虚言霊

ほしぎしほ

一品目

「ユイちゃんって、確か怖い話を集めてたよね?」


 授業が終わり、帰り支度を整えていると友人のシハルちゃんが声を掛けてきた。

 怖い話、というより不思議な話ではあるけれど、怖い話でも構わないと思い、私は首を縦に振った。


「実は最近流れてる噂があってね。ユイちゃんはもう知ってるかな?バクの噂」


 バク。その名前を私は知らない。

 首を横に振って知らない事を伝えると、シハルちゃんは嬉しそうに顔を綻ばせ、周りに聞こえないように私の耳に口を近づける。


「なんかね、バクっていう生き物に夢を食べられちゃうんだって。その日見た夢、悪夢でもいい夢でも食べられるらしいよ。その内、その人の心も食べられちゃうんだって」


 今休んでいる人が多いのもそれが原因だよ。

 そうシハルちゃんは言ってくれた。そう言えば確かに一週間前から欠席の人が増えてきている。

 今は帰っていった人がいるので教室にいる人は少ないけれど、今日使われた机は今ある机の半数ぐらいしかなかった。

 怖いよね、と同意を求めてくるシハルちゃんに頷いて見せる。


「さて、私達も帰ろっか。ユイちゃんは今日もお店?頑張ってね」


 そう言ってシハルちゃんはまだ見慣れない履物で床を踏みしめながら教室から出ていった。

 見慣れない、と言っても私も同じ長靴ブーツを履いているのだけれど。この長靴を履き始めたのは年明けぐらいの頃だっただろうか。数ヶ月は経っていても通気性が足りなくて違和感が大きい。雨でも足元を気にしなくてもいいのが幸いなくらいだ。

 教材となる教科書と筆と硯を一緒に風呂敷に包み、私も教室から出る。



 この国は長い間閉鎖した国だった。

 異国の文化も情報も一切入れず、自国の文化や情報のみが全てだった。

 しかし、国王が変わったことにより異国との交流が増えていき、国内には長靴のように他国の文化が広がっていった。

 それによって少しずつ少しずつ、自国の文化は減っていった。

 人によってはすぐに他国の文化を取り入れ、全身を洋服で纏う人もいたけれど、一般民である私達は長靴などの様に一部を取り入れるだけにしている。それもいつか全身を他国の文化で彩るのも直ぐかもしれない。

 ただ、他国の文化が全てになると困るのは人間だけではないのを私は知っていた。


 学び舎から30分程歩いた場所。建ち並ぶお店等の建物の中のひっそりとした場所にそのお店はある。

 お店の名前は『裏見』。小さな食べ物屋さんだ。

 そしてそこが、私が働かせてもらっているお店であり、そこの店主さんが私の保護者である人だ。

 店主さんは血の繋がった親戚でも両親でもない。それこそ最近までは赤の他人だった。

 詳しく話をするとかなり長くなってしまうからここでは言えないけれど、私を助けてくれた人の旦那さんが店主さんで、店主さんの願望から私は彼の養子という立場になった。

 店主さんも奥さんもいい人なんだけれど、困った仕事をお願いされるから少し困ったものだった。


 大通りから細い路地に移り、ぐねぐねと曲がる道を歩いていけばやっとお店に辿り着く。

 少し古い戸を開ければ、美味しそうな香が鼻腔を擽った。


「おや、おかえりユイちゃん」


 そう言って迎えてくれたのがこの裏見の店主のマスキさん。私とは十しか違わない男性だ。

 穏やかな雰囲気を持ち、常に微笑を浮かべているマスキさんはその見た目通りの優しさを持つ人だった。この人の家族になれたと思えば自分は幸運だったと最初は思った事があった。困った仕事を頼まれなければ、ずっとそう思えただろうに。


「今日はどうだった?不思議な噂はもらえたかい?」


 マスキさんの問いに私は帰り際に聞いたバクの話を伝えた。

 マスキさんは私の話に頷いたりと相槌を打ち、ふむと顎に手を当てた。


「バク、か。夢を食べるなら伝説の方かな?」


 その言葉に私は首を傾げた。バクにも種類があるのだろうか。

 その疑問をそのまま伝えるとマスキさんは頷いて見せる。


「バクという生き物は存在しているんだけれど、隣国では獏っていう伝説の生き物がいるって話があるんだ。獏の方は夢を喰うと言われててね。バクなら食用にされてたこともあったらしいけれど」


