双子地球〜92%が双子の世界で、憧れの先輩と双子の姉が付き合いはじめたら〜
我道瑞大
第1章 一つ子と二つ子と独りっ子と
第1話 人類の92%は双子です
「好きです」
澄み切った声は、放課後の体育館裏にポツリと響いた。
自分の口から出たその声は、自分じゃないみたいに女の子らしくて、まるでお姉ちゃんの声を聞いているようだった。
それがどうにも嬉しくて、恥ずかしさでうつむいていたあたしに、もう一言分の勇気が湧いた。
「あたし、先輩のことが、ずっと、ずっと……」
でも、それ以上は続かなかった。
ドキドキと、心臓がささやいているのがわかる。
静かなささやきに答えるように、頬がだんだんと熱を帯びていく。刺すような沈黙の中で、鼓動はやがて耳を覆いたくなるざわめきに変わった。
逃げ出したかった。
返事も何も聞かないで、『今のナシですっ』って叫んでどこかに消えてしまいたかった。
逃げ出そうとする身体を押さえつけるようにスカートの裾をぎゅっと掴む。
唇を結んで歯を食いしばって、けど、ガクガク震える足はどうしようもなかった。
怖かった。
でも、逃げるのは絶対にイヤだった。
体育館の裏はまるで人気がなくて本当に静かで、音が止まり、風が止まり、時間まで止まってしまったみたいだった。
先輩は、まだ返事をくれなかった。
……どうせ、ダメに決まってる。
どこからか、そんな声が聞こえた。キンと張りつめた空気が鼻の穴を通り抜けて、涙腺を刺激した。涙を見せるのがイヤであたしは元々うつむいていた顔をさらに下にさげる。
……どうせ、ダメに決まってるのだ。
へらっと力無く笑う。
そう思ってしまえば楽だった。諦めてしまえば苦しむこともない。そんなのあたしらしくないけど、いつも明るく元気な『美紀ちゃん』らしくないけど仕方がない。だって、どうせ
「僕も、美紀ちゃんが好きだよ」
幻聴かと思った。
顔を上げた。暗がりから太陽の下に出た時みたいに眩しくて、あたしは先輩の顔をまともに見られなかった。
「ほんとうですか、先輩。ホントに、あたしで……」
「うん」
「あたし、お姉ちゃんみたいに女の子っぽくないし、おしとやかでもないし、料理だってできないし、それでも、それでもいいんですか?」
「うん、僕が好きなのは、美紀ちゃんだよ」
想いが、溢れた。
「先輩っ……!!」
「美紀ちゃん……」
先輩の胸に飛び込んだ。大きくて広い胸。
先輩は、包み込むように腕を回して、そのまま柔らかく抱きしめてくれた。
優しい気持ちに包まれて、
なんだか夢みたいだとあたしは思う。
……美紀ちゃん。
先輩の甘い声が、もう一度世界に響いた。
あたしは、先輩の胸に顔を埋める。
……美紀ちゃん。
先輩の声は優しくて、すごく懐かしい誰かに似ていて、とてもあったかかった。
洗い立ての毛布にくるまっているような、ふわふわした感覚。
……美紀ちゃん。
ああ、もう、嬉しいけど、そんなに何度も呼ばれると恥ずかしくなってくるよ、先輩。
……美紀ちゃん。……美紀ちゃん。
照れくさかったけど、でも、いいか、と思い直す。
だって、あたしも先輩のこと、本当に、
「…………………………大好きだもん……、むにゃ、むにゃ」
????
何かがおかしかった。
それから耳に響いたのは、優しくてあったかくて大好きな声。
けれどそれは先輩ではなく、
「ふふっ。私も美紀ちゃんのこと大好きよ。だから起きて? 朝練に遅れるんでしょう」
へっ??
