第3話 はちみつとトラバサミ
「ルネ、改めて紹介しておくわね。こちら、王都から来た軍人のクロードさん」
「ひぇ……」
ジョゼが呼ぶまで妙にぎくしゃくとして、遠巻きにちらちらと「彼」を見ては何か言いたげな視線をジョゼに送っていたルネは、何とも情けない声を上げる。
何となく予想はついていたとはいえ見事に案の定だった反応に、ジョゼは何とも言えない顔で眉を垂れた。そんなジョゼの斜め後ろで、顔面だけは恐ろしいほどの威圧感を放っているクロードは、多分そっと傷ついているだけで、その他のことなど特に何も考えていない。出会ってまだ一日未満しか経過していないが、この表情筋死滅男がどちらかと言えば大人しく人畜無害な天然であるということは、ジョゼにも何となく察せられていた。何しろ今この瞬間だって、真っ青になって後退ったルネに遠慮するかのように、そぅっとジョゼの後ろへ移動しているのである。この身長差では隠れられるはずがないのに。
どうしたものかとこめかみを押さえながら、ジョゼは首を振った。
「ルネ、あのね、違うわ。顔はこんな感じだけど、この人、多分そんなに怖い人じゃないのよ」
「ほ、本当? 本気? 大丈夫? だってもう何か見るからに『格』が違う感じするよ? 実は何人か人殺してたりしない?」
「いや……まあ人はそこそこ殺してるか……」
「ひぇ…………」
「もう、クロードさん黙って! ややこしいから! ルネもいちいちビビんないで! 軍人さんだって言ったでしょ、前の戦争の時の話よ多分!」
「多分!?」
「いや間違えた多分じゃない! 絶対そう! そうよねクロードさん!?」
「それは、うん」
こっくりと頷く仕草は、見た目に反して妙に幼い。それを見てやっと多少は警戒心が薄れたのか、じりじりと後退って柱の陰に隠れつつあったルネは足を止めた。
「……あの、ごめんなさい、失礼なこと言って」
「いや、僕の顔見て怖がらない人の方が珍しいから……慣れてる、気にしないで。ええと……」
「あ、ぼく、ルネです。ルネ・クラメール。ジョゼが住んでる家の大家の息子で、たまにこの店も手伝ってます」
「じゃあ、ルネ……君? でいいのかな」
今日も元気に女装男子のルネの姿と、先ほどの自己紹介を並べてみて悩んだのか、クロードは確認のように問うた。そのまま、気の弱い者なら心臓が止まりそうな顰め面でルネを睨みつける。……そしてこれもおそらく、彼に睨んでいるつもりは毛頭ないのだ。驚くべきことだが。
さて、そんな鬼の形相で睨まれたルネはと言えば、「本当に大丈夫!?」と言わんばかりの顔でジョゼの方を二度見し、ジョゼに呆れ顔を返されると渋々クロードへと向き直る。それから、壊れたおもちゃのようにこくこくと頷いた。よく見れば、冷汗が額に滲んでいる。
それにまた心底不機嫌そうな――これは傷ついた顔だ、もう分かる――表情で「分かった」と返したクロードは、すいっと視線を横にずらした。もはやジョゼには、チワワに威嚇され吠えたてられたハスキー犬がしょんぼりと尻尾を垂れているようにしか見えない。
そんな強面の大型犬は耳までぺしょりと潰れたまま、ぼそぼそと言う。
「……今回の事件で、彼女に協力してもらうことになったんだ。だから、僕もこの店にしばらく出入りすることになると思うけど……あの、なるべく隅の方で静かにしているから、気にしないでくれ」
これに驚いたのはルネである。怒られるかと思いきや、相手の方がすごい勢いで引いて行ったのだ。こうも譲られるとそれはそれで居心地が悪いと、しどろもどろになりながらルネは首を振る。
「え、ええ……? 気にしないでくれって言われても、無視してるわけには……」
「いや、いいんだ、本当に僕のことは空気か何かだと思って……」
「いやそんな」
「こっちこそ」
――なるほど、埒が明かない。
「だああもう!! 何なの、このまどろっこしい時間!! 二人して遠慮し合っててもどうにもならないでしょ!!
