こんにちは、異世界!

九九鬼夜行

こんにちは、異世界!

 ザザ、ザザ、ザー、ザー、ザザ、ザザザザ――。


 砂嵐のような耳鳴りがする。ひと昔前のアナログ放送だった時代、テレビ番組終了後の深夜に映し出された、白と黒のノイズだ。まぶたの裏にも、砂嵐のような映像が流れる。その頃のテレビは叩くと直ったというが、自分の頭を叩く気にはなれず、こめかみの辺りを指で押さえて、砂嵐が去るのをじっと待った。


 耳も目も、ノイズが酷い。


 自身に何が起きたのか。


 周囲の状況も不明だ。


 放置されて錆びついた倉庫のシャッターのように、まぶたは軋むばかりで開かない。だが、ノイズの合間から、聴覚が人の声を拾った。


「――隷属さ――魔法の準――使い――のだ――」

「――万全――護衛――冒険者――を揃えて――」

「召喚対象を――した鍵言葉、三〇年前の――なのであろうな?」

「抜かりなく。――の召喚士が使用した――を調べ、確認いたしました」


 感覚機能が回復してきたのか、ノイズは徐々に小さくなり、話し声が聞き取りやすくなった。声は二つ。どちらも男だろう。


「『社畜』とは、実に素晴らしい言葉を考えついたものだ」

「まことにもって」


 男たちの野太い声は、何か面白いことでもあったのか、とても愉快げだ。悦に入ったかのように、時折、喉を弾ませている。今にも笑い出しそうだ。


 まぶたに力が入った。一度、まぶたを強く閉じる。そして、開いた。


 視界が乱れる。今度はデジタル放送時代のノイズだ。モザイクでもかかったかのように不鮮明で忌々しい。それでも、何度か瞬きを繰り返す内に、鮮明な映りを取り戻すことができた。


 突然、生じた異常。原因がわからない。ほんの七分前までは、自身の感覚機能に異常などなかった。


 だが、そう、あれは異変だろう。異変はあった。


 一瞬、平衡感覚に狂いを感じた。その後、ノイズが生じたのだ。暴力的なノイズだ。


 体に痛みはない。ならば、脳の異常か? いや、脳の処理に異常を来したのであれば、容易く直るとは思えない。脳はどこよりも複雑にできているのだから。


 耳も目も、正常に戻ったことは何よりだが。精密検査は時間がかかるし、仕事に支障が出る。


 そうだ、仕事だ。片づけるべき仕事は山ほどある。


 また裏ボス上司や鬼軍曹先輩にどやされる。今度は殴られるかもしれない。


 休んでなどいられない。


 時間は金だ。早々に始めなければ。


「地球と呼ばれる世界の……確か、小さな島国の言葉だったか?」

「さようでございます」

「人間社会が作り上げた、人の姿をした家畜とは、見事なものよ。我らも見習わねば、のう?」

「仰しゃる通りでございます。昨今、労働者どもの反抗が目立つようになってまいりました。異世界の島国より取り寄せた社畜は、少々の躾で飼い主に従順な態度を示したというのに、まったく嘆かわしいことです。ただ、労働者どもの躾をし直すには、少しばかりお時間がかかるかと。隷属魔法は反抗心が強い相手には、どうしても効きが悪くなりますので」

「ふん、いらだたしいことよ。まあ、よいわ。その間は異世界から召喚した社畜を使えばいい。ひ弱という欠陥はあるが、いくらでも召喚できるのだ、使い潰したところで何ら問題ないわ」


 立ち上がろうとしたところで、違和感が体を押し止めた。


 ここはどこだ?


