竜の居ない洞窟(16)

「お前ら、もう、いいぞ。どっかに行けよ。お前らには興味なんてねえから、とっとと消えろよ」


 跳ねた血で、その口元は汚れていた。


「……そういう訳には、いかないな」


 ふうっと息を吐き冷静さを取り戻した丸焼きが、短剣をくるりと回してから構え直す。


「なんだあ? まさかこいつのかたき討ち、なんて言い出すんじゃねえだろうな、へへ……」


「立ち去ろうとしたところを不意打ちしないという保証はないからな。ここでお前を殺しておくのが一番の無難だから」


「へへ。まあその通りなんだがな」


 男は血まみれの手をローブの裾で拭うと、折れた剣を握り直し、その場で膝を細かく上下させた。脚のばねを動かしながらタイミングを窺っている――武器を握る手にわずかに力が籠り――今!


「なっ――」


 頭上に構えた男の手から剣が弾き飛ばされる。からん、落ちる音。遅れて、かん、軽い音。男の目には、矢を放った姿勢で、静かな瞳でにらみを利かせているカフェトランの姿が映っていたことだろう。

 そしてその機会を無駄にする丸焼きではなかった。軽いステップで男の懐に踏み込むと、片方は顔、もう片方は腹目掛けて短剣を振るう。


 だけれど男の反応も、異常としか言いようがないものだった。顔に向かう短剣は手首を掴み押さえつけ、腹の方は、自らのてのひらを貫かせることによって受け止めていた。


 暗殺者はこれがあるから嫌なんだ――丸焼きの表情はそう物語っていた。自分の命を危険にさらす、自分の負傷を勘定に入れない、そういう判断が、咄嗟の選択肢に含まれている。


 そしてその立ち回りも恐ろしいもので、攻撃を受け止める際に身体の向きをずらし、自身の背中がアリツクシラに、丸焼きの背中がカフェトランの方へと向くようにしている。これではカフェトランが援護をすることが出来なかった。


「どうやら――あっちの耳ありは、本当にそのつもりらしいがな」


「なんだって?」組み合ったまま、丸焼きは男の言葉を聞き返す。「そのつもりって、なんの話だ?」


「あっちのエルフは、このワイバーンを殺されたことに対する怒りに燃えてるってことだよ」足下に生まれつつある血溜まりを見て、笑った。「本当にエルフってやつはワガママなんだよな。自分たちは散々殺す癖に、こっちが殺したらボートクだのなんだのって」


「違う!」カフェトランはそれでも次の弓をたがえながら、怒鳴った。「生きる為に殺す、生きているから殺される、それは世界のことわりだ。だけど、だから、死者には敬意を払わなければいけない! 死体の上にこの地が気付かれていることを自覚しなければいけない!」


 死者を愚弄することは決して許されない――カフェトランのその言葉に、しかし男は、やはりというのか、にやりと口元を歪めた。


「そんなの、狩りや殺人の言い訳だろう? 分かった、分かった――お前はそう思うっていうだけの話だ。だが俺はこう考える――死者は、自分が殺したやつは、徹底的に馬鹿にするべきだ。だって殺されたやつだってよ、てめえの勝手な都合で殺しておいてうやまってますなんて言われても、「はあ?」って感じだろうよ? だったら徹底的に馬鹿にされた方が、あの世でも気持ちよく恨めるってもんだぜ」


「口の減らないやつだな――」


 丸焼きは男の手を貫いていた短剣を手放すと、男の肩に手を置いて、勢いよく足で腹部を膝で蹴りつけた。「ぐうっ――」。男の口から鈍い悲鳴とねばこい唾液が垂れ出るが、丸焼きの手首を握り締める手の力はちっとも緩まず、どころか今度はその脚を掴んでしまった。


「ああ、なんともみっともない格好だなあ。俺は背が小さいからなあ、こんなに足が長くて羨ましいよ」


「足長――か。懐かしい、昔名乗ってた名前の一部だ」


「はあ? 名前? ……てめえ、何を――」


「意味が分からないならいい!」


 肺の空気を贅沢に使って叫ぶと、彼女は掴まれていない方の脚――今身体を支えている唯一の脚で大きく跳ねる。踵落としでもするかのように、男の頭よりも高くブーツを持ち上げた。


「――目っ! くそっ!!」


 その際にブーツの底を浸していた血が男の目へと叩き付けられる。そこで狼狽えず混乱もせず拘束を放すこともなく、彼女の手首を掴んだままの手で頭を庇ったのにはやはり流石だと言わざるを得なかった――だけれど丸焼きの目的は、はなからそれではないのだ。


 丸焼きは男の肩に股を乗せ、自由な長い脚を男の首に絡みつかせる。男の頭を両腕で抱き抱えるようにした。


「カフェトランッ!」


 カフェトランは彼女の言葉に答えた――その言葉が発せられると同時、いや、それよりも一瞬早く、もう、引き絞った矢を離していた。


 赤黒く、ぬるぬるした血で汚れた瞳で――丸焼きの腕の僅かな隙間から、男は見ていた。闇をかき分け、空気を切り裂き飛来する、その矢じりを。そしてそれよりも鋭くこちらを突き刺す誇り高きエルフのその目を……。


