かげ

あかな

かげ

以前に住んで居たのは利根川が近くを流れる田舎で、街灯も少なく夜は真っ暗だった。

中学生の頃、神奈川の今の家に引っ越して来たときは夜の明るさに驚いたものだ。民家の数も街灯の数も比べ物にならない。家と家の間が自分の腕を伸ばせる隙間もなく、駅周辺でしか見かけなかったマンション・アパートが数え切れないほどの明かりを灯していて、街灯が必要無いのではと思うほどだ。

そんな明るい夜のこの街は昼の間、富士が大きく見える。日本一の山でも、利根川付近から見ると小さな影であったので、これも新鮮だった。夕焼け時には見事な影がくっきりそそりたつ。

ーーーその姿を観ていると思い出す。あれは自分が小学生の時だった。


帰り道。

夕陽のなかを一人で歩いていた。

周囲には誰もいなかった。しかし長く伸びた影が自分と一緒に歩いている様に見えたので

競争するように走ったり、友達と話すように向かい合ってみたりしていた。

道の半ばを過ぎた頃、周囲が赤い光で染まった。人はおろかカラスもいない。赤く焼ける空と稲刈りの終わった田んぼが広がっている。

見渡す限りの景色を独占している事が嬉しくてたまらなかった。

満足して再び歩き始めた時。

ふと自分の影を見てまた足が止まった。

眼がある。

長く伸びた黒い頭部に眼が開いている。

白の中で影より黒い二つの眼がこちらを見つめている。

見つめ合っていたのはどれ程の時間だったのか。

まばたきをすると眼は消えていた。ただ黒く伸びる影が足元から生えている。

走り出した。まっすぐ前だけを見て。

突き当たりを曲がるとそこにあった民家の塀に影が立ち上がった。

今度は口を歪めて笑っている。

目を閉じてなお走る。

息が切れてのどが痛かった。

しかし止まったらもう動けないだろう。

ひたすら足を動かした。

夕陽の方を薄目で見ながら。

ようやく家に着いた。

両ひざに手をついた姿勢のまま動けなかった。

息が落ち着いて、おそるおそる目蓋を開くと、足下には薄い影があるだけだった。日が落ちたのだ。見上げれは空は濃紺に変わって星が輝いている。

ほっとして長く深いため息がでた。

そして玄関に目を向けると

等身大の影がガラス戸に。

ぼんやりとした影は一瞬で消えた。

母が電灯あかりをつけたからだ。戸を開けた母は呆然としている自分の頬を叩いた。

次の瞬間。母にしがみついた。

そのまま動くことが出来なかった。

また影を見てしまうのが恐ろしく、目蓋を固く閉じていた。



しばらくは学校どころか外に出る事も出来なかった。日中はもちろん月の明るい夜も怖くてたまらず、影が出来るのが怖くて暗くした部屋にこもっていた。それは3ヶ月ほど続いただろうか。

父母が学校に掛け合い、夕暮れ前に必ず帰宅させるという事で話をつけ、姉や友人達の協力もあって半年を過ぎる頃には学校に通えるようになったが、夕陽が射す頃は影のできない場所から動けなかった。

それは一年以上続いただろうか。


大人になった現在でもふとしたときによみがえる影の眼。

両親も姉も友人達も眼の錯覚としか思わなかった様だが……あれは錯覚では無い。

何故なら視線を感じたからだ。

自分を注視する気配、あるいは存在感。

それが確かに有った。


あれはなんだったのか。

大人になったいまもわからない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

かげ あかな @koubai_1024

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