期待が滲んだ、複雑すぎるあの表情は。
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