アルビオンの伝令 白銀の光導、黄金の王
橘むつみ/角川ビーンズ文庫
1-1
おかしい、何かが変だ。
配達を終えた帰り道、サラは胸の奥がざわめくのを感じていた。
アルビオン王国、西の領国《サフィラス》。周りを森に囲まれ、中央には湖のある美しい町だ。サラは《
最初はかすかな
教会の白い聖堂が見えてきたところで、予感は確信に変わった。
「助けてください!」
「あら、《
声をかけてきたのは、近所に住む顔見知りの女性だった。サラはぺこりと頭を下げる。
「今日はもう配達は終わり?」
「はい。仕事から帰るところだったんですが、声が聞こえたので。何かあったんですか」
「それが、私もよく分からないのよ。とにかく
聖堂の前には、教会を守る
サラは
「お願いします!! このままじゃレオンが、レオンが死んでしまうんです!!」
死ぬという言葉の切実な
彼はたちまち聖兵に取り囲まれ、
「待ってください。私の話を聞いてください!」
両手を上げ、武器がないことを示してから、男性は声を張り上げた。
「私にはレオンという五歳の
「だったら、ぐずぐずしてないで自分で行けばいいだろう」
聖兵が言い返すと、男性は首を振った。
「いえ、私では間に合わないのです。私の家は湖の
男性は
「お願いします。お金は後で必ずお支払いします。ですから、どうかこの薬を息子の元に届けてください!」
しん、とその場は
――そういうことか……。
サラはようやく状況を理解した。
この国で、離れた場所に何かを運ぼうとするとき、使える手段は三つある。
一つ目は、自分の手で運ぶこと。
二つ目は、《
そして三つ目が、サラの職業である《
見たところ、この男性は平民だ。通常であれば《送達士》に依頼することはできない。だが、一刻も早く息子の命を助けるために、
静まり返ったところへ、白地に青の
「それはできません。《文書送達士》を動かせるのは、王族、貴族、神官のみです。あなたは、そのどれでもありませんね」
「しかし」
「帰りなさい」
「お願いします。お願いします! どうか息子を」
「うるせえな」
別の声が割って入ったかと思うと、もう一人の《送達士》が男性を
「あっ」
短い悲鳴とともに、男性は階段を転げ落ちていく。人垣が割れ、サラは駆け寄ると、地面に突っ伏した彼を
「大丈夫ですか」
頭を打ったのか、男性は目を開けることができない。
「《送達士》様に気安く近づくんじゃねえよ。俺たちはな、神に選ばれた神官なんだ。平民の分際で俺たちに依頼しようなんざ、百万年早いっつうの」
苦々しい表情の《送達士》の横で、もう一人の《送達士》はせせら笑っている。
――ひどい。
怒りが沸き起こったが、同時に、一つの考えがひらめいた。
――私なら、この人を助けられるかもしれない。
《
だが、サラには秘策があった。
「お願いします。息子を……レオンをどうか……」
うわごとになりながらも、男性の
「はっ、だっせえ奴。
《送達士》の
――間に合うかどうか分からない。けど、やるしかない。
男性の耳元に顔を近づけて呼びかける。
「薬はどこ」
「え……?」
「薬はどこにあるの。渡してください」
サラは手を添えて、
「もうよいでしょう。
《送達士》が手を
サラはその場を動かず、あおむけになった男性に語りかけた。
「あなたの家を教えてください。湖の対岸、森の近く。他に何か目印になるものはありませんか?」
男性はようやく薄目を開け、小さな声で
「赤い水車……」
男性の手から力が抜け、地面に落ちる。気を失ってしまったようだ。
サラは彼を地面にそっと横たえると、立ち上がって歩き始めた。
「おい、お前」
後ろから呼びかけてきたのは、さっき暴力を振るった《送達士》だった。
「どこへ行く」
振り向かずに歩き続けると、ぐいっと腕を引っ張られた。
「どこ行くっつってんだよ」
サラが黙って《送達士》を見つめると、彼ははっとした表情をした。
「その格好……お嬢ちゃん、《
《送達士》の顔に、
「そこでくたばってるおっさんの代わりに、お嬢ちゃんが薬を届けてやろうってわけか。けど、残念だったな。日没まで二時間を切ってる。間に合うわけねえよ」
サラは空を見上げて目を細めた。細い雲が夕陽の残照で
「手を離していただけますか。時間がないんです」
「何?」
《送達士》は面食らった。
「お前、人の話聞いてたか? 無理だって教えてやってるんだよ。たかが《
発言を無視し、サラはもう一人の《送達士》に呼びかける。
「そこにいる私の依頼人を、どこか静かな部屋で休ませてあげてください。教会は、国民を救うためのものでしょう?」
もう一人の《送達士》は、大きく目を見開いた。
力が
「おい、お前!!」
追ってこようとした《送達士》の耳元で、ひゅっと
風はサラの背中を押し、足を軽やかに加速させ、あっという間に姿を見えなくする。まるで魔法のように。
彼女が駆け抜けた道の後に、飛ばされた深緑色の帽子が、ふわりと地面へ落ちた。
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