物件
私、松山平吉は、とんでもない話に巻き込まれました。その顛末を、ここに記すのです。
既に書いたような出来事がありました。もう少し細かく、その話をします。まずここでは、何をどう売ることになっていたかにまつわるお話をします。
吉田さんは、全自動卵割り機を売ることを考えていました。お父さんが入院したとき、梅川さんが持ってきてくれて、なかなか役に立ったのだそうです。そこで、皆に広めたいのだそうです。それは、猿がシンバルを叩く玩具を改造したものでした。衝撃をうまく与えて卵を割る。それだけのことが上手にできない人たちにとって、この機械が福音となるのです。確かに、それはすばらしいことなのかも知れません。
元の玩具は、小売で買うしかありません。なので、原価が結構高くなります。適当なものは、限られているからです。これに、電池で動く玩具を一般の電源で動くようにする装置を足すことになります。梅川さんによると、材料原価だけでけっこうなお値段になります。改造の手間を無視しても、えっそんなにするのというお値段にはなります。
でも、それがよく売れるとしましょう。それなら、儲かるかも知れません。しかし、売りようがある値段と原価の関係を考えると、利益が出るかどうかは怪しげでした。話を聞いていると、むしろどう考えても赤字だろうと推測せざるを得ない数字が出てきました。それでも、吉田さんは、やる気まんまんです。
その後私が色々調べると、もっと安くなんとかなりそうな可能性が見つかりました。しかし、私は梅川さんの連絡先を知らないので、そこの話のしようがありませんでした。原価を下げないとどうにもならないレヴェルだというのに、ここを詰められないのです。私は、最初から困り果てました。その先の吉田さんの対応は、別に述べたとおりです。
吉田さんは、それを家電製品として売ろうというわけではありません。機械を家庭科の教材として学校に売るというのが、基本的なビジネスモデルらしいのです。なるほど、素晴らしい道具なので、ちょうどよいです。そう言ってくれる人が大勢いると、吉田さんは信じています。
杉本さんは、営業を育てて売り込むことを考えていたようです。なんとも悠長なことです。学校相手の商売なら、教材業者各種とうまくつるめば勝手に売ってもらえます。上流の教育委員会あたりも使えることでしょう。予算を抑えている議員とか役人と話をするのも、実績に繋がります。しかし、そのあたりの発想はなかったようです。よいものだから売れるという確信さえあれば、他には何もいらないのです。なお、商売を知っている人なら、よいものが売れるなどとは言いません。売れたものがよいものです。売るためにどうするかのような下世話なことを考えない高潔なご姿勢に、私は胸を打たれました。勿論うそです。
そんな商売が成り立つとして、まだ問題があります。権利をおさえないと模倣されてしまいます。だから私は、やるなら何か特許を狙えと言いました。実用新案では弱過ぎるからです。これについて吉田さんは、特許くらい配線の繋ぎ方で取れるとのご発想を開陳してくださいました。私には理解のできない、斬新なご妄想です。杉本さんは、ビジネスモデル特許もあるよと教えてくださいました。ところが、ビジネスモデルそのものが特許になるとでもご妄想のご様子でした。
私は永くヴェンチャー向け融資に携わってきました。ですから、お二人の独自のご主張がどこにも通らないことを知っています。釈迦に説法という意味でも、お二人のご妄想はとてつもないものです。多分、おれたちは釈迦に説法できるほどえらいんだぞという、お二人にとっての真理を教えてくださったのでしょう。私は、お二人の向こうに、宮沢賢治が描いたどんぐりたちを見ました。かなり冷たい目でお二人を見たことを、よく覚えています。ただ、お二人には何も伝わらなかったようです。
梅川さんも、このあたりについては何も考えていませんでした。特許を取れば利益は独占できるとお伝えしても、独占する必要はない、こういうもののよさを広めたいというお考えが返ってきました。しかし、私はお伝えしました。模倣した粗悪品が出れば風評被害はこちらにも及ぶ、そういうときに止める手立てを確保する必要がある。刀は抜かなくてもよいが、抜く刀がなければどうにもならない。そんな説明を差し上げたのです。そもそも、そこに大資本が参入すれば、目をつけ手間をかけた小企業など、吹き飛びます。そうなってはどうにもなりません。何もできなくなるからです。このあたりから、吉田さんの周りの方だけに、梅川さんも夢見がちなのかも知れないとは考えました。
そして、売った後が問題です。機械は必ず故障します。修理や交換をどうするか、です。私は、杉本さんに、機械を交換して古い方を壊れないように箱詰めして送り返すくらいの最低限の処理は最低賃金の日雇い派遣にできるようにしないといけないと言いました。梅川さんは、はっと気付いたような顔を見せてくれました。そういうものを一つ作ることはできても、大規模な展開をするならばどうかと考えたことがなかったのでしょう。小規模に創業する方は、えてしてこんなものです。