 マスキさんの説明を聞いている途中で、後ろから誰かが私の臀部に向かってぶつかってきた。その衝撃に声が漏れそうになったけれど、何とか耐えられた。

 肩越しに振り返れば、私の太ももに抱き着く形で女の子がいた。下から私を見上げるその目は金色だった。

 髪はこの国では二人といないであろう輝く白い髪。若葉色の着物を纏った彼女を見れば他国の服装の方が似合いそうに思える。

 彼女が何を隠そう、私の恩人であり、マスキさんの奥さんなのだ。

 そう、奥さんなのである。

 見た限りでは七つを数える子供だろうかと思わせる見た目。白い髪だけ見れば老婆だろうかと思えるだろうが、彼女の肌はしっとりとした皺一つない肌なのだ。

 でも彼女は成人していると言い張る人物だ。

 名前はクズノハさん。彼女に関して詳しい話はまた後程にさせて頂こう。


「ユイ、その噂食べに行こうぞ!バクの肉を喰らうのじゃ!」


 私の太ももを揺らしながらクズノハさんは楽し気にそう言う。

 あぁ、これは困った仕事になってしまうのだろう。


「よいか?マスキ。調理は任せても問題なかろう!」

「構わないですよクズノハ。という事でユイちゃん」


 あぁ、こちらの言葉を待ってくれる様子も無く、マスキさんの命令おねがいが飛んでくる。


「バク、捕って来てね」


 


□ ■ □


 バク。

 猪と同じくらいの体格。その鼻は長く、白と黒の毛並みを持っている。夢を食べる存在。

 マスキさんとクズノハさんから聞いたバクの特徴を呟き、私は息を吐き出した。

 マスキさんの命令を聞いた私はとりあえずとこの国の主要道路にやってきた。ここに来れば、何処に行こうにも楽なのだ。遠い場所であれば人力車か、他国から模倣した馬車があるので移動にも困らないのだ。

