第一章 奏

(1)

「時間だな……」

 道順を確認して、空中の平面モニターの電源を落として、鞄を手に取り、部屋を出た。同じ制服の、これから同級生となる生徒達も一斉に出るようで、すれ違っては会釈を繰り返した。ここは今から入学する学校の男子学生寮の一つなのである。去年の夏に工事が終わったばかりで三年生で入居している生徒は少ない。第二男子学生寮の部分的な改築で追い出されてここに来た二、三年生たちが、緊張した面持ちの新入生たちに激励の言葉をかけてくれた。五階建てだが、奥行きがあり、幅もある。エスカレーターでエントランスに降りていく。


 高校生の寝ぐらにしては、広すぎるんじゃないのか?


 自分の部屋もそれなりに広い上に一人部屋である。埋立地だから土地は安い、加えて新興の建築会社が売り込みも兼ねて色気を出し過ぎた建物だった。

 初日ということで案内に従いシャトルバスに乗車し、座席に腰を下ろす。かすかに息を吐くと、人心地がついた。やがてバスが発車し、窓から外を見やった。街中の地下に張り巡らされたレーンの上をコンテナが走っていく様子が道路の上からでも確認できた。

 透明の上水道に青白い水が勢いよく流れて、路辺に植えられた木々に撒かれる。虹がかかり、母親に連れられていた幼児がキャーキャー騒いでいた。

 目をそらした。


 正直なところ、一人暮らしは不安だった。地元の横浜から出たこともほとんどなく生活力というものが自分にあるのか疑問だったのである。しかし、一念発起で苦学した末にここへの入学切符を手にした時から、覚悟は決まっていた。

 父はなにも聞かなかった。好きにすればいい、と一言いっただけだった。合格した時も全く喜んではくれず、寮の下見にも来なかった。家を出る当日に、必要な時に下ろして使え、と銀行のカードを渡すとそのまま仕事に行ってしまった。とある事情でお金には不自由してなかったので白けただけだった。当然、今日という日にもメッセージ一つくれはしない。


 好きに、させてもらうさ……。


 遠景に海が映る、ガイド役の上級生が建設中の海上兼海中都市について興奮気味に語る。

 やがてバスが止まった。降りて、出迎えの上級生たちに礼をすると大講堂に向かって歩み始める。基本的な学校の構図は既に頭に入れてある。迷うことはなかった。


 西暦2059年4月1日、山家さんが穂高ほだかは、知瀬ちせ市の市立星緑港せいりょうこう高校の入学式に来ていた。

 知瀬市というのは、中部地方南部の太平洋沿岸に先端科学技術の研究を目的として設置された特別地区であり、重化学工業から軽工業、医療製薬、情報デジタル産業まで幅広く最新の科学技術を全世界に発信する未来型都市の趣を備えている。大西洋の人工島にある独立都市国をモデルとして、地下の電動レーン物流システムなどの科学設備を整えた実験都市でもある。

 そこの星緑港高校は市のエスタブリッシュメントを多数輩出してきた学校であり、大きく分けて工科と文科が存在する。系列の大学の付属扱いではなく独立した高校であった。


 知瀬では街の設立以降、高校卒業と同時の能力試験で必要な能力、素養があると判断されれば、大小問わず、企業は優秀な人材を高校から青田買いする慣習が築かれていった。とりわけ理系では大学での研究に応じて人材を集めるよりも企業内の研究機関で十代の内から念入りに鍛えて、ある種の会社民族意識とでもいうべき帰属心を養わせる傾向が強まっている。そういう事情であるので、ここでは高校と大学の双方の要素を混在したような教育システムを採用していた。この流れは次第に全国的に波及しつつある

 格式ばった入学式を終えると、穂高たち新入生は、上級生に連れられて校舎と学校施設の簡単な案内を受けていた。


 なんて広さだ……。


 文科棟と工科棟に分けられる間の広大な通路は新入生全員を入れてもなお見渡せるほどである。またここを起点に離れた場所にある四つの実習館と呼ばれる建物に経路が通じており、移動には相当の時間を要するためロードウォークの使用を推奨された。

 通路の間の二階の屋内テラスまで誘導された。ここは二つの学生食堂の中間にあるようで、生徒たちの憩いの場所になっており屋根が開閉するという。それを実演してくれるというので辺りを見回した。

 そこで、一際周囲の視線を集める誰かがいた。

なんだろ。

 穂高もさりげなく見てみる。


 それは一人の女生徒だった。

 同じ新入生だが、位置的に自分とは違う文科生ではないかと思った。周囲の視線に気づいてないわけではないだろうが、説明に聞き入っているようだった。

 それを男子生徒たちが説明に耳を傾ける合間をぬってちらほら見ている。


 入学早々、女漁りかい。


 キョロキョロ視線を送る男たちに呆れる。


 なにがなにがなにがそんなにいいんだか。

 

 そんな考えを抱き、どんなものかと少し気になってきた。

 好奇心から、穂高の視線が女生徒に向いた。後方から首筋に注目する。


 ……瑞々しいっていうんだろうか、男のとは別の生命みたいだ。


 白さの中にピンクが混ざったような肌を論評する。


 長い黒髪にツヤがあるように見えるけど、自然にああなるんだろうか。小さい肩幅、機能的な理由なのかな。


 なんとなしに感想を抱いていく。その時だった。


 あっ……。


 振り返った女生徒と目が合った。

 全身が硬直し、汗の分泌すら感じとれるほど感覚が張り詰める。

 偶然の交差を装い、何事もなかったかのように視線を右に逸らした。

 一瞬のことであり、何の感情も読み取ることはできなかった。

 しかし、たった今、軽蔑した男たちと同じことをやってしまった、ということを激しく後悔した。

 知りもしない男に観察されるような目で見られて不快にならないわけがない。

 そう思って心苦しくなる。無遠慮な視線を送る下衆な男と思われても仕方ないだろう。

 これだけの注目を集める彼女が、たった一人に悪感情を抱くだろうか、と思ってもやっていいことではなかった。


 俺の、アホ……。


 異性を知らないことは美徳ではない、と恥じ入り内省と共にその場から歩き去った。それが、彼女との最初の邂逅であった。


 そんな初日の失態も尾を引くことなく時間は過ぎた。ハイテクな寮での生活は思った以上に快適で初期の不安など三日とかからず霧散した。厳しい受験勉強に耐えて、ここまでの道を勝ち抜いてきた同期たちとも気が合い、トラウマとなっていた対人関係に悩むこともなかった。ただ入学式でのあのことがどうにも引っかかる。気まぐれで少し調べてみることにした。

 うわさによるとあの少女はやはり文科生らしい。はやくもうわさになっていること自体が驚きだったが、元々穂高たち工科と文科では接点が少なく、直接かかわることはほとんどないので彼女を見ることはめったになかった。さらには目新しい学問の講義や新設されたばかりの機械を扱うクラブでの活動に追われれば、彼女のことを考える隙もなくなった。


 それでも合同授業になれば彼女は注目の的だったし、ラウンジや食堂で男子たちの女子品評会が始まれば彼女の名を必ず聞いたものだった。

 三崎奏みさきかな、というらしい。

学園のアイドルってやつか、本人はどう思ってんだろう。彼氏はいるのかな、いたらどれだけの男たちが血涙を流すんだか。

 そう思うと笑えてしまった。おおよそ自分とは接点のないアイドルの浮いた話など何の興味もわかなかった。その時はまだ。

 

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