 広い空間だが、岩の壁に囲まれている。洞窟だろうか。岩窟と言った方が相応しいかもしれない。大きな空洞だ。射し込む光の筋が、遠くの方に見える。地面や壁面に手が加えられており、見目は地下聖堂のようだ。祭壇や柱も凝った作りをしている。


 壁の彫像に目が留まる。磨崖まがい彫刻にあたるだろうか、岩壁の一部を削って作られている。聖典か何かの一場面を表しているのかもしれない。淵から伸びる無数の手。這いずりながら逃げ惑う農民たち。彼らを助け起こそうとする聖者。淵の手に火を吹き、人々に加勢する四つ足の大鳥。天より加護の花を降らす神……。


 一七世紀頃の西洋芸術を思わせる、豪華絢爛で動的迫力に溢れた彫刻の数々。床石の幾何学模様も細部にわたり技巧が凝らされている。素晴らしい聖堂、建築芸術である。


 だが、覚えのない場所だ。


 名のある建築家や彫刻家の作品に思える。これだけ見事な作品であれば、美術的価値は高いだろうし、歴史的価値もありそうだ。教科書に載っていても不思議ではないし、テレビ番組で取り上げられていてもおかしくはない。


 だが、見たことがない。


 自信を持って言える。初めて見る場所だ。こんな場所は知らない。


 同時に思う。


 ここは――気持ち悪い。


 人によっては装飾過多と表現されるかもしれないが、決して意匠に嫌悪感を抱いたわけではない。造形は奇異でもなければ不気味でもない。むしろ美しい。ただ、石材というべきか、岩肌というべきか。この場所そのものが、気持ち悪い。


 遠目にも見える、壁面の筋模様。岩に躍る、赤錆色の影。木の根のように、幾度も分岐しては分岐し、無数に枝分かれしている。描かれたもののようには見えない。自然にできた模様だろう。


 自然、だろうか?


 まだ目がおかしいのかもしれない。脳の異常とは思いたくない。


 岩の模様が、ほんのわずかだが、動いて見える。


 見間違いだろうか。きっとそうに違いない。


 脈を打っているかのような動きだ。


 馬鹿な。そんなわけがあるか。


 まるで――毛細血管。


「まずは一〇〇人ほど、ご用意いたしました」

「一〇〇人? 一〇〇匹の間違いよな?」

「これはこれは、失礼いたしました」


 ――ここは化け物の腹の中か?


「半数ほど、すでに意識を取り戻しているようですな」

「おお、そうかそうか。戯れに、ちと話でもしてみようかのう、社畜どもと」

「護衛の者をお傍に控えさせましょう」

「社畜に何かできるとは思えんがな」


 会話の声は二種類だったが、この場に一〇〇名以上いたらしい。思いのほか、ノイズで気が散っていたようだ。振り返ってみれば、見慣れた格好の男女が大勢いた。まだ倒れたままの人間も多い。おそらく彼らも攫われた被害者なのだろう。二、三〇代が多いだろうか。大半はスーツだが、作業服や制服の者もいる。逆に、私服の者はいないようだ。


 話し声の主は、ワイン樽のような貴族と、ラムネ瓶のような執事だった。コスプレにしては随分と手が込んでいる。光沢のある布地に金銀の刺繍、ふんだんにあしらわれたレース、きらびやかな装飾品、宝石をちりばめた剣。靴には泥汚れが一つもない。ここに着いた後、わざわざ履き替えたのか。


 舞台衣装のように見える。だが、そうではないのだろう。


 映画撮影とかドラマ撮影とか、そういったものではないのだ。


 ――攫ってまでエキストラを用意するわけがない。


 樽男はでっぷりと肥えている。樽でなければ達磨だ。風船のように膨らんだ白粉おしろい顔が、首元を押し潰している。髪は豊かで艶めいているが、生え際を見るにかつらのようだ。ニヤニヤと笑うたびに、紅唇の隙間から覗く歯が七色に輝いた。数年前、歯を宝石で飾るファッションが話題となったが、樽男も派手さでは負けていない。センスを別にすれば、だが。ここまで光り輝くのだから、手入れには余念がないらしい。


 剣を腰に吊り下げた護衛らしき者を数人引き連れて、樽男がこちらの方へのっそのっそとやって来る。


 後ろに従える連中は、本当に護衛なのだろうか。いや、会話の内容から護衛で間違いないのだが、荒くれ者としか思えない柄の悪さなのだ。歩いている間も、腕を回したり指を鳴らしたりと、品がない。思い返せば、会話の中に「冒険者」という言葉も出てきていたので、彼らがそうなのかもしれない。豪奢な出で立ちから樽男を貴族と判断したが、貴族の身分を金で買った豪商――いわゆる商人貴族と見た方が正しそうである。