 通行の邪魔にならない場所に立ち頭を抱えている私に、一緒についてきたクズノハさんが私の着物の裾を引っ張る。


「ユイよ、何を困っておるのだ」


 それは勿論バクがいそうな場所がわからないからだ。そう伝えればクズノハさんは口角を上げて見せる。


「儂らがバクをわざわざ探す必要はなかろう。バクを誘き出せばよいのだ」


 成程、確かにそれならば闇雲に探すよりはいいだろう。とはいえどうやって誘き出すというのか。


「簡単じゃ。バクは夢を食べるのじゃろう?寝て夢を見ればよいのじゃ」


 ほうほう。つまり家に帰って寝ればいいと。

 それならばさっさと家に帰ってしまおう。


「駄目じゃユイ。バクが今どこに潜んでいるかわからんのじゃぞ?わざわざ遠い所の餌を喰いに行くよりも近くの餌を喰いたいじゃろうて」


 それもそうですが、結局はバクの居場所を探さなければいけないじゃないですか。

 私の言葉にクズノハさんは人差し指を左右に振る。


「まだまだじゃのうユイ。バクの居場所は明日から探せばよい。今から情報収集はできぬのじゃ。だから」


 そう言ってクズノハさんは大通りのど真ん中に向かって歩いていき、あろうことかその場に寝転がった。まさに大の漢字の様に。大の字に。


「今日は国の中心で寝ればよいのじゃ!これで駄目なら明日から頑張ればよい!」


 今日やれそうなことを全て捨てた言葉に呆れつつ、そして人々の目を惹くクズノハさんの行動にこちらが赤面した。

 寝転がる事をやめるよう必死に説得し、クズノハさんは渋々と立ち上がった。

 これ以上否定してもクズノハさんが不機嫌になって面倒なだけだという事は学んでいる。なので私は譲歩案をクズノハさんに伝えた。

 国の中心で寝るのはいいけれど、それは夜、人がいなくなる時間帯にしましょう、と。



 日が沈むと同時に、大通りを歩いていた人がいなくなる。

 遅くまでやっているお店に通う大人たちが少なからずいるだろうと思っていたけれど、そういうお店は大通りではなく国の端っこに集まっているとクズノハさんが教えてくれた。

 私よりもこの国の事を良く知っていて、こういう時はクズノハさんは年上なのだなと感じた。

 でもそんな大人なクズノハさんは今大通りに大の字で寝ている。

 寝たふりかと思ったけれど「誰が狸寝入りをするか!」と言われたので恐らく本当に寝ているようだ。

 私はクズノハさんが見える位置で身を隠している。クズノハさんの夢に誘われてやってきたバクを捕らえるのが私の役目だ。

 とはいえ、本当にバクが現れるとは私は思っていない。そんな体の良い話はないと思っていた。

 思っていたのに、その考えは打ち砕かれた。

 小さな足音が聞こえてきたのだ。

 気配を殺してじっとしていれば、クズノハさんの傍にそれは現れた。

 猪と同じくらいの体格で、その毛並みは暗闇でわかりづらいけれど白と黒の毛並みを持っているように見える。

 聞いた通りの特徴を持っている存在。これがバクなのか。

 私が驚いている間にもバクはその長い鼻でクズノハさんの頭に触れた。

 夢を食べようとしているのだろうか。私が慌ててバクに飛びかかろうとしたけれど、それより早く動いたのはクズノハさんだった。

 否、大通りで寝ていたはずのクズノハさんの身体と言えば正しいのかもしれない。

 クズノハさんの身体は一瞬で沢山の葉っぱに変わったのだ。その葉っぱは宙を舞い、驚いているバクの身体を覆うように張り付いていく。

 バクは動けなくなったのか四肢をじたばたと動かしている。


「ユイ、早くするのだ」


 クズノハさんの声が後ろから聞こえ、はっとした私は地面を蹴り、隠し持っていた小刀を抜きバクの首に突き刺した。

 硬いかと思われたその皮膚は簡単に刃を通す。そのまま刃を下に降ろせば刀傷から血を噴き出し、じたばたと動いていたバクの動きが止まる。

 刀についた血を手拭いで拭き、鞘に戻す。そこまでしてから後ろから拍手が聞こえてきた。

 振り返ればそこにはクズノハさんがいた。

 だが、日が沈む前のクズノハさんとは違っている。その頭には一対のふさふさした白い耳が生え、その着物をめくり上げるようにふさふさした白い尾が存在を主張していた。


「よくやったぞユイ。いつもながら見事な手際じゃ。誉めてやろう」


 素直に喜べない言葉ではあったけれど、とりあえず感謝の言葉を投げておく。

 幼い姿をしているクズノハさんは、その本性は妖狐と呼ばれる存在だった。


 この国には人間とは違う存在がいた。それらを大きくまとめるとすればあやかしと呼ばれるものたちだ。

 妖とまとめてもその姿もさまざまである。中でも力が大きい存在は人間に紛れ込めるように姿を変えてしまうらしい。クズノハさんもその内の一人だった。

 妖狐とは人を化かす妖だとクズノハさんに教わった。

 先程の葉っぱも、クズノハさんの術でバクを化かしたのだという。


「まぁ、もしバクが賢い存在だったとすれば、気づかれたかも知れぬがな。馬鹿な存在でよかったわ」


 そう言ってクズノハさんは軽々とバクを持ち上げた。

 バクはクズノハさんより大きく、傍から見れば抱き着いているようにしか見えない。

 気に入っているからずっとこの姿だと最初にあった時に教えられたのだが、運ぶだけなら大きな姿になってもいいのではないだろうか。

 そう提案してみたが、クズノハさんは笑って返してきた。


「その為だけに姿を変えるのは負けた気がするから嫌じゃ」


 そう言われてしまえば何も返せなくなる。

 誰にも見られない事を祈って裏見に帰ってくると、既にマスキさんが大きな包丁を持って私達を待っていた。


「おかえり。無事にバクを捕まえられたみたいだね」


 そう言うマスキさんの目の前にバクを置き、クズノハさんは一つ欠伸をした。


「さて、儂は一寝入りしてくる。出来たら呼ぶがよい」


 そう言ってクズノハさんは店の奥に歩いて行ってしまった。

 残された私は床より高い位置にある畳に座った。


「立派なバクだね。沢山の夢を食べてここまで育ったのかな」


 そう言いながらマスキさんは慣れた手でバクを解体していく。私はただその様子を眺めるしかできなかった。

 一通りのお肉を取り出し、残った皮と骨を使い古した風呂敷で包む。明日にでも人に見つからない場所に埋めてくるのだろう。前も猪を解体した時にそうしていたのを覚えていた。