あたしは、『先輩』の背中に回していた腕を大急ぎで引き離し、
叫んだ。
「お姉ちゃんっ☆■△◎♨??」
「はいはい。お姉ちゃんですよ。ふふっ」
どうしてここにお姉ちゃんがいるのか。
先輩はどこへ行ったのか。
瞼が重い。
一体何がどうなっているのか。
確か、学校の体育館裏で先輩に告白してOKされて胸に飛び込んで後ろから手を回して……。
けれど、薄く開いた目が映したのは、幾度となく見たお姉ちゃんの優しい笑顔。
辺りを見回せば見慣れた本棚、見慣れたぬいぐるみ。
見慣れた薄いピンクの壁紙。
「大丈夫? 美紀ちゃん。ちゃんと起きた?」
起きた……? って
――なんだ夢だったのか、とようやく気づいた。
思わずため息が出そうになったけど、そこはエイっと堪えることにする。だってため息なんて好きじゃないから。エイっと堪えて、布団をはねのけて、元気よくあたしは立ち上がる。
お姉ちゃんが目をぱちくりさせた。けどあたしは気にせず窓の方へ足を向け、勢いよく、
カーテンを開けた。
小気味のいい音を立てて世界が開き、太陽が目に飛び込んでくる。
朝日が眠気に染みて目を開けているのが辛かった。
眩しさに負けないように、あたしは両手を広げて大きく伸びをした。
朝の空気を胸一杯に吸い込む。
「うん。今日もいい天気っ!」
絶好の告白日和だった。
夢だからって落ち込むことなんてないって思った。
だって夢を現実にするのはこれからなのだから。
あの夢はきっと、『頑張れっ』って、天国のお母さんが励ましてくれてるのだから。
「ふふっ、なにかいい夢を見たの? 美紀ちゃん、なんだか嬉しそう」
「ナイショ」
こればっかりは、お姉ちゃんにだって内緒だった。
ホントは話したくて堪らない。
けど我慢。
正夢は、人に話したらホントにならなくなってしまうのだ。
そう、だってあたしは、
今日こそは、先輩に告白するつもりなのだから。
@
『人類の92%は、双子です』
階段を下りて食卓に付くと、もう朝ご飯ができていた。
テレビの音をBGMに、ベーコンエッグに添え付けのサラダとコーンスープが三人前ずつ。
あたしとお姉ちゃんと、お父さんの分。
トースターからは、パンの焼ける香りが立ち上っていた。
「お、美紀、起きたか」
「う~、おはようお父さん~」
あたしは朝が苦手だ。朝は一発気合いを入れて目を醒ますのだけれど、顔を洗っているウチにまた眠くなってきて、ソファのところに座るとうつらうつらとしてきてしまう。
でも、お父さんやお姉ちゃんの元気そうな顔を見るたび、そんなの努力次第なのかもと思わざるを得ない。
「はいはい焼けたわよ。美紀ちゃん、お父さん」
こんがり焼けたトースターをバスケットに載せて、サッと運んでくるお姉ちゃんは、
毎朝5時半に起きて3人分のお弁当と朝食をクッキングしているスーパー女子高生だ。
ときどき本当に血が繋がっているのかと怪しみたくなるけど、
お父さんはともかく、お姉ちゃんに関しては100%どころか120%血を分けた姉妹に違いない。なぜって……
『双子が日本を変える! 日本双生党』
さっきから何かと思って見ると、選挙のテレビPRだった。
――人類の92%は双子です。だからお子さんをお持ちの方々は大変でしょう。我々は、子育て支援に独身税を提案する双子の双子による双子のための双生党です。みなさん、どうか清き一票を。
「……まったく調子のいいことばっかりもごもご言いやがって」
別に、政治家がもぐもぐ言っているわけじゃない。もぐもぐ言っているのはトースターをかじっているお父さんだ。
口を動かすたびにぽろぽろとこぼれるパンくずが汚いから、ちょっと黙って食べて欲しい。
「いいか美紀。騙されるなもごもご。双生党なんて名ばかりで、議員はほとんど独りっ子だもぐもごもご」
独りっ子なんかに俺たち一つ子の気持ちなんてわかりっこない……、ってお父さんはいつも言ってる。
『一つ子』っていうのは、一卵性双生児のことだ。
お父さんは一つ子で、死んだお母さんも一つ子だったし、あたしの学校の先生も、友達も、世界中のほとんどの人に全く顔の同じ兄弟姉妹がいる。
そしてもちろん、あたしとお姉ちゃんも一つ子で、同じ顔で、同じ声で、寸分違わぬ同じ遺伝子。
だから血のつながりはどう頑張っても否定出来ないのだ。まあ、本気で否定しようなんて思ったことはないけど。
「……結局、選挙に勝つのは独りっ子だからな」
「うん。そうだね」
――って、何の話だっけ?