 周囲に目を走らせる。自分たちを取り囲むようにして、冒険者たちが武器を片手に立っている。ざっと数えて、冒険者は全員で二〇人といったところか。殺伐とした雰囲気を漂わせている。不穏で、ひりつく空気。息を殺して状況を見定める。


 意識を失っていた人間たちも、次々に目を覚ましていく。


 某有名飲食店の制服を着た女性が、頭を押さえながら顔を上げる。と、傍らに立つ冒険者が、剣先を彼女の頬に押し当てた。


 下卑た笑み。血脂ちあぶらが浮く剣。


 本物の凶器。本物の狂気。


 混乱、そして、恐慌。


 顔を痙攣させ、悲鳴を上げる。寸前、隣の看護師らしき男性が、女性の口元を押さえ、胸に抱き込んだ。くぐもった悲鳴に、冒険者の哄笑が重なる。近場の冒険者たちも野次を飛ばし、怯えるばかりで刃向かってこない人間たちを嘲笑う。


 パニックになった女性が、あのまま大声で叫んでいたら、冒険者は斬りつけていたに違いない。暇潰しに、だ。彼らの目がそう語っている。


 家畜を見る目だ。いずれ腹を裂かれ肉を食われる、家畜を見る目だ。


 ここは作り物の舞台ではない。


 ――現実。


 血生臭い、現実だ。


「そこの社畜よ、問いに答えよ」


 変に甘く吐き気を催すような臭いが、鼻の辺りに漂ってきた。とろけた飴のように、べったりと衣服に染みついて、拭っても取れなさそうな臭いだ。香水なのだろうか。


「お前はどんな仕事をしていたのだ?」


 運送トラックのドライバーだろう若者が、樽男に問われる。まだ二〇歳前後だろうに、生気のない顔をしている。頬がこけてはいないだろうか。目の下に浮かぶ隈も酷い。あの制服にあるロゴは、社員の過労死でニュースになった運送会社のものだ。


「し、ごと……仕事……仕事は物を運ぶことです……早さと安さが売りで……そうだ、仕事だ、仕事に行かないと……社長からも顧客からも遅いって怒鳴られる!」

「ふはは、お前はだったのか。早さと安さがとは、よい心がけよ」

「あの、すみません、ここはどこですか? すぐに会社へ向かわないといけないんですが、最寄りの駅ってどこになります?」

「ここはどこ、となあ。遠い、遠い、とおぉぉい場所よ」

「最寄りの駅までそんなに遠いんですか! 遅刻したらクビになるよ。クビだ、クビだ、どうしよう、絶対にクビだ。前、体調不良で遅刻した時に、次はないって言われたのに。今時、高卒で雇ってくれる会社なんてないよ。転職活動なんて、そもそも貯金がなければできないし。生活だけでカツカツなのに、どうしろと」

「よしよし、わしがその不安から解き放ってやろうではないか。寛大なわしが、のう。もう心配する必要はないぞ、不要よ、不要」

「えっ、どういう、あの、何を言って」

「よおぉぉく聞け、馬車馬」


 続く言葉は、大声で告げられたわけではなかった。それにもかかわらず、耳元で言われでもしたかのようだった。肉厚な唇から吐き出された一字一句が、鼓膜にこびりつき、脳内で繰り返される。


 ――お前たちは異世界召喚されたのだ。


 樽男は言う。三〇年ほど前、異世界召喚が王族や諸侯の間で流行した。召喚された人間を飼うことがステータスになったのだ。当時、異世界召喚は王侯の特権で、指をくわえて見ているしかなかった。しかし、今は違う。王家も力を失い、特権も金で買えるようになった。金なら腐るほどある。もちろん、手に入れた。そして、異世界召喚を試した……。


「召喚対象は『鍵言葉』で選び出すのだが、今回使った語句、お前には何だかわかるか?」

「わ、わか、り、ません」

「――『社畜』よ」


 樽男は七つの宝石で彩られた歯を剥き出しながら、嗤った。


 社畜の特徴を指折り数えだす。


 人の形をした家畜。一度の躾で従順になる。飼われている自覚がある。学力は高いが、志は低い。文句を言わない。命令をよく聞く。反抗心がない。死ぬまで働く。夢を見ないし、希望も持たない。野心に至っては存在しない……。