「うっ」


 獣と違って、人は射抜かれても「ぎゃあ」とか「きゃん」とか吠えることはない。大抵、苦しそうに、苦痛にゆがんだ表情で鈍い響きを持った声を漏らすだけだ。


 いよいよ、男の身体から力が抜けた。丸焼きは男の手を振りほどくと、男の側頭部を蹴って後ろに飛んだ。男の身体は大きく横にずれ、なすがままに倒れ込んだ。腹に刺さった矢を指で撫でながら、「へへ……」と笑った。


「ああ、畜生、くそ、くそやろう、むかつく、ああ、くそ、くそ、耳ありの癖に、くそ……」


 死の淵に瀕しても、むしろ死にかけているからこそ、男は二人を交互に見ながら、ぶつぶつと罵倒の言葉を並べていた。

 勿論、二人はそれに怒りを感じることはない。むしろ哀れに思うだけだ。


「くそ、くそエルフめ、頭を狙ってくれればもっと、楽に、苦しまなくて済んだものを……。ああ、血が、無くなって行くのが分かる、体温が……くそ」


「……この状況で、それか。……だから暗殺者は嫌なんだ」


「暗殺者は嫌か……へへ……」


 男はどうにか上体を起こして、壁に手を付き立ち上がろうとしていた。


「そうは言うがな、お前……俺は何人も知ってるぜ、俺と同じ様な、黒エルフを……。暗殺を生業なりわいとしている人間ってのは、お前の同胞どうほうがうじゃうじゃしてる世界だぜ……」


「知ってる」丸焼きはすんと、静かに頷くだけだった。


「……ああ、そうかい。くそ、せめて驚けよ、最期の最期までちょっとは楽しませようって気はねえのかよ、くそ……」


 彼はよろよろと歩き、先程自分が射られた場所まで移動する。当然、カフェトランと丸焼きの二人は得物をしまってはいない。矢をたがえ、短剣を構え、彼が何をしても対応できるように最大限の警戒をしている。


 すると案の定男は両手を顔の前に構え、そこに炎を生み出し始めた。何もない空間から火の粉が生まれ掌に収束していく――ちらちらと闇を照らす火の粉を視認した瞬間にカフェトランは矢を放っていた。

 そこに躊躇ためらいや恐怖は、もうなかった。


 矢は当たり前のように喉仏のどぼとけの真下に命中、「うっ」、血が気道に溢れる音に混じり鈍い悲鳴。男の身体は後ろに仰け反るが、どうにか踏みとどまり魔法の発動を続けている。驚くこともない、意外に思うこともない、殺す対象が生きているのなら殺さなければならない、ただ無機質な感情でカフェトランは次の矢を構えた。


「……――っ」


 きりきりと弓の弦が唸って――だけれど、彼女の手から矢が発射されることはなかった。


「……どう、したんだよ? ほっそい目を真ん丸にして……」


 転がったランタンと、男の手の中の炎、それが照らし出すことでくっきりと描かれた洞窟の陰。それがぐにゃりと歪んだ――生き物のように、ここが巨大な生物の腹の中で、まるで胃がうごめくようにして影が動いたのを、見た。


 そしてカフェトランは、矢を引く右腕から力を抜いて降ろした。丸焼きも同じで、両手の短剣をそれぞれ腰と肩の鞘に収納すると、腰の位置を下げて体勢を崩した。


 陰が男の身体にかぶさり、そこでようやく影が蠢いていることを――つまりこの洞窟内で何かが動き、光を遮っていることに気が付いたようだった。はっと見上げる。自分に覆いかぶさっているそれを見上げる。そして、そこまでだった。


 今度は、「うっ」とも言わなかった。ただ地を響かす振動が鼓膜を揺さぶっただけ。アリツクシラの顎に押し潰された男は何も言えず、遅れてぱんと魔法の爆発する乾いた音を鳴らすだけだった。


 ――すぅー……。


 その顎で以って男を潰したアリツクシラは、顔に空いた穴から生ぬるい空気を漏らしながら、濁った瞳でカフェトランと丸焼きの二人を見つめていた。たった今さっきのことは幻で、この竜に成れなかったワイバーンは本当は死んでいるのではないか、動いてはいないのではないか、そう考えてしまっても不思議ではないほど、その腕も、その脚も、尾の先までも、一切の命を感じない程に脱力している。


 だけれど――濁った瞳の奥で、なにか、輝くものを、うるおったものを、見た気がした。穴の開いた顔で、肉をむしられたその顔で、じっと、ただじっと、二人を見つめて。


 そしてゆっくりとまぶたが降りた。

 それが、竜に成れなかった彼の、最期だった。

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