「そう言えば、最近肉鍋が流行っているらしいね。ユイちゃんは食べたかい?」


 名前は聞いた事はあるけれど食べた事がない事を伝える。私に視線を向けていたマスキさんは子供のような笑顔を見せてきた。


「そっか。じゃあ肉鍋に近いものを作ってみようかな」


 そう言ってマスキさんは私に背を向け調理を始める。

 包丁の音、お腹を刺激してくる匂いはいつもと変わらず、私にとって好きな時間だった。

 少しうとうとしている間に調理が完了したのか私の目の前に器が置かれた。

 茶色い汁の中に白い大根、橙の人参、そして少し大きめに切られた肉がある。


「バクの肉鍋だ。毒味をよろしくね」


 そうだ、まだ私の仕事は終わっていないのだ。むしろこの毒味が私の大事な仕事なのだ。

 先程まで持っていた物を横に置き、用意された箸を持って両手を合わせる。


「いただきます」


 そう言ってから、私は箸で肉を掴み上げる。まだ温かい肉に息を吹きかけ、舌を火傷しないぐらいに冷ましてから肉を口の中に入れた。

 何度か咀嚼し、肉を食道に流していく。

 そんな私をじっと見ていたマスキさんに説明するように私は口を開いた。


「味は、猪の肉に近いですね。でも猪より食べやすくて、とても柔らかいです。醤油の汁をまとっているけれど、肉の甘味が強くて、お米に合いそうです。ただ焼いたとしても美味しいと思います」

「そうか。ありがとうユイちゃん。じゃあクズノハを呼んでくるよ」


 そう言ってマスキさんも店の奥に向かって行った。

 私は器の中にあった物を口の中に入れて行き、器から無くなった頃にクズノハさんが戻ってきた。


「美味しかったかい、ユイ」


 その問いに私は頷いて見せる。後からやって来たマスキさんがクズノハさんの分を用意し、クズノハさんは挨拶もそこそこに肉を口に含んだ。そしてその目を細める。


「うむ、なかなかうまいのぅ。肉の甘味が儂好みじゃ」

「クズノハが気に入ってくれて助かるよ」


 マスキさんもクズノハさんの笑顔を見て嬉しそうだ。

 クズノハさんは半分程食べてから箸をおき、自分の腹を愛おし気に撫でる。


「のう?お前も美味しいじゃろ?セイメイ」


 その声に返す言葉は聞こえない。でもクズノハさんには聞こえているのか、クズノハさんは楽し気に笑っていた。


 クズノハさんがいうには、クズノハさんのお腹に子供が宿っているらしい。その子供の名は既に決まっている。『セイメイ』と。

 クズノハさんはセイメイが元気に生まれるようにと色んな妖を食べてその栄養をセイメイに与えているらしい。

 だから、変な物を食べない為にと私は毒味役をしている。

 全てはクズノハさんの子供のセイメイの為に。

 私は常に所持している小さな黒板に白いチョークで文字を書き葛葉さんに向けた。


『セイメイさんのお口にあいましたかね?』


 その文字を読んだクズノハさんは嬉し気に頷いてくれた。


「合うに決まっておる。儂とユイが美味しいと食べた物なのじゃ」


 そう言って、クズノハさんは再び箸を手に取り肉鍋を食べ始めた。

 それを眺めながら、私は自分の喉に触れた。


 私は言葉を喋る事を控えている。

 喋れないわけではないのだ。喋ってはいけないだけなのだ。

 私の言葉はどんな嘘でも真実にしてしまう力を持っている。それは私が生まれてからずっとであり、この力が関係して辛い目にあった事もある。

 この力の事は他人には伝えず、喋れないという事にしている。なので常に板書で会話になるのは少し億劫だが慣れてきた。

 そんな力を持っているからか、私はとある施設で育ったのだ。人間としてではなく、実験生物のような扱いを受けてきた。そんな生活から私を捕まえ上げてくれたのが、クズノハさんとマスキさんだったのだ。