 他者を見下す目が、運送ドライバーからその隣へと移った。一般的なスーツ姿の女性に、同様の問いを繰り返す。三〇代前半に見えるが、会社員の虚ろな双眸に若々しさはない。


「……金融機関の営業職です。……謝罪は女がすると丸く収まるからと、外回りを頼まれました。……朝から晩まで駆けずり回って頭を下げて、帰社後から事務作業が始まります。終電帰りが当たり前です。上司や同僚に相談しても、『女だからって甘えやがって』って。ふふふ」

「ほう、一日中駆けずり回るとな。そうかそうか、お前はだ」


 営業員の次は、緑十字と「安全第一」の文字が書かれたヘルメットを被る男性だ。白目の色も悪いが、全体的に顔色が悪いように思える。


「……建設業……都市再開発を……。地下深くまで掘って……災害にも強い地盤を……そうだ、そうだよ、国の土台を作る工事だぞ、もっと頑張らないと。業界全体が人手不足なんだぞ、手伝ってくれる奴なんていない、ぎりぎりの工期なんだ、俺がもっと頑張らないと」

「ほうほう、国の土台作りとはのう。お前はだ」


 作業員の次は――。


 下請けSE、学校教員、コンビニ店長、介護士……様々な業種職種の人間が、社畜として召喚されていたらしい。恐ろしいことに、聞く限り、職業の重複がない。なるほど、社会問題になるわけだ。


 そして――。


 ついに自分の番が来た。樽男が目の前に立ち、ぬらぬらと紅色にてかる唇を開いた。


「お前、笑っておるな? 笑っておるだろう、笑っておる。お前はなぜ、笑っておるのだ?」

「ご不快な思いをさせてしまい、申し訳ありません。ですが、これは職業病です」

「ほう? では、お前はどんな仕事に就いていたのだ?」

「テーマパーク、いえ、遊戯施設で接客業に就いております」

「ほうほう? 月にどれくらい働いておったのだ?」

「お客様からのご要望があれば、朝も夜も平日も休日もございません。先月は一日だけ、調子が思わしくなく、お休みをいただきました。が、その日以外は職務に従事しております。二四時間三六五日、休まず働き、お客様のご期待に添えるよう尽力する、それが我々のモットーです」

「ふはは、ふはははは、ふはははははははは――!」


 樽男が腹を抱えて背を反り、大笑いした。この体格で反っくり返ったら、そのまま後ろに倒れそうだ。同じような心配をしたのか、さりげなく執事の瓶男が一歩下がって、いつでも主人の背中を支えられるように構えている。


こと、感謝せねばのう。さて、お前にはどんな動物が似合うか。犬か、鴨か、羊か……ああ、お前は鹿だ!」


 主人が顔を横に向け、執事に同意を求める。瓶男は樽男が気づかない絶妙な匙加減で、すっと一歩前に出て、頷き返した。


「なかなか愉快な話が聞けた。戯話おどけばなしもこの辺りで仕舞いにするか。魔法使いを呼べ」

「かしこまりました」


 今さらながら、ここは剣と魔法の異世界なのだと思い知る。過去に読んだ異世界召喚の小説は、夢と希望、冒険と挑戦、ハラハラとドキドキに満ち溢れた、甘酸っぱくて痛快な物語だったのだが、現実は辛くて苦くて塩っぱい。少年と呼べる世代がいないと、女神様も助けてはくれないのか。


 この状況で、魔法使いを呼ぶ。当然、魔法が使われる対象は、異世界召喚された自分たちになるのだろう。魔法を知らない異世界人に同情して、魔法を教えてくれる。そんなことになれば嬉しいのだが。楽しい展開は期待できない。


