閑話(中) 秋樹にメイド指導をした。

 十一月二十八日、土曜日。

 今朝になってもあの通知が来ていたが、昨日から丸一日経っても実害が起きるなどの変化は見られなかった。俺の直感でしかないが、この行為にはやはり害意は見られない。ひとまずは、単なるイタズラ目的と考えていいだろう。

 

 さておき。

 本日は、桜と秋樹の学園祭当日である。

 昨日の雷雨を忘れたかのような晴天の下。


「……来てしまった」

 

 俺は、ふたりに呼ばれてもいないのに叶画高校を訪れていた。

 理由はふたつ。

 ひとつは、桜の劇をこっそり見守るため。

 そしてもうひとつは、秋樹のクラスの出し物を確認するためだ!

 

 ちなみに。

 スパイにはお馴染みとされている『変装へんそう』は、今回してきていない。してきていないというか、する意味がない。すぐにバレるからだ。

 スパイ映画などではよく、若い青年がヨボヨボの老人に変装して潜入するシーンなどがある。あれは、個人情報の照会が簡単にできるようになった現代では到底不可能な芸当だ。ファンタジーと言ってもいい。ハリウッドの有名メイク師にでも頼んだほうが、よっぽど『らしい』変装ができるというものだ。

 

 似たような理由で、針金を差し込んでカチャカチャ……と、馬鹿正直に鍵開けをするスパイも存在しない。鍵開けの技術は一応学ばされるが、現代ではピッキングで開けられる鍵はほぼ存在しないからだ。やるのは下品な泥棒ぐらいのものだろう。スパイ映画で、南京錠をパパッ、と瞬時に開けて自身の腕前を示すスパイがいるが、あれほど滑稽な行為はない。それなら、そこら辺の石を持ってガツンと南京錠を壊したほうが、はるかにスマートだ。

 

 閑話休題。

 ともあれ。そういった理由から、俺は変装もなにもせず、普段通りのスーツ姿で来ていた。

 先ほどから、目の前を通りがかる女生徒たちが必ず俺を見ていくが……ええい、今日も今日とて女性たちの反応は気にせずいこう!

 とにかく、一番の杞憂は秋樹のクラスの出し物である。


(いかがわしくないものだって、俺は信じているからな!)

 

 人でごった返す校門を抜け、学校の敷地内に足を踏み入れる。

 午前中にもかかわらず、多くの客が叶画高校を訪れていた。大半は他校の高校生だが、俺のような一般の客もチラホラ見える。

 

 叶画高校の生徒たちも、楽しそうな表情で校内の店を見て回っていた。

 中には、ドラキュラやお化け、全身包帯だらけのミイラや着ぐるみなど、様々な仮装をして廊下を練り歩いている生徒までいる。仮装しながら客の呼び込みをしているのだろう。


(仮装までするとは……かなり気合の入った学園祭みたいだな)

 

 ここに住んで一ヶ月も経たない俺にはあずかり知れぬことだが、叶画高校の学園祭は、この地域ではそれなりに有名なイベントなのかもしれなかった。


(有名であれば、いかがわしい出し物はなおさら出店できないか……)

 

 すこし胸をなでおろしつつ、来客用の昇降口前で配られていた、各クラスの出店情報を記載したチラシに視線を落とす。

 桜のクラス、2ーAの白雪姫は、午後一時半に体育館で開演予定らしい。

 現在の時刻は午前十時半。先に秋樹のクラスに回ったほうがよさそうだ。


「えーっと……」

 

 本校舎が描かれた地図の三階部分、秋樹のクラスの1ーBを確認する。

『猫メイド喫茶』と書かれていた。


「…………」

 

 早起きしすぎて寝不足なのかもしれない。

 目をこすって、もう一度見てみる。

 やっぱり、猫メイド喫茶と書かれていた。


「……ふむ」

 

 メイド喫茶の存在は、日本を訪れる前から知っていた。だが、詳しくは知らずにいた。知る機会もなかったからだ。

 なるほど。秋樹が俺たちに話したがらないわけである。

 俺は1ーBを目指しつつ、そっとスマホを取り出して『メイド喫茶』と検索をかけた。

 



 

 1ーBに到着すると、俺はスマホをポケットにしまい、『猫メイド喫茶』と書かれた暖簾をくぐった。

 予習は完璧だ。

 あとは、秋樹のメイド対応が正しいかを見定めるのみ!

 秋樹にとっては余計なお世話かもしれないが、メイド喫茶の中にも極稀にいかがわしいものがあるらしいからな。これも健全なメイドを教えこむためだ! 許せ!

 

 と。来店した俺に気づいた猫耳メイド服の女生徒がひとり、うつむきがちにこちらに歩み寄ってきた。

 普段の眼鏡を外し、いつもの三つ編みをツインテールにしたその生徒は、羞恥に頬を赤らめながら、両手を猫のように丸めてこう言った。


「お、おかえりなさいませ、ご主人さま! にゃーん!」


「出迎えご苦労。いま帰った」


「え……こ、この声……」

 

 ツインテール猫メイド――秋樹が、怪訝そうに目を細めて見つめてくる。

 目が悪くて俺だとわかっていないのか。

 数秒後。ようやく俺の存在に気づいた秋樹は、その目を大きく見開いて。


「……ッ、く、クロウさんッ!? ど、どうしてここに……!」


「クロウではなく、ご主人さまと呼びなさい。いまの俺はただの客だぞ」


「え、あ……す、すみませんでした……?」


「うむ。席はどちらかな?」


「あ、こちらになります……にゃん」


「なるほど、語尾を『にゃん』にするから『猫メイド』なのだな。その猫耳もシッポも、かわいいじゃないか。遊園地での経験が活きたな」


「~~ッ、クロウさんにだけは見られたくなかったのに……にゃん!」

 

