(4)

 翌日、学校が寄こした運搬業者に帯同して部室棟まで行くことになった。初めて、大型トレーラーに乗ることができて、ややテンションが上がる。

 夏休みの部室棟は、お盆明けということもあり人の気配があまりせず、空間の広さも間相まって不気味な雰囲気を醸し出していた。

 待機していた芳子と挨拶を交わすと、レックスがトレーラーから降ろされる。なんの異常もないことを確認すると、そのまま休日出勤となったエンジニアスタッフが地下へと収納してくれた。彼らにも丁寧に礼を述べる。

 全ての作業が終わった後も依然として、ここから持ち出された経緯はわからなかった。


「監視カメラの映像とかはどうだったの? 前にここは二十四時間録画されてるって聞いたけど」

「休み中だからね、夏の間はそれもやらないみたい」

「そう、でもまた……」

 同じことがあったらと思うと、落ち着かなくなる。

「こっちの不手際だって学校も言ってくれてるし、今度こそちゃんと保管してくれるでしょ」

「ならいんだけど」

 芳子がお手上げ、という感じに手を振ってみせた。

「部長たちが、帰って来てからまた考えましょ」

「そうするしかないか……」

「私、ちょっと部室に寄っていくから」

「ああ、俺はもう行くよ」

 奏との約束がある。腑に落ちないものを抱えながら、部室棟を出た。

 今日もセミの大合唱がところかまわず響いてくる。外では新学期の到来に備えてか、大型のコンテナが並び置かれていた。次の実験に使う機材だろう。

 横の小道では、個人練習に励む吹奏楽部希望者と思しき人影がちらほら見える。この暑い中、ご苦労なことだと思った。来季の選抜に向けて、猛特訓というところだろうか。


 あそこもトライアウトみたいなのがあるのかな? 大所帯だと、それだけで……あ……。


 前方から、女子生徒が近づいてくる。穂高もよく知っているあの、

「杉岡……」

 微笑を浮かべて、会釈を送ってくれた。彼女らしからぬ態度にわずかに動悸がした。

「久しぶり……」

「ああ……」

 なにかぎこちない。千緒の穏やかながらも、どこか憂色の滲んだ瞳、その悲哀を感じるまなざしの原因は自分にある、のかもしれない。

「その、暑いな今日は」

「そうだね」

 会話終了、うまく舌が回ってくれない。どうも、この少女とは皮肉の応酬でないとコミュニケーションが取りづらいようである。


「え、えっと、なんで学校に……?」

「今日、藤林先生が来てるの。それで、来シーズンについてちょっと相談したくて」

「ああ……」

「そういうあなたは?」

 ドキッとした。なぜか、あんた、と言われなかった。

「うちの部の、都合で」

「……? なにかあったの?」

「……大したことじゃないよ」

「そう……」

 突き放す言い方だったかもしれない。普段の彼女なら、怒って食い下がってくるところだろうが、視線をやや下方に向けただけだった。


 どうした……?


 千緒の様子がなにか、おかしい。その理由を自分は知っているはずなのだが、やはり考えてはならない。

「奏は……元気?」

「え……ああ、これから会いに……」

 言葉が詰まった。そんなことを聞かされたら千緒はどう感じるのか、冷や汗が出てくる。

「もう、あまり奏を独り占めしないでよ。私たちだって、一緒に遊びたいんだから」

 そう言って笑って見せる千緒。その笑顔が、なぜか切ない。

「うん、ごめん……」

「それじゃ、私もう行くから……」

「ああ……」

 脇をすり抜けて、歩いていく千緒を見送る。小さくなっていく千緒の背中、それ見て穂高は、

「杉岡……!」

 このまま行かせるべき、と思っていたのに呼び止めてしまった。

「なに……?」

 千緒が振り返る。

「明日の花火大会、よかったら一緒に、みんなで行かないか?」

「……どうして?」

 どうして、なのだろうか。自分でもよくわからない。

「その、今も言われたけどさ、奏には友達も大事にしてほしいから……」

 それを理由と思うことにした。

「そう、でも……」

 なにか言いよどむ千緒、単純にこちらに遠慮しているだけではないだろう。辛いのかもしれない。そう考えると穂高もうかつな言いようであったかも、と慙愧の念を覚える。

「あ、あの無理にとは……」

「結実に聞いてみるね、もう帰って来てるから」

「あ、ああ……奏には俺の方から聞いとくから」

 彼女が断るはずがない。

「芳子ちゃんも来るかな」

「ああ、あいつも今日来てるぞ、たぶん部室にいると思うけど」

「わかった、寄ってみる」

「……あの」

「それじゃあ、後で連絡するね」

「う、うん……」

 声が小さすぎて届かなかったようだ。

「それじゃ……」

 今度こそ、去っていく千緒を黙って見送った。


 奏の家に向かうUVの車中、穂高は千緒のことを考えていた。


 なぜ、あんなことを……。あの娘を余計、苦しめるだけなのかもしれないのに……。


 センチな同情ややさしさを振り向けたところで、不愉快に思われるのが関の山だろう。それでも千緒が奏の友人である以上、自分ともどこかで関りを持ち続けることに変わりはない。ただ避けるのが正解ではないだろう。


