卵の緑色

@inutsuge

卵の緑色

 托鉢行脚の旅を始めて早十年、そろそろ歳も五十を過ぎ、結庵のときが迫ってきた。

 何度も修繕を繰り返した衣服や笠からは最早何処に属している僧かは読み取れず、肝心の私自身でも殆ど忘れかけていた。結庵を希求するのも無理はないだろう。老衰よりも、たとえ物理的な空間だけでも属する場所を作りたいというのが正直な動機だ。この願望は、旅の途中で拾った卵、緑色に膨れたその卵を懐に入れて、ここまで歩いてきた事にも表れている。私が所有してもなお私の目を逃れて原初の生命が住まうところに忘れてしまった故郷を見出したのだ。

 庵を結ぶ地として、この宮内川上流の渓谷を選んだ。この地には平家落人の伝承があり、つくづく落人というものに惹かれる私はここを死に場所に選んだ。しかし、幾ばくかの金が無ければ、庵はできない。托鉢だけじゃあその金は貯まらないだろう。幸い植物に詳しかったので野生蘭を始めとした野草を摘んで売ろうと思いたった。

 色とりどりの野草を持って道の駅に立った。ピンからキリまで様々な値段をつけていたが、平均して一本あたり700円くらいで売れた。托鉢という全く受動的な人との関わり方でなく、商品を持ち寄るという少し能動的な部分のある人との関わり方は私を或る思弁に耽らせた。

 私は元来から微笑という無表情より厚い仮面をもって人と接しており、深い関係を持った事は無かった。それ故、私はいつの間にか社会から弾き出されていた。いや、私が覚えていないだけで、社会に属しなかった故に厚い仮面を被る破目になったのかも知れない。気付けば私には家が無かった。托鉢行脚をしているのだから何処か属していた宗派があるのだろうがそれももう朧気だ。これまた或いは全く勝手に托鉢していたのかも知れない。そんな詐欺紛いの事をする奴が社会に属する事が出来ないのは当たり前だろう。

 さて、「家が無い」、これは人との関係において大きな影響を及ぼした。例えば、道端に座り込んでる際に頭上を鳥が通過していく光景を想像してほしい。太陽の方から鳥が悠々と飛んできて、頭上を通過する。暫くして太陽の反対方向から鳥が飛んできて、頭上を通過する。これらの鳥を同一個体なのではないか、と考える事はその場所に留まっていても出来る。しかし、確実にそうだ、と言い切るにはどちらかの方向の果てにある巣を見つけてからじゃないといけない。これと同じような事が私にも言えた。所属のはっきりとしない私はいち人間扱いされなかった。何やらよく分からない蛆のような哀れなもの、理解のできない悍ましいもの、おおかたそんな風に見えるらしい。お陰で托鉢は捗るが、踏み込んだ会話というのは殆ど交わさなかった。尤も托鉢というのはこちらからお礼を言うものでもないし、一々その御利益を説明するものでもない。私は生き延びる事に関しては特に不自由は無かったのだ。

 …しかし、どうだ、所属が定かでないのは、世俗の人々、皆に言える事では無いか。現にいま野生蘭を買っていった人だって、自分の住む家が果たして本当に自分の所属を示してくれるかどうか不安だから花を飾って自分の匂いを家の壁に染みつけようとしてるのではないか?彼らの顔だってそうだ。少しばかりそれが透明なだけで仮面を被っていることには変わりないだろう。いや透明なんかでなく、事に微笑なんかより遥かに分厚い仮面なのかもしれない。…は、は、ははは!そうか、なんて滑稽なんだ。赤裸々な髑髏を見せたいが為に他人の髑髏を模した仮面を被っているんだな。…とすると、そうか、そうか、私が半生大事に持っていた卵は、なんてことない手足という道具と顔を喪失した胴体、ただそれだけだったんだな。だって、そら、持ったそばから緑色に膨らみ始めたではないか。あれは中の生命が成長してるのでなしに、大気に住まう蟲の仕業だったんだ。しかし、待てよ。蟲といえど生命じゃないか。蛆や蟲の類いは顔こそ喪失していれど、本当に赤裸々で透明なのだ。赤裸々に会話する為に必要なのは顔を見ずに話す事、ただそれだけなのだ。そうか、ならば結庵の必要は無い、私が蟲の苗床となろう。緑の膨れた卵になろう。


 

 ある日、平家落人の末裔が森の中で卵を見た。それは苔のむす怪しく緑に光る大きな卵で、背中から翅脈にも似た菌糸が空に向かって伸びていた。

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