偽札事件

「こんなものが発見されました」


 ドアを開けて飛び込んでくる部下。俺は淹れたてのティーを片手に慌てる部下の持つブツを優雅に奪い取った。警視庁偽札担当特別チーム。これが俺の率いる極秘部署だ。


 複製技術の高性能化で巷(ちまた)に多くの偽札が出回るようになった。しかし、プロの目で見ればこうした偽札は直ぐにばれてしまう。販売機などに組み込まれた偽札判定機も高度化してきている。問題は組織レベルで造られる巧妙な偽札だ。


 偽札作りは貨幣の信用を失墜させ、経済活動を根底から破壊する重犯罪だ。コピー機やインクジェットプリンターで数枚を造って面白半分で使う輩が後を絶たないのは事実だが、影響はたかが知れている。当然のことながら我々のチームが対象としているブツは闇工場で作られる陰で芸術品と呼ばれるそれだ。


「芸術品!本物以上に本物か・・・。よく言ったものだ」


 俺は天井照明にブツをかざして、色合いや透けるラインの重なり具合などを確認した。まるで本物だ。同じ番号が印刷されていること以外は二枚とも本物だった。俺は手にしたブツを専門の鑑識に回すよう指示をして椅子に掛けた。


 ティーカップから立ち上る湯気。デスクに広がる豊かな香り。一口、含んで心を静める。部下を呼び、ブツの二枚の発見場所をそれぞれ確認する。想像どおり、別々の場所で使われている。


「一枚はスーパーで、もう一枚はコンビニなのだな」


「はい。たまたま両方の取引銀行が同じでして。行員が偽札判定機を通したときに同一番号を検知してアラートがなったとのことです」


「なるほど。それ以外に見つけることは不可能だろう」


 俺は先ほど見た二枚のブツを思いおこしながら部下に述べた。ピン札でなかったところを見ると恐らく二次流通。偽札組織が大量に造ったピン札がマネーロンダリングをへて、一般の人に渡り使い古されてから、たまたま見つかったと考えるのが妥当だ。


 だとすると、事態はかなり進行していることになる。偶然が起こりうる確率にまでブツが流通していると考えるべきだ。チームはブツの番号末尾のアルファベットをとって『M』と名付けて捜査を開始した。


 日本の一万円札は非常に高度な印刷技術を用いており簡単には模倣できない。透かしはもとより、インクも紙もホログラムも全て極秘裏に開発した特注品だ。製造先も極秘な上、生産数量もしっかり管理されている。それなのに・・・。俺は部下の報告を静かに聞いた。


「鑑識に回した『M』は完全に本物と一致しました。疑わしい箇所は残念ながら皆無です」


「他の市中銀行の捜査協力で新たに同一番号の『M』が375枚も発見されています」


「国立印刷局の製造ミスの疑いが晴れたと言う事か。そして『M』が正真正銘の偽物であることが証明された」


「正真正銘の偽物ですか」


「ああ『本物以上の偽物』だ。発見された『M』は全て使い古しか?」


「はい。私が思うに何らかの理由で、既に製造は終わってしまって犯人一味は解散し、市民に紛れたのではと。鑑識の調査では『M』のもととなったオリジナルの一万円の番号をたどると印刷されたのは二十年前、『M』に使われる紙の傷み具合から分析も同年代に印刷されたものと判別されるそうです」


「二十年前。時効が成立するな・・・。悪いがもう一度『M』を見せてくれないか」


 俺は部下に頼んで持ってこさせた数枚の証拠品『M』をじっくりと眺めた。あることに気づく。もう俺の時代は終わりなのかもしれない。


「これをみろ!」


 俺の言葉に部下たちが集まってくる。


「俺達は最初っから間違っていた。『M』はピン札で造られて何人もの人に渡って古くなったのではなく、最初から古いまま造られたんだ。ここをみろ。微妙な折線のズレまで全く同じだ。こんな偶然はあり得ない」


 俺の指摘に口をだらしなく開けてあ然と驚く部下たち。


「科学者の顔写真付きのリストを取り寄せろ。それと最初の二枚が発見されたスーパーとコンビニの監視カメラの映像をAIを使って照合しろ!」


 俺の勘が見事に的中し、一人の科学者が取調室に呼び出された。


「この偽札を造ったのは博士ですね」


 俺は『M』を机に並べて問いただす。


「これは本物だ。断じて偽札ではない」


「全ての番号が同じである以上、仮にこの中の一枚が本物だとしても残りは偽物だ」


「どれが偽物か証明できるのかな?」


「残念ながら・・・」


「だろうな」


「どうやったらこんなことができるのですか」


「キミ、私が博士の複製物だと言ったらどうする」


「はあ?馬鹿げてます」


「その馬鹿げたことが現実なのだよ。博士は『物体複製機』を開発し、そこに置かれた一万円を複製した。その一万円は原子レベルでオリジナルと同じものなのだから、最早、偽物とは呼べない。区別することができないからだ」


「・・・」


「仮に私がその札を使ったとして、オリジナルを使ったと言い張れば罪には問えない」


「二回以上、使ったことを証明できれば罪に問える。ここにあるいずれの札からも博士の指紋が検出されている」


「私はその札と同じ複製物だ。オリジナルの博士も同じ指紋を持っている。証拠とは言い難い。疑わしきは罰せずという現在の法律では私たちを裁くことはできない」


 馬鹿げている。ありえない発明だ。しかし、その証拠『M』が机の上にのっている。俺は彼に一目置かざるおえない。


「そんな大発明をしたのなら、なにも一万円札を複製する必要などなかったのではないですか?」


 博士の複製物と名乗る男は『物体複製機』が、未成熟な社会にとっていかに危険かを語り出した。そして、その装置を封印したことも。俺は事件の真相を封印するしかなかった。


「博士、あなたはこれからどうするのですか」


「科学はいずれ進歩する。誰かが同じものを開発するだろう。それまでに人類が進歩しないとすれば破滅はやがて訪れる」


「あなたを逮捕できる社会を考え出せと言うことですね」


「その通りだ」


 警視庁を出て行く彼の後姿を見つめながら、俺は新たな極秘部署の設置を上司に進言する気持ちを固めた。政治家に知られる前に。






おしまい。

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