バン! と両手で机を叩き、ジョゼは叫んだ。それに揃ってびくりと肩を跳ねさせた男二人は、顔を見合わせ揃って眉を垂れると、「ごめん」と肩を竦めたのだった。
◆◇◆
そうして始まった、クロード交えた新体制での一日目。何事もなく閉店の時間を迎えたことに、ジョゼだけでなくルネやクロードも安堵したようだった。
宣言どおり店の片隅に丸椅子を置き、そこでじっと本に目を落としていたクロードをちらちらと見ている少女は何人かいたものの、それも怯えているといった風ではない。あの凍てつくような視線を向けられない限りにおいて、クロード・デュヴァルという男はただただ顔が綺麗なだけの、「クール」な美青年なのだ。顔だけは。
「……クロードさんってさあ」
一方、ジョゼの親愛なる幼馴染の長所と言えば、ふてぶてしいまでの順応力の高さである。今朝はあんなにも怖がっていたくせに、もうすっかり慣れた調子でクロードの仏頂面を眺めながら、彼は言う。
「損してるよねえ……」
「そうなのかな……?」
「してるよ、してる。笑えば絶対モテるのに。どうせ笑顔も邪悪なんでしょ」
「……うっ」
「ルネ、あんたちょっと慣れたからってクロードさんのこといじめないの」
「あいたっ」
こら、と後頭を叩かれたルネが、軽く非難の声を上げて口を尖らせた。
「そんなつもりじゃないもーん。……ちょっと勿体ないなと思っただけさ。だって本当にきれいな顔してるし、子供の頃なんかすっごい可愛かったんじゃない? 小さい頃からそんな感じなの?」
「いや。子供の頃は普通に笑えてた……はず。故郷は田舎の方で、家族も多かったんだ。賑やかな家だったから、笑いも絶えなかった」
「そうなんだ。クロードさん、きょうだいの何番目だったの?」
「二番目だよ。上に兄が一人。下は妹ばっかり三人。……もう一人産まれるはずだったんだけど、ちょうど村から逃げる時に母さんのお腹に居てね。その子は流産だったって手紙で聞いたから、男か女か分からなかった」
「そっか……みんな、どのくらい歳離れてるの?」
「うん。兄は五つ上で、妹の方は一番上が……そうだね。生きてたら、ちょうどジョゼと同じくらいだったんじゃないかな」
生きていたら。その言葉に、仕事終わりの疲労感と開放感で緩んでいた空気が、少しだけ温度を変える。ルネは眉を垂れ、そう、と小さく頷いた。
年中いつでも温かく穏やかで、戦火の影響など物流が滞ったくらいのものだったこのヴィエルジェに暮らしていると、まるで別世界の話のようだけれど、大陸の方は十数年前までどこもかしこも戦場だったのだ。家族を失ったという話は決して珍しいものではなく、ここにいる内ルネを除いた二人は、どちらも戦争で一度は天涯孤独の身となっている。
昨晩、怯えたり取り乱したりしたジョゼを落ち着かせようと、あれこれと気遣ってくれていたクロードの様子を思い出し、ジョゼは「ああ、だから」と呟いた。これまで彼を忌避するような感情が湧かなかったことに納得がいったからだ。クロードがジョゼに向ける温かな接し方は、おそらく亡くなった妹への触れ方と同じものなのだろう。
「クロードさん、良いお兄さんだったんでしょうね」
「……そうだったらいいけどね」
僅かに下瞼を痙攣させ、目を眇めるようにしてクロードは呟く。もうそれが怒った顔なんかじゃないと、ジョゼはもちろん、ルネにも分かるようになっていた。少し話さえすれば、きっと誰もが彼の本質に気が付いて、見た目とのギャップにむしろ苦笑を零すのだろう。どこか愁いを帯びた眼差しの、冴え冴えと冷たい美貌の青年は、見た目よりずっと温かで穏やかな、優しい声で語る人物なのだと。
けれど、それにしてもだ。
「……あたしにも兄さんがいたらしいから、かしら?」
本当に、自分でも驚くほどにあっさりと、ジョゼはクロードを受け入れていた。彼が少なくともジョゼに不実を働くことはなく、裏切られることは絶対にないのだと、どうしてだかすんなり信じてしまうほどに。
暗くて顔が見えなかったこと、それどころではなかったことも理由の一つではあるのだろうけれど、初めの誤解が解けてから改めてクロードに抱いた印象は、どこまでも好意的なものだった。そもそも、その冷たすぎる表情にだって特に怯むようなこともなく、喧嘩腰で掴みかかったのはジョゼが自棄を起こしていたせいばかりではないだろう。
つまりジョゼは、一度もクロードに対して「恐ろしい」とは感じていないのである。まるで「魂がそうと知っている」かのように。
「……?」
ちらと背の高い黒髪を盗み見れば、彼はこちらに気づかぬ様子で、ぼんやりと窓の外を眺めていた。
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