 樽男にとって異世界人との会話など座興なのだろう。


 いや、もしかしたら――。


 異世界召喚、それ自体がお遊びのようなものなのかもしれない。


「旦那様」

「来たか」


 執事が魔法使いを連れて来た。黒いフード付きのローブを身にまとい、木製の杖を片手に握っている。質素な格好のように見えるが、ローブ全体に同色の糸で刺繍が施されているし、杖の端から端まで彫り込まれた模様も繊細なものだ。大富豪に雇われているだけあって、懐具合はいいらしい。


 樽男が召喚された者たちを見渡し、言った。


「社畜どもよ、よく聞くがいい! 今日これより、わしがお前たちの飼い主だ!」


 こんな暴言を吐けば、非難の嵐が巻き起こるだろう。だが、実際に聖堂内で起きたのは、そよ風程度のものだった。


 力ない声だ。


 すでに諦めている人間の声だ。


 何に対する諦めか。


 異世界召喚されたことに対する諦めか。


 そうではないのだろう。


 自分の人生に対する諦めだ。


「飼い主として、お前たちに首輪を贈ってやろう。ほれ、喜べ喜べ、嬉しかろう?」


 ひとしきり嘲笑すると、樽男は魔法使いに命じた。


「隷属魔法をかけよ」

「承知いたしました」


 魔法使いが前に出る。杖を二度、床に突くと、杖の彫刻が白光を帯びた。装飾の類だと思っていたのだが、魔術的な刻印だったらしい。こんな状況では、感動もしないし、興奮もしないが。


 魔法使いの口が小さく動いた。低い声が流れる。


 歌だ。


 詩に節がある。


 だが、不思議なことに言葉がわからなかった。いや、それが当然のことなのか。樽男と会話を交わせたことの方が不思議なのだ。地球上ですら、国が異なれば言語も異なる。異世界で言葉が通じるなどありえない。召喚魔法に何某かの細工が施されていたのだろうか。


 詠唱に合わせて、杖が打ち鳴らされる。


 今度は、床の幾何学模様が輝き始めた。これほど「輝く」という表現を用いたくない光は他に知らない。ねっとりとした蛍光塗料が溝を伝って流れるかのようだ。どこがどうとは言いがたいが、気色悪い。


 杖が突いた床石から、召喚された者たちが座り込む床石へ、光の汚濁が流れ込む。


 獲物にたかる蛆の光景が、一瞬、脳裏をよぎった。


 壁の筋模様を見た時の気持ち悪さが、再び胃の中をかき混ぜてくる。


 あっ、と思った。


 声は出ていない。口が開いただけだ。あっ、と。


 食われた、と思った。


 床下から大口を開けて現れた「何か」に。


「無事、隷属魔法をかけ終えました」

「どれどれ、魔法の効き具合を確かめてみるとするかのう」


 何かを見たわけではない、だが、確かに何かを感じ取った。人食い鮫のような「これ」が、おそらく隷属魔法だったのだ。


「旦那ぁ、それ、俺らに確かめさせちゃくれねぇか?」

「暇すぎて暇すぎて、眠っちまいそうなんだよ」

「犬の躾みたいなもん、やりゃあいいんだろう?」

「四つん這いで『とってこい』とかか!」

「お前は芸がねぇな」


 護衛の冒険者たちが口々に好き勝手なことを言う。


「まあ、よいわ。壊すなよ」


 樽男の許可を得て、冒険者が各々、を選んでいく。


 冒険者が来る。過ぎる。来る。過ぎる。来る。足を止めた。どうやら自分は選ばれた側になるらしい。


「立てよ」


 立つ。


「俺はよぉ、てめぇの面をぶん殴りたくて仕方ねぇんだよ、さっきからニヤニヤしやがって。今からてめぇは巻き藁だ、好きなだけ殴らせろ。一匹くらい死んだって構わねぇだろ。俺を恨むんじゃねぇぞ、てめぇの顔つきが悪いんだから、よっ!」


 語尾を吐き出すのと同時に、握り固めた拳が鋭く打ち込まれる。素人同士の喧嘩で見るものとは全く違う、命を奪うための一撃だ。腐っても冒険者か。いや、単純に他人を殴り飛ばすことに慣れているのだろう。