 優柔不断はダメだ、変に相手を期待させるようなことはなおさら……。ただ、あの娘の……なんだろうな、友人として接していければいい……。


 坂を駆けあがると、窓から赤黒い光が差し込んできた。どこか寂しさを感じる夏の夕暮れ、太陽が闇へと沈んでいく。

 いつもの駐車場で降りて、エントランスに向かう。内部では土谷氏が業務に追われていた。

「ああ、こんにちは山家さん」

「こんにちは土谷さん」

 どうもこのコンシェルジェの男性は、ただの従業員というわけではなく、三崎家となにかかかわりがあるようなのだが聞いたことはない。

「ハハ、またなにか悩まれてますかな?」

 あっさり胸中を見抜かれ、ビクッとする。

「え、ええ、少し……。でも大したことじゃありませんから」

「ほほ、そうして悩めるのも若さの特権ですよ」

「そうですよね……」そうだとしても苦しい話である。

 挨拶を終えると、エレベーターで奏の部屋のフロアまで行く。途中で、外を見やると日は没しかけていた。

「ハァ……」たかが、マシンの再収納にずいぶん時間をかけてしまった。


 ああ、もう……ついてない。


 ほんの一日二日でも奏との時間を削られるのが辛くてしょうがない。そう思えるのはよくない傾向である


 まずいな……。


 奏に甘えていると自覚はできる。二学期が始まれば、二人は学校では別々の時間を過ごすのがほとんどになる。今のうちに、慣らしておかねばならない面もあるだろう。このままでは束縛的な男になりかねない自分に危惧を抱いた。


 一度話そう……。


 奏の部屋のドアの前に立った。


 変な顔になってないよな?


 自分の顔をぐにゅぐにゅと揉んでから、ドアフォンを押した。フォンに出る前にドアが開かれ、奏が出てきた。

「いらっしゃい」

「こんにちは……」

 どうも千緒と会ってきたことに負い目を感じて、そんな挨拶になってしまう。

「なあに、それ?」奏が苦笑する。そのまま手を引かれた。

「お、お邪魔します」

 靴を脱いで、リビングに向かう途中、心配事が一つ浮かんだ。

「奏」

「部屋着用意してあるよ、汗かいちゃったでしょ、まず体拭いてから」

 奏がタオルを取り出してきた。

「ありがとう、それと」

「え?」

「ちゃんと誰が来たか、確かめてからドアを開けないとダメだよ。いくら治安のいい場所でも用心しないと」

「あ……うん、そうだよね。ごめん……」

「べ、別に責めてるわけじゃないよ。ただ奏が心配で」

「わかってる、ありがとう」

 もう何度目になるのかわからない抱擁を交わしてから、明日の予定を伝えると奏も快く承知してくれた。

 ほどなく、千緒からメッセージが来た。結実は了承、芳子は家の事情で難しいようだ。十一月の産業博に、上北製作所も出展するらしい。その打ち合わせに彼女も加わる。

 シャワーを浴びてから、部屋着に着がえると、

「……」実家に帰ってきたような安心感を感じていることに気づいた。

 

夕食を済ませてからは、リビングのソファに座りながら、ぼんやりと映画を観る。ありきたりなラブロマンス、以前の穂高なら退屈でしかなかっただろう。


 今は、もう違う、誰かを想うことを知ったんだ……。


 姿勢を崩して、奏にもたれかかると、そのまま膝まで誘導される。奏の太ももに顔の側部をつけながら、頭をなでられ、心地よさに意識が飛びそうになった。彼女のやさしさと温かさに包まれる幸せにただ身を委ねる。


 やはり、俺には奏しかいない、当然のこと……。


 千緒のことは振り切るべきこと、改めてそう認識した。そうしていると、新学期からのことも結局、話すこともできなくなった。レックスの不可解な移動の件もどうでもよくなった。


 夜も更けたころに、奏の部屋のベッドで肌を重ねあう。すべての悩みは飛散していき、いつのまにか眠りについた。奏の腕に抱かれて。


 時計の針が日付をまたいだ夜深く、人一人いない星緑港高校の部室棟になにかの音が流れていた。人間の聴覚では聞き取れない音域での音。


 ……ホ……ダ……カ。


 その声を耳にできる者はいなかった。

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