第42話 あたしはそれでもいい
「ねえ、美紀ちゃん」
お姉ちゃんが顔を上げる。
「美紀ちゃんは本当にそれでいいの? わたしが倒れていなければ、美紀ちゃんはまだ続けるつもりだったんじゃないの?」
それはそうだった。
けど、今はお姉ちゃんの身体のほうが心配だった。
入れ替わりを続けるなら、明日の試合に出るのはお姉ちゃんになる。そんなの絶対にダメだった。
けれど、お姉ちゃんはそれを察したように優しく微笑む。
「わたしのことなら心配しないで。そんなに無茶はしないし、今日はたっぷり眠れるもの」
「でも……」
「だって、美紀ちゃん、せっかく鹿島さんに好きになってもらえそうなのに、……ううん。きっと、鹿島さんはもう美紀ちゃんのことが好きだと思うの。でも、いまやめたら……」
――分かってる。
多分、そうなったら先輩とあたしがつきあえることはない。
先輩があたしのことを好きだとしても、入れ替わっていたことをバラすわけにはいかないし、そうなれば、お姉ちゃんが先輩を振ったとしても、きっと『あたし』にはチャンスは回ってこない。
なぜって、わたしたちは一つ子だから。
『代役』っていう意識は、けっこう厄介なのだ。
「たぶんね、鹿島さんは『代役で好きになったら、美紀ちゃんがかわいそう』って、そういう風に考えると思うの。本当は美紀ちゃんのことを好きでも、絶対にそうは言わないと思うの」
そう。
だからこそお姉ちゃんはこんな手の込んだことを考えたのだ。
そのはずだった。
だけど……。
「でも、あたしは、先輩のことが全部ダメになっても……」
勢いがしぼむ。「お姉ちゃんの方がもっと大事だから」そう言おうとして、照れくささが唇を塞ぐ。
けれど、躊躇っている場合ではなかった。
息を吸いこむ。
萎えそうになる気持ちを奮い立たせるために拳を握る。
「……あたしはそれでもいい。あたしはお姉ちゃんの方が大事。先輩を好きなのと同じくらい、お姉ちゃんが大好きなの。だからムリなんてしないでよ。あたしのためだっていうなら、もうこんなのやめて」
懇願するあたしに、お姉ちゃんは、少し悲しそうな顔をしたあと、「ありがとう」と呟いて笑いかけた。
「でもね、わたしは美紀ちゃんに続けてもらいたいの。だって、いまやめちゃったら、どうして今まで頑張ってきたのか、わからないでしょう? わたしが心配っていうそれだけの理由なら、わたしのためだっていうのが理由なら尚更やめないでほしいの。……お願い」
堂々巡りだった。
どっちも相手のためだと言いながら議論は平行線。
考えてみれば変な話だった。
けど、確かに、お姉ちゃんは倒れるくらいムリして頑張ってきたのだ。
明日さえ終わればしばらくは落ち着いた日々も戻ってくる。
けれど、あたしにはそれ以外にも引っかかっていることがあった。
ただ、それがどうにもうまく言葉にできない。
「ねえ、お姉ちゃんは………」
何を言いたいのか分からないままに言葉を口にしようとして、だけど、それは途中でお姉ちゃんに遮られてしまった。
「わたしなら本当に大丈夫だから。今まで美紀ちゃんに替わってしっかり練習してきたんだもの。練習に比べたら、試合の方がずっと楽でしょう?」
「ね?」とお姉ちゃんはあたしに問いかける。
あたしには、黙って頷く以外になかった。
@
眠れなかった。
疑問が頭で渦巻いていた。
お姉ちゃんは、どうしてこんなことをしたのか。
他に方法はなかったのか。
入れ替わって、倒れるほどムリして、そこまでしなければならない理由は何だったのか。
唐突に、お姉ちゃんが倒れたときのことが思い出されて身震いする。
あんなのは、もう二度と見たくなかった。
体育館裏の曲がり角。
陰から覗き込むあたし。
花壇で仲良く水をまく二人。
やがてあたしとお姉ちゃんの目があって……。
その光景が、偶然見てしまった告白と重なる。
あの時もそう。
あたしは曲がり角の陰に隠れて二人の様子を覗き見ていた。
目を逸らすこともできなかった。
先輩の背中。
うつむいたお姉ちゃん。
風にそよぐ青いリボン。
あの時、先輩の告白に、お姉ちゃんは一度だけ頷きを返した。
あの時には、お姉ちゃんは、もう全部を考え終わっていたのだろうか。
先輩を騙して、あたしを嵌めて、健吾を巻き込んで、入れ替わる計画が既に頭の中にできあがっていたのだろうか。
想像の中でお姉ちゃんが顔を上げる。
視線がぶつかる。
そして、
眠れなかった。
もう二度と思い出したくないのに、うつらうつらとするたびに脳裡にあの時の光景が蘇る。
やがて、夢を見た。
先輩に告白される夢。
放課後の体育館の裏。
「好きだ」と先輩の声が響いて、あたしは嬉しくなって一も二もなく返事を返した。
OKに決まっていた。あたしも好きです、と大きな声で叫びたかった。けれど、顔を上げたあたしの目に映ったのは……、
曲がり角の暗がりから、わたしを見つめているあたしの姿。
(つづく)
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