 拳が顔面に当たる。


 ――寸前、手の平で受け止めた。


「なっ! てめぇ、動くんじゃねぇ!」

「命令したければ最低限――」


 掴み取った拳をひねり、


「C言語を学んでから出直せ!」


 今度はこちらからお見舞いした――合金製の拳を。


 下方から抉り込むように、相手の腹部へ拳を決める。返礼は礼儀だ。手心も加えた。そうしないと、相手が肉塊になってしまうので。


 冒険者は吹っ飛んだ。


 ほぼ同時に、ほぼ同様のことが、聖堂内の至る所で発生した。


 他の冒険者たちも吹っ飛んだ。


 躾けるべき犬だと思っていた相手に、彼らもまた重い拳をお見舞いされたのだ。


「なっ! なんだなんだなんだそんなばかなありえんなんだこれはなんなんだ――!」


 樽男の悲鳴にも似た絶叫が、聖堂内で反響を繰り返す。


 召喚された者たちの内、半数が無言で冒険者を踏みつけ、半数が呆然とそれを見ていた。逃げようとした執事と魔法使いも捕まえ、反抗心が折れるくらいまでボコボコに伸しておく。召喚魔法や隷属魔法の詳細を調べるためにも、「生かさず殺さず」がいいだろう。


 誰かの呟きが口から零れた。


「……AIロボット?」


 二一世紀は第四次産業革命の時代である。


 一八世紀後半、蒸気機関による工業化という第一次産業革命。一九世紀後半、電力による大量生産という第二次産業革命。二〇世紀後半、情報通信による機械の自動化という第三次産業革命。そして、二一世紀、人工知能による機械の自律化という第四次産業革命だ。


 二一世紀も半ばになると、AIロボットの社会進出が目覚ましいものとなった。かつて猟師と共に狩りを行った猟犬のように、人間の暮らしを支える相棒として、AIロボットは現代社会に溶け込んでいる。


 今や「社畜」と言えば、AIロボットを揶揄する言葉だ。


 おそらくこの世界の者たちにとって、地球の人類社会の発展は、想像できないほどの急激な変化だったに違いない。だからこそ産業なのだろう。わずか三〇年の違いで、人間の代わりにロボットが召喚されるとは、女神様でも想定外な事象なのではないだろうか。


 それでも、社畜と呼ばれる人間が少なからず存在する事実は、現代社会の消えない闇だ。


 それでも、社畜と呼ばれる人間がいなくなる未来を、AIロボットは信じている。


「いやいやいや、ロボット三原則は!? ロボット三原則はどこへ行っちゃったの!? 思いっきり、容赦なく、躊躇わずに、殴り飛ばしたよね!?」

「皆様、どうぞご安心ください、手加減はしております」

「ぜっんぜん、安心できないYO!」

「では、ご説明いたします」


 うるさく喚く樽男を黙るまで平手打ちしてから、胸倉を掴み上げる。AIロボットの筋力であれば、樽の三つ四つ、軽く持ち上げられる。樽男が宙に浮いた足をばたつかせるが、手が緩むことも腕が揺らぐこともない。


「我々、ロボット三原則はもちろん存じ上げております。皆様のご懸念は『第一条、人間に危害を加えない』にあるかと思いますが、しっかりと順守しておりますのでご安心を」

「どこが!?」

「この樽男を始め、我々が殴り飛ばした異世界生物ですが、

「は?」

「接触時に皮膚片を採取し、彼らの遺伝子を解析したところ、遺伝子数が明らかに多く、人類ではないと判断いたしました。よって、我々の行動は有害生物の駆除となります」

「ん?」


 召喚された人間たちが、揃って首を傾げる。彼らにかけられた隷属魔法の呪縛は、いつの間にやら解けていたらしい。魔法使いを伸しておいたことがよかったのか、はたまた、AIロボットの行動がショック療法になったのか。いずれにしろ、喜ばしいことだ。


 裏ボス上司の表情を真似て、樽男へにっこりと笑いかけた。大樽が小樽になるほど、身を縮こまらせた異世界生物に、告げる。


「異世界に召喚してくださった方々へ、お贈りしたい言葉がございます。一言、よろしいでしょうか?」






「Hello,World!」






【終】

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