夢のおわり

アレ

顛末

 私、松山平吉は、とんでもない話に巻き込まれました。その顛末を、ここに記すのです。


 私は、銀行員をやっていました。ですが、度重なる吸収合併で居場所をなくしました。まるで、昔のマンガで見た原爆ブラブラ病にでもなったように、ただあてもなく彷徨っておりました。そんなとき、尊敬する方から、新しい事業をするのでこないかとお誘いをいただいたのです。私は喜びました。そして、いつでも言ってくれと願い出ました。


 ところが、その方…仮に吉田さんとしておきましょう。吉田さんは、うんともすんとも言ってきません。そのまま一ヶ月以上が経ちました。ある日、吉田さんの講演会があったので覗いたところ、吉田さんは、とりあえずこの後酒でも飲もうぜとお誘いくださいました。私はそれに従いました。

 このとき吉田さんは、じゃあやるぞと改めてあのときの話をしたのです。なんでも、忙しいので何もできなかったということです。善良な私は、仕方がないと思ってしまいました。でも、商売人として厳しく見れば、一ヶ月も放置できる案件などどうでもよいに決まっているので進める気はないと見切らなくてはいけません。そうすべきでした。

 そもそも、忙しいというのは、やらなかった言い訳としては最悪です。それは、その仕事を優先すべきでない理由があるという宣言です。それなら最初からやるなどと言わなければよいのです。また、それは、自身の事務処理能力が願望に追いつかないという宣明です。わざわざ私は無能だと宣言しても、あまりトクはしないものです。吉田さんほどご立派な方なら、違う意味があるのかも知れませんけれど。

 この時、吉田さんと相談をいろいろしました。吉田さんは、何についてもよく知らない方です。ですから、斬新なご意見を開陳してくださいます。私が特許を取っておくとよいと話したときのことは、よく覚えています。吉田さんは、配線の繋ぎ方くらいで特許を取れるという独自のお考えをお示しになっていました。配偶者の方も、ビジネスモデルそのものが特許になるかのようなお考えを示唆されました。いずれも、私の知らない斬新な知識です。斬新過ぎるので、この国の法律はそのようにできていません。私は、冷たい目で吉田さんたちを見ました。このとき、お話を断っておくべきでした。


 それでも私は、とりあえずのネタとして、商材のパンフはこんな感じになるんだろうかねというものをつくり、翌日にお送りしました。吉田さんは、受領したことを伝えてきたくらいでした。

 そして数日後、吉田さんから連絡があり、顔合わせをするので都合のよい日を教えろと言われました。まただいぶん待たされてから、日時を知らされました。

 吉田さんからの連絡には、吉田さんがご妄想の問題点がまとめられていました。私が最初に話を聞いた晩に自分用に作ったものの2割くらいの分量で、吉田さん特有のご視点から課題がまとめられていました。アレです。ガンダムで、アムロの父が作った「こんなもの」です。必ずなんとかしないといけない話各種は、全く触れられていませんでした。私は、これを見た瞬間に判断すべきでした。でもできませんでした。それがいけませんでした。もしかすると、吉田さんにとってそんなことは自明なのかも知れないと、そう考えてしまったのです。これは、浅はかでした。


 集会は、吉田さんの事務所で催されました。配偶者の杉本さんと、技術者の梅川さんが来ました。事前に聞いていたとにかくやる的な話とは違い、梅川さんは、そんなに乗り気でもありませんでした。ただ、知らないことを知っているかのように話さないところだけは、信用できました。

 杉本さんは、うちではいつもそうやっているので連絡はフェイクブックを経由するのだといいました。この話は、吉田さんからも聞いていました。私は、ここに疑念を抱きました。フェイクブックがそのサーヴィスを辞めれば、過去のデータが丸ごと消えます。アカウントの扱いも、今時はよくわかりません。何かの拍子に出来の悪いAIに凍結だの停止だのをされる話は、SNSでは珍しくありません。それらのリスクについて、吉田さんたちは何も考えていなかったようです。短期で終わる相談ごとなら、それでもまあよいかも知れません。しかし、今しているのは、会社を作ってしばらくは続ける話です。なのに、吉田さんたちはそういうことを考えていなかったのです。むしろ、便利だからそうするしかないよねとでも言いたげな雰囲気でした。私はありえないと言いました。しかし、手緩かったと反省しています。この話が二度目に出てきた段階で、いい加減にしろとでも言って席を立つべきでした。

 それでも、フェイクブックを使うというのは、こういう起業にとっては素晴らしい考え方です。その記録がビッグデータの一部となって、フェイクブックや広告業者の糧となるからです。何もできない事業ごっこでも、世界に爪痕を残すことができるわけです。そんな自己満足が欲しいなら、こんなに素晴らしい着想もありますまい。

