第三十八話 種族とは?

 耳戦争よりずっと前、かつて“亜人”と呼ばれていたゴブリンやトロルが歴史上に姿を現すよりもはるか昔には、ヒューマンとエルフ、それからドワーフの三種族しか存在しない時代があったという。


 所謂辺境と呼ばれる地にはハーフリングをはじめとした諸種族が文明を築いていたとも言われているが――少なくとも歴史の表舞台に立っているのはその三種族のみだった時代があったのだ。

 というより、耳戦争から今現在に至る種族間の対立は、全てこの時代の争いの一続きだとも言える。


 この過去の時代を裏付ける証拠としては、各種族各部族に伝わる伝承の類のほかに、世界中に点在する遺跡と墓所が挙げられる。


 様式や規模は様々だ。建設された時代やその地方によって様式や規模は異なる。世界中、つまり各種族の領地に存在していること、それらの調査を許可が出ることが稀なこと、そもそも遺跡の研究者が少ない事に加え、そのほとんどは獣や怪物、レイス等の巣と化してしまっていることがほとんどで思うように研究は進んでいないらしいが……。



*



 先頭を歩くローニャンの解説に、フォズは「……この墓所にそう言う経緯があったんですね、初めて聞きました」と相づちを打った。


 ローニャンは当然のようにフォズとマルゥクに同行してくれたのだった。たまたま仕事の折り合いがついたから、と彼女は言っていたが、メレ・メレスは仕事で忙しくて出れないと言っていたから、きっと無理をしてくれたのだろう。

 その上ローニャンはは何も言わずに一番危険があるであろう先頭を歩き、それとなく後ろを歩く二人の足下を手提げ灯で照らしてくれていた。


「歴史的価値があるのに、こ、ここに勝手に入っていいんですか?」


 それはフォズも抱いていた疑問だった。ローニャンは軽くこちらを振り返ってから、「だって、ここはゴブリン領よ?」とにやりと頬を歪めた。メレ・メレスも良く浮かべる表情のそれだった。


「王とか指導者とか、ゴブリンには種族単位での統率者がいないから、遺跡の立ち入りを禁止する人がいないのよ」


「ああ、なるほど……」


「まあそうでなくとも三大種族の遺跡だからね。ゴブリンを理由もなく乏しめたやつらよ。そいつらの墓が荒らされようと暴かれようと、ゴブリンにとっては関係ない、どころかせいせいするでしょう?」


「……ローニャンさんは、自分をドワーフだとは思ってないんですか?」


「……どういうこと?」


 一定の歩調で歩いていたローニャンの足取りが一瞬乱れた。


「ローニャンさんは、良い意味で、良い意味でですよ、ドワーフとしての理念がないというか……他のドワーフのことを嫌っているように感じます」


「あたしはドワーフよ。それは紛れもない事実。まあドワーフって一口に言ってもいろんな特徴のやつらがいて、その中でもあたしは珍しい方だけど」


 この墓所が作られた三大種族の時代、ヒューマンとエルフに敗れたドワーフは様々な部族支族に別れて世界中に散ったという。

 そしてそれぞれの地に適応し、また先住民と血が混ざり、そして今現在、ドワーフと一括りにされているがそこには様々な特徴を持った者がいる。ローニャンの容姿が幼いままで止まっているのもその一つだろう。


「でも、それだけよ。あたしはドワーフ。ドワーフって生き物、それだけの話。……っていうかね、あたしからすれば、あたしたちからすれば、”何それ? って感じ」


「”それ”……ですか?」


「種族単位で物事を考える“それ”よ。ゴブリン領で生まれた人はそんな考え方しないわ。まあ多種族入り乱れるゴブリン領だからそういう考え方になるんだろうけど――でもあたしはこっちの方が正しいと思うわ。いやだって、あたしもあんたもマルゥクも“個人”――つまり自分がある、だのに、“種族”なんて括りで考えるのがおかしい。そうでしょ?」


「……まあ、そうですね」


 フォズは、ローニャンが力説した持論に対して、曖昧な返事を返した。曖昧な返事しか返せなかった、というのが正しいか。だけれどこれはフォズがどっちつかずなのではなくて、ゴブリン領以外で生まれ育った人間なら誰しもが口ごもってしまうだろう。


 ローニャンの言っていることが間違っていないのは分かる。分かるが――しかし、種族間で戦争が起こり、種族間での対立が深まり、自種族の団結が求められるこの時代、誰しもが種族単位で物事を考え種族単位で物事を捉える。


 フォズもこの世界の情勢について教育される際、「ヒューマンは他の種族を見下している」「ドワーフとトロルは合わせてはならない」といった風に教えられた。「ヒューマンの中には」「ドワーフとトロルの中には」ではなく、その種族全員がそうだと教育された。


 これはフォズに教育を施した老輩たちの認識が歪んでいるのではなく、“そういうもの”なのだ、これが世界の人間の一般認識なのだ。


 だから、だから、ローニャンの言わんとすることは分かる、分かるが、自分の知っている常識と前提が異なるせいで、「そういう考えもある」とは思えても「それが正しい」とは受け入れられないのだった。


「……」


 ローニャンは、フォズの態度から何となく気まずいものを察したのだろうか、それ以上その自分の価値観に付いて語ることはなかった。ただ、「まあ、自分が正しいと思う生き方をするのが一番だけどね」と当たり障りのないことを言って、この話題を締めた。


「え、えっと……」


 フォズとローニャンが気まずい雰囲気のまま黙ってしまったこの空気が嫌だったのか、マルゥクは「い、嫌な場所ですね」と、わざとらしく言った。


「そうですね」


「そうね」


 しかしフォズもマルゥクも、それに対して素っ気ない言葉を返すだけだった。彼の考え、気遣いも分かっている。だけれど――その感想は、この墓所に立ち入って最初に呼吸をする際に、そしてそれから息をするたびに感じていたことだったから。

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