菊乃さんという人

三文居士

菊乃さんという人

 どこの家でもそうだと思っていたようなことが、自分の家庭のみの事情で驚いた。誰しもそういう経験が一度くらいあるのではないだろうか。私にとっては菊乃さんがそうであった。


 初めての記憶は私がまだ小学生にもならぬかどうかの頃で、放蕩家の父が突然、今日から家の世話をしてくれる云々と紹介したのが、こちらはまだ二十にも満たぬ年若き彼女であった。

 幼少の時分であったから、父の大雑把な説明すら飲み込めず、それを汲み取った彼女が「私のことはキクノさんと呼んでね、それだけ覚えてくれればいいわよ」と、にこやかに語り掛けた様子は、もう何十年もたった現在でも鮮やかに思い出されるのだから不思議なことだ。

 菊乃さんは毎日朝にやってきて、夕方に帰った。掃除洗濯などの家事はもちろん、私の勉学や日によっては学校の用事なども面倒見てくれた。父は常に家を空けており、母はいなかったから、菊乃さんはさしずめ乳母のような存在だった。果たして彼女が父に託された任務が、そこまで含まれるものであったかは謎だが、両親とのつながりを持たぬ私の境遇――これも当時は特別なものとは思っていなかったことだが――を不憫に思ったのやもしれない。

 当時の私の目覚ましは、小気味良いトントントンという響きだった。菊乃さんが台所で葱を刻む音だ。彼女のつくる朝食は、毎朝の楽しみだった。

 顔を洗い、居間に辿り着くと、白飯が湯気をあげるのを目にする。そして魚の炙られた香りが漂うのに気づく。大体、それは焼き鮭か鯖、あるいは鰯だった。起床時間に合わせて調理されているから、食卓の焼き魚はじわじわと脂が泡立ち、隣には刻んだばかりの葱が小さじ一杯程度に盛られた味噌汁が添えられた。そうして、菊乃さんが私の存在に気が付くと、「おはよう」と言いながら小鉢を差し出す。そこには色の濃い生卵が入っていて、適量の醤油を垂らすのは至れり尽くせりな私に任された数少ない仕事であった。

 朝食は二人向き合い同じものを摂った。食事を口にしながら、その日どんな授業があるか、昨日どんなことがあったかなど、他愛のない世間話を共にする。当然、いつもは真新しいことなぞ何もないのだが、菊乃さんは私の話すことに耳を傾け、時に笑い目を細め、時に驚き目を見開き、いちいち相槌を打ってくれた。私の話で彼女の表情が豊かに変わる様を見るのは、もちろん悪い気はしなかった。その習慣は私が大学に進学し家を出るまで変わることがなかったが、彼女の聞きぶりもずっと変わらぬままであった。おしゃべりが好きなのだろうと思っていたのだが、後年になって耳にした話ではむしろ寡黙な、交友の少ない女性だというから、十年以上も飽くことなく人好きのする聞き手を演じ続けていたのは、やはり子供に対していい加減な対応はできぬという生真面目な思いがあったのだろうか。


 私が菊乃さんという人の正体について疑問を持ち始めたのは、中学生になった時の話である。

 繊細な年頃の少年として、私も他に漏れることなく異性に対し敏感になりはじめていたのだが、育ての親のような彼女に対してはそういう劣情じみた思いを覚えることなく、しかし学友を家に招いた際に、菊乃さんを私の姉と誤認した彼の言葉によって、初めて他の家には菊乃さんのような存在が珍しいどころか、むしろ全然いないのだという事実に驚いてしまった。また同時に、では一体彼女は何者なのだろうと我ながらあまりにも遅すぎる気付きを得た次第であった。

