栄光の手 2
「ジョゼ、今日はこれ着てみない?」
「……ルネ、だからね、あたしはそういうのは」
「だってクロードさんいつか帰っちゃうんだよ? 可愛い格好見せとかなきゃ損じゃない?」
あれから日々は事件以前と変わりなく流れているが、ジョゼにとって困ったことなら一つあった。ルネのおしゃれ攻撃である。
「だから、何でクロードさんなのよ」
爽やかなミントグリーンのオーバースカートをひらひら振りながら、「ほら」と押し付けてくるルネに、ジョゼは思い切り顔を顰めた。ルネが何か要らない気を利かせて言っているのは分かる。それはもう、嫌というほどよく分かる。伊達に十数年も同じ家で暮らしていない。ルネとはもう、ほとんど双子のきょうだいのようなものなのだ。言葉がなくたって大体のことは伝わってくる。
「そういうのじゃないって言ってるじゃないの。あんた、ただの知り合いに会うのに毎日毎日、特別おしゃれなんかする?」
「するよ?」
「……そうね、あんたはそうだったわね」
淡いレモン色のスカートに白いシャツを合わせ、ふわりとした袖の先には控えめなフリルを飾り。敢えて少しだけ、裾にだけあしらわれた小花の刺繍を見せつけるようにスカートを持ち上げてみせたルネに、ジョゼは溜息を吐いた。確かに彼はいつでもおしゃれに気を抜いたりしない。
けれど、ルネとジョゼは違うのだ。まず顔面のレベルが違い過ぎる。ルネのような美少年であれば、女装だろうが何だろうが可愛いものなら何だって似合うから、どんな格好をしていたって様になるだろう。しかしジョゼは、十人が十人「普通」と答えるであろう、平凡を絵に描いたような少女である。背は高くも低くもなく、顔も特別整ってもいなければ不細工なわけでも(多分)なく。赤茶色の何とも言えない髪の毛は、どこぞの赤毛の悪魔ほど小奇麗な顔をしていたなら別だろうが、ジョゼの顔の上についていたところでやはりパッとしないままだ。強いて言うなら、この緑色の瞳だけはそこそこ褒められることもあったけれど、まあ世辞の範囲内というものだろう。
おしゃれなんて、ずいぶん昔にルネと二人、花祭りを見に行くからと揃いの花柄のスカートを履かせてもらっただけ。調香の修行に明け暮れて、なるべく汚れの目立たない格好ばかり選んできたせいで、箪笥の中はどれもこれも地味な色の服ばかりだ。サン・ローラン街の人たちも、そんなジョゼを見慣れているから、たまにルネに髪飾りやブローチを押し付けられて身につけただけでも、「どうしたんだい」なんて声を掛けられてしまう。別に何もないというのに。それが恥ずかしくてたまらない。
口を尖らせてぶつぶつと言うジョゼに、ルネは肩を竦めた。
「それは日ごろの行いでしょ? これから毎日ちゃんと可愛い格好すれば、みんなそういうものだって思って見慣れるんだよ」
「それはそうかもしれないけど、あたしには似合わないわよ」
「そんなことないって。ジョゼ、いつもそうやって言うけどさ、君ってそんな言うほど素材が悪いわけじゃないんだよ?」
「そんなこと前に知り合いに言われたわ」
「そうなんだ。ぼく、その人とは仲良くなれそう」
「絶対やめといた方がいいわよ」
まあ、可愛いものが大好きなルネと、きれいなものが大好きな悪魔なら、そういう面では気が合うのかもしれないが。大好きな親友をむざむざと危険にさらしたくはない。
言い合いながらもじりじりと後退り、部屋の扉に手をかけたジョゼだったが、ルネに手首をつかまれる方が少しだけ早かった。観念しろとでも言いたげな藤色が、じぃっとジョゼを見つめている。
「……」
「……」
「…………分かったわよ、着るわ、着ますったら…………」