 人間としての生活を保障してくれる二人には感謝の言葉だけでは足りない程の気持ちを持っている。

 お二人と一緒に住み始めた頃は生活に慣れなくて大変ではあったけれど、今は大分落ち着いてきて生活にも慣れている。

 この毒味の仕事も、お二人の性格も。


「ふぅ。御馳走様。さて、と」


 合わせた手を離し、クズノハさんは立ち上がった。器を取りに来たマスキさんに渡して言う。


「それじゃ、儂は少し散歩にでも言ってこようかのう。運動もセイメイを育てるには大事じゃろ」

「わかったよ。気を付けて、クズノハ」

「儂が危険な目に合う筈がないじゃろう」


 不安そうな表情を崩さないマスキさんの腰をぽんぽんと叩いてからクズノハさんは外に出ていった。

 私も自分が使った分の器と箸を持ち、洗い場の方に向かう。

 出来るならば洗い物を片づけたかったのだが、いつもマスキさんに止められてしまう。

 今日もマスキさんは私が持っていた器を素早い動きで取って洗っていく。

 洗い物までが料理だからと言われるけれど、私としては少し不満だ。


「バクは食べやすかったかい?」


 そう聞いてきたマスキさんに私は小さな黒板を取りに行ってから答えを書く。


『はい。今までの中では一番食べやすかったです』


 私がマスキさんの目の前に黒板を出す。書かれている文字を読んだマスキさんは苦笑を見せてくれた。


「捕まえるのもまだ楽だっただろうしね。これからも楽だったらいいんだけど」


『河童の時はかなりくろうしましたもんね。私も、マスキさんも』


 クズノハさんが食べたい物はその気分によって決まる。

 だから河童なんて滅多にお目にかからない妖を頼まれた時は目撃情報をかき集めてどこだろうと脚を向け、捕まえた河童をなんとか連れてきてもマスキさんが解体作業が難しくて時間がかかったこともあった。