 弁解しておくと私の家はかなり世間とのずれが激しく、家庭という意味では明らかに破綻していた。菊乃さんが我が家に来た前後においても、別の若い女が家に出入りすることは珍しくなく、夜な夜な父が帰宅するとその傍らにはきっと女の姿があり、しかもそれは毎晩のように違う女たちであった。何故あの爛れた生活を送る男の下で私という子供が育てられることが許されたのかは全く不可解であったが、ともかく私は菊乃さんもそういう女性の一人であると何とはなしに感じていたのである。

 果たして彼女が他の愛人たちと同じような理由で父と知り合い我が家に出入りするようになったのかはわからなかったが、菊乃さんがその種の女たちとは全然雰囲気の異なる人であったのは事実であったし、私にとって恩人である菊乃さんを同様の目で見ることは私の心が許すことはなかった。であるから、真相を確認して安心したいような、むしろ知らぬままでやり過ごしたいような、複雑な心理が私の中で働いていたのである。

 ある日の午後のことだった。学校で行事があり特別に早く帰宅すると、菊乃さんは買い物に行っているらしかった。私は誰もいない居間の窓辺から、ぼんやりと空を眺めていた。それは当時の私にとっては珍しいことではなく、菊乃さんについて考え物思いに耽ることがしばしばあった。だが、彼女が私の傍に寄って来るまで全くその気配に気が付かぬほどに没頭していたのはその時が初めてだったように思う。

 彼女は小さな声で、「どうしたの」と尋ねてきた。

 当の本人が現れたので、私は心中穏やかでなく、なるべく取り繕うよう努めたが、却ってその小細工が彼女の心配を誘発したらしかった。

「お茶にでもしましょうか」と、語ると、彼女は台所へと向かった。

 盆を持って戻った彼女はゆっくりと急須から茶を注いだ。茶菓子には餡子の乗った草団子が添えられた。

 菊乃さんのこういった計らいは珍しいことではなかった。私に何か憂鬱なことがあると、例えそれが私自身自覚していないような微妙な問題であっても、彼女は目ざとくそれを見抜き、お茶に誘い私の口から、不安や悩みの種を聞き出そうとするのであった。

 数分だったろうか、あるいは数十秒であったろうか。私は逡巡した。きっと彼女に尋ねるには今しかない。今を逃せばきっと将来にわたってその機会を逸すると感ぜられた。

『あなたは一体何故家に居て、自分の世話をしてくれるのですか。父とは一体どんな関係にあるのですか』

 そんな至極簡単な疑問が、喉元で声になりそうで、しかしついぞ発せられることはなかった。

 私は黙って、団子を一つ口に含んだ。ヨモギの香りが口中にほろ苦く広がり、却って餡子の甘さが舌に強く残った。あまり沢山食べられるものではないな、と私はふと思った。

 菊乃さんは少し落胆したように見えたが、気のせいだったかも知れない。そうして私の感じたほのかな予感は真実になり、結局彼女にその疑問について尋ねる機会が訪れることはなかった。


 私が高校を卒業すると、東京の大学に進学することになった。受験を控えたその年に父の事業が頓挫し、家の経済状況が急激に悪化したので、上京して学業に専念するような贅沢が許されたのはかなりの予想外な出来事であった。

 望外の望みを叶えられた喜びと、一人離れた土地で生活する不安が共に訪れた。

 上京する前の晩、菊乃さんと夕食を共にすることになった。そこには父の姿はなかった。あの父らしいことを何もしなかった男に期待はしていなかったし、むしろ気を遣わずに済むことに安堵さえ覚えた。だが、食卓に三人分の取り皿が用意されようとしていたことに気付かぬほど私は周囲に気を配らぬ者ではなかったし、菊乃さんの残念そうな、だがちらちらと時計を気にするような素振りが目に入らぬほどの冷淡な人間でもなかった。