にらみ合いの後、折れたのはジョゼの方だった。満足げに頷いたルネが、にっこりと笑って言う。
「そうそう、それでいいの。だって、これ元々ぼくの服だけどさ、ぼくがきみのために選んでリメイクまでしたんだよ? 似合わなかったらぼくのセンスが悪いってことになるじゃないか。それだけは絶対ないから、自信持って町歩いてて大丈夫」
「どういう励まし方なのよ、それ」
「だってきみ、こう言った方が納得するんでしょ」
「……それはまあね」
何となく悔しくて、む、と口をへの字に結べば、ルネは笑った。ジョゼにルネのことが分かるように、ルネにもジョゼのことはお見通しなのだ。
ふわり、改めてルネに押し付けられた服を広げて見る。爽やかな、淡いミントグリーンのシンプルなオーバースカート。ルネの服にしては甘さが控えめだと思ったら、ジョゼに着せるためにリメイクなどしてくれたらしい。そんな幼馴染の小さな気遣いを知ってしまったからには、無下にするのも気が引ける。ジョゼは大きく溜息を吐き、「ありがとうね」と呟いた。
「……ねえ、でも本当にどうして? 何で最近そんなにあたしにおしゃれさせたいのよ。着てみたらって言ってくることはあったけど、あたしのために自分の服にハサミ入れるまでは無かったじゃないの」
「だから、クロードさん帰っちゃうからだよ」
「そんなんじゃないって言ってるじゃない」
「そんなんじゃなくたってさ」
いつもの地味なスカートに、いつもの冴えない頭巾を被ったジョゼの頭から、頭巾だけひょいと奪い取ったルネは言う。
「せっかく友達になったんだもの。お別れする前に、せっかくならちょっとでも可愛い姿を覚えててほしいじゃないか」
「友達って……。……そもそも、あたしたち友達なのかしら?」
「じゃなかったら何なのさ」
協力者でしょ、と。
言おうとしたジョゼは、はたと気が付き動きを止めた。事件が解決してしまった今、もはや「協力者」という関係は解消されたも同意である。何でもない知り合いと言うには、さすがにもう少し違うものだとジョゼも思うのだけれど。
困り顔で固まってしまったジョゼの言いたいことを察したのか、麗しの幼馴染は苦笑して、ジョゼの鼻先を指でツンとはじいた。
「いなくなったら寂しいと思うでしょ? クロードさんもね、そう言ってたよ。だから少なくとも、もう『ただの知り合い』なんかじゃないんだよ、きみたちは」
「……そう、なのかしら」
幼い頃からずっと一緒だったルネより、年が近くて同性のアンナより、ずっと遠いところにいるはずの人。縁遠い世界に生きていて、いずれは元の場所へと戻っていく通りすがりの「誰か」。そのはずだったクロードが、同じく「誰か」に過ぎないジョゼとの別れを惜しんでくれている。そのことが、妙に気恥ずかしく――ふわりと、心の底が弾むような感覚があった。
僅かに頬を紅潮させたジョゼを見て、ルネがくつくつと笑いながら、「やっぱりそういうことだと思うんだけど」なんて小声で呟く。
けれど、ジョゼがそれに何かを返す前に、玄関から大きな声がした。
「クラメールさん! おはよう、あんた聞いてるかい!」
「? お隣のおじさんだ。……おはよう、どうしたの? 何かあった?」
ひょこりと顔を覗かせたルネに、隣人は興奮露わに頷いてみせる。
「おう、ルネ坊おはよう! 何かあったも何も、行方不明だったトマ・コーヘンが見つかったんだとよ! いやあ、これでようやく一件落着だな!」
「えっ」
「ほんとに!?」
素っ頓狂な声を上げたジョゼは、ルネと顔を見合わせた。
今日のところは、「おしゃれ」なんてしている心の余裕はなさそうだ。
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