 最近は私が聞いてくる噂話に繋がる妖を食べたがってくれるのであんな苦労はしなくて済んではいるけれど。


「クズノハが喜んでくれるから、その希望は叶えてあげたいから頑張るんだけどね」


『マスキさんは、クズノハさんが大好きですもんね』


 その文字を見たマスキさんは嬉しそうに顔を綻ばせる。


「あぁ、愛しているよ。だからこそ、早くセイメイが生まれてほしいよ。クズノハから愛を受けるセイメイを、早く料理してあげたいね」


 これ以上の幸福はないかのように、うっとりとした表情でマスキさんはそう言った。

 その言葉は、最初の頃の私はマスキさんが恐ろしい存在にしか思えさせなかった。でも今は残念ながら慣れてしまった。

 マスキさんの願望は、「生まれてきたセイメイを料理しクズノハさんに食べさせる事」なのだ。

 愛しい人の子供なのになんてことをするのだと思っていた。

 だが、聞いたところセイメイはマスキさんとクズノハさんの子供ではないのだそうだ。

 どこの誰が父親かわからない子供に愛を注ぐクズノハさん。その状況はマスキさんにとっては愛しいクズノハさんが奪われているような錯覚に陥るらしい。

 今すぐにでも殺してやりたい子供、だが殺したらクズノハさんが悲しむだけでなく、お腹の中にいるセイメイを殺してしまえば母体に何もないとは言えない。

 だからマスキさんは早くセイメイが生まれて欲しいのだ。殺す為に、そして料理をする為に。

 クズノハさんが初めて食べる人間の味はセイメイであってほしいらしく、クズノハさんが人間の味を覚えないように私がこうして毒味をしているのだ。

 毒味をして、出来るだけ人間の肉の味ではない味に言葉を発して変える。

 狂っていると思った。おかしいと思った。

 けれど、もう私もこの人と同じで狂っている側の人間になってしまったのだ。

 何せ私は、人間の味を知り、妖に限らず色んな味を味わってきているのだから。


「ユイちゃん、これからもよろしくね」


 マスキさんの声にハッとして私は顔を上げた。

 いつもの優しい笑みを浮かべるマスキさんに私は頷いて見せた。

 やる事が無くなってしまった私は外に出た。

 灯りが無い街は闇に包まれているけれど、建物の隅に目を向ければ小さい何かが動いているのが見える。


「夜は妖の時間じゃ、さっさと中に戻れ」


 横から声がしてそちらに目を向ければクズノハさんが闇に紛れるようにそこに立っていた。

 散歩に行ったんじゃなかったのかとよくよく見れば、クズノハさんの手には何かがあるようだ。

 私は近づいてクズノハさんに指を向ける。それに気づいたクズノハさんは掌を向けてくれた。その掌に指で文字を書く。


『なんですかそれ』


「金平糖というお菓子じゃ。美味いぞ」


『食べ過ぎるとマスキさんに怒られますよ』


「そうじゃな」


 そう言ってクズノハさんは私に向けていた掌を閉じ、片方の手に持っていた小袋から何かを取り出し、それを私の口の中に押し付けてきた。

 まるで溶けていくかのように、口の中に甘いそれが広がっていく。私としては少し甘すぎるくらいだ。


「これで共犯じゃな」


 そう言って笑うクズノハさんに私は肩をすくめて見せた。

 しばらく二人で金平糖を食べていれば、クズノハさんが口を開いた。


「今日も毒味ありがとうな。ユイのおかげで儂好みの味になって有り難いのじゃ」


『いえ。これしかできませんけど』


「何を言うか。味を作ったのもユイじゃが、あの妖を作ったのもユイじゃ」


 クズノハさんに返す言葉が思いつかなかった。


「やはりお前を拾ったのは正解じゃった。おかげでセイメイに栄養を与えられるし、妖を怖がる人間を途絶えさせずに済むからのう」


 妖というのは、人の想像から生まれるそうだ。

 覚えのない出来事、災害等を人ならざる存在である妖のせいにして、噂が広がった時その妖が生まれる。

 クズノハさんも、そんな妖の一匹らしい。

 噂を私は流してはいない。言霊の力が強い私なら妖を作る事は出来るのだが、人一人の想像力だけではその妖は消えていく。沢山の人間の想像力を集めなければ、妖は存在しえないのだそうだ。

 だから私は世間で広がる噂を聞き、クズノハさん達にそれを話す。お二人の知識をも元に、私がその妖の姿形、そして特徴を言霊に乗せて発する。

 それだけで不確定だった妖が確定となり、この国に生まれる。そしてそれを探して捕まえて料理して食べる。

 私の仕事は、自給自足をしている事と言っても変わりはないだろう。

 しばらく金平糖を貪っていたクズノハさんは小袋を隠すように袖に入れ、ぎゅっと私の腰に抱き着いてきた。


「不安そうな顔をするでない。お前は儂たちを救ってくれるのじゃ。マスキと儂がいずれ対立する運命にあれど、ユイが必要な事には変わらんのだから」


 クズノハさんの言葉に返事をするように、私はクズノハさんの頭を撫でた。


■ □ ■


 少し経つと教室の空いていた席が減ってきた。

 いつもの風景に戻った事に安堵していると、シハルちゃんが声を掛けてきた。


「バクがもういなくなったのかな?休んでた人も戻ってきたし、噂も聞かなくなったよ」


 少し残念そうに唇を尖らせているシハルちゃんに小さな黒板に書いた文字を見せる。

 筆談は声で会話するより時間がかかるので面倒に思う人が多いが、シハルちゃんはちゃんと待ってくれるので有り難い。


『落ち着いたみたいでよかったね』


 ちなみに、私が言霊で作ったバクは人の夢を食べていたバクとは違う。なので私達が食べたからバクがいなくなったわけではないはずなのだが、不思議な事に食べた後は元になった噂の妖被害はなくなっているのだ。

 不思議には思うのだが、被害が増えているわけではないのだから気にしないようにしている。もしかしたら食べたという事実が影響しているのかもしれないけれど。


「私は見てみたかったけれどなぁ。それに、気になるよね」


 バクが食べたって夢の味は、バクの味と同じなのかな?


 シハルちゃんの言葉に息を呑んだ。

 その言葉の意味を聞こうとしたが、教師が部屋に入って来たのでシハルちゃんも部屋に散らばっていた人たちも自分の席に着席していく。

 休憩の時にでも聞いてみようと決め、私は書物を開く。

 ふと、最初に口にしたときのバクの味が口の中に広がった。

 あれがバクが食べた夢の味というのならば、その夢はどんな夢だったのだろう。

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虚言霊 ほしぎしほ @hoshigihoshiboshi628

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