 食卓には真鯛の塩焼きが並んだ。尾頭付きの、しかし食べやすいよう小ぶりのもので、香ばしい朱色と切り込まれた皮目から覗く身のふっくらとした白色。添えられた柑橘が、色鮮やかな対比を演出していた。小鉢には筑前煮と厚揚げ、そしてほうれん草のお浸しが供された。筑前煮は見るからに蓮根やコンニャクの、歯ごたえで楽しめるような具材がしっかりと味付けられており、しかし実際に口にすると人参のほっこりと柔らかいこと。厚揚げは汁が多めの、鰹節が盛り付けられて、箸を通すと薫り高い出汁が蒸気にのり鼻腔をくすぐった。そして、白ごまの和えられたほうれん草は、この豪勢な食事の箸休めとしてひっそりと、だがその存在で全体の均衡を調和させるものだった。

「随分豪華ですね。本当によく手が込んでるし」

 三つ葉の入った薄口な吸い物を含み、私が言うと、菊乃さんは嬉しそうに笑った。だがそこに一条の影みたいなものが映り込んだのはきっと気のせいではなかったし、私は決して言葉にはしなかったが、この一際贅を尽くしたような食事が、全て父の好物であることは、数少ない彼に関する記憶として私の胸のうちにこびりつくようであった。

 きっと、最後の団欒として菊乃さんも期待していたのではないだろうか。私とてわかっていたのだ。いかで彼女の愛情が真摯なものであると言っても、その背後に私の父のあったことは、きっと否定することはできなかったのだ。それは私が長い間疑念として抱えていた、彼女と父の関係へのひとつの答えであるように思われたし、それを私が出立する前の晩に目にせざるを得なかったことは、後の私の運命に落ちた暗い靄のようにも感じられた。


 私が東京に来てから、菊乃さんと会うことはずっとなかった。ただ父から、私が上京した翌週に彼女が田舎に帰ったのを、事務的に告げられたことだけは覚えている。

 数年が経ち、十年近くが経った。私は東京で仕事を得て実家に戻る気はなかったのだが、ある年親戚が亡くなったので気が進まぬ思いをしながら父の住む家に帰った。

 それが父のどういう意図であったのかはわからぬことであるが、きっとただの場当たり的な思い付きであったのだろう。私は父と、然る料亭で夕食を共にすることになった。その時には父の事業は持ち直しており、また金の回りが良くなっていた。

 会食の折に話した内容は、ほとんど記憶には残っていない。だが、何かの拍子に菊乃さんの話題がふと挙がると、父は浅薄な笑いを浮かべて「お前はあの女に感謝しないといけないな」と言い出した。

 私が菊乃さんに深い感謝をしていたのは、無論言うべきまでもないことであるが、あの、思いやりを知らぬような男である父が、私と彼女の関係に人並み程度には妥当な評価をつけていたことは少し意外であった。と、感じたのも束の間、父が次に言ったことは私の遙かに予想外な言葉であった。

「だって、お前が進学する費用を出したのは彼女なんだからな」


 一体、彼女が何故私にそれほどの献身をしたのかは全くの謎である。愛する男の息子であったからだろうか。あるいは父母の愛情を知らぬ哀れな子への、本当の無償の愛情であったのだろうか。

 だが私が今更になって思うことは、あの私が東京へと進学する出立の晩に供されたのは、父の好物であったが、確かに私の好物でもなかったか。いや、それは事実ではない。正確には、ずっと昔、幼い私が父親に好意的な偶像を抱いていた頃に、父と食事をすることが嬉しくて、はしゃぎ喜び、心の底から夕食を楽しみにした、いつかの献立と同じではなかったか。そう思い返すと、私が無意識で、いかに父に対抗心めいたコンプレックスを抱いていたか、そしてそれにより、いかに私の目が曇らされていたかに気が付いた。

 全てを確かめる勇気も手段も私は持たない。と言うのも、父も田舎に帰った菊乃さんのことを、もう知らぬと言っていたし、私たちはそもそも彼女の田舎がどこにあるかも知らなかった。そして、果たして彼女が本当に田舎に帰ったかという事も、消息の窺えぬ今となっては疑わしい事実であった。

 だが、私はようやく家族というものをその時に得たような気がしたのである。

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