 ともあれ、フェイクブックを使わないから連絡はこっちにしてくれと、私はお二人に名刺を渡しました。ところが、どちらからも連絡がありません。待てど暮らせどありません。三日を過ぎて連絡がないということは、私からは連絡させないということです。当日のうちにやるのが当たり前のことをしていないのですから、このように理解するしかありません。私は困り果て、吉田さんにメールを送りました。吉田さんは、杉本さんに電話しろという頓珍漢な答えを寄越しました。私にメールを送れるなら、配偶者に連絡するくらい簡単だろうに。この時、私はもうだめだと理解しました。


 なぜ困ったか。私は、集会で出た話に沿い、幾つかの報告書等を作っていました。コンサルを名乗る詐欺師なら何百万取るんだろうと嘆きながら、そういうものを一晩でまとめたわけです。梅川さんや杉本さんでは、一生かけても作れないので、詐欺師のふっかけ具合も理解できなくはないのですが。それはともかく、連絡を取れない以上それが塩漬けになります。そして、私からの連絡を取らせないことを、梅川さんも杉本さんも問題があると考えていないことが明らかなわけです。要するに、仕事を進める意思も能力もないということです。


 私は、逡巡した末、そちらから私を切ってくれというつもりで吉田さんに連絡をしました。これでは仕事になりませんと。ところが、吉田さんは、何か私を怒らせたようだというふうに反応しました。情緒的な問題だからなだめれば済むということなのでしょう。私は、即座に死ねと言いたくなったのを抑えました。そして、あなたと仕事はできないと明記して返信しました。

 吉田さんは、ここで予想外の返答を寄越しました。何もやっていないように見えるのは、商品の試作に手間取っているから仕方ないと言い張るのです。いや、仕事をさせないように連絡すら寄越さないのはそこにどう手間取ろうと関係ありません。でも、どうやら、吉田さんの脳内では、それができない理由になるのです。やらない言い訳にすらなっていないのに、不思議なものです。


 吉田さんの具合は、その後も変わりません。ああそうか、自分がリスクだとわからないのだなと、私は改めて戦慄しました。根拠のない判断をやってのける吉田さんが経営に関わるなら、共同経営者は、会社の方針が不合理かつ突発的に変わるリスクから逃げられません。吉田さんが意味不明な供述を重ねるほど、このリスクが可視化されて行きます。でも吉田さんは、それが正しいと信じているのです。感情的な方なら、かなりの反応をすることでしょう。吉田さんの言い訳は、怒りの炎に油を注ぐものだからです。ところがご本人は、怒りに燃える相手を優しく包摂するおつもりなのかも知れません。

 吉田さん以外にせよ、意思と能力がないのは同じです。杉本さんも梅川さんも、お客さんの問い合わせとか役所からの要求に無連絡で応えかねないことを実際の振る舞いから見せて下さっています。これではどうにもなりません。


 そして吉田さんはしつこく迫ってきます。私は困っています。なぜなら、私がもう関わらない理由を細かく説明することは、吉田さんに営業上の利益を与えるからです。だから、説明をする気はありません。気が進まない余興をやれというなら、百兆円くらい持ってきてから言ってほしいものです。ただ…吉田さんはどうやら働いたことがないので、妄想だけをぶつけてきます。相手のためになることをあえてやっているおつもりなのでしょう。虐待する親と同じです。悪意がないからこそ厄介なのです。じゃれるつもりで強く噛む犬と吉田さんは、この点で異なりません。これが嫌がらせだと理解しての振る舞いなら、死ねとか簡単に言い返せるのですが。


 私は、吉田さんの仕事の一部のファンでもあったので、一連の事態を残念なことだと思っています。でも、私にも生活があります。時間の空費だけでも困りものだというのに、資金まで使えば損害はより大きくなります。自分の事務所に私たちを呼びつけて当たり前だとお考えの吉田さんに一度お付き合いするだけで、数千円が出て行きます。そして、その間にできることの機会費用は、そんなものでは済みません。だから、始まる前に終わっているこの企画に関わることなどできません。


 こういう事例からでも、いろいろ考えることはできます。能力もないのに事業をやりたがる方をカモにすると、詐欺師は儲かるだろうな、とか。世の中に詐欺師は大勢います。創業ワナビーをうまいことカモにできると、なかなか楽しいに違いありません。そういう事業の方が、よほど有望でしょう。

 私はどうかと訊ねられたら、こう応えます。私は、詐欺師をやるくらいなら餓えて死ぬ途を選びます。でも、顧問として定額報酬月五十万円と売り上げの3%くらいでもいただけるなら、喜んで報酬だけいただきます。何もしませんけどね。何を言っても無駄ですから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る