 恥ずかしそうにしながらも語尾を忘れないとは。

 商売根性のある猫メイドだった。

 

 スカートに取り付けられた秋樹の猫シッポに誘導されるような形で、窓際最後方の机へ。

 席につくと、「少々お待ちくださいにゃん」と秋樹が黒板近くの調理場に戻っていった。

 水を渡されるときに、秋樹はなにやらほかのメイドたちに茶化されていたようだったが……ふむ、悪い雰囲気には見えない。むしろ、仲が良さそうに笑い合っている。この学園祭を通して、あの子たちも秋樹の友達になってくれたらいいのだが。

 

 そんな光景を微笑ましく眺めていると、秋樹がお盆に水を乗せて持ってきてくれた。


「どうぞ、お待たせしましたにゃん」


「ありがとう。猫メイドさん」


「いちいち自覚させないでいいですにゃん……これ、思ってるより恥ずかしいんですから」

 

 そう言って、胸元やスカートの丈を見やる秋樹。

 察するに、秋樹が望まぬ形で――おそらくはくじ引きかなにかで、この猫メイド喫茶は決定してしまったようだな。まあ、この恥ずかしさも、学生時代のいい思い出になるだろう。

 

 さておき――俺は司令官のように両手を組み、メニューも見ずに、秋樹にこう告げた。


「それよりも、秋樹」


「なんですかにゃん?」


「さっそく注文なんだが……メイド喫茶の王道メニュー、オムライスをいただこうか」


「お、オムライスにゃん?」


「そうだ。そして、黄色い卵のキャンパスの上に、ケチャップを使ってかわいらしい猫さんを描いてもらおうじゃないか! 心ゆくまでたっぷりとな!」


「……あの」


「どうした?」


「火を使った調理は禁止されてるので、オムライスはないにゃん……」


「……そうにゃん?」

 

 ショックのあまり、つい語尾が移ってしまった。

 メイド喫茶なのにオムライスがないって……え、そうにゃん?


「で、では、俺はいったいなににお絵かきをしてもらえばいいんだ……?」


「クレープならありますので、そちらにならお絵かきできるにゃん?」


「では、それにしようではないか!」


「水を得た魚のように元気になった……ご注文承りました、少々お待ちくださいにゃん」


「待つ!」


「このひとは、まったく……」

 

 俺に呆れながらも、丁寧にお辞儀をして調理場に戻る秋樹。

 

 水を飲みながら待っている最中。

 ふと、廊下側から視線を感じた。

 すぐさま顔を向けるも、女子生徒や包帯を巻いた仮装生徒がいるだけで、こちらを見ている人間はいない。


「……これも気のせい、か?」


「お待ちどうさまにゃん」

 

 訝しんでいると、秋樹が紙皿に乗ったクレープを運んできた。

 学生の料理なので出来栄えはお察しだが、それでも生地は充分にうまそうなクレープだった。


「では、これにチョコソースでお絵かきをさせていただきますにゃん……なにか、ご希望の絵とかはありますにゃん?」


「秋樹の好きなものでかまわないぞ」


「わ、わたしの好きなもの……ですにゃんか」

 

 語尾を巧みに使いこなしつつ、数秒熟考したのち、秋樹はチョコソースをクレープの生地上に走らせた。なぜだか、すこし頬が紅潮している。


「で、できましたにゃん……」

 

 出来上がったそれは、なんだかよくわからない人物像だった。

 髪型や輪郭からして男の顔のようだが、いかんせんチョコソースのせいで詳細はわからない。


「秋樹、これはいったい誰なんだ?」


「……教えないにゃん」


「秘密、だと……? 俺はこれから、この秘密にされた男を食べなければならないのか……」


「そうにゃん。共食いするといいにゃん」


「共食い?」

 

 その意味はよくわからないが、まあいい。


「では、いただくとしよう――とでも言うと思ったか! 甘いわ! ああまったく、このクレープよりも甘いな秋樹は!」


「一言も発してないんですけど……どういう意味ですにゃん?」


「メイド喫茶といえば、大事な大事な工程がひとつ残されているだろうが!」


「大事な工程?」


「料理が美味しくなる『おまじない』だ! 知らないとは言わせないぞ!」


「あー……」


「その顔はやはり知っているんじゃないか! ほら、最後の仕上げにドカンとやってくれ!」

 

 紙皿を秋樹の近くに寄せて、おまじない待ちをする俺。

 ネットの動画などで確認はしたが、こうして生で見るのは初めてなので、すこし楽しみだ。

 ワクワクして待っていると、秋樹は小さくため息をしたのち、両手を猫手にしはじめた。


「そ、それじゃあ……い、いまから、このクレープがおいしくなるおまじないを、かけたいと思いますにゃん……」


「おお! 頼んだ!」


「お……お、おいしくなーれ、にゃにゃにゃん、にゃーんッ!」


「にゃーん!」

 

 秋樹のおまじないに合わせて、俺もおまじないを唱えてみる。

 ほかのお客さんたちが、そんな俺と秋樹を見てくすくすと笑っていた。遊園地のときのように、すこしテンションをあげすぎただろうか?


「お、おまじない終わりにゃん! ごゆっくり!」


「おお! ありがとう、猫メイドさん!」


「だから、わざわざ言わなくていいですにゃんってば!」

 

 俺のお礼も途中に、調理場に向かって「ちょっと休憩させてくださいにゃん!」と告げると、秋樹は教室の外に走っていってしまった。相当恥ずかしかったらしい。

 

 俺はひとり、おまじないのかかったクレープを食べてみる。


「……うん」

 

 まあ、なんというか。

 おまじないの効力もなく、可もなければ不可もない、普通のクレープの味がした。

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