アルビオンの伝令 白銀の光導、黄金の王

橘むつみ/角川ビーンズ文庫

1-1



 おかしい、何かが変だ。

 配達を終えた帰り道、サラは胸の奥がざわめくのを感じていた。

 アルビオン王国、西の領国《サフィラス》。周りを森に囲まれ、中央には湖のある美しい町だ。サラは《伝令ヘルメス》として、いくつかの手紙や荷物を届けてきたところだった。

 最初はかすかな違和感いわかんだった。気のせいかと思っていたけれど、一歩ずつ足を進めるごとに、嫌な予感が強くなっていった。

 教会の白い聖堂が見えてきたところで、予感は確信に変わった。


「助けてください!」


 だれかが大声でさけんでいる。それだけでなく怒鳴どなり声や、引きつったような笑い声も聞こえてくる。教会でさわぎが起こっているのだ。

「あら、《伝令ヘルメス》さんじゃない」


 声をかけてきたのは、近所に住む顔見知りの女性だった。サラはぺこりと頭を下げる。


「今日はもう配達は終わり?」

「はい。仕事から帰るところだったんですが、声が聞こえたので。何かあったんですか」

「それが、私もよく分からないのよ。とにかく大騒おおさわぎになってるもんだから、子どもが飛び出していっちゃって、さがしに来たの」


 聖堂の前には、教会を守る聖兵せいへいが立っている。そこに住民が集まり、ごった返していた。

 サラは爪先立つまさきだちになって、何が起こっているのか確認かくにんしようとする。そこへ一人の男性が、聖堂前の階段を一気にけ上がった。


「お願いします!! このままじゃレオンが、レオンが死んでしまうんです!!」


 死ぬという言葉の切実なひびきに、サラはぎょっとした。

 彼はたちまち聖兵に取り囲まれ、けんきつけられる。悲鳴が響きわたった。


「待ってください。私の話を聞いてください!」


 両手を上げ、武器がないことを示してから、男性は声を張り上げた。


「私にはレオンという五歳の息子むすこがいます。レオンは胸のやまいにかかっていて、この薬を日没までに届けないと命が危ないんです」

「だったら、ぐずぐずしてないで自分で行けばいいだろう」


 聖兵が言い返すと、男性は首を振った。


「いえ、私では間に合わないのです。私の家は湖の対岸たいがん、森の中にあります。歩けば半日以上かかりますし、船も持っていません。だから《文書送達士ロイヤル・メッセンジャー》の方にお願いしに来たのです」


 男性はひざをつき、おがむようにして言った。


「お願いします。お金は後で必ずお支払いします。ですから、どうかこの薬を息子の元に届けてください!」


 しん、とその場は居心地いごこちの悪い沈黙ちんもくに包まれる。


 ――そういうことか……。


 サラはようやく状況を理解した。

 この国で、離れた場所に何かを運ぼうとするとき、使える手段は三つある。

 一つ目は、自分の手で運ぶこと。

 二つ目は、《文書送達士ロイヤル・メッセンジャー》に依頼すること。高額だが、最も速く運ぶことができる。彼らは《送達士》とも呼ばれ、教会に所属する神官である。神官の身分は王族にいで高く、《送達士》に依頼できるのは王族、貴族、神官だけだった。

 そして三つ目が、サラの職業である《伝令ヘルメス》に依頼すること。

 見たところ、この男性は平民だ。通常であれば《送達士》に依頼することはできない。だが、一刻も早く息子の命を助けるために、わらにもすがる思いで《送達士》の力を借りたいとやってきたのだろう。