売り方にも工夫が要ります。それなりに高いものになるのなら、売り切りだけではなくリース等も検討すべきです。このあたりは、さすがに杉本さんが気付いておいででした。杉本さんにも、その程度の常識くらいはあるようです。
準備が整ったとしても、いきなり押し売りはできません。こういうややこしいものは、まずは試してもらって、うちでも欲しいと言ってもらうところから始めるしかありません。これについては、吉田さんに腹案がありました。校長をやっている知り合いがいるのでそこで試してもらえばよいというのです。なるほど、話をし易い条件が整っているのは、確かです。しかし、重要な部分に吉田さんが関わるということは、吉田さんが経営に深く関与するということをも意味します。私は、口にこそ出しませんでしたが、それで大丈夫なのかとは考えました。
ここで、リスクとしての吉田さんについて、お話ししておきます。
既に様々な場面について明らかにしたように、吉田さんは、独自の妄想が世間に通じるべきだとお考えです。配線で特許を取る話は、典型的なものです。知らないことは罪ではありません。しかし、吉田さんはできるにきまっているとおっしゃられるのです。おそらく、無知を認められないという、よくある症状なのでしょう。吉田さんのお勧めに従っていては、無駄な書類やら経費やらばかりが積み上がることになります。
そして吉田さんは、忙しいと言えば仕事ができない理由を説明したことになると確信しておいでです。それはやらない言い訳です。忙しくてできないなら、最初から手をつけなければよいのです。そんな言い訳は、わざわざ能力の不足を宣伝することになるのですから。ところが吉田さんは、仕方がないんだからお前も納得しろというふうに話を繋げるのです。このようなことを平然とおっしゃるところからすると、吉田さんは仕事らしい仕事をしたことがないのかも知れません。
このような吉田さんの基本的なやり方が、何をもたらすでしょうか。同じことを違う場面でもやられたらと考えれば、よくわかります。吉田さんの行動様式なら、交渉相手にうるさい黙れ私が正しいと言えることでしょう。役所や取引先が求めるものを、忙しいからと出さずに放置することでしょう。そういった振る舞いは、悪ければ一発で会社を潰します。
よかれと思ってやっているんだ的な吉田さんのご認識が、この推測に彩を添えます。関係者一同の手が回りきらないとき、自分が忙しくないなら、吉田さんは独断で新しい急な仕事を取ってきたりするかも知れません。吉田さんなら、会社がもっと儲かるのだからよいとだけお考えになることでしょう。フェイクブックに専用のページを作ってしつこく利用を求めたあたりからも、このような行動様式が予測されます。
根拠のない判断をし、押し通そうとする。やるべきことはやらない。それでいて、やってはいけないことだけは必死にやる。このお話には、吉田さんのそんな判断と行動が、予測不可能な形で突然介入することが、約束されています。そんなことで、企業が成り立つはずがありません。万一すべてがうまく行ったとしても、吉田さんの一撃でいつでも会社が潰れるのですから。
話を元に戻しましょう。
売った後の管理に至っては、どなたも考えておられませんでした。ものの性質上、時々メンテの必要があるかも知れません。なのに、抽象的な案すら出てきませんでした。売ったらおしまいの悪徳商法をやろうというようなものではないにしても、間が抜けているよなあとは再確認できました。
何を作ってどう売るかからして、このように、難題だらけで妄想まみれなのです。売りたいものはあっても、売れる形になっていない。売り方を考えてもいない。しかもそこに吉田さんというリスクがいつ襲ってくるかわからないのです。
これに、様々なその他の要因も関わってきます。フェイクブックを拒否すれば、連絡を取ることすら許されません。ですから、梅川さんになんとかしろと言うことすらできません。吉田さんに言えたところで、ずれまくった言い訳だけが返ってくるのですから、どうにもなりません。事態を改善するための働きかけが不可能なのです。
私は、忙しいからやらないとでも言ってやろうかと思わないでもありませんでした。でも、それは人としてできませんでした。
この一連の出来事は、一面を切り取ってさえこれほどの事態だったのです。これから新しい仕事をしようという方には、この他山の石をよく見ていただけるよう、お願いしたいものです。ご本人が痛い目に遭うだけなら、他人は笑っていられます。でも、他人が巻き込まれたら、そしてそれが自分だったら、そうは行きません。
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