適当に相づちを打ってから話の内容を反芻する。
そうそう、よく聞いてなかったけど多分、政治家とか社長とかの話。
社会的に責任の重い立場に就く人はほとんど独りっ子か、
じゃなければ二卵性の『二つ子』だ、というお父さんが口癖のように言ってる愚痴の類。
「まあ、ある意味、それも仕方がないのかもしれんもごもご。一つ子が重役に就くと面倒だからな。二人を間違えることもあるし、もぐ、ひどいのになると不正目的で自分から入れ替わるバカまでいる。一つ子の恥だ、まったくもぐもごもご」
「お父さん。食べながらしゃべるのはやめてくださいね。美紀ちゃんが嫌がりますから」
ティーポットで朝の紅茶を煎れながら、お姉ちゃんが柔らかくお父さんを諭す。
「おお、すまんすまん……」
お父さんはお姉ちゃんに頭が上がらない。
ご飯食派のお父さんが黙ってトースターをかじっているのも、お姉ちゃんが「朝はパンにします」って言ったから。もぐもぐ言うのだって、あたしが注意しても聞かない。
これって贔屓なのかもしれないけど、あたしはあんまり気にしてない。
だって、お姉ちゃんがパン食を作るのは「あたし」が好きだからだし、お姉ちゃんがお父さんを注意するのは、「あたし」が嫌がっているときだけだから。
「それにしても、優紀はますます死んだ母さんに似てきたな……」
しみじみと言ったお父さんの目は、床の間に飾ってあるお母さんの遺影を見つめていた。遺影なのに優子叔母さんと二人で写っている姉妹の写真。白状してしまえば、あたしだって見分けはつかないけど、確か、右がお母さん。ちなみに、優子叔母さんはまだ健在。
「ねえねえ、お父さん、あたしは?」
双子なのだ。当然あたしだって見た目はお母さんそっくりに決まっているのだが……。
「うん? 美紀は、どっちかというと優子ちゃん似だろう」
「げ」とあたしが声を上げたのは、誰にも非難出来ないと思う。
優子叔母さんはお母さんの一つ子なのだけれど、おしとやかなお母さんとは正反対で、ビールをグビグビ飲んでゲラゲラ笑ってテーブルをバシバシ叩いている姿が印象的。
既婚者で二児の母なのだけれど、突然仕事をやめて家族をおいて一人旅に出たと思ったらカジノで大儲けして帰ってきたり、三十後半から大学院に通い始めて哲学の博士号を取ったりと、よく分からない人生を謳歌しているお人だ。
夫の良治義叔父さんはよく我慢していると思う。
もちろん悪い人じゃないし、自由な生き方に憧れる部分もあるけど、
似ていると言われると余りいい気はしない。
と思っていたのにお姉ちゃんもお父さんの意見を支持した。
「美紀ちゃんはいつも元気いっぱいだものね」
ぶう、っとあたしは膨れる。
けど、
ふふっ、と口元に指を添えて笑ったお姉ちゃんは、確かに『お母さん』っていう感じがする。
けど、それは当たり前なのかもしれなかった。
だって、お母さんは物心がついた頃に死んでしまって、
それからずっと、あたしにとってのお母さんはお姉ちゃんだったから。
「さてと、んじゃ、ごちそうさま」
そう言ってお父さんは席を立つ。
「お父さん。今日も帰りは遅いんですか?」
「……ああ、そうだなあ。どうにも仕事が片づかなくてな。
娘二人を家に残して心配なのは山々なんだが、持ち帰ってやるわけにもいかんし……。とにかく、七時以降は外を出歩かないこと、戸締まりはしっかりして、チャイムが鳴っても不用意にカギを開けないこと、何かあったら携帯ですぐに知らせること、それから……」
こう見えて、お父さんは少し心配性なところがある。
毎朝出る前に必ずこんな風にあたしたちに念を押していくのだ。
それが会社に遅刻しそうなときでも必ず。
放っておくといつまでも話していそうだったから、つい
「だいじょ~ぶっ。いざとなったらあたしがみんなやっつけてやるんだから」
そんな言葉が口をついて出た。
「ふふっ。美紀ちゃんはとても強いものね」
あたしは小さい頃からずっと隣の道場で合気道を習ってきた。でも、お父さんにこの話をすると、「その慢心が命取りになる」って言って聞いてくれない。だからやっぱり今日も、
「あのなあ、美紀。生兵法は怪我の元だぞ。第一、美紀は女の子なんだ。無茶して万一のことがあったらどうする。お父さんはだなぁ……」
「……ああ、もう、じゃあ、いざとなったら道場に駆け込むからっ」
と、そんな風に話が落ち着き、お父さんは腕時計を見て慌ててスーツを羽織って玄関から飛び出していき……
「あ、そうだもう一つ。いいか。美紀も優紀も……」
最後にドアを片手で押さえたままお父さんは付け加える。
「……独りっ子には注意すること」
独りっ子の何に注意するのかは分からない。
けれど、お父さんはいつも最後にこう言い残していく。
お父さんは単に独りっ子が嫌いなのだ。
けれど、あたしは曖昧な頷きを返すしかない。
だって、その、実は……。先輩は、独りっ子なのだから。
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