 静まり返ったところへ、白地に青の紋章もんしょうが入った制服に身を包んだ《送達士》が現れた。


「それはできません。《文書送達士》を動かせるのは、王族、貴族、神官のみです。あなたは、そのどれでもありませんね」

「しかし」

「帰りなさい」


 ややかに拒絶きょぜつされ、男性の顔がゆがむ。ここで引き下がれば、子どもは死んでしまう。男性は必死で《送達士》の服のすそつかみ、すがりついた。


「お願いします。お願いします! どうか息子を」

「うるせえな」


 別の声が割って入ったかと思うと、もう一人の《送達士》が男性を容赦ようしゃなく突き飛ばした。


「あっ」


 短い悲鳴とともに、男性は階段を転げ落ちていく。人垣が割れ、サラは駆け寄ると、地面に突っ伏した彼をき起した。


「大丈夫ですか」


 頭を打ったのか、男性は目を開けることができない。ほおに泥がこびりつき、ひたいから血が流れている。


「《送達士》様に気安く近づくんじゃねえよ。俺たちはな、神に選ばれた神官なんだ。平民の分際で俺たちに依頼しようなんざ、百万年早いっつうの」


 苦々しい表情の《送達士》の横で、もう一人の《送達士》はせせら笑っている。


 ――ひどい。


 怒りが沸き起こったが、同時に、一つの考えがひらめいた。


 ――私なら、この人を助けられるかもしれない。


伝令ヘルメス》は《送達士》と同じく、依頼を受けて物や情報を運ぶ。ただし、《送達士》と違って、身分を問わず、どんな相手からの依頼も引き受ける。料金が安い代わりに、配達速度は《送達士》よりも遅い。

 だが、サラには秘策があった。


「お願いします。息子を……レオンをどうか……」


 うわごとになりながらも、男性のくちびるは動き続けている。


「はっ、だっせえ奴。鬱陶うっとうしいから、とっととせろ。二度とそのつら見せるんじゃねえぞ」


 《送達士》の残酷ざんこくな笑い声が響き渡る。サラは右手をにぎりしめ、強く決意した。


 ――間に合うかどうか分からない。けど、やるしかない。


 男性の耳元に顔を近づけて呼びかける。


「薬はどこ」

「え……?」

「薬はどこにあるの。渡してください」


 明瞭めいりょうな声で呼びかけると、男性は上着のポケットに手を入れた。しかし、手がふるえてうまく掴めない。

 サラは手を添えて、慎重しんちょうに紙袋を受け取る。中には小瓶こびんが入っているようだった。


「もうよいでしょう。みな、ここから立ち去りなさい」


《送達士》が手をたたくと、聖兵も集まっていた人々を追い払い始めた。蜘蛛くもの子を散らすようにして、聖堂の前から人がいなくなってゆく。

 サラはその場を動かず、あおむけになった男性に語りかけた。


「あなたの家を教えてください。湖の対岸、森の近く。他に何か目印になるものはありませんか?」


 男性はようやく薄目を開け、小さな声でつぶやいた。


「赤い水車……」


 男性の手から力が抜け、地面に落ちる。気を失ってしまったようだ。

 サラは彼を地面にそっと横たえると、立ち上がって歩き始めた。


「おい、お前」


 後ろから呼びかけてきたのは、さっき暴力を振るった《送達士》だった。


「どこへ行く」


 振り向かずに歩き続けると、ぐいっと腕を引っ張られた。


「どこ行くっつってんだよ」


 サラが黙って《送達士》を見つめると、彼ははっとした表情をした。

 石鹸せっけんのように真っ白なはだに、菫色すみれいろの大きなひとみ。深緑色の制服と、刺繍ししゅうの入ったマント。赤いかばんを肩にかけ、かぶった帽子ぼうしに髪をまとめて押し込んでいる。


「その格好……お嬢ちゃん、《伝令ヘルメス》か」


《送達士》の顔に、小馬鹿こばかにしたような表情が浮かぶ。


「そこでくたばってるおっさんの代わりに、お嬢ちゃんが薬を届けてやろうってわけか。けど、残念だったな。日没まで二時間を切ってる。間に合うわけねえよ」


 サラは空を見上げて目を細めた。細い雲が夕陽の残照で茜色あかねいろかがやいている。ほのかな薄紅色うすべにいろの光は、今まさに水平線と溶け合おうとしていた。


「手を離していただけますか。時間がないんです」

「何?」


《送達士》は面食らった。


「お前、人の話聞いてたか? 無理だって教えてやってるんだよ。たかが《伝令ヘルメス》に何が――」


 発言を無視し、サラはもう一人の《送達士》に呼びかける。


「そこにいる私の依頼人を、どこか静かな部屋で休ませてあげてください。教会は、国民を救うためのものでしょう?」


 もう一人の《送達士》は、大きく目を見開いた。

 力がゆるんだのを見計らって、サラは腕を振りほどき、走り出した。


「おい、お前!!」


 追ってこようとした《送達士》の耳元で、ひゅっとするどい音を立てて風が吹き抜ける。

 風はサラの背中を押し、足を軽やかに加速させ、あっという間に姿を見えなくする。まるで魔法のように。

 彼女が駆け抜けた道の後に、飛ばされた深緑色の帽子が、ふわりと地